三池闘争と私(最終回)

元三池炭鉱労働組合執行委員 藤沢 孝雄

国民と団結し政治の変革を


 前々回から、三池闘争を闘っての教訓をいくつか話してきました。
 一つは、労働者をどう見るか、労働者は一見無関心なように見えるが、「いざとなれば、労働者であるかぎり、すばらしい闘いのエネルギーを持っている」。それを信じきれるかどうかが、決定的だということでした。
 もう一つは、「闘う以外に暮らしや命は守れない」ということ。労働者は資本家と相対したとき、たった一つの武器である団結力、ストライキで立ち上がってこそ「労資対等」の立場を確保できるということでした。最近発表されたウムを言わさぬ日産資本の大リストラ攻撃を見れば、とてもじゃないが、話し合い、「労使協議」で労働者の首を守るなど幻想です。労働者はストライキで、労働者の団結した力で対抗し、首を守る以外に道はないと思います。

資本主義の「常識」破る思想を

 今回は続いて、三つ目の教訓から話したいと思います。
 私は活動家の皆さんに率直なところをお聞きしてみたいと思うのですが、資本主義的発想の「常識」に、頭の中がしばられていませんか。職場での朝礼の時、会社の側の赤字宣伝とリストラ計画の宣伝。それに毎日、毎日、新聞やテレビではどこそこの銀行が大変、どこそこは国際競争に生き残るために合併した、リストラした会社の株があがったなど、「不況の時は賃下げは当たり前、首を切るのは当たり前」「市場経済に生き残ってこそ労働者の生活も安心」「会社あっての労働者だ」という風潮がまん延しています。大企業の組合はほとんどが、これを「やむなし」と容認し、リストラ反対の声すらあげない状況になっています。そんな中で活動家までもが、そういう「常識」にひっかかり、それに抗するのは「非常識」と思わされるようになっています。
 だけど、それは本当でしょうか。世界中の大資本家たちがいまそういう「理屈」「常識」を振りまきながら、激しく金もうけの競争に血道をあげ、そのために労働者の首を切り、賃金を安く買いたたいているのが、真実ではないでしょうか。それは、資本家にとってだけ都合のよい「へ理屈」「へ常識」で、資本家はそれを労働者に信じ込ませようとしています。ですから、労働者はそれにとらわれる限り闘えないと思います。
 ではどうするか。どんな道があるのか。私たちの三池炭鉱も、石炭から石油への「エネルギー革命」の「常識」にさらされていました。別の面から言えば、大闘争はそうした資本主義的「常識」との闘いでした。
 ある時、団交の場で経営の側が「組合がこれ以上闘うならば、三井鉱山という企業は成り立たないし、経営者もおらんようになる。それでもよいのか」と脅しをかけてきました。
 これに対して組合側は「結構です。赤字になったのは会社の責任なのに、労働者の首を切るというのは納得できない。アンタ方がおらんようになっても、鉱山(ヤマ)は残る。労働者は石炭を掘れるし、立派に生活が出来るようにしていける」とこたえて、ストライキを続行しました。当時の日経連などはそのことを「三池の職場闘争は、革命の鬼子を養成している」と大問題にしたのですが、私たちは自分たちが長い間職制任せにしないで石炭を掘り、安全を守ってきた経験からして、常識でした。決して突飛な「思想」ではありませんでした。
 ですから六〇年の大闘争の時には、私たちは常識のように「首切るやつの首を切れ」とか、「経営者が辞めても、ヤマは残る」といって闘いましたし、また商店の人も「三井がつぶれても、消費者は皆さんたち働く人だから大丈夫です」といってくれていました。
 こういう考えが労働者の常識になるには、確かに長い体験だけでなく、「資本家と労働者の関係」や、「社会の仕組みと発展」など当時の九州大学の先生たちといっしょに学習会をもったことなどを含め学習の積み重ねがあったのです。
 そういう資本主義的な「常識」と闘える、労働者の常識を身につけること、学習することは、こんな時代にはどうしても必要なことだと思います。「首を切るか、賃下げか」という経営者に、思い切って「労働者を食わしていけないやつは、いっそのこと辞めてもらおうじゃないか」と、開き直れるかどうかはとても大事だと思います。
 つまり、「労資対等」の意味が、本当はどういう意味をもつかを労働者は労働者なりに解釈して「闘う権利」をもってもよいはずです。資本家がいやでも、そうさせてくれる時代でもあります。かれらの「常識」に挑戦することを恐れては、一歩も進めない時代に入っていますから。

勝利のカギは労働者の政党

 最後に、四つ目の教訓を話したいと思います。
 これまで述べてきたように、一九六○年の三池闘争は、日本の労働者階級の歴史に残るすばらしい闘争でした。
 わずか一万数千人の三池労働組合が、敵の分裂策動をものともせず、職場、家族、地域の団結を基礎に、およそ一年間もの長期ストライキを闘い抜き、天下に消し去ることの出来ない労働者階級の力を示しました。その闘いの影響は、福岡県大牟田市という一地域にとどまらず、日本全国に、全世界に広がり、資本家とその政府を震えあがらせる一方、労働者の連帯と交流を広げ、いたるところの労働者に労働者階級としての自覚を呼び覚ましました。まさに、「総資本と総労働」の闘いへと発展しました。
 さらには、当時の政治情勢、国民的な規模で盛り上がった六〇年安保闘争と結びついて、自民党の政治を根底から揺さぶり、ついに岸信介政権を打倒する原動力となりました。
 この闘いの歴史的な成果は、日本の労働者階級の誇るべき財産として決して忘れてはならず、何代も語り継ぐべきだと思います。
 ですが、三池闘争は最終的に勝利できず、岸に代わって首相になったのは同じ自民党の池田でした。かれは支配層なりに経験を総括して、「寛容と忍耐」「所得倍増」という低姿勢の政治スタイルで国民を欺き、「高度成長」を実現することで危機を乗り切りました。三池のような労働運動は徹底して孤立させ、「労資協調」を唱える人たちが労働運動で影響力を強めるように支援し、農民や中小業者には「アメ」(補助金)をばらまいて、労働者との連携にくさびを打ちました。
 三池の大闘争にもかかわらず、なぜそうなったか。
 それは、三池闘争からこんにちまでを含めてふりかえってみるとはっきりしてくるのですが、当時の財界や自民党が、三池を孤立させ、労働組合を分裂させ、労働運動と国民の分断を図る点で、労働者の側よりはるかに巧妙でうまかったからだと思います。逆に言えば、労働運動の側に、そうした支配層を効果的に打ち破る知恵も、力も足りませんでした。これは三池労組執行部の限界を言おうとしているのではありません。究極的な責任は、それを指導する位置にあった、当時の革新政党の問題だと思うのです。
 社会党の皆さんは、国会議員も含め現場にきて激励してくれましたが、労働者階級の力を信じて、いっしょになって闘い、広範な国民的運動を発展させ、政治の変革に結びつけることができませんでした。そうしたことができたなら、こんにちの社会党のちょう落はなかったと思います。
 日本共産党は、もっとひどかった。
 第一に、三池では一貫して職場で労働者と共に闘う政党ではなかったのです。それどころか、私事になりますが六九年に三井から解雇になった経過のなかでも、当時の共産党の裏切りが関係した事実があります。
 第二に、「選挙で政権を」という路線に変更して以後は必然でしょうが、ますます労働者のストライキや大衆の闘いから離れていくようになっています。このことはこれからも確実で、「去るも地獄、残るも地獄」の時代に逆行していきます。
 第三に、「自分だけが正しい」として、常に主導権を問題にし、闘いの前進や大衆の利益からではなく、ますます不団結の方向を取る。私は、やはり「主導権は結果である」ことを信じます。
 労働者、わけても良心的な活動家や知識人の皆さんに、共産党に幻想をもつべきではないということを申し上げておきたい。私は、どんな美辞麗句より事実と歴史の実践でしかこんにちの信頼と将来を任すことはできないと確信しています。
 結論として、こういう時代はなおのこと支配層と真っ向から闘っていく真の組織者、しかも困難にたち向かう大衆と深く結びついて、相互に信頼できる政党こそが労働者を勝利に導けるし、時代を切り開くと思います。同時に、労働者階級は自らの闘いと共に、広範な人びとと固く団結して堂々と前進できる戦線をかちとる以外に、未来は展望できません。
 その意味で、私は労働者階級の任務をいま一度真剣に考え、その前進を願う立場から「労働者は自らの闘いを闘うと共に、広範な国民としっかり団結して政治の変革を闘いとる」以外にないということを、三池闘争の最も重い教訓としてきました。六九年に解雇になって以来、私もそのために全国の人びととこんにちまで歩み続けているのです。

情勢は有利、確信もって進もう

 いま私たちにとってはかなり苦しい時代で、支配層の攻撃がいっそう強く見えるというのも事実です。
 しかし、全て味方が弱く、敵だけが強いということがいつまでも続くわけはない。
 ですから、何か暗い面ばかりを描くのではなく、長い間、自民党支配と闘ってきた労働者や弱者の人たちにとっては非常に有利で、本格的に自民党支配の崩壊が進む情勢だということをはっきりせておく必要があります。また、そのことは闘おうとするわれわれにとっては、またとないチャンスでもあるということです。
 例えば九月十六、十七日、新潟トヨタグループ労組が四十八時間のストライキを打ち抜いた。経営者が賃上げと夏のボーナス回答を示さないことに抗議したもので、連合新潟加盟のほかの労組も支援、八百人が集会やデモに参加している。「あのトヨタで!」と驚きの声も上がっています。
 三池闘争からやがて四十年、日本の労働者階級もいろんな経験をしてきました。「人も階級も経験で育つ」のです。先人の言葉に「過去の教訓に学ばなければ、こんにちに盲目となる」とあります。その意味で、三池闘争も重要な経験であり、教訓を含んでいます。経験から真剣に学び前進しなければなりません。
 世界の危機が深ければ深い程、確固として労働者は労働者なりに、自らの足と頭で立って前進することを確信しています。労働者の本来持つ歴史的経験である『全体の力関係を変える』ことの意味を実践で知り、階級連帯を身に付け、より政治的自覚を高め、自信を持って職場や地域で闘うならば、その意義は計り知れないくらい大きいことを知るべきでしょう。
 長期間、ありがとうございました。


ビデオ

三池闘争
日本をゆるがした313日

VHS モノクロ六十分
製作 三池闘争映像記録会
定価 5千円(送料込み)

労働新聞社でも扱っています
電 話〇三(三二九五)一〇一一
FAX〇三(三二九五)一〇〇四


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