三池闘争と私(7)

元三池炭鉱労働組合執行委員 藤沢 孝雄

闘いの中から歌が生まれた


がんばろう つきあげる空に
くろがねの男のこぶしがある
もえあがる女のこぶしがある
闘いはここから闘いは今から

がんばろう つきあげる空に
輪をつなぐ仲間の
こぶしがある
押し寄せる仲間の
こぶしがある
闘いはここから闘いは今から

がんばろう つきあげる空に
国のうちそとのこぶしがある
勝ちどきを呼ぶこぶしは一つ
闘いはここから闘いは今から

 「がんばろう」という歌を知っていますか。これは三池闘争の中で、三池炭鉱労働者の手によって生まれたものです。これをつくったのは荒木栄さんという、親子二代の三池炭鉱労働者でした。彼は十五歳から三井鉱山機械の組立工として三池製作所で働きました。三池闘争の中ではここはほとんど第二組合となるのですが、彼はその中で最後まで第一組合員として闘った二十二人の中の一人でした。私も闘争中、組合や地域で彼といっしょにスクラムを組んできました。
 残念ながら六二年、胃ガンで亡くなりますが、三十八歳という短い生涯で、この「がんばろう」はじめ、「三池の主婦の子守歌」「沖縄を返せ」「心はいつも夜明けだ」など、数々の素晴らしい歌を七十曲余りつくりました。それらの歌は、今も闘いの中で、彼の名を知らぬ多くの人びとに歌い継がれています。
 彼は「一九六〇年春、歴史的・革命的な三池闘争は、組合員久保清さんが暴力団に刺された後、闘争の最も激烈な段階に直面しました。『がんばろう』は、ホッパー前での権力との決戦の直前、全国の労働者が闘いに立ち上がるかどうかの瞬間、全労働者が右手のこぶしを突き上げて『団結がんばろう』と叫んだ、そのふき上がった闘魂をとらえて作曲した」と語っています。
 こうして歌をもたなかった私たちが、闘いの中で歌をもつようになりました。私は、今も仲間とともにいっせいに大きな声を上げてこの「がんばろう」を歌うとき、歌が自分の感情になっているので、気持ちがうわーっと盛り上がってくるし、三池闘争を思い出すのです。本当に苦しいときや、オルグがいっぱい来ていっしょに歌うときは、もう文句なしに涙が出ました。スクラムを組んで大きな声で合唱すれば「よし、いっしょにやるぞ、お前もいっしょか」と感じられるのです。歌う中で非常に励まされ、連帯を感じます。労働歌はそういう力を持っています。

雨の降る夜はつらかろね
ホッパーにらんで夜明けまで
無口のあんたが火をかこむ
ビニール小屋にとどけたい
腹巻き 綿入れ 玉子酒

 ピケにたつ夫を案じる妻の生き生きとした、率直な感情をそのまま歌った「三池の主婦の子守歌」は、ピケで、デモで、社宅で、あらゆる集会で、組合歌「炭掘る仲間」といっしょに、家族みんなで歌いました。

世に八方塞がりはなし天高し

 これは私と同じ宮浦支部の組合員、高椋龍生さんが闘いの中で書いたものです。彼は闘争の中で書き記していた詩や俳句、妻や子どもたちにしたためてきた日記などをまとめて「石蕗(つわ)の花が咲きました」という文庫本を出しました。その中で彼は、
「三池のたたかいのなかで私の土根性はうち鍛えられたくましく育っていった。
 差別に擦り切れた指のあいだからにじみでてきた詩、これこそ労働者のたたかう生きた詩だと思う、ことばのなかに動悸(どうき)がうっているからである。
世に八方塞がりはなし天高し
 私にはどんなときでもつねに展望が光を投げかけてくれた。
 たたかいの歴史がそのことを訓(おし)えているからである」と書いています。
 その他、大闘争の中で労働者や家族がつくった詩はすばらしいものが数多くあります。私の好きな作品をいくつか紹介します(別掲)。

闘いを支えた女たちの力

 分裂の試練を乗りこえた私たちは、第一組合内の団結を固める、会社の生産再開を阻止する、そして安保闘争と三池の闘いを結合させて全労働者の力で情勢を切り開いていく、という三つのことを重視してくる日もくる日も闘いました。
 団結運動会、団結駅伝大会、花火、稲刈り、敬老会、子供会…あらゆる行事に「団結」という頭文字を付けたことでもわかるように、「団結すること」をことのほか重視しました。飲み会でも何でも「団結」です。
 組合では演劇や歌、踊り、漫才、落語などを得意とする組合員を組織して「文化工作隊」をつくっていました。今日はこの社宅、明日は…というふうに、非番の組合員や主婦会、子どもたち、高齢者を対象に集めて、情勢をおもしろく寸劇にしたり、労働者がどうあるべきか、資本家がどういう態度をとってくるのかを寸劇にして、わかりやすく宣伝するわけです。これはかなり人気がありました。
 宣伝活動として社宅や市内、近郊の農村へニュースカーで映画を上映してまわりました。よく覚えているのは名作「喜びも悲しみも幾歳月」とニュースです。上映が終わると農家の人びとが「がんばって下さい」と激励してくれ、大きなぼた餅をふるまってくれたりもしました。
 強調しておきたいのは、長期間続く闘いを下から支えた大きな力として、家族たち、わけても主婦会の力がありました。
 主婦たちは「一万円生活」を内職など、夜なべをして支えました。彼女たちが支えていた力はすごいし、それがなければ闘争は闘えなかったと思います。生活を支えながら、主婦会は地域分会での団結集会や全国から来たオルグの受け入れや交流で忙しかったし、マイクを通じて非常召集の指令がでれば即刻集まってピケに参加して闘いました。
 資本とぎりぎりの対決を迫られた労働者にとって、闘う以外にとるべき道のない本来の姿を自覚したときに、その労働者は少しのためらいもなく自らの体で闘うのです。そのとき労働者は素晴らしい闘争能力を発揮するとともに、夫だけでなく妻も家族にも強い愛情が芽生えていくような気がします。こうして三池の闘いは素晴らしい歌、豊かな詩、文化を生み出し、それらは労働者の闘いと団結の糧になっていきました。


強いられし追従の果ての憎しみの対決の音 風に鳴る旗         (三川支部)
日の丸を宣伝塔になびかせて何たくらむか 町のボスども        (三川支部)
背なの子もはちまきがいるデモの母              (宮浦支部)
鉱山(やま)の主婦花も生けます腕も組む               (四山支部)


「三池闘争と私」(1)
「三池闘争と私」(2)
「三池闘争と私」(3)
「三池闘争と私」(4)
「三池闘争と私」(5)
「三池闘争と私」(6)
「三池闘争と私」(8)
「三池闘争と私」(9)
「三池闘争と私」(10)
「三池闘争と私」(最終回)


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