三池闘争と私(10)

元三池炭鉱労働組合執行委員 藤沢 孝雄

闘ってこそ道は開ける


一九六三年十一月九日、三池炭鉱で炭じん大爆発がありました。四百五十八人の労働者が一瞬にして殺され、八百三十九人のCO(一酸化炭素)中毒患者を出すという大惨事でした。
 以下は、災害直後、組合の指示で現場調査した時の私の体験記の一部です。
 「坑口から約千八百メートルの坑底に向かって進むと、そこが爆心地だけに、数カ所でひどい落盤がありました。(中略)一日の仕事を終えて昇坑の人車を待っていた仲間たちが、四十〜五十人折り重なって死んでいました。直径一メートルもある揚水パイプが爆風で折り曲がり、そのパイプに挟まれて死んでいる人、千メートルもの斜坑を逆流してきた土石流で埋まっている人、坑木が顔や胸に突き刺さって死んでいる人、手だけの人、地下足袋だけの人、まさにこの世の生き地獄です。
 もっと進んで行くと、坑内は真っ暗。坑道は炭じん爆発のススが五センチも積もって、私たち三人の足跡がパックリとつく。(中略)これから先、死体がどこまでも続く。
 みんなはガス中毒死だから、汚れてはいるが、五体満足。だがみんな苦しそう。タオルを口に当てたままの人、必死に逃げたであろう姿の死体、バラバラで倒れている人、通気門の入口には何十人も折り重なって死んでいる。死体累々です」
 私たち(当時、三川と宮浦支部の労働部長)二人と保安委員の計三人は、被災者一人ひとりの生死と名前を確認し、地上で夜通し安否を気遣う家族に正確に情報を知らせる任務だっただけに、それは大変でしたし、耐えられない気持ちでした。
 体験記の最後には、「ひとくちに四百五十八人の死体といいますが、同じ職場でいっぺんに倒れている仲間の姿を見た時、それは恐ろしさを通り越して、憎しみでいっぱいでした。この野郎! なんで罪もない労働者が、殺されねばならぬのか!」とあります。

リストラで毎年16人の死者が

 三池争議に勝利した三井鉱山が、真っ先に着手したものは、職制の権限強化でした。次に第二組合と協定し、労働時間の延長と作業量の引き上げでした。併せて、組夫導入による大幅なコスト削減のリストラでした。
 重要な職場から熟練工の第一組合員を追い出し、戦後一つひとつ闘いとった保安要員とその費用の大幅削減。例えば、大爆発のあった三川坑のベルト斜坑では、いままで十二人いたベルト当番が二人となり、そのため炭じんの除去や散水作業は不可能になっていたのです。
 こうして生産再開した六一年からは、毎年十六人ずつの死亡者を出していますし、皮肉にも、労資協調で会社の再建を誓った第二組合員と組夫だけが犠牲になっているのです。そんな中で、世界の労働災害史上最悪の大惨事となったのです。
 ここで注目すべきことがあります。三池闘争直前の一九五九年は「三池の事故死亡者一人」となっていることです。これは敗戦後の三池炭鉱では年間百二十人も出ていた事故死亡者を、十年間で実に一人にまで減らし、死亡者ゼロの目標まであと一歩のところまできていたのです。
 この事実が何よりも次のことを物語っています。かつて「眠れる豚」とまでいわれた三池労組が次第に目覚め、ついに「抵抗なくして安全なし」のスローガンのもと十年間も闘ってきたことの結果です。闘ってこそ道は開けることの正しさを雄弁に物語るものでした。
 三池闘争の教訓の第二は、「闘う以外に暮らしや命は守れない」ということです。

資本の論理は今も昔も同じ

 さて、この三池の大災害は、確かに三十六年前の、しかも炭鉱という特殊条件のもとでの労働災害に違いありません。あるいは、三池闘争の本質として争点になった職場闘争や「生命を守る保安闘争」が先行せざるを得なかった経過や労働環境の違いはありましょう。しかし、だからといって「確かに大事なことではあるが、他人の問題」ではないのです。なぜなら、最近の東海村の核燃料工場の大事故、あるいは相つぐJR新幹線のコンクリート崩落事故など、やがて必ず大惨事となるのは間違いありません。
 にもかかわらず、国の責任回避の無責任さ、あるいは大企業をはじめ資本の死活をかけた大量人員削減やリストラなどの再編強化には、大惨事の歴史の事実と同じ資本の論理がまかり通っていると思いませんか。それどころか、今の時代だからこそ、こうした過去の経験から学ぶべき最も大事なことがあると確認したいのです。
 今も昔も、時代に関係なく起こっている企業のリストラや資本の搾取は、常に現場で日常的に行われていること、そしてひと皮むけばそれ(結果)は、冷酷無情なものであることを、もう一度考え直してみることです。

仲間の動向にもっと敏感に

 「闘ってこそ道は開ける」といいます。ところが、こんにちの労働運動の停滞ぶりは、目を覆うばかりとの評価があります。では、実際に職場に闘いはあるのだろうか、それともないのだろうか。
 そこで私たちは、職場の仲間が意識する、しないでなく、ごく自然な形で人間としての感情を素直に出した動きに対し、もっともっと敏感になることが大事だと思うのです。
 例えば、会社が残業、残業といっても、働く職場の中には「そんなに向こうの言うことばかり聞けるもんか!」とか「会社の言うことばかり聞いていたら体がもたん」とか、よくある風景です。会社の言い分に対して、放っておいてもどこでもそれなりに、まず抵抗が始まっているということです。問題は、そういうものに対して、どういうふうに私たちが対処するかということではないでしょうか。
 結論を先にいいますと、そういう一つひとつの労働者の感情というか、不満や抵抗や動き、そういうものを見逃さず、丹念に一つひとつ対処していくことが、非常に大事だということです。
 私たちが一見、なんでもなく見逃してしまうようなことでも、ほったらかさないで、よく考えてみるとそれが労働者の抵抗としてもう一度評価して返してやることが必要ではないのでしょうか。そして会社側の言い分に対して職場の仲間がとっている態度は、労働者として当然のことなんだということで、それとなくきちんとかれらに説明してやることで、労働者の正当性を一つひとつ確信させていく。
 そして、それらを丹念に寄せ集めて、例えば何人かの確信に、さらに一つの職場や全体の確信にまでというふうに粘り強く高めていくことです。労働者と資本家の考え方は相入れないものだという、きちんとした階級的なものの見方を覚えさせていくことの重要さです。
 どんな職場でも、絶えずもっと合理化してもっと利潤を上げようとする会社側と、労働者のそれに対する抵抗との力関係が、どこかで折り合って現状があるわけです。ですから、いつも押したり引いたりしてこんにちがあるわけです。その意味ではこんにち、労働者が全く闘って(抵抗して)いない職場というのはありえないでしょう。
 三池闘争や大災害という生々しい事実は、リストラの本質を労働者の立場で全国の仲間に理解させました。そして、全国の働く仲間がいっそう団結して闘う以外に道は開けないという労働者階級の教訓を残しました。


「三池闘争と私」(1)
「三池闘争と私」(2)
「三池闘争と私」(3)
「三池闘争と私」(4)
「三池闘争と私」(5)
「三池闘争と私」(6)
「三池闘争と私」(7)
「三池闘争と私」(8)
「三池闘争と私」(9)
「三池闘争と私」(最終回)


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