解説

「アジアの共生」への転換には 明治以降の歴史の総括が必要

 旧日本帝国主義が第2次世界大戦で敗戦してから、80年を迎えた。

 「敗戦」には理由があり、前史がある。明治維新以来のわが国の歩みに対する、事実に即した総括が必要である。

 アジア蔑視で欧米帝国主義の植民地争奪戦に加わろうという「脱亜入欧」「富国強兵」路線を総括し、独立・自主でグローバルサウス、アジアと共生する進路に切り替えなければならない。

 そうしてこそ、激変し戦乱が相次ぐこんにちの世界で、わが国の平和と繁栄を実現できる。当面は、日中不再戦のための幅広い戦線形成が求められている。

侵略は明白な事実である

 1945年8月15日、日本政府は「ポツダム宣言」の受諾を表明し、無条件降伏した。9月2日には降伏文書に署名、降伏が外交的に確定した。

 41年以降の太平洋戦争だけで、わが国の軍人・民間人300万人以上の命が奪われた。とくに沖縄では約9万5千人と県民の4人に1人、広島・長崎では原子爆弾投下によって45年末までだけで計約21万人が死に追いやられた。今なお苦しむ被爆者も多数いる。

 旧日本帝国主義が行ったことは明白な侵略戦争であり、アジアの被害はさらに膨大である。

 31年の柳条湖事件を機に、日本は中国に本格的侵略を始めた。

 事件以降、日本は中国東北部を軍事占領し、「満州国」をでっち上げた。翌年には、旧清国の皇帝を担ぎ出して「満州帝国」とした。「五族共和」などと宣伝したが、実態は、日本の傀儡(かいらい)である。

 中国への侵略戦争で、日本は死者約2千万人という人的被害を与えた。30万人が殺された南京事件、細菌戦の拠点として約3千人に人体実験を繰り返した731部隊、国民政府があった重慶への無差別爆撃などは、日本軍による残虐行為、戦争犯罪の一部である。インドネシアでは約400万人、ベトナムでも約200万人など、中国以外のアジア諸国でも1千万人近くが亡くなった。

 命を奪っただけでない。日本軍は植民地や占領地で住民を強制労働に駆り立て、女性を性奴隷化し、資源や財産を奪い取った。国土の破壊も計り知れない規模で行われた。日本語使用や国家神道強制などの「皇民化」政策で、民族の尊厳や内心の自由も奪った。

 こうした歴史の事実を否定し、「アジアの解放のため」などと侵略戦争を美化する歴史修正主義を、断じて許してはならない。

「加害」の認識こそ肝心

 わが国平和運動の中では、しばしば「被害と加害の両面を見なければならない」と言われる。それは間違いではない。

 米軍によるわが国への無差別空爆は、明白な国際法違反である。すでに戦争の行く末が決まった中での広島・長崎への原爆投下は、大量虐殺(ジェノサイド)にほかならない。米国が戦後世界を支配するための、政治的デモンストレーションでもあった。

 だが、侵略を受けたアジア諸国・人民からすれば、わが国に求めるのが「加害」の実態を直視することにあるのは当然である。わが国がそれを直視し、心から反省し、繰り返さないことを誓い、行動してこそ、アジアの人びとは被害の実態にも耳を傾けてくれる。加害と被害を同列に論じることはできず、この点をあいまいにしてはならない。

明治以降の歴史の総括が必要

 では、反省すべき「戦争の歴史」とは何か。いつからか。

 41年に始まる、4年間の太平洋戦争にとどまらないことは明らかである。

 これに対して戦後、中国侵略を反省し対米英戦争との連続性を重視する立場から、31年の柳条湖事件から敗戦までの「15年戦争」ととらえる見解が生まれた。

 だが「15年戦争」という見方には、朝鮮半島への侵略と植民地支配という視点が欠けている。

 1894年の日清戦争は、朝鮮半島の支配をめぐる戦争であった。1904年の日露戦争も、朝鮮半島と中国東北部をめぐる争奪戦であった。両戦争は主に朝鮮半島と周辺で戦われた。朝鮮人民からすれば「強盗同士の戦争」で、迷惑千万なことである。

 戦争の結果、日本は朝鮮半島での「支配権」を列強に認めさせた。05年には大韓帝国から外交権を奪い、10年には強制占領(併合)した。その後の植民地支配の過酷さは、3・1独立運動(万歳事件)への苛烈な弾圧に典型的である。その影響は、こんにちでも拭い去ることはできない。

 こうした経過から、朝鮮半島出身の研究者から、日本による戦争は日清戦争のきっかけとなった甲午農民戦争(日本軍は農民数万人を虐殺した)以降の「41年」とする見解が提起されている。

 われわれはより長期の、明治維新以降の近代日本の成立過程全体への総括が必要だと考える。

 維新直後の1874年に強行された台湾出兵は、琉球の日本帰属を認めさせ、清国から賠償金を得たものである。さらに翌年の江華島事件で、日本は李氏朝鮮に開国を迫り、自国優位の不平等条約(日朝修好条規)を押し付けた。日本が列強にされたことを、朝鮮に強いたのである。

 このいずれも、英国など列強の支持の下、日本は軍事的手段を行使した。これが、日本の帝国主義的対外膨張の始まりである。

 さらに日清戦争によって清国から奪い取った、当時の国家予算の4倍にも達する巨額の賠償金、台湾などの植民地市場と権益を基礎に、日本は「富国強兵」による独占資本の形成とさらなる軍備拡張、帝国主義への道を本格化させた。賠償金によって建設されたのが八幡製鉄所(現日本製鉄)であり、拡張された軍備は10年後の日露戦争に「貢献」した。

 賠償金を支払った清国は財源を諸外国からの借款に求め、これによって中国は半植民地に陥った。増税も進み、人民の生活はますます悪化した。
 日露戦争では、日本は中国東北部での鉄道権益などを得た。

 11年の中華民国成立後は、「西原借款」などで軍閥間の争いに介入して権益拡大を図った。第1次世界大戦では、中国に「21カ条要求」を突き付け、ドイツの権益をかすめ取った。

 日本の大国化は、東アジア、とくに中国人民の血の上に進められたのである。

 こうした延長上に、31年以降の中国への本格侵略と、アジア太平洋への戦火拡大がある。

 だから、わが国による侵略と植民地支配の犠牲者と被害は、先に挙げたものよりもはるかに長期にわたり、かつ甚大なのである。

 見直さなければならないのは、明治以降にとったアジア蔑視の「脱亜入欧」路線である。

 これを支えたイデオロギーの代表者は福沢諭吉だが、起源は幕末期にある。この研究は、別の機会に譲りたい。

「戦後」はあったのか

 1945年の敗戦以降、日本がどのような態度をとってきたか、「敗戦後の80年」も見直されなければならない。

 戦後、わが国は米国の庇護(ひご)下、侵略戦争と植民地支配への反省をほとんど行わないまま、国際社会に「復帰」した。歴代対米従属政権は侵略戦争に対する謝罪を行わず、補償も経済協力にすり替えた。朝鮮戦争、ベトナム戦争では兵站(へいたん)を担い、アジア人民の犠牲の上に、わが国経済は「特需」で潤った。

 一部の保守政治家は歴史歪曲(わいきょく)発言を繰り返し、侵略戦争を美化する靖国神社への参拝が続いている。

 日本の植民地支配がなければ分断されなかった朝鮮半島の一方・朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化が行われていない。在日外国人を管理・弾圧する出入国管理体制、朝鮮学校に対するヘイトクライムと高校無償化制度などからの除外、さらに近年の「中国敵視」の排外主義など、侵略戦争への反省など「なきがごとし」の世論があおられている。

 1995年の村山談話では、不十分さを残しながらも、過去への「痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明」した。だが、この立場は次第に後退し、2015年の「安倍談話」では侵略と植民地支配の主体が日本であることを認めなかった。

 7月7日に国会前で行われた「私の戦後80年 リレートーク集会」では、在日外国人の若者から「『戦後』は、植民地からの解放ではなく、むしろ植民地主義の継続であった」との声が上がった。こうした告発には道理がある。彼らにとって、戦後などなかったのである。

 世界が激変するなか、侵略戦争と植民地支配への謝罪と反省のみならず、「戦後日本」のあり方、すなわち対米従属政治の見直しとその転換が迫られているのである。こうした闘いと結びつけてこそ、広島・長崎を中心とするわが国平和運動もより力強く発展し、またグローバルサウス諸国・人民の心からの支持を得ることができるだろう。

 もう一つ、あいまいにできないのは台湾問題であるが、社説に譲る。

 「敗戦80年」に際し、アジアと共生する方向へ、国の方向を変えなければならない。(K)

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