青年学生 通信・投稿

1923ジェノサイドのフィールドワーク 奪われてきた声に耳を傾け続けたい

 4月25日に、1923年の関東大震災時に発生した朝鮮人虐殺事件について学ぶフィールドワークに参加しました。主催は「百年(ペンニョン)」という事件の歴史を語り継ぐ活動をしている若者中心のグループです。(大学生・堀尾奏)

日常の延長上にあった虐殺

 この1923ジェノサイド(集団殺害)によって、朝鮮人のみならず、多数の中国人も犠牲になりました。今回のフィールドワークで訪れた現場には中国人労働者が殺された現場も多く含まれていました。だからでしょうか、今回のフィールドワークには中国の方も数人参加されていました。皆が日本で暮らしている人たちで、1923ジェノサイドは「歴史」ではないのかもしれません。

 現在の東京都江東区大島(旧南葛飾郡大島町)周辺などを歩きました。大島には当時荷揚げ人夫として多くの中国人労働者が生活していました。中国人労働者たちは不当に安い賃金で働かされ、生命を搾取されていました。しかし当時の日本人労働者の目には「中国人人夫は安い賃金で働き、おれたちの職を脅かしている」と映ったりもしたようです。また、劣悪な労働条件や生活状況に置かれてブローカーに異議を唱えた中国人もいたでしょう。こうしたことから、日本人労働者やブローカーとの間に対立が生じ、震災時の虐殺の原因になったということです。

 これはこんにちの日本社会と同様の構造です。資本主義・帝国主義によって同様に抑圧されていた日本人の労働者階級も、「国籍」「エスニシティー」「在留資格の有無」によってつくられる「階級構造」においては支配者階級に属することとなります。こうして、被抑圧者同士、労働者同士の団結は分断され、特定の「犠牲者」を対象化するジェノサイドが国家権力によって誘発されます。こんにちにおいてはさらに陰湿かつ露骨な形でこの暴力構造は再生産されているのではないでしょうか。

 フィールドワークで虐殺の現場となった場所を訪れて最初に心に響いたことは、虐殺が普通の人びとの日常の生活空間の中で公然と行われていたという事実です。現場は橋、寺、銭湯、といった公共空間でなされました。人びとは自らの生活の延長上で虐殺に及んだのです。
 このような歴史の事実と現在の日本社会は地続きであるとしか思えません。「中国人は野蛮だ」とか、「『不法滞在者』(とんでもない印象操作だ!)が強制送還されるのは仕方がない」とか、そんなヘイトが日常会話として人びとの口から発せられるという場面に幾度となく居合わせたことがあります。「外国人労働者を奴隷と見なすならば移民に賛成だ」などといった露骨なヘイトをする人間も少なくありません。
 これは1923ジェノサイが起きた背景とよく符合していると思います。特別な政治的空間において発せられるのではなく、日常の生活空間で、家庭の食卓、学校、職場などでごく「自然」にヘイトが飛び交っています。ジェノサイドは日常の一場面としていつでも起こり得る。いや、もう既にそれは私たちの日常の光景となりつつあるのではないでしょうか。

 ジェノサイドとは、「非常時」に起こる不運な人災なのではなく、私たちの日常生活空間に既に内在している不可視の憎悪と暴力が顕現する瞬間です。無形の殺意と暴力が臨界点を超えて社会に充満すると、社会は被差別者を暴力の客体として対象化し、その「犠牲」をもって「秩序」を維持しようとするのではないでしょうか。

国家が計画し主導した蛮行

 1923ジェノサイドは「民衆」が勝手に集団的沸騰状態に陥ったことで引き起こされたものではありません。官民が一体となって引き起こしたもの、国家権力によって計画的に行われた事件でした。

 ジェノサイドのサバイバーである中国人労働者の黄子蓮さんの証言を以下に紹介します。

 「9月3日昼ごろ、8丁目の宿舎に大勢の軍隊、警察、青年団、浪人たちがやってきて、『金を持っている奴は国に帰してやるからついてこい』と言って174人を連れ出し、近くの空き地へ来ると『地震だ伏せろ!』と言って全員を地に伏せさせ、手にした棍棒、鳶口、つるはしなどで殴り殺した。私は殴られて気を失ったので死んだと思われて捨て置かれた。夜中に痛みのために目を覚まし、死体の中をはうようにして蓮池のそばで一昼夜を過ごし、5日に7丁目の駐在によって小松川署に送られ、さらに習志野収容所に送られて10月に帰国した」(『世界史としての関東大震災 アジア・国家・民衆』(関東大震災80周年記念行事実行委員会編、日本経済評論社)

 ところが、日本政府は国家が虐殺を主導していた事実をいまだに認めようとしていません。それどころか、積極的に虐殺の記憶を人民の間から抹消し、一切を忘却の彼方に放逐しようとしています。小池都知事が虐殺被害者に対する追悼文を送ることをやめることで虐殺の事実をなかったことにしようとしていることが典型例です。

 先の証言では、軍隊・警察・青年団が「故郷に帰りたい」という思いをも利用して組織的に卑劣な蛮行に及びました。この証言を聞いてもなお、官民一体によるジェノサイドはなかったなどと言えるのでしょうか。小池都知事に問いたい、日本政府に問いたいです。

 1923ジェノサイドは終わっていません。差別・排外主義が日本社会に蔓延し、とりわけ非正規滞在の外国人の人権をことごとく蹂躙する諸制度が国家権力によって次々とつくり出されていることにそれは示されています。「ゼロプラン」を掲げる殺人入管行政などがまさにその例です。

帝国日本の私たちの責任

 私はフィールドワーク中に津久井やまゆり園事件を想起しました。今から10年前の2016年7月26日、19人の入所者が虐殺された。これは確かに犯人の植松個人による犯行でしたが、その本質において、私はこの事件は1923ジェノサイドと同様、国家権力による蛮行だったと思っています。植松を凶行に駆り立てたものは「障がい者という『社会』の役に立たない人間、労働市場において『価値』を生み出さない人間は要らない」という富国強兵の資本主義・帝国主義の論理による抑圧だったのではないでしょうか。

 植松こそが「帝国日本の子」ではなかったのではないでしょうか。いや、植松だけではなく、「帝国日本の私たち」は誰しもがあの事件の犯人になり得たのであって、その意味において津久井やまゆり園事件は国家権力によって主導された虐殺であったと私は思います。

 万人が資本主義・帝国主義の暴力によって抑圧されています。障がい者が「犠牲」とされたことで、社会に内在する暴力は均衡点にまで下がり、資本主義・帝国主義国家はその秩序を「回復」します。津久井やまゆり園事件と1923ジェノサイドは、ともに帝国日本の私たちの「日常」なのであって、それらは構造的に地続きになっているように思えます。

 いや、障がい者だけでなく、女性、性的マイノリティー、生活困窮者、外国人、あらゆる周縁化された人民を徹底的に搾取することによって、あるいは「産業廃棄物」として「社会」の外へと吐き出すことによって、帝国日本の「幻想」を再生産し続けています。この「幻想」を放棄すること、それがもう二度とジェノサイドを引き起こさないための唯一の道ではないか。そんなことも考えつつ、1923ジェノサイドという「私の現実」に向き合いたいと思っています。

 帝国日本の私たちには、奪われ続けてきたその声を聞く責任があります。行動する責任があります。資本主義・帝国主義を終わらせる責任があります。

 私たちは「和解」の歩みを今度こそ始めなければと思います。民衆同士の関係においてこそ「和解の旅路」を始めいきたい。「被害/加害」という二項図式だけではとらえられない民衆のつながりの中で、私たちが隣人として共に食卓につくこと、その平和の実践へと解放の実践へと歩みを進めていきたい。フィールドワークに参加してその思いを強くしました。

-青年学生, 通信・投稿
-, , , , ,