昨年、東京の住宅型有料老人ホーム経営者が「経営不振」を口実に逃亡、入居者は民間ボランティアによって他施設に移転されたが、非常時の中で餓死者も出る惨事が起きた。この事件から見える医療・介護行政の問題について、入居者の救出に当たった団体の一つである男性看護師による一般社団法人「ナースメン」代表の秋吉崇博さんに聞いた。

私たちは主に東京の荒川区で看護・介護の仕事をしていますが、隣の足立区にも訪問介護に回ることがあります。交流のある足立区の同業者と情報交換のためのLINEグループもつくっています。
そのグループであるケアマネジャーさんから「足立区でこういうことが起きている」と聞いたのが最初です。それが昨年10月10日ごろ。それからグループのメンバーから「何人ぐらい入れますか」と応援要請が来て、一日10人ぐらい自分たちも応援に入ることになりました。
現場はとにかくあわただしくて、誰が残っているスタッフなのか、誰がサポートに入っているボランティアなのかも分からない状態でした。私たちより先にボランティアで入っている人が、何が足りないとか、何号室の誰々さんの状態がよくないなどと状況を教えてくれ、私たちも救援の活動を始めました。
私たちが入り始めて4日間かかって他の施設に利用者さんを振り分けることができました。だいたい近くの施設に移動できたのですが、中には群馬県にまで移った人もいました。
入居者さんは、お風呂にも入れず、おむつも替えてあげられない状態でした。スタッフは飲まず食わずで対応しました。
行ってみると、日本人のスタッフは給料が出ないので大半が退職していて、外国から来た介護士が献身的にケアをしていました。残っていた介護士さんはとても責任感が強く、「入居者さんをほったらかしにできない」と、給料も出ないのに残って頑張っていました。入居者さんも「悪いのはあなたたちじゃない、本当によくしてもらっています」と感謝していました。
行政は教訓生かしてほしい
この施設は、築2年と新しくきれいで、「入居費8万円(通常は200万円以上)」などと格安を売りにしていました。「ドクターホーム」「医療機関との連携ができていて、何かあったらすぐに対応できます」「その施設で最期が迎えられます」というのがうたい文句でした。しかし、私が施設に入ったときには、普通なら入院させなければならない人にも、適切な医療も受けさせず放置されていました。
経営者は、安さで人を集め、劣悪な環境で運営し、経営が悪くなると最後は入居者を放り出して逃げたということです。
地元の足立区はこの施設には問題があると把握していたようです。それでも動き出しが遅く、私たちがサポートに入ったときにはまだ区も都も支援には来ていませんでした。私が最初に施設に入った次の日になって、区はやっと非常用の「梅おかゆ」を差し入れました。区は「10月9日にはもう食料がなくなる」と認識し、その日までに転居させるなどの対応が必要だと分かっていたにもかかわらず、対応が遅すぎるのではないでしょうか。
なぜボランティアが最初に動かなければならなかったのか。逃げた経営者に最も大きな問題があることは明白です。しかし、行政の責任も問われなければならないでしょう。そうでなければ、また起こりかねない事件です。実際、以前にも同じことがあったとも聞きました。
私は足立区の現場を見たとき、能登地震の被災地に支援に行ったときのことを思い出しました。この老人ホームは被災地と同じだと思いました。災害の現場でも、福祉・介護の現場でも、同じことが起こっているのです。たとえば東京で大地震が起きたときにどうなるのか。能登での救援ボランティアを経験して、その危機感が募っています。
責任重いが低賃金な看護職
今回のことに限らず、現場を知らない人がお金(財政)を動かす権力を持っているので筋違いのことが行われている、そう感じることが多々あります。
たとえば看護師の給与形態。最近は一般のアルバイトでも私たちの時給を超えています。看護は人の命を預かる仕事で、一歩間違えれば人の命を奪ってしまいます。人手不足で夜勤続が続き、寝不足でミスをすると看護師免許剥奪、ということにもなりかねません。
看護師の不足を外国人看護師の導入で補う考えもあります。しかし、言葉やルールの壁もあり、いじめを受けたりとか、つらく当たられたりという話はよく聞きます。お金に関しても、円安で日本でもらう給料は目減りしています。そのうえハラスメントを受けるのであれば、これからは日本に来てくれなくなるでしょう。
潜在看護師、資格を持っていても看護師としての仕事をしていない人が増えています。現在看護師は男女合わせて157万人いますが、33%の人は看護師の仕事をしていないのです。その人たちを現場に戻す施策が必要です。しかし、いくら国や自治体が呼びかけても、給料が低く、労働が過酷で責任やリスクばかりが大きいとなれば、看護師としての仕事が避けられるのは当然でしょう。政策をつくる人はそのような現場の事情を知る必要があるのではないでしょうか。
労働者を大切にする政治を
今後、AI(人工知能)が進化すれば、病気やその兆候をより見逃さないようになっていくでしょう。機械が行う手術なども増えるでしょう。
それでも、絶対に代われない仕事というのはあると思います。人と人とのふれあいや信頼関係が必要な介護・看護・保育などは、まさにそういう仕事だと思います。
看護師は、保育士の役割も果たせるし、介護もできる。看護師を現場に戻すための政策を立てれば、エッセンシャルワーカーの人手不足解消に大きく役立つはずです。それには制度を根本的に見直す必要があると思っています。
医療や介護に関する国の政策は、制度の根本の「治療」をせず、表面的な問題だけにとらわれているようなものばかりのように感じます。バケツの穴をふさがずにバケツに水を入れているようなものでしょうか。結果、余計な問題ばかりを増やして、結局苦しむのは現場です。
介護にも同じことが言えると思います。昨年の介護報酬改定にしても、訪問介護士への報酬が下げられることになり、国家賠償提訴を行っている人がいます。当然の声だと思います。
現場にいる看護・介護労働者を大切にする制度とすること。このことなしに諸問題の解決はあり得ません。そこを根本とする政治を望んでいます。
ドクターハウスジャルダン入谷の突然閉鎖
東京都足立区の住宅型有料老人ホーム「ドクターハウスジャルダン入谷」で昨年9月、給与未払いで多くの職員が退職し、10月には経営者が「経営不振」を理由に逃亡して突然閉鎖された。94人の入居者は残っていた少数のスタッフ(外国人介護士が多い)と駆け付けた民間ボランティアによって他施設に移転することができたが、混乱の中で一人の餓死者が出た。同ホームの経営主体である株式会社オンジュワールは、昨年11月に東京地裁に破産手続きを行っているが、近年関東各地で有料老人ホームを開設しては閉鎖を繰り返していた悪徳業者だ。