第50回衆議院選挙が10月27日に投開票され、自民党は単独過半数どころか、公明党を加えても過半数に達せず、戦後史的惨敗を喫した。対する野党は立憲民主党が議席を大きく伸ばし、国民民主党も躍進するなど政局は激変した。
石破政権は選挙の結果と併せ、トランプ再選などにも揺さぶられる。政局は一気に不安定化し、政治・政党再編が避けられない局面に入った。
今回の選挙にとどまらないことではあるが、深刻な国民生活をいかにして再生させるか、戦争の危機さえ迫る対中国外交をいかに打開するかといった、政治の根本的打開に関しては争われなかった。
投票率が戦後3番目の低さになったのも当然である。
それでも各党の消長なってあらわれた有権者の投票行動には、現状打開を願う「願い」を伺うことができる。
以下、今選挙に見られるいくつかの特徴について述べる。

自民党は歴史的大敗を喫した
自民党は56議席も減らす191議席と、大惨敗を喫した。牧原法相、小里農相、門山副法相と、現職閣僚が3人も落選、比例復活もできなかった。小選挙区を独占していた県も、前回の14県から8県に激減した。
自民の比例得票数は1458万2690票で、2021年の前回比で約533万票、26・8%も減った。
より長期に見れば、1955年の「保守合同」以降、最も得票数が多かった1990年の約3000万票に比して半分以下に減少している。「減り幅」でも、対前回比率で2009年の鳩山政権成立に至る政権交代時に次ぐ史上2番目、票数では3番目の減少幅である。

結果、絶対得票率(全有権者に占める投票率)は史上最低の14%にまで下落した。保守合同前は自由党と民主党で計50%、自民党結党後の1960年代から80年代は30%台だったが、2009年以降は20%台すら超えられていない。こんにち、自民党を支持する有権者は、7人に1人もいないのである。

まさに戦後史的敗北であり、自民党の衰退傾向は顕著である。
公明党も24議席で8議席を減らした。石井代表、佐藤副代表がいずれも落選する惨敗である。
比例得票数は697万7712票で、前回比約114万票・16・2%も減った。こちらも、新進党分裂後の2000年と比較すると、支持は約4分の3に減っている。
今回は比例票の目標さえ示せぬほど、当初から苦戦が予想された。実際、支持団体・創価学会の高齢化だけでなく、自民党の悪政を支えてきたツケで大きく後退、自業自得といえる。「裏金議員」への推薦は党利党略そのもので、「清潔」を信じる支持者を裏切るものであった。
自公与党の合計は215議席、自民党の「裏金」非公認議員を加えても220議席で、過半数の233を大きく割ることになった。
自民党候補は「比例は公明」と呼びかけるケースがあるため、自民党と公明党の合わせた票数も見てみる。今回は2054万7105票で、連立政権成立後で最も少なくなった。最も多かった2005年と比べ、6割以下(58・9%)に減っている。自公連立政権も、変化せざるを得ない局面を迎えた。
総じて、自公与党、とくに自民党に対する怒りと不満があらわれた。
石破首相は「日本創成解散」とぶち上げ、「地方重視」の姿勢を打ち出したが、相次ぐ金権問題に吹き飛ばされた。
だが、自民党の大敗をもたらしたのは、そうした目前の問題にとどまらない。
自民党は大企業、とくに1990年代中盤以降は、世界中に権益を有するようになった多国籍大企業のための政党である。ただ、1990年代初頭までは農民や中小零細業者への財政的措置をとることで支持を得る「利益分配型政治」によって支配を維持してきた。
だが、米国の圧力による市場開放と規制緩和政策、わが国政府の屈服によって、農民や中小商工業者といった自民党の伝統的支持基盤は急速に崩壊した。国家財政の悪化で、利益分配もごく限られた範囲に限られるようになった。
自民党は、「策略型政治」への移行を余儀なくされた。宗教政党である公明党との連立は、その最たるものである。安倍政権によるアベノミクスもまた、資産価格の上昇で「経済成長」を印象付ける欺まんであった。実際は、大多数の国民から一握りの投資家・金融資本への、大規模な富の移転、収奪である。岸田政権が備えた「新しい資本主義」も、策略の一種といえよう。
自公与党の大敗は、この策略型政治もまた、限界に直面したことを意味する。国民多数の生活が極度に悪化したことで、策略が通じなくなったのである。
それでも自民党は支配を維持するため、新たな装いによる策略を続けざるを得ない。策略を見抜き、闘う戦線をつくる役割の成否は、組織者にかかっている。
立憲民主党は支持を伸ばせず
立憲民主党は148議席を得、50議席増と前進した。新潟県では全5区を独占、保守基盤が強いとされる東北各県でも自民党に勝ち越すなど、小選挙区を中心に議席を増やした。
ただ、比例得票数は1156万4221票で、前回から約7・2万票、0・63%しか増えていない。結党直後の2017年の総選挙でも1108万票を得ているので、この7年間で50万票も増えていない。現場で具体的に集票活動を行う所属市区町村議員は約700人も増えているのに、国政での支持が広がっていないのである。

全11ブロック中、北関東、東海、中国、四国、九州の5ブロックで比例得票数を減らしている。都道府県別で見ても、22県で得票数が減っている。特に埼玉県、愛媛県では6万票以上も支持を減らしている。
今回の議席増は、立民が支持を集めたからではなく、自民党への支持が減ったからである。
立憲民主党は「日米同盟の重要性」を強調するなど、自民党と同じである。自公与党が進める軍備増強などの中国敵視政策に対しても、党内の賛否は一致していない。「原発ゼロ」政策を棚上げするなど、「現実路線」にカジを切っている。ほとんどの野党が公約に掲げた「消費税減税」を掲げていない。まして、野田代表は自公と取り引きして、消費税増税に道を開いた張本人である。
これでは生活苦に苦しみ、戦争の危機を感じている有権者をひきつけられるはずもない。むろん、この党内には現状を憂え、対米従属政治からの脱却を視野に入れた議員も少なくない。
日本維新の会は38議席で6議席の後退となった。前回総選挙での前進に気を良くして「野党第一党を目指す」と息巻いたが、大阪・関西万博の惨状や兵庫県政の混乱、相次ぐスキャンダルで支持は急減、比例票は510万5127票で、前回から294万票もの支持を失った。「総本山」の大阪でさえ比例票を約60万票も減らした。「第二自民党」などと自称した馬場代表は失脚、同党も「賞味期限切れ」が迫ったと言えよう。
共産党は2議席減らして8議席となった。田村新執行部は比例得票の目標を前回比1・6倍の650万票に設定し、小選挙区の候補者を増やして浮上を目指した。だが、結果は約80万票も減らして336万2966票に終わった。
党員・支持者の高齢化に加え、地方議員の相次ぐ離党など足元が崩れつつある。
さらに、国民大多数が貧困にあえぐなか、浮ついた「人間の自由」を吹聴、国民生活の危機と向き合っていない。首班指名選挙における態度など、立憲民主党に対する姿勢も動揺を続けている。
社会民主党は1議席を維持した。比例は前回から8万票減の93万4598票と踏みとどまったといえるが、議席は獲得できなかった。どのような党を目指すのかが、深刻に問われている。われわれは、社民党が国民運動と結びついた党として再建されることを希望する。
国民民主党、れいわ新選組が前進した要因
国民民主党は議席を4倍の28議席へと躍進した。比例得票数も、約259万票から617万2434票へと約2・4倍に増加した。比例代表では、全ブロックで議席を獲得した。
東京で3倍以上に増やしたことに示されるように、無党派層、浮動票の受け皿となった。ただ基礎的支持層は、連合の民間大企業労組である。
躍進の要因は、「手取りを増やす」といったスローガンで、基礎控除の引上げや賃金アップ、中小企業の価格転嫁などを掲げた。これらは生活苦にあえぐ有権者、とくに現役、20〜40歳代の給与所得者層をひきつけた。選挙戦術もSNSを使い、この層に集中的にアピールした。
併せて「社会保障の保険料を下げるため」として、「尊厳死の法制化を含めた終末期医療の見直し」に言及したことを指摘すべきであろう。玉木代表は後に「修正」したが、結果的に世代間対立をあおる形となり、現役世代を一定ひきつける方向に働いた。
とはいえ、基本政策は自民党と同じで、エネルギー政策では「原発再稼働」の旗振り役を演じている。
れいわ新選組も、3議席から9議席へと大きく増えた。比例得票は約221万票から380万5060票と、71・7%増加した。
「失われた30年を取り戻す」というスローガンの下、かねてから掲げていた「消費税廃止」「インボイス廃止」という主張が、一定浸透したといえるだろう。野党共闘が実現しなかったことで、独自の主張をストレートに打ち出せるようになったことが、結果的にプラスに働いたともいえる。
「基礎控除引上げ」も「消費税廃止」も必要な政策ではあるが、困窮の度を増す国民生活を抜本的に改善させる点では、部分的なものである。むろん、「わらにもすがりたい」有権者がそこに願いを託したことは当然で、理解できることである。
また、初めて国政選挙に挑んだ日本保守党は3議席を得て政党法上の要件を満たした。衆議院選には初めてとなった参政党も3議席を得た。
これら右翼政党の特徴は、安全保障や産業政策などを含め、ある程度の「国家像」を提起したことである。「日本をなめるな」(参政党)、「日本を豊かに、強く」(保守党)といったスローガンは、第2次安倍政権の登場時(「強い日本を、取り戻す」)を想起させ、自尊感情やナショナリズムをくすぐるものであった。
これらの党の掲げる「国家像」は排外主義的なもので、われわれが主張する「独立・自主でアジアと共生する、国民大多数のための国の進路」とは明確に異なる。とはいえ、内外の危機が深まるなか、情勢に一定「応えた」ものと映ったことは否定できないだろう。
政治・政党不信は極まった
今回の投票率は53・85%(小選挙区)で、戦後3番目の低さとなった。棄権者の数は、前回比で約152万人も増加した。投票率が大きく減ったのは、東北・四国・九州といった自民党が強い地方である。

野党に投票した自民党支持層もいたが、多くは「自民党にお灸を据えたいが、野党にも入れたくない」として棄権したか、無効票を投じたと思われる。
投票率は、減少傾向ではあったが、1990年までは60%台後半〜70%台を維持してきた。死票を多く生む、1996年の小選挙区比例代表並立制導入後に60%を切ってさらに低下、一時的な上昇はあっても55%を割ることが「当たり前」になっている。すでに、約半数の有権者が投票所に足を運ばなくなっているのである。
併せて注目したいのは、無効票である。無効票は「消極的棄権」ということもできる。今回、棄権と無効を合わせた数は4932万8927票に達し、全有権者の47・49%を占め、戦後2番目の多さとなった。都道府県別で見ると、広島、沖縄、群馬、栃木、岡山、宮崎、高知、徳島、青森の9県では50%を超えている。
これらの県では、過半の有権者が投票所に足を運ばないか、行っても無効票を投じているのである。
政治・政党不信の責任は、歴代対米従属政権にある。議会内野党も、この批判を免れることはできない。
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今回の衆議院選挙は、既存の政党・政治に対する不信・不満・怒りが噴出したといえる。国民はその「出口」を求めている。自民党の政治支配は末期を迎えたが、それに代わる政治勢力は、未だ登場し得ていない。
今回、有権者の支持は国民民主党やれいわ新選組を浮上させたが、この勢いが続く保証はない。国民民主党は自民党との「部分連合」に踏み込んだが、自民党による支配維持のための「新たな策略」として利用され、「使い捨て」にされない保証はない。
国民生活が悪化し、アジアでの戦争の危機が高まる情勢である。根本的な政治変革抜きに、この「二つの危機」は打開できない。
変革の力は、労働運動を中心とする大衆行動の中にある。労働組合は、今こそ議会唯一主義への幻想を捨て、国民諸階層の先頭で行動に立ち上がり、議会闘争と結合させなければならない。
独立・自主で、国民大多数のための政権を樹立し、それを通じて社会主義へと前進しなければならない。そのための政治勢力の結集、何より国民運動の発展のために、わが党はいちだんと力を尽くす。(K)