コメ不足と価格高騰は、国民諸階層の苦難に追い打ちをかける深刻な事態となっている。岸田政権は、事態を放置し続けている。自民党総裁選、立憲民主党代表選挙でも、打開策を議論する気配はなかった。
戦後直後から、米国は食料を戦略物資として位置づけ、わが国を従属下に組み敷くために利用してきた。
国家主権を放棄した歴代自民党政権はこの下で、大企業の利益を守るために農業を犠牲にし、米国産農畜産物の輸入、さらに市場開放を中心とする売国農政を続けた。「余剰」が言われてきたコメでさえ、米国に押しつけられて「最低輸入量(ミニマムアクセス)米」として輸入するありさまである。
こんにち、わが国農業は存亡の危機にある。採算がとれず農業者は激減、耕作放棄地は激増して国土は荒れ放題、地方経済の疲弊は深刻である。
コメ不足は、その結果の一つで、自民党による対米従属政治の責任である。猛暑やインバウンド(訪日外国人)消費の拡大は、本質ではない。
だから、政治を変える以外に打開の道はない。
気候変動などで食料危機が叫ばれる情勢である。国民が飢餓の危機に陥らないようにするには、売国農政を転換し、食料完全自給とそれを目指した国家財政の大胆な投入が必要である。
食料危機の情勢、自給率向上は急務
こんにち、世界的な食料危機が叫ばれている。
コロナ禍による物流混乱は落ち着かず、ウクライナ戦争の長期化、高温・異常降雨などの気候変動、新興諸国の輸入拡大という「クワトロショック」の下、各国は国内での食料生産と備蓄を強化している。
インドは食料の輸出規制に踏み切り、とくに世界の4割を占めるコメ輸出を原則禁止した。「カネを出せば食料を買える」時代はすでに去った。
中国は、米国による「対中包囲網」への対応もあり、食料備蓄量は全人口の1・5年分に達する。独立国であれば当然の政策だが、わが国の備蓄量は2カ月分以下である。
他方、米国は自国農産物を他国に押し付け、依存するように仕向けている。米国にとって輸出農産物は、核軍事力と同様、自国の衰退を巻き返す手段である。
米戦略の餌食になった国として、ハイチがある。ハイチは1995年、国際通貨基金(IMF)からの融資条件として、米国からのコメ輸入に踏み切った結果、国内生産が大打撃を受けた。そこに世界的なコメ輸出規制(2008年)が襲い、餓死者まで出る事態となった。
わが国にとって人ごとではない。危機の時代に国の独立を実現しようとするなら、食料完全自給を目指さなければならない。
農業衰退は売国農政の結果
食料自給率向上が叫ばれる一方、わが国のそれは先進国最低の38%に落ち込んでいる。鈴木宣弘・東大教授によれば、種子が外国産であることなどを考慮すれば、実質自給率は10%未満と推計されている。
なぜこのような事態になったのか。
敗戦によって、わが国は米国の単独占領下に置かれた。「食料難打開」を理由に、米国産粉食が輸入された。連合国軍総司令部(GHQ)の真の狙いは、「食料暴動」による「日本の赤化」を避けることであった。
1951年のサンフランシスコ講話条約締結後も、米国は日本を余剰農産物の「在庫処分場」として位置づけ、日本が米国産農産物に依存せざるを得ない状況をつくりあげた。
54年に結ばれた日米相互防衛援助協定(MSA協定)で、日本は米国から小麦、大麦、脱脂粉乳など総額5000万ドル(180億円・当時)の余剰農産物を輸入した。
政府は、この小麦を消費するために学校給食での「パンとミルク」の普及に注力した。御用学者は「コメ食低脳論」を宣伝、日本人の食生活は急速に欧米化させられた。
61年には農業基本法(旧基本法)が制定され、自立農家の育成や低生産性農家の離農促進などが方針となった。狙いは、経済界の求める安価な労働力を農村から供給させることであった。独占資本は、高価な農機具などで農家を収奪した。農業専業では成り立たず、兼業農家が増加した。東北・北陸地方などからの出稼ぎは常態化した。
70年には減反政策が始まった。「財政優先」の政府はコメを買い取り活用するのではなく、農業者に減反を押しつけた。コメの生産量は、同政策の「廃止」までに約4割も減った。
米国からの農産物市場開放要求はやまず、80年代に入るとさらに激化した。
88年には牛肉・オレンジが輸入自由化された。
93年の関税・貿易一般協定(GATT)のウルグアイ・ラウンド合意で、コメ消費量の3%をミニマムアクセスとして輸入することになった。わが国は毎年、77万トンものコメを輸入し続けている。うち半分が米国からである。
さらに2000年代以降、米通商戦略に沿い、わが国多国籍企業の利益のために、数々の自由貿易協定(FTA)・経済連携協定(EPA)を締結、豚肉やこんにゃくなど、国内農業は犠牲にされ続けた。
04年にはコメの価格も自由化された。
日本は他の先進国に比しても、米国などの穀物メジャーに収奪される市場となった。わが国多国籍大企業は、農産物を犠牲に差し出しながら、世界で暴利を貪(むさぼ)った。
結果、農業では生活できない状況となり、農村の高齢化が進行した。
わが国農業の衰退は、対米追随の歴代自民党政権による売国農政が原因である。この転換なしに、食料自給率を向上させることさえできない。
対中国の必要性からの「食料安保」
「強い日本」を掲げてわが国の「独立」をあおった安倍政権だが、それはニセモノで、売国農政を転換することはなかった。
第2次安倍政権は「日本再興戦略」を決定(13年)、コメの生産コストの「4割削減」を掲げた。安倍政権は18年に減反政策を「廃止」したが、財政により畑作、飼料用米などへの転作が強制され、減反は実質的に強化された。
16年、農業団体などの強い反対を押し切って、環太平洋経済連携協定(TPP)締結が強行された。18年には種子法が廃止され、主要作物の種子が海外メジャーに握られることを認めた。
他方、政府はウクライナ戦争を契機として、中国敵視の「台湾有事」扇動と同時に、「食料安全保障」を叫ぶようになった。
岸田政権は今年5月、「食料・農業・農村基本法」改定案を成立させた。改定法では、基本理念に「食料安全保障」が追加された。
歴史的な売国農政を転換したかのようだが、そうではない。
改定法は食料安全保障を、「食料の海外輸出」によって国内農業を維持することや、農産物の「安定的輸入の確保」によって実現するという。「安定的輸入」の相手国は、当然にも米国とその同盟国である。売国農政の転換どころか、さらなる深化である。
何より、生産者の所得を増やす政策がまったくない。政府は「合理的な価格形成」を掲げるだけで、「生活できない」「担い手がいない」農業経営の実態を改善しようとはしていない。財政政策で経営が成り立つのは、大規模稲作農家や法人経営体にほぼ限られている。
同時に制定された食料供給困難事態対策法(食料有事法)では、食料危機が深刻化した際の、政府による農家への増産指示権が明記され、従わない場合は罰金が科される。
岸田政権が掲げる「食料安全保障」は農業を独立の基礎として位置づけているとはいえず、米戦略に追随して対中戦時体制をつくるためのものである。
売国農政転換、財政投入で食料安保確立を
食料安全保障を掲げるなら、農林水産業の振興と食料完全自給を国の独立、国家主権の基礎と位置付け、ふさわしい制度的・財政的措置をとらなければならない。
農林水産関係予算は1982年の3・7兆円がピークで、ここ数年は2・2兆円台と大幅に減らされている。一般会計総額に占める割合でも82年度7・8%に対し、2023年度は1・8%である。
こんにち肥料・飼料・光熱費・生産資材などが高騰する一方、流通資本はコメを安値で買いたたき、稲作農業経営はさらに厳しい。
農家の平均年齢は68・4歳(22年)で、年金や農外収入に依存しながら農地を守っている。
離農や耕作放棄地が拡大するのは当然である。水稲作付面積は、13年以降の10年間で30万ヘクタール近くも減少した。稲作農家も、10年以降で4割も減っている。
どんなに長く見積もっても、10年後には農家・農村は存続不可能である。
こんにちのコメ不足は、この結果である。だから、今後はいつ食料が確保できなくても不思議ではない。国民の命、民族の存立にかかわる深刻な危機である。
これも鈴木教授が紹介しているが、米調査機関によると、局地的核戦争が起きて農産物貿易が停止した場合、世界で3億人近くの餓死者が出るが、日本では人口の6割、7200万人が餓死するという。
コメ不足は、こうしたわが国農業の危機をあらわにしている。
対米従属の売国農政を転換し、食料完全自給を目指さなければならない。
当然にも、地方の疲弊や後継者難などの困難な課題も打開しなければならない。農家への所得補償や有機農業の支援、地産地消で地域経済を成り立たせる施策なども欠かせない。食料が低価格・安定的に供給され、全国民が入手できるようにしなければならない。
わが党は、まずは農水予算を年間10兆円程度に引き上げることを主張する。
何より国の完全独立が不可欠で、そのための政権樹立が必要である。労働者、農林水産業者をはじめ、国内に基盤を置く企業、中小商工業者、青年学生などが結集する政治的な統一戦線を構築して、農業再生に抵抗する対米従属政権と闘わなければならない。