インタビュー 青年学生

朝鮮人虐殺事件は「昔のこと」ではない 大切なこと、伝え続けたいーーアーティスト・遠藤純一郎さん

 1923年9月1日の関東大震災後、少なくとも6000人の朝鮮人や中国人などが虐殺された事件に関連した取り組みが若い世代を中心に広がっている。事件の証言を長年にわたり集めてきた「ほうせんか」の活動を受け継ぐ若い世代の団体・ペンニョン(「百年」の朝鮮語読み)で活動するアーティストの遠藤純一郎さんに聞いた。(文責・編集部)


2023年の追悼式で証言を朗読する遠藤さん(右から2人目、チョン・スンファンさん提供)

ーー遠藤さんが朝鮮人虐殺の課題に関わるようになったきっかけについて教えてください。

 私が朝鮮人虐殺事件を知ったきっかけは、2019年に田中功起さんというアーティストの映像作品を見たことです。在日コリアンに対するレイシズムをテーマにした作品で、その中でほうせんかの西崎雅夫さんのインタビューも映されていました。西崎さんたちが現場近くに開いた「ほうせんかの家」も映っていた記憶があります。その作品を見ていたので、虐殺事件やほうせんかのことは頭に残っていました。

 その後、墨田区でのアートプロジェクトの仕事をしていたのですが、その中で20年ごろ、ほうせんかの家や追悼碑が自分がまさに仕事をしているエリアである区内にあることに気付かされ、こんなに近くにあったんだと驚きました。

 そうしたきっかけでほうせんかの家に行ってみたのが22年のことです。訪ねた日の次の週、ちょうど若者たちがフィールドワークをするという話を聞き、そのフィールドワークに参加してみました。

 ちょうどその頃は虐殺から100年を前にした時期でした。ほうせんかの活動を続けてきた西崎さんらシニア世代の方々は、100年となる節目の式典を若い世代の人を中心に開いてほしいと思っていました。

 そうした意も受けて21年末に虐殺百年の追悼式実行委員会としてペンニョンが結成されました。私はそれから半年ぐらいたった頃、フィールドワークの日から仲間に加えてもらいました。

ーー朝鮮人虐殺の問題に取り組んでいる若い世代の人が増えているように感じています。遠藤さんはどのように感じていますか?

 ペンニョンのメンバーとして一緒に活動する人も少しずつ増え続けています。皆が皆、どう感じているか確認はしていません。ただ、一つあると思うのが、この虐殺が公的なものから意図的に覆い隠されていることを問題だと思っている人が多いからではないでしょうか。

 私自身、朝鮮人虐殺事件について知ったときにショックだったことは、事件の内容ももちろんのこと、こんなに大きな事件を学校などできちんと教えられなかったことでした。私は横浜で生まれ育ったので、防災の日である9月1日は関東大震災の起こった日であると教えられてきました。横浜でも大変多くの朝鮮人が虐殺されているにもかかわらず、そのことは全く知りませんでした。

 単に教えられていないだけでなく、東京都の小池知事のように、朝鮮人犠牲者らを追悼する式典にあえて追悼文を送らないことで事件を矮小(わいしょう)化しようとするような動きもあります。このようなことに対し、「なぜこんな重大な歴史を教えず隠そうとするのか。歴史をねじ曲げようとするのか。おかしいじゃないか。だったら私たちが積極的に伝える活動をしよう」と、こういう思いは私にもありますし、それは他の人も同じなのではないでしょうか。

 皮肉な話ですが、小池知事が追悼文を送らなくなったことで、逆に朝鮮人虐殺について関心を持つ若い世代が増えた。それは間違いなくあると思います。

 また、私たちが100年目の追悼式を行った直後の23年10月から、イスラエルによるパレスチナ人への虐殺が過激化したことをきっかけに、100年前と同じようなことが今も止められずに起こり続けていることを知った人が多くいると感じています。そのことをきっかけにして、日本における植民地主義や虐殺のことを考えるようになった人がペンニョンの企画に来てくれることもあります。

ーーアーティストを中心とした小池知事に追悼文を送ることを求めるデモが行われるなど、朝鮮人虐殺に関連した芸術系の活動が増えているようにも感じますが、どう思いますか?

 芸術系の人が前よりも増えているかどうかは、私には分かりません。ただ、ペンニョンにもアーティスト、表現に関わる人が多くいますし、もしかしたら少しずつ雰囲気が変わっているのかもしれないと思うこともあります。

 私が大学生の頃には、社会問題を扱う作品を「つまらない」「これじゃあアーティストじゃなくてアクティビスト」などと揶揄(やゆ)する空気がありました。今考えると、あまり居心地はよくありませんでした。例えば、私は学生の頃からジェンダーやセクシャリティーのことに関心があったのですが、当時はジェンダー論のような授業はほとんどなく、また議論できる環境や雰囲気もあまりありませんでした。

 しかし最近大学などに行くと、「フェミニズムを扱った作品を作りたい」という学生も多く、仲間が増えたようでうれしいです。

 私が朝鮮人虐殺の問題に関心を持つようになったきっかけは芸術作品ですし、また在日朝鮮人のことに関心を持つようになったのも高嶺格さんというアーティストが書いた『在日の恋人』というエッセイがきっかけです。ときに芸術作品を通して強烈なメッセージを受け取るということはあると思いますし、関心をもつ多様なきっかけの一つとして芸術が果たす役割もあると思います。

ーー遠藤さんは今後どのような活動をしていきたいと思っていますか?

 ペンニョンは元々は23年の追悼式に向けて結成されたグループですが、その後も活動は続いていますし、ずっと続けていきたいと思っています。メンバーは15〜20人ぐらいでしょうか。職業や参加の動機は多様です。9月の追悼式の開催だけでなく、フィールドワークやワークショップ、読書会や上映会などさまざまな催しを年間を通して開催しています。

 この8月には、植物のホウセンカをすりつぶしたもので爪を染めながら、いちむらみさこさんというアーティストと「殺させないこと」について考えて話す会を開きました。いちむらさんは公園のブルーテント村での暮らしを続けながら、貧困や社会的排除の問題にフェミニズムの視点をもって取り組んでいる方です。

 また3月にはちゃぶ台返し女子アクションという団体に誘っていただき、ペンニョンとのコラボで「経験したことがないことにどう声をあげていくか」をテーマにした催しを開きました。団体や取り組む課題の垣根を超えて運動が連携するためには何が必要なのか。そのような問題意識から企画したものです。

 社会を変えるためには、さまざまな課題について取り組んでいる人たちと手を取り合うことが必要です。そのようなつながりをつくるためにも、活動を通じて私ももっといろいろなことを学ぶ必要があるなと思っています。

 また、23年の追悼式では証言朗読を行ったのですが、皆で作ったその台本は充実した内容のものができたと自負しています。ネット上に動画が公開されていますが、「最近になってそれを見た、よかった」などと評価してくれる声も届いたりしています。

 ペンニョンで行っている虐殺現場を巡るフィールドワークでも、参加者に証言を朗読してもらうということをしていますが、証言を声に出して読んだり誰かの声を通して聞いたりすることで、一人で本を読むこととは違った感覚が得られると思います。これから、証言はもちろんのこと、言葉を書いたり、朗読したりという活動を続けていきたいなと思っています。

えんどう・じゅんいちろう
 1994年生まれ。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業。2018年に性教育をテーマにしたカレンダー制作やワークショップなどを行う「白いチューリップ」を立ち上げ、主に全体のディレクションやデザインを担当している。また22年からはペンニョンに参加、ワークショップの企画やフィールドワークの案内を行う。そのほか人権教育や社会運動と表現の関わりに関心を持ちながら、講座や勉強会の企画、グラフィックデザイン、作曲や冊子制作などを行う。

〈増補百年版〉関東大震災朝鮮人虐殺の記録(西崎雅夫・編著) 2023年の朗読証言も所収されている書籍

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