訪問介護ヘルパーが低賃金で劣悪な労働条件を強いられているのは、国が労基法違反状態を知りながら放置しているからだとして、女性ヘルパー3人が国に損害賠償を求めて訴訟を起こした。裁判は3月12日に最高裁が上告を棄却して高裁判決が確定、ヘルパー3人と弁護団は5月18日に東京で報告会を行った。介護保険制度の構造的な問題を数多く浮き彫りにする意義の多い裁判闘争となった。報告会での3人の原告と主任弁護士、支援した研究者の発言要旨を、前回に続いて掲載する。(文責編集部)

国の介護軽視、悔しい(原告の藤原るかさん)
私がホームヘルパーになったのはもう35年も前です。そのころは公務員ヘルパーで、年収が450万円ありました。労働環境もすごく整っていた。その時は裁判を起こそうなんて全く思いませんでした。また介護保険制度ができて、公務員を辞めてヘルパーになったら、こんなに収入が激減するとは全く思いませんでした(笑)。
ヘルパーをやっていて介護保険制度の最も大きな問題だと思っているのは、移動と待機とキャンセルに賃金がつかないことと、生活支援が認められないこと。生活支援の問題はなかなか最善の回答を出すことが難しいと思いますが、移動と待機とキャンセルの問題は、労働基準法違反の問題として、すぐに国が何とかするべきだと思いました。介護保険が人権侵害をしているのですから。
利用者の暮らしや生きがい、ヘルパーの働きがいを国が奪っている状況には黙っていられませんでした。利用者一人ひとりの自分らしい暮らしや価値を政府が軽視し続けていることが本当に悔しいです。
私が公務員を辞めてヘルパーになったのは、顔なじみとなった利用者さんにゆったりとした生活をしてほしかったから。ゆっくり話をするようなことも含まれます。細切れの介護ではそんなことはできません。
ところで、私たちの裁判と同じ時期に家事労働者の過労死認定の裁判も行われていました。それで知ったのですが、日本はまだILO(国際労働機関)の家事労働者条約を批准していないのですね。
今、全国の自治体の5分の1近くが介護保険の空白地帯になっています。若い人はヘルパーになりません。この裁判でこうした現状に一石を投じたかった。多くのヘルパーや支援者ともつながることができ、裁判をやった意味はあったと思います。
労基法違反は絶対許せない(原告の伊藤みどりさん)
私は女性ユニオンや働く女性の全国センターという労働相談も長くやっていて、国賠訴訟のしんどさも知っていたので、藤原さんから声をかけられなければ絶対に裁判はやっていなかったと思います。
私は小学4年生のときに母親が乳がんになり、祖父も脳出血で倒れて、家にベッドが二つ並んでいた。今で言うヤングケアラーで、もう家帰りたくない、学校行くときだけが息抜き、というような生活を送っていた。だからもう二度と介護なんてしたくないと思っていた。
2011年ごろ、妹が「お姉ちゃん、介護の仕事っていいよ」と勧めてくれた。当時はコンビニで働いて時給850円の時代。それに比べて2000円とかの時給は非常に魅力的でした。ヘルパーの資格を取って、こんないい仕事ないって意気揚々と働いていたら、次の年に制度改定で細切れ労働となって収入が激減しました。キャンセルは収入にならないのですが、認知症の利用者さんが忘れてどっか行っちゃったみたいなことはしょっちゅうあります。
労働組合をやっていた者としては、労働基準法違反は絶対に許せない。もっと国に抵抗したい。海外ではヘルパーがガンガンとデモをやったりしています。
私たちも去年、東京・上野でケアデモというのに参加しました。若い人も多数参加していました。飛び入りの参加者もいて、最後まで一緒に歩いてくれました。時代は変わったと思いました。
私たちは「ケアを社会の柱にしよう」を掲げて裁判を闘いました。そういう社会に向けて希望が持てると思いました。

市場化論との決別を(山根純佳・実践女子大学教授)
裁判の中身については皆さんに話していただいたので、私は支援者として裁判の外枠の話をしたいと思います。
介護保険制度は介護の市場化によって成り立っています。これには「市場化により効率的に質のよい介護をもたらすことができる」という発想が根底にあります。このケア労働市場はジェンダー構造を前提としたものです。つまり、男性が主たる稼ぎ手で、女性は低賃金のパート労働力、という前提です。ホームヘルパーの細切れ労働の問題は、制度設計の段階で「空いた時間にやるパート労働」という発想があるのでしょう。女性に献身性が求められる価値観もあるかもしれません。利他主義を制度化したものとも言えるでしょう。
このような前提に立って介護に市場化を持ち込んだ制度が設計されたのですから、私たち研究者も20年さかのぼってこれを許したことを反省しなければならないと思います。私も2012年の改定でこんな細切れ介護になるまでは介護保険はいいものだと思ってましたから。
今回の国賠訴訟の中で、国は「介護保険制度は労働者保護を目的としていない」と明言してくれました。この制度の本質を明らかにしてくれて本当によかったと思います。この言葉はぜひ福祉政策の教科書にも載せてほしいと思っています(笑)。
訪問介護に市場化を持ち込むことの弊害は他にもあります。介護事業所の経営実態調査によると、非営利の社会福祉協議会と営利法人では訪問1回当たりの収入に大きな差がある。チェーン化された大企業は、制度の改定などに伴う収益性の変動に応じて、収益性の低い地域からの撤退と収益性の高い地域への参入を繰り返しているので、当然利益が出る。そのしわ寄せは当然非営利法人に及ぶことになります。制度そのものの問題があることは明白です。
今、ケアペナルティーという言葉が世界的に広がっています。お母さんがケアをすると賃金が下がったりキャリアが低下したりして損するという意味です。まさに有償で働いているケアワーカーもケアペナルティーを背負った状態で介護サービスを提供しているのだと思います。
これから家事・ケア労働者はどのように闘うべきでしょうか。確かに、住み込みだったり通い直行直帰だったりで孤立しやすい、ストライキが生存・生命の危機に関わるので労働条件の改善要求がしにくいなど、闘いづらい前提条件があります。こうしたことを乗り越える上で、海外の経験は参考になると思います。フランスではケア労働者と利用者の連携を進めたりしています。利害が一致するところでは雇用主との連携も進めています。同様の取り組みは米国などでもあります。フェミニズムの論理をさらに取り込む必要もあると思います。
もっと私にできることを今後を模索し続けたいと思います。