イスラエルのパレスチナ攻撃に抗議する動きが、世界中で展開されている。特に米国では4月下旬以降、学生の闘いが全土に広がっている。
米学生の要求はどのようなものなのか。
全国的運動の発火点となったコロンビア大学(ニューヨーク州)で活動する団体「アパルトヘイト(人種隔離政策)からの資本引き揚げを要求する連帯行動」(CUAD)の「声明」は、以下のように述べている。
・ビジョン「私たちは自由なパレスチナを目指す。私たちは必然的に、植民地主義や帝国主義、そしてそれらを支えるすべての抑圧の連関システムから解放された世界を目指す」
・価値「私たちは、奴隷制の廃絶、トランスナショナル・フェミニズム、反資本主義、脱植民地化のために闘い、また反黒人主義、クィアフォビア(性的少数者への憎悪・差別)、イスラムフォビア、反ユダヤ主義と闘うために、多世代の交流とアクセスが可能なスペースをつくることに尽力する」「私たちは、真の集団の安全は、私たちが死を生み出す機構から手を引き、生命を肯定する機構に投資するとき、つまり、すべての人がきれいな空気、きれいな水、食料、住宅、教育、ヘルスケア、移動の自由、そして尊厳を手に入れることができたときにのみ生まれると信じる。例外はありえない」
ここに見られるのは、米民主党内リベラル派との共通点にとどまらず、「反資本主義」「脱植民地主義」「反帝国主義」的な思想である。
日本国内では十分に知られてはいないが、米国内で自国帝国主義を批判する運動は、ベトナム戦争以来の歴史を持っている。
CUAD自身、結成されたのは2016年である。要求の重要項目であるイスラエルからの「資本引き揚げ」も、00年代中盤にパレスチナで始まった国際キャンペーンである「BDS運動」(ボイコット、投資引き揚げ、制裁)の影響を受けて始まり、数回にわたって、大学当局にイスラエルからの「資本引き揚げ」を求めてきた。
背景には、イスラエルが冷戦期、米国の意を受ける形で、グアテマラなど中南米の右派独裁政権に武器を輸出し、住民殺害などに加担してきたことへの反省がある。
米国学生は、単に「パレスチナ人の人権を守れ」と叫んでいるのではない。自国の帝国主義的対外政策を拒否しているのである。
加えて、「反植民地主義」の名の下、「食料、住宅、教育、ヘルスケア」などの「生存権」を追求する考え方である。これは一種の、社会主義的な要求と言える。
米学生たちの闘いは、いまだ自然発生的な闘いの領域を大きく超えてはいないものの、米国内におけるマルクス・レーニン主義の革命政党の成長につながり得る要素をはらんでいると評価できる。
バイデン政権は警察権力のみならず、州兵などを動員してこの運動を鎮圧しようとしている。さらには「中国・ロシアによる画策」を喧伝(けんでん)することで運動を矮小(わいしょう)化し、世論との分断を図っている。こうした策動は、運動の発展を恐れる、支配層の「階級的憎悪」が反映している。
翻って、わが国の運動はどうか。
昨年10月以降、東京におけるパレスチナ連帯運動の中心を成しているのは、在日パレスチナ人・イスラム教徒と、クィアコミュニティの若者と学生たちである。行動は街頭アピール行動を中心に、外務省や防衛省、イスラエルと取引のある企業への抗議、関連書籍を読む「読書デモ」、アクセサリーやポスターなどの芸術展、パレスチナ詩の朗読会、大学内にテントを張る「キャンプ」、SNSを使った集中行動など、従来見られなかった多彩な形態で行われている。
一方、茨城、神奈川、千葉、愛知、京都、大阪、熊本、沖縄などでの行動は、従来の市民運動体が担っているケースが多いようだ。
特に首都圏の運動は「脱植民地主義」を掲げており、明らかに米学生の闘いとの共通点が見られる。半面、イスラエルを中東支配の道具として支援・利用してきたのが米帝国主義であること、日本がこれに追随していることへの明示的な批判、つまり「敵」を明確にする点で十分とは言えない。それでも、半年以上の情勢の進展と運動を通じて、岸田政権への批判が当初より強くなっているのは事実である。
パレスチナ連帯運動の発展のため、力を尽くすことが求められている。