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東大が学費値上げを正式発表 学生無視の当局との闘い強めよう

 東京大学の藤井輝夫総長は9月10日、来年度の入学者から学部授業料(学費)を値上げする方針を発表した。授業料は現行から2割(約11万円)の大幅引き上げで、64万2960円となる。大学院については、来年度の学部入学者が進学する2029年度から値上げする計画である。

 文科相の諮問機関である中央教育審議会(中教審)で3月、伊藤・慶応大塾長が、国立大学の授業料を150万円まで引き上げるべきと主張した。東大の値上げはこれに沿ったもので、他の国立大が追随する可能性は大きい。すでに、広島大や熊本大で追随する動きが表面化している。

 すでに報道などで予期されていたとはいえ、夏休み中の正式発表は、学生の反発を恐れた姑息(こそく)なものである。

 東大当局は学生の反発を考慮したのか、授業料全額免除の対象を、現行の年収400万円以下から600万円以下に広げる方針も示した。また博士課程は当面、現状維持とする。

 東大当局は値上げの理由を、国庫からの運営費交付金の減額と光熱費などのコストアップ、さらに教育水準の「競争力向上」のためだとしている。

 確かに、運営費交付金はこの20年間で約80億円も減額されている。

 一方、国立大学授業料は、1975年は授業料3万6000円、入学料5万円で計8万6000円であった。だがこんにち、授業料は53万5800円、入学料28万2000円(標準額)の計81万7800円まで上がっている。合計で約9・5倍、授業料だけなら約15倍という高騰である。

 それだけではない。大学入学共通テストを管理する大学入試センターは、大学側が支払う手数料を21〜23年度にかけて2倍に引き上げてもいる。

 もちろん、政府が運営費交付金を減額しているのは不当である。大学教育・研究の充実は、わが国国民経済の発展のためにも必要なことである。しかるに、日本の高等教育への公費負担は、経済協力開発機構(OECD)諸国で下から2番目という惨状である。授業料値上げを招かないためにも運営費交付金の大幅増額が必要で、これを要求するのは当然である。

 今回は授業料が主問題なので詳細は省略するが、歴代政府は80年代以降、おおむね以下のような大学政策をとってきた。

 ①多国籍企業の国際競争力を支える高度研究開発とそれへの集中的支援、②国庫支出の全体的な削減と受益者負担の拡大、③大学経営をその方向に従わせるための体制改革(自己評価制度や学長権限強化、教授会自治の破壊など)である。

 ③と関連して、国立大学が2004年に独立行政法人化されたことは重要である。独法化は「大学の自主性を尊重しつつ、構造改革を進める」「国が財政的に責任を持ちながら、大学の特性を活かした運営を行う」「教育や研究に各大学が工夫を凝らせるようにする」を柱としている。つまり、授業料値上げは、政令の定める「2割」という範囲内で、大学当局の裁量で決めることができる。

 これを前提に、②の狙いから運営費交付金は毎年1%ずつ減額され、2004年度以降で13%も減少している。各大学は、「競争的資金」と呼ばれる外部の研究予算や、自主財源の獲得に奔走させられることになった。

 要するに、大学の「企業化」である。教育という「商品」の値上げで利益を生み出そうとするのは、ある意味、当然である。

 こう考えると、政府に運営費交付金の大幅増額を要求するだけでは不十分であることが分かる。各大学法人の経営方針を批判し、値上げを策動する当局の責任を追及して闘わなければならない。

 実は、共産党の運動論にはこの点が欠けている。共産党は、大学当局を「予算拡充を求めるために共同する相手」と、一面的に評価している。これでは、各大学において「敵なし論」に陥ることになる。反動的な大学当局と闘ってこそ、かれらの動揺を麻痺(まひ)させ、予算拡充を要求することができるのである。

 東大では、値上げ報道があった直後に「五月祭」(学園祭)で抗議デモが行われたのを皮切りに、教職員を加えた全学集会などが闘われている。オンラインで集められた反対署名は、2万7000筆に達した。

 6月21日には「総長対話」が行われたが、当局は警察権力の構内侵入を認めるなど、大学自治を踏みにじる姿勢をあらわにさせた。

 教養学部学生自治会と「学費値上げ反対緊急アクション」は9月18日、安田講堂前で抗議集会を開いた。参加者は値上げへの反対の意思を表明するとともに、当局が提示した免除措置についても、適用条件や規模が不明であることと併せ、「教育費は低廉であるのが原則で、教育の機会を経済的理由で差別すべきではない」と批判した。

 広がりつつある学生の闘いに注目しよう。

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