敗戦後80年を迎えた。わが国は対米従属政治を転換し、世界で主導的役割を果たすようになったグローバルサウスと結びつく国の進路を実現することが急がれる。そのためには、朝鮮半島と中国を中心とするアジア諸国に対する、過去の侵略戦争と植民地支配に対して真摯(しんし)な謝罪と反省、必要な補償を行わなければならないことは当然である。
この点で、日本とよく比較されるのが、ドイツである。「ドイツは過去の清算に尽力している」「歴史教育をしっかり行っている」という評価は、わが国の良心的知識人や運動体の中にも強い。これは、一面の事実として正しい。
だが、日本では今なおほとんど知られず、ドイツでも2011年まで誰も指摘しなかった事実がある。その「闇」を描いたのが、フェルディナント・フォン・シーラッハによる小説「コリーニ事件」である。本作はその映画化作品である。(以下、ネタバレを含む)
大物実業家・マイヤーが殺された。だが、犯人のイタリア人・コリーニは黙秘し、動機を一切語らない。トルコ人移民で新米弁護士のライネンが国選弁護人になるが、マイヤーとコリーニの関係も不明なままだ。
実は、ライネンにとってマイヤーは育ての親で、マイヤーの孫・ヨハンナは元恋人であった。複雑な気持ちを抱えたまま弁護に臨むライネンは、驚くべき事実を知ることになる。
ナチス親衛隊(SS)の将校であったマイヤーは、対独レジスタンスへの「報復」として、コリーニの父を銃殺刑に処していた。しかもその罪は、戦後、ドイツ政府が行った法改定(ドレーアー法)によって「時効」となり、裁かれなくなっているという事実であった。
なぜこのような法改定が行われたのか。
1968年、西ドイツ(当時)は世界的なベトナム反戦運動の影響に加え、キリスト教民主・社会同盟と社会民主党による「大連立政権」による「非常事態法」上程への反対運動が、学生を中心に広がった。一部は急進化して「ドイツ赤軍」を結成、武装闘争に踏み切る。
西ドイツ政府にとっては、治安上の問題が急浮上することになった。ナチス関係者などの旧支配層を復活・動員し、「反乱に備える」必要性が生じたのである。ナチス幹部への「時効適用」は、こうした背景の下、刑法改定に紛れ込ませる形で行われた。こうした背景は映画では描かれない。
だが、シーラッハが小説に仮託する形で暴露した2011年まで、問題にされることはまったくなかった。シーラッハは同時期、自身の祖父がヒトラーユーゲント(ナチスの青少年組織)の幹部で、ニュルンベルク裁判で「禁固20年」の刑に処せられたことも公表している。
シーラッハの暴露により、ドイツ政府は2012年、法務省内に「ナチの過去再検討委員会」を設置することに追い込まれた。だが、同委員会がどのような結論を出したのか、ようとして明らかではない。
本作が暴き出しているのは、戦後ドイツによるナチス犯罪への免罪である。同時に、支配層による「反省」「謝罪」は本質的に欺まんにすぎないことも示している。日本の私たちも、心しなければならないことであろう。
映画のラスト、裁判結末は意外な結果になるが、はっきり言って「画竜点睛を欠く」と言わざるを得ないのが残念だ。(K)
2019年製作/123分/ドイツ