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広がる「財務省解体デモ」をどう考える? 行動の背景に国民生活の困窮 資本主義の危機の深まり反映

 今年に入り、「財務省解体デモ」が全国的に広がっている。3月14日には「全国統一行動」が取り組まれ、東京の財務省前を中心に全国10カ所近くで5000人以上が参加した。以降も散発的にデモが行われ、4月末にも集会が予定されている。

 突如として高揚したこの大衆運動を、どう評価すべきか。

財務省前で行われた「全国統一行動」(3月14日・東京)

 財務省が批判の的となる根底には、「失われた30年」の間に、とくにアベノミクスによる収奪、またコロナ禍、さらに物価高によって、国民生活の困窮が極まっていることがある。そうした中でも増税や社会保障制度改悪を進め、今なお増税などを虎視眈々(たんたん)と狙い、課税最低限の引き上げにさえ消極的な財務省の態度を見れば、左右を問わぬ国民の怒りの的となるのは当然でもある。この背景がなければ、「財務省解体デモ」が急速に広がることはなかった。この意味で、この大衆行動には根拠がある。

 それにしても、問題は「主要な組織者」と「主張内容」である。

 「右翼が主導している」と見る見解は多い。その論拠の多くは「日章旗が林立している」「ヘイト言動がある」といったものだ。事実ではあるものの、それにも経過がある。

 また、「財務省解体デモ」全体を指導する政治勢力はおらず、さまざまな団体が似たスローガンで行動を起こしている。たとえば、14日の全国統一行動と、17日以降に連続して取り組まれている昼休み行動は、呼びかけ団体はまったく別である。右派勢力の主導性が顕著になったのは、むしろ14日の統一行動以降である。

 地域によっても違いがある。右派的勢力が強い地域、護憲を掲げるリベラル勢力が中心となっている地域など、一様ではない。

 「財務省解体デモ」にはどのような主張が見られるのか。

 文字通りに財務省を解体すれば、国民生活が改善するわけではないことは言うまでもない。デモ主催者の多くは、このスローガンはあくまで「政治を変えるための象徴的なもの」で、それ自身には意味がないと理解しているようである。 

 実際の要求は「減税」とくに「消費税廃止」や「国民のために財政を使え」というもので、これらはほぼ一致した主張である。憲法第25条(国民の生存権と国の生活保障の義務)を政治の基礎にすべきという主張である。財務省に関しては、財政民主主義の観点から国税庁を切り離す(歳入・歳出分離)や、不透明な特別会計の実態を明らかにすべきという主張がされてもいる。

 「消費税廃止」などの要求は、当面のものとしては正当と評価できる。

 ただ、「財務省解体」という言葉が主観的意図では「象徴的なもの」であったとしても、主催者が政治闘争におけるスローガンの重要性についてどのように考えているのか、われわれは理解に苦しむ。変えるべきは現在の政治の全体であり、倒すべき敵は政権ではないのか。「財務省解体」というスローガンは、「財務省だけが悪い」という意味にしか理解できず、政権に向けるべき闘いの方向を誤らせる。

 もし、主催者が本気で「スローガンは象徴で意味がない」と考えているなら、無責任のそしりを免れないだろう。これは、「運動の経験が浅いから」といって、済まされるものではない。

 注目すべきは、この運動に思想的影響を与えているのが、財政拡大論を唱えた故森永卓郎氏や三橋貴明氏ら、さらに通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行(デフォルト)を起こさないというMMT(現代貨幣理論)の支持者であるということだ。理論的基礎は誠に怪しげなもので、闘いの基礎になり得るようなものではない。

 さらに、「外国人への生活保護廃止」などのヘイト的言動を行う排外主義右翼勢力も一定程度加わっている。この勢力の主張は断じて認めることはできず、打ち破る以外にない。

 以上のような事情を鑑みれば、われわれは、現在の「財務省解体デモ」の全体をそのまま支持することはできない。

 それでも、堀江貴文氏のように「すべてのデモはムダ」と冷笑するのは論外である。デモを「暴力の徒」と呼んだ某野党議員や、「トランプ支持者と共通の危険さ」だけを強調したある経済学者のような態度も正しいものではない。

 これらは、一面的な情報に依拠しているだけでなく、大衆の怒りと行動に「上から目線」で説教をたれているにすぎない。某経済学者は「ポピュリズムに惑わされている」と言いたいのだろう。だが、なぜ有権者が「惑わされる」のか。困窮化が人びとの政治意識を変えたからである。国会の中に、人びとの利益を代弁する政党・政治家が見当たらないからである。まずは、自らが多くの人びとをひきつける運動や理論を提起できていないことを恥じるべきであろう。

 「財務省解体デモ」自身はヤマを越えた。ここに加わった一部は、「反ワクチン」を掲げて「厚労省解体デモ」に移行したり、「令和の百姓一揆」に加わる動きもある。

 支配層の言う「財政危機」は、自然に陥ったものではない。日米構造協議やアベノミクスに代表される、対米従属で大企業のための政治が続いたからである。国民生活そっちのけで、かれらは国費を使って肥え太ってきた。「緊縮財政派対財政拡張派の争い」が焦点なのではない。国家財政支出を拡大させた安倍政権下でも、国民生活のための財政支出は「緊縮」であった。「誰のために財政が使われているのか」を暴露することこそが、肝心なことなのである。

 増税と国民負担増に反対するのなら、怪しい「理論」に頼るのではなく、大企業のために財政支出がなされてきたという歴史的事実に依拠しなければならない。「財政危機」を解決するというなら、肥え太った大企業や投資家に増税を課さなければならない。それ抜きでは、拡張された財政は再び、大企業のふところを潤すだけである。

 国民生活の極度の悪化は、資本主義の危機の深まりを示してもいる。広範な国民が生活できなくなっているのである。

 人びとの貧困と「格差」の根源である「私的所有」を廃絶し、社会主義を目指す以外に解決できないのである。そのためには、対米従属政治を打ち破って独立・自主の政権を樹立することが早道である。

 われわれは労働者をはじめとする国民諸階層に、この訴えを届けなければならない。(K)

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