運動 インタビュー

国会突入から30年、農民の不安は現実に 歴史に学び、生存権を守る政治実現を 『平成百姓一揆』を出版した内田敬介さんに聞く

 日本政府は1993年11月27日、米国の市場開放圧力に屈し、コメの輸入自由化を決定した。これに憤る熊本の若手農民は12月9日、国会構内に突入し国に抗議した。それから30余年となる2024年12月、熊本の農民でもある内田敬介さんは国会突入行動を記録した『平成百姓一揆』を出版した。農民の闘いを形に残した動機について聞いた。(労働新聞熊本支局)


 今回記した著書には、当時行動を敢行した熊本県農協青壮年部だった8人へのインタビューや新聞記事などを載せています。コメ輸入自由化に反対した若手農民の運動を記録し、さらにはこの運動がもつ現在的な意味を再確認したかったからです。

 国会に突入した若手農民は「わが国の食料・農業・農村政策の危機、民主主義の危機に対する農民の生存権をかけた闘いだった」と述べています。彼らは事前に十分時間をかけて学習と討議を重ねて行動の必要性を確認し、計画し実行したのです。

 当時、政府は「コメの自由化しない」と3回も約束したのに、それを反故(ほご)にしました。ものすごく農民を差別・軽視した決定で、だまされたという怒りが農村から噴出していました。それを国に対し示さなければという思いがありました。

 また、農家の生存権をかけた闘いでもありました。農村の疲弊と農民の暮らしの危機…このままでは日本の農業が駄目になるという強い危機感もあり、それを国民に広く訴えることも狙いとしていました。

 あれから30年たって、青年農民たちの心配は現実となっています。昨年からのコメ不足が典型的です。農水省は、異常気象やインバウンド、地震での買いだめが原因などと言っていますが、問題はもっと深いところにあります。

 私の地元は、高齢化する中で「機械を買い替えきらん」「コメ作りはもうやめたい」と言ってる人が少なくありません。平坦地の農家は規模拡大の可能性もありますが、中山間地の小規模零細なところではできません。

 コメを作る農民がこの30年で半分に減り、農地も減っています。当然自給率も落ちています。採算に合わず、暮らしていけないということが根っこにあります。後継者がいない、みんなコメをやめていくというのは、所得が補償されていないという根本的な問題があるからです。

 なぜこうなったのか。そのことをきちんと検証する必要があります。まず、自民党農政がもたらした危機的状況の責任を明らかにした上で、なぜこうなったかを考えることが一番必要なことだと思います。

闘い続けてきた熊本の農民

 私は1948年に熊本県中山村(現在の美里町)に生まれました。9人家族の農家で、ウシやウマ、ニワトリ、ヤギがいる養蚕農家でした。生産量が県下で1位になったこともあったとのことですが、生糸の自由化の中で没落してしまったようです。

 農業の厳しさとか楽しさは農作業を体験する中で実感として分かっていました。おふくろの言葉で「百姓はまじめに働くけれど、きつかもんね」という言葉が人生の分かれ道で、たびたび頭に浮かんできて「農民とともに生きてゆく」という心構えができていったように思います。

 東京農工大学に進学しました。東京に行って社会問題の大切さに気づかされました。70年安保や沖縄返還、ベトナム反戦の運動にも参加しました。

 卒業後に勤めたJA熊本中央会では長くJA教育センターの仕事をやりました。そこで農業協同組合論の話をしましたが、なかなか反応がありませんでした。こらいかんなあということで、熊本の農民の生きざまや、農協はなぜできたのかなどについて調べ始めました。そうしているうちに農民や農民運動の歴史を研究する必要性に気づきました。

 100年ほど前の1923年、郡築小作争議という闘争がありました。日本三大小作争議と言われています。現在の八代市郡築では、当時6割という高い小作料もあり、小作農民は娘を売りに出さなければならないほどの悲惨な生活を強いられていました。そうした状況に対し、小作農民は「われわれも人間らしく生きる権利がある」と立ち上がりました。全国の農民組合や労働組合、水平社や学生まで広く連帯した、画期的な闘いが起こりました。熊本で女性が初めて表舞台に出てきた争議でもありました。杉谷つもという女性が大きな役割を果たしました。農民の中にこんな女性がいたのかと驚かされ、長年かけて調べました。

 また、陸上自衛隊大矢野原演習場をめぐる闘争もありました。大矢野原演習場(現在の熊本県山都町)をめぐって地元農民は、戦前は水の問題をめぐって旧陸軍の第六師団と闘い、戦後は駐留米軍の激しい演習で耕地が荒らされるのに反対して闘いました。

 大矢野原の農民の運動を調べ始めたのは、沖縄・嘉手納基地の「黙認耕作地」で闘っている農民に出会い、熊本にも同じような運動があったと気付いたことがきっかけでした。

 これらの闘いについては98年、日米共同訓練が始まる直前に本を出しました。当時訓練に反対して運動していた農民の間や集落での会合で参考書として使われました。

 過去の闘争には学ぶべきことがたくさんあります。反権力の歴史は権力者によって埋められてしまう、それを掘り起こして残すのが私の平和に向けた役割だと思っています。

1993年12月9日、コメ輸入自由化に抗議して国会に突入した熊本県の農民

運動には地道な学習が必要

 コメは食料の中でも一番大切な基幹的なものです。にもかかわらず、政府は70年の減反政策、95年の食糧管理法の廃止など、縮小政策を取ってきた。国民もよく考えてこなかった。当事者の農民もそのことを本当に訴えてこなかった。これが現実だと思います。

 消費者は「コメが高い」と言います。しかし目先の価格のことだけでなく、なぜこのような事態となったのか、それを掘り下げて考える必要があると思います。国民も農業のことを理解する必要があります。

 もちろん農民も、国民が置かれた状況がどういうところにあるかを理解する必要があります。

 国民と農民の連帯を考えるとき、現在はどちらも自分のことで精いっぱいですが、どちらにも共通する課題があります。このままでは国土保全もできないし、国民は食料危機に直面します。このような課題を掲げる必要があります。

 私は70年安保のころからずっと農業問題を見ていますが、アメリカ従属と財界優先の政治の中で、農民の生存権が危機に瀕(ひん)しています。農民と国民の生存権を守る政治をどうやってつくるかという点が国民全体に共通している問題だと思います。憲法でも保障されているこの問題が一番重要だと思います。

 農民にとっては、まず自分たちの要求を訴えていくことが必要です。消費者は、目先のことだけにとらわれず、農業の現場を知るために農業を体験してほしい。交流を広げながら、特に若者が参加できるような場をつくっていく必要があると思います。

 最近、私のところには、農業をやりたいと通ってくる人が増えています。食料危機を心配する人もいます。耕作放棄地を再生する活動も続けられています。

 そのときに大事なのは学習することです。交流と合わせて、農業問題や政治問題などを共に学習することです。これまでの大きな闘いや運動には必ず地道な学習や教育がありました。このことがとても大切だと思います。

「平成百姓一揆」は1冊1600円。購入希望の方は担当者(渡邉さん:080-6427-3827)まで

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