日清戦争に勝利した日本は、清国に過酷な講和条約を押しつけた。膨大な賠償金は日本の帝国主義化に活用され、朝鮮の「独立」を認めさせたことは朝鮮を中国の「冊封体制」から離脱させ、日本の支配下に置く第一歩であった。何より、日本は台湾を奪い取り、初めての植民地とした。
この日本支配下の台湾で1930年に起きたのが、漢民族ではない台湾原住民による抗日蜂起「霧社事件」である。この事件について、知っている読者はごく少ないだろう。
植民地支配下、山岳地域に住む原住民セデック族は「蛮人」として差別され、重要な風習であった「首狩り」は禁じられ、日常的には日本人巡査の監督下に置かれた。こうしたなかで起きたのが霧社事件である。
蜂起の直接の原因は、酒宴の席で、巡査が原住民リーダーの息子を侮辱したことだが、長年にわたる支配、とくに無給労働に動員されたことへの不満が背景である。
モーナ・ルダオを中心とした約300人は、巡査をはじめ日本人約140人を殺害、果敢に闘ったが、日本は4000人以上の警察と軍隊を動員し、毒ガスを使って弾圧した。日本は「夷を以て夷を制す」とばかり、蜂起に参加しなかった原住民を動員、「首狩り」を解禁して賞金までかけた。
ウェイ・ダーション監督による映画「セデック・バレ」は、合計4時間半に及ぶ力策である。第1部では蜂起に至る経過、第2部では日本による報復を中心に描いている。
原住民たちの誇り高さが胸を打つし、女性たちのとまどいと集団自決、警察の下働きとして雇われていた原住民青年夫婦の苦悩と自殺などが、衝撃的だが丁寧に描かれている。
映画では、密林の「地の利」と培った身体能力を生かし、原住民が有利に闘いを進める場面が何度か登場する。実際には日本軍の近代兵器は圧倒的で、このようなことはほとんどなかったらしい。だが、演技未経験という原住民俳優には、迫力だけでなく、ある種の「美しさ」さえ感じる。
また、抗日映画にありがちなステレオタイプの描き方ではなく、植民地支配に疑問を呈する日本人巡査の心境の変化なども描いており、説得力がある。
「オビンの伝言」は、事件で生き残った女性オビンへの聞き取りを通して、霧社事件後の台湾支配を描いたものである。
蜂起後、原住民への過酷な支配は緩和されたが、職業や待遇では大きな差別が続いた。日本の中国に対する侵略が本格化すると、原住民各戸は神棚をつくるよう「指導」されるなど、皇民化はいちだんと強化された。太平洋戦争が始まると、セデック族は、「汚名返上」とばかりにフィリピンなどに動員され(高砂義勇隊)、オビンの肉親を含む多くが戦死した。
安倍首相は「戦後70年首相談話」で台湾を韓国や中国の前に触れ、中韓やインドネシア、フィリピンなどの国家と同列に並べて言及した。日本政府が公式には「中国の一部」としている台湾をこのような形で言及したのには、中国をけん制する政治的意図があるのは明白だ。確実なことは、安倍首相には、50年もの植民地支配を行った台湾、とくに弾圧した原住民に対する謝罪の気持ちはないということである。
「セデック・バレ」とは「真の人」という意味である。安倍首相は「子や孫、その先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」などと手前勝手に述べたが、日本の侵略と植民地支配に抵抗した「真の人」たち(それは朝鮮半島やアジア各地にも数多いる)を忘れないことは、日本の責任でもある。(O)