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「幸せを実感できる社会へ」アートを中心に社会運動を発信ーー黒部睦さん(8bitNews)

 ときに青年・学生が中心のパレスチナ連帯集会を企画し、ときにカメラを片手に取材し、ときに歌唱パフォーマンスをする、黒部睦(くろべ・むつみ)さん。現在は報道サイト・8bitNews(エイトビットニュース)で「Artivist黒部睦」を企画・担当している。社会運動に関わる経過や問題意識を聞いた。


ーー社会運動へ関わり始めたきっかけは?

黒部さんのInstagramより

黒部
 高校1年生のとき、SDGs(持続可能な開発目標)について知りました。この実践が広がれば皆が幸せに暮らせるのではないかと思い、少年少女国連大使に応募して、夏休みにスイスとスウェーデンを訪れました。

 スイスでは国際機関の訪問が中心でしたが、スウェーデンでの経験は衝撃的でした。

 日本の環境保護運動というと、「スイッチを切って節電」といった個人レベルの努力が中心です。でもスウェーデンでは、有料駐車場を鉄道駅から遠くに設置して自動車の利用を減らす一方、無料駐輪場を駅の近くに設けて自転車の利用を促しています。家庭で発生した生ゴミを集めてエネルギー化する専用ポストもありました。環境負荷を減らすため、まちづくりや社会の仕組みまで変えていました。暮らしているだけで気候変動対策ができる仕組みづくりです。私は「日本は環境先進国」だと思っていましたが、事実は違っていました。

 しかし、そうした先進的な取り組みがあるのに、スウェーデンでは多くの若者が「まだ不十分だ」と、グレタさんの活動に賛同して声を上げて政府機関の前に座り込んでいました。そうした、自分と同じ世代の行動に刺激を受けました。日本で自分が何もしなかったら、自分の時間を割いて座り込んでいる若者たちの時間や行為を無駄にしてしまう、足を引っ張ってしまうと思ったんです。

 帰国後、座り込みなどの行動はややハードルが高かったので、学校のロッカーにメッセージを貼る活動を1人で始めました。関心を持つ友人にも呼びかけ、同じようにロッカーに貼ってもらい、60人ほどに広がりました。

 こうした行動をSNSで発信していたら、Fridays For Future Tokyo(フライデーズ・フォー・フューチャー ・東京)のオーガナイザーに誘われ、参加するようになりました。もう卒業間近の時期でしたね。

ーー高校卒業後、国立音楽大学に進学したのですね。

黒部
 音楽学部・声楽専修でオペラや歌曲を勉強していました。卒業時の課題では、プッチーニのイタリアオペラ「ラ・ボエーム」の「私の名はミミ」を歌いました。ただ個人的には、フランス歌曲が好きですね。

ーーFFFではどんな活動をしていたのですか。

黒部
 オーガナイザーとして活動しました。気候変動について学ぶワークショップを開いたり、市民向けの勉強会を行ったり。国や自治体への申し入れや街頭アピールもしました。エジプトで開かれた国連気候変動枠組条約第 回締約国会議(COP27)にも参加しました。

 しかし、運動が思うように広がらなかったり、人手不足からくる忙しさから、心身ともにしんどくなってしまいました。こんなに自分の時間を捧げているのに効果が見えない。その時期、拒食症になりました。

 おそらくですが、運動で達成感が感じられず自己肯定感を持てないことから、「やせることで満足したい」という心理状態になっていました。精神的にも体力的にもきつくて、バイトを辞めたりしました。

ーー大変でしたね。どう立ち直ったのですか。

黒部
 以前から関心のあった、知的障がい者のグループホームでアルバイトを始めました。そこで「誰かのために何かをする」のではなく、「サポートが必要なら受けていいし、自分ができるなら与えればよい」と感じることができたんです。そして「自分の幸せを軸にして考える」ことの大切さを実感しました。それで拒食症にも回復の兆しが見えました。

 ただ、社会には依然としてルッキズム(注1)があります。気候問題もそうです。自分が再生可能エネルギーを選びたくても、学校や交通機関は原子力や石炭火力のエネルギーで動いています。

 しかし、それは私が悪いのではなく、社会の仕組みがそうさせている。だから、自分が幸せに生きるためには「社会を変える必要がある」と思い至り、気分がスッキリしました。運動に意味はないとか辞めたいと思わなくなりました。

ーーパレスチナ連帯運動には、どのようなきっかけで関わり始めたのですか。

黒部
 環境問題でいっしょに行動していた友人が、この問題で発信していたことに刺激を受けたことがきっかけです。ムスリム(イスラム教徒)の友人がいたことも影響しました。COP27でも、パレスチナ問題をテーマにしたデモに接していました。

 今、首都圏を中心に盛り上がっているパレスチナ連帯運動は、若者だけでなく、デザイナーや俳優など芸術家の皆さんが多く関わっていることが特徴だと思います。同じ「パレスチナ連帯」という趣旨の下、複数の人が自分の知見や問題意識を生かしたアクションを呼びかける、そんな形になっています。自分も音楽大学出身者として刺激されることがありました。

 私自身は、3月に「脱植民地主義を考えよう」というイベントを企画しました。6月には新宿で「合唱デモ」を呼びかけました。

 「リーヴ・パレスチナ」(注2)という歌を、「ビバ・パレスチナ」(パレスチナ万歳)と日本語訳・替え歌にしてくれた人がいます。デモでは、それを歌います。仲間に「歌っていいんだよ」と励まされたのはうれしかったですね。

ーーこの4月から、8bitNewsで働くようになったわけですね。

黒部
 8bitNewsの代表である堀潤さん(元NHKアナウンサー)とは、環境問題で活動していたときから知り合いでした。堀さんが出演している「モーニングFLAG」(東京MXテレビ)のゲストコメンテーターを引き受けていました。そこから市民メディアとしての8bitNewsで仕事をしています。

ーーArtivistに込められた意味とは?

黒部
 高校生時代から「環境アクティビスト」として活動していましたが、音楽は人を動かす上でとても力になると思うんです。

 COP27の会場で、各国の運動に出会って影響を受けました。楽しく盛り上がるパフォーマンスばかりです。たとえば、あるグローバルサウスの活動家が、石油パイプラインをつくるという口実で住民を追い出す計画に反対し、パイプラインを模した風船をつくってパフォーマンスをしていました。COPで日本が受け取った「化石賞」の授与式も、演劇などの要素を取り入れて楽しく取り組まれています。

 背景には、それを演出するArtivistたちがいることを知りました。芸術を使って社会問題の解決に取り組む活動家です。故坂本龍一さんやバンクシーもArtivistの一人だと思います。そうした人びとを追いかけたいと思ったんです。私のチャンネルでは芸術を切り口に社会運動を発信しています。

ーー将来の目標は?

黒部
 「一人ひとりが幸せを実感できる社会」を目指して、運動に関わり続けていきたいです。自分の考えを聞いてほしいというよりも、「自分の頭で考えよう」と言い続けたいです。

 今はパレスチナ連帯運動を取り上げることが多いですが、それは運動が盛り上がってデモの回数が多いからです。今後はほかの問題もやっていきたいです。

 私は本を読むことが苦手なので、議論や行動を通じて学びたいです。

ーーありがとうございました。

注1 ルッキズム 人の価値を外見だけで測る差別的な考え方や言動。

注2 リーヴ・パレスチナ スウェーデン系パレスチナ人バンド・コフィアの曲。1970年代後半〜 年代初頭に活躍した。歌詞は、パレスチナでの農作物の収穫、イスラエル占領軍への投石や武装闘争などを描き、シオニズム打倒とパレスチナ解放を訴える。

黒部睦(くろべ・むつみ)
@mutsumi.159(Instagram)

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