平和や人権を守ろうと訴える若い世代の行動が広がっている。3月に行われた新宿の「平和フェス」には、個人が呼びかけたイベントにもかかわらず、1400人もの人が参加した。平和フェスをはじめさまざまなアクションを呼びかけている中山永月さんに思いを聞いた。(文責編集部)
契機となった「ひとり街宣」
僕は、現在は街頭でのアクションを呼びかけたりしていますが、大学生の頃はSNS上での政治的論争に疲れ、何が正しいのか分からなくなり、政治的なことを考えるのをやめていたという感じでした。
歴史に興味があり、学部で歴史学を専攻する中でナショナリズムにも批判的な関心を持つようになりました。歴史教育を学ぶ中で平和教育学も学び、それらを専門に学び研究しました。ドイツ・ヴァイマル期の記念碑について、それが戦争の記憶を想起させる装置として社会的にどう位置づけられていたのかを研究したりしていました。
平和について関心はありつつも、政治については考えたり発言することはやめていたのですが、大学院1年生の時、友人が「私、安倍首相嫌いなんだよね」と言ったことに衝撃を受け、「こういうことを言ってもいいんだ」と思うようになりました。
ただ、自分の政治的な意見をどのように社会に発信したらよいのか、どのように社会運動に参加したらいいのか、やり方が分かりませんでした。研究のために国会図書館に行くと、首相官邸前や国会周辺でのデモやスタンディングを目にすることがありましたが、自分が参加していいのかどうかや参加の仕方も分かりませんでした。

2024年6月に行われた東京都知事選挙は転機となりました。その頃にSNSで「ひとり街宣」というアクションを目にするようになりました。ひとり街宣とは、市民一人ひとりがプラカードなどを作って駅頭に立ち、さまざまな政治課題について訴えたり、投票を呼びかけたりする行動です。僕の地元である杉並区では芹澤悦子さんという方が2022年の杉並区長選挙で広げたアクションとしても有名です。「これなら参加できる」と思い、弱者支援を掲げていた蓮舫候補を応援するために地元の駅頭に立ちました。これが僕の路上でのファーストアクションとなりました。この都知事選でのひとり街宣は最終的に都内ほぼ全ての駅で行われ、約3千人が参加するムーブメントとなりました。
選挙で投票する以外の行動を知らなかった僕にとって、ひとり街宣はまさに「声」でした。これ以降、いろいろなアクションに参加するようになりました。参政党のヘイト演説や反移民ヘイトデモへのカウンターや、パレスチナ連帯行動に参加したりしました。25年7月の参議院議員選挙で自民党が大敗し、石破首相が責任を問われている頃、「次に高市政権になったらヤバイ」と思い、その頃行われていた「石破激励アクション」の4回目を私が主催しました。デモの呼びかけ方が分かり、「これはまずいだろう」と思ったらすばやくアクションを呼びかけることができるようになりました。「台湾有事」をめぐる高市発言の後には首相官邸前で抗議したりもしました。
3月に呼びかけた新宿の平和フェスは、その前に国会前に万単位の人が集まっていたので、数百人は来るだろうとは思っていました。結果的には1400人が集まってくれました。

5月には経営・管理ビザ改悪の問題で初めて院内集会も主催しました。また高額療養費制度の見直し問題での街頭アクションにも協力しました。
自分らしい政治表現は楽しい
政治が悪化し続けるなかで、国や自治体に抗議する人が増えるというのは来るべくして来たフェーズなのかもしれません。
ただ、自分でアクションを起こすようになって思うのは、直接声を上げることは、自分自身にとっても大事なことであり、楽しいことだということです。
政治的な主張をすることは自らの考えを表現することです。政治や社会に対する不満や怒り、あるいは希望の発露です。そのような感情や思いを表現することはクリエイティビティーと結びついていると強く感じています。
多くの人にとって、普段の賃労働をする生活の中で、クリエイティビティーを発揮する場はあまりありません。そうした中で、政治的な主張に対して自主性やクリエイティビティーを発揮し、政治的なアクションにつながり、そこに自己表現としての楽しさを感じている人が増えていると感じています。
新宿の平和フェスでも、国会前でも、ペンライトを振って「推し」を応援するように、自らが大切にしている平和や憲法を守ろうと訴えている人が増えていると感じています。デモの中で楽しさや自分らしさを感じているのではないでしょうか。
また、プラカードやのぼり旗にも個性やクリエイティビティーが反映したものが増えていると感じています。たとえば、最近は日本国憲法を擬人化した「君との契り」(略称「きみちぎ」)といった、イラストなどでの創作物が流行っています。政治的主張の自己表現にクリエイティビティーが遺憾なく発揮されていると思います。
4月にNHK前で「NHK報道がんばれデモ」を呼びかけました。国会前の憲法改悪反対デモなどがあまり報道されないので、しっかり報道してくれと訴える行動です。僕が到着する前にけっこう皆が集まっていて、プラカードを準備したり、コールしたりして会場が温まっていて、本当に自主性が高まっていることを実感しています。
このような状況こそが、まさに民主主義なのではないでしょうか。
誰もが幸せな社会を目指して
僕が政治に望んでいるのは、集約すれば人権を尊重する政治ということになると思います。福祉に予算を使ってほしいとか、再分配をきちんとしてほしいとか、差別しないでほしいとか。労働について言えば、まずは1日7時間労働のような、労働時間の短縮とか、ブランクがあっても復帰しやすい社会とかでしょうか。
今の社会は「健康な成人男性」を基準に設計されています。女性や障害のある人、病気のある人、性的少数者、外国ルーツなどマイノリティーが生きづらい社会です。
僕は自分自身を男性とも女性とも自認していないノンバイナリーです。子どもの頃から「僕」という一人称を自然と使っていますし、特に高校生ぐらいの頃から身体に性別違和も感じていました。ノンバイナリーの僕にとって、男女二元論が当たり前とされている社会は生きづらい社会です。
逆に言えば、僕のようなクィア(全ての性的少数者を包括する言葉)などマイノリティーや社会的弱者が生きやすい社会であれば、それはみんなが生きやすい社会だと思います。差別なく人権が保障される社会を目指し、これからも自主的にアクションを起こしていきたいと思っています。
なかやま・ながつき
1995年生まれ。大学院博士前期(修士)課程修了。現在は東京・高円寺で「一棚本屋」「軽出版」などを行う。