韓国の政治史は、映画の素材に事欠かない。とくに、1970年代末から87年の「民主抗争」に至る約10年間は、権力闘争の激しさと、人民大衆の闘いの偉大さを実感させられる。
この波乱万丈の政治史に「韓流スパイス」を振りかけて料理すると、極上のサスペンスまたはヒューマンドラマに仕上がるのである。
本作は、10年間の激動の「序章」ともいうべき、79年の朴正煕暗殺事件をモデルにしたものである。
米国に亡命した韓国中央情報部(KCIA)元部長が、下院で朴正煕大統領の腐敗を告発する証言を行った。現職部長のキム・ギュピョンは、朴正煕大統領に事態の「収拾」を命じられ、元部長が執筆中の回顧録原稿の回収を試みる。元部長は回顧録をキム部長に渡すが、大統領の秘密資金を管理する「イアーゴ」の存在を忠告する。
折しも、釜山市で「反独裁・民主化」を掲げた大規模デモが発生、穏便な解決を図ろうとするキム部長は、政権内で孤立していく。
追い詰められたキム部長が選んだのは、政敵であるクァク大統領警護室長と、朴大統領自身を殺害することであった。
回顧録や「イアーゴ」の存在はフィクションであるが、権力闘争の大筋は事実である。
映画を見て感じるのは、韓国政治における、露骨に命をやり取りする権力闘争のすさまじさである。主役のイ・ビョンホンの演技も素晴らしい。
もう一つは、意外に思う向きが多いかもしれないが、「大日本帝国陸軍の影」である。
冒頭、朴正煕とキム部長が、畳張りの居室でマッコリを酌み交わし、日本語で会話するシーンがある。朴正煕は、日本の傀儡国家「満洲帝国」の陸軍軍官学校出身であり、旧日本陸軍士官学校への留学経験を持っている。キム部長のモデルとなった金載圭も、旧日本陸軍の航空整備兵であった。
朴正煕が掲げたのは「維新体制」という名の反共軍事独裁政権である。ここに、二・二六事件で青年将校たちが掲げた「昭和維新」の影を見るのは容易である。帝国陸軍のイデオロギーは、韓国軍部にグロテスクな形で残存した。この点は、米国の研究者・カーター・エッカートも『韓国軍事主義の起源』で述べている。
こう考えると、1905年以降の日本による朝鮮半島植民地化策動が、いかに根深く、犯罪的なものとして現代に影を落としているかが理解できる。「敗戦80年」を迎えたこんにち、日本に課せられているのは、このような植民支配の歴史とその影響を清算することである。
ちなみに「イアーゴ」は、シェークスピアの戯曲「オセロー」に登場する裏切り者の名前である。映画ラストで「イアーゴ」の正体が明かされるが、ここでは伏せておこう。
最期に、他作品を紹介しておく。朴正煕暗殺事件から全斗煥が「粛軍クーデター」で権力を確立する過程を描いた作品が『ソウルの春』である。新たな軍事独裁政権に抗して立ち上がった「五・一八民主化運動」と鎮圧(光州事件)を描いた『光州5・18』『タクシー運転手 約束は海を越えて』『1980 僕たちの光州事件』。87年の「民主抗争」を描いた『1987、ある闘いの真実』は、いずれも必見だ。
(2018年・韓国)