国立大学の学費(授業料)引き上げの動きが広がりつつある。
「日経新聞」のアンケートによると、すでに引き上げ検討が明らかになっている東京大学のほか、和歌山大、鹿屋体育大が検討中と回答した。さらに、12校が「今後検討する可能性がある」とし、「検討する可能性がない」としたのは9校しかなかった。
国立大学学費の標準額は年間53万5800円。国立大は2004年に独立行政法人化され、2割までは独自判断で引き上げ可能になっている。
引き上げの動きが広がりつつある背景には、財政の厳しさがある。政府からの運営費交付金は減少傾向が続く半面、財界は国際競争力向上に貢献する研究への要求を強めている。
このため19年度から、学費引き上げの動きは始まっていた。理系・文系の格差導入の動きも見えている。ただ、コロナ禍でこの動きは一時中断した。以降、光熱費や人件費負担が増えたことも、当局の値上げへの衝動を強める一因となっている。
伊藤公平・慶応大塾長は、中央教育審議会「高等教育の在り方に関する特別部会」で、国公立大の学費を「年間150万円程度」、現行の約3倍に引き上げることを提案した。これは先に挙げた要因の必然的帰結で、決して一部の見解ではない。
自民党の教育・人材力強化調査会(会長・柴山昌彦衆院議員)は、「国際競争力を強化するため」に適正な授業料の設定と、奨学金の拡充などをセットで検討すべきだとしている。これは実質上、値上げを後押しするものである。
国立大の学費は、私立大に比べると、約12年間にわたって全体に横ばい傾向であった。これによって、経済的に恵まれない学生の「受け皿」になってきたという実態がある(ただし東大、京大などは高額所得者の子が多い)。
国立大の学費値上げは、低額所得者層を高等教育から排除することにつながり、許されない。そもそも高等教育を国民に保証することは国の責務であり、本来すべて無償化されるべきである。
すでに値上げ方針が報じられた東京大学では、学生・教職員による反対運動が始まった。一部では、約20年ぶりの「全学ストライキ」を提起する声もある。藤井輝夫総長は6月21日、学生とオンラインでの「対話」に臨んだが、値上げを「待ったなし」と強調、本郷キャンパス(東京都文京区)の安田講堂前に集まった学生に対し、警官隊の導入を要請するなど、反対の声を一顧だにしない姿勢である。
それでも、当局は値上げの正式発表を「延期」に追い込まれた。が、値上げ方針自身は撤回していない。
学生は「学費値上げ反対全国学生ネットワーク」などで連携を強めている。
運動の方向性についてだが、大学当局の責任に対する態度が問題となる。
各当局は「国が主導した運営費交付金の削減」が大学経営の圧迫を招いたとの認識で、値上げ理由を「教育研究環境の維持・改善のため」としている。
確かに、政府による予算削減は大問題で、その中断と予算増額を要求することは当然である。だが、2割までの値上げは各当局の裁量の範囲内であり、当局自身の責任もまた、追及されなければならない。たとえば、東大学長の年間報酬は約2400万円(19年度)で、学長平均で約1800万円である。これが正当なものかどうかなど、検討すべきことは多々ある。
ところが、日本共産党・民青同盟は大学当局の責任にはほとんど触れず、「大学対国の問題」としか主張しない。これでは大学当局と闘うことはできない。
学費値上げが進めば、学園での闘いがさらに広がる可能性があり、注目できる。