労働運動

寄稿/最低賃金の過去最高引き上げも 発効見送りで新たな格差(労働組合員・岡田淳司)

 賃金も物価も上がらない30余年の長期デフレから一転、超物価高が3年以上も続いている。2021年後半からの値上げラッシュが始まり、22年から食料品やガソリン代の高騰へと続き、昨年夏ごろから主食の米価が急騰した。低賃金で不安定な非正規職で働く多くの女性や若者、年金暮らしの高齢者など、多くの国民が生活危機に直面した。かく言う私も生活防衛のために買い物に行く回数を減らしている。この10月からはさらに食料や飲料など3000品目の値上げが生活を直撃する。国と政治家の無策に対する庶民の怒りは募る一方だ。

 一部の高給取りを例外に、中小・零細企業で働く労働者や非正規労働者の賃金は上がらないか、多少上がっても物価高には全く追いついていない。ほぼ最低賃金で働く約700万人の労働者にとって、4月ではなく最低賃金が改定される10月が「賃上げ」になっているのが実態だ。

 しかし、25年度最低賃金改定は例年とはやや様子が異なっている。

そもそも最賃とは何か

 最低賃金とは使用者が労働者に支払わなければならない国が定めた賃金の最低額だ。特段の資格や技術・技能を持たない、職場で経験を積んでいないゼロキャリアの労働者であっても、最低限これだけは支払わねばならない。対象となる労働者は正社員だけでなく、契約社員やパート・アルバイト、派遣社員なども含まれ、国籍や年齢、性別にかかわりなく、外国人労働者も含めすべての労働者に適用される。労働基準法第28条の最低賃金法第4条により、使用者は労働契約で最低賃金に満たない賃金を定めた場合は無効となり、最低賃金を下回る賃金を支払った場合、50万円以下の罰金などに処せられると、最低賃金法第40条に定められている。

 最低賃金には、「地域別最低賃金」と「特定(産業別)最低賃金」の2種類があり、地域別最低賃金の改定審議は、厚労大臣の諮問を受けた中央最低賃金審議会(中賃)小委員会が調査審議を行い、改定の目安(額)を提示する。目安は都道府県をABCの3つに区分し、各ランク別に目安の額が示される。

 石破政権が「2030年代半ばまでに最低賃金を1時間1500円に」と掲げるなか、25年度最低賃金改定審議が行われ、中賃の議論は44年ぶりに7回にも及んだ。議論終盤に赤沢賃金向上担当相が水面下で大幅な引き上げを求める異例の政治介入を行ったと報道されている。8月5日には中賃の答申(Aランク63円、Bランク63円、Cランク64円)が示された。

初の技能実習生の陳述

 中賃の議論が終盤にさしかかる7月30日、福岡県地方最低賃金審議会の意見陳述に、全国一般ユニオン北九州ソレイユ分会の組合員でもあるミャンマー技能実習生Aさんが労働側5人のうちの一人として意見陳述を行った。外国人技能実習生が陳述するのは全国で初めてでもあり、多くのメディアが取材に訪れた。

 Aさんは、介護施設で夜勤もあるシフト勤務をこなし、多い時で22〜23万円ほどある賃金のほとんどをミャンマーの家族に送金し、自身は1カ月4万円ほどで生活しているとのこと。母国のクーデターで家族は職を失い、弟の学費も必要であることを述べた。また、最低賃金が1500円になれば、送金した上で、将来に向けた勉強もできるなどと陳述した。

 外国人技能実習生は、農業・漁業・介護・建設業など多くの現場で働いているが、福岡県に限らず、ほとんどが最賃レベルに置かれている。転籍が自由にならないという状況でパワハラ・セクハラなどの人権侵害や労基法違反が横行し、賃金の高い地方へ失踪するケースも少なくない。

 労働組合は、日本社会の根本的な部分を外国人労働者が劣悪な賃金で支えている実態を明らかにして、賃金・労働条件の改善に取り組まなければならない。

最下位逃れ回避競う

 25年度の地域別最低賃金改定の答申が9月5日、都道府県で出そろった。全国加重平均は時給66円(6・3%)引き上げで1121円。昨年度の時給51円(5・1%)引き上げ、1055円を上回り、額・率ともに過去最高となった。答申された改定額は、地方審議会で労使からの異議審の手続きを経て、地方労働局長の決定により発効される。

 25年度は「初めてすべての都道府県で最低賃金が1000円を超えた」と報道されている。昨年の27地方を上回る39地方(83%)で、中央最低賃金審議会が示した目安額に上積みされ、下位Cランクでは最高額82円を引き上げた熊本をはじめ、13地方すべてが70円を超える引き上げを実施、Bランクでも静岡、滋賀、長野を除く25地方で目安への上積みが行われた。

 昨年度の地方審議会答申では、最終8月29日に徳島が84円を引き上げて「徳島ショック」として驚かれた。それが25年度では、Cランクを中心に8月後半に集中し、7地方で9月まで大幅に遅れた。

 また、岩手は昨年度の最低賃金が時給952円と全国で下から2番目の低さだった。それに対し、今回は8月28日の審議会で79円引き上げ、時給1031円とする過去最大の答申案が示された。しかしこれに納得できない使用者側委員全員が採決の直前に退席する異例の事態となった。

 このような引き上げ額に対する労使間の対立や近隣県との地域間格差、全国最下位を回避したい各県の思惑などが「チキンレース」となり答申が遅れたが、問題はそれだけではない。

秋田・群馬は半年遅れ

 昨年度は最下位だった秋田の地方最低賃金審議会は「秋田県の最低賃金を現在の951円から1031円(引き上げ額80円、約8・4%)に」と答申し、同時にその「発効日を26年3月31日から」とした。また「最低賃金額を答申どおり引き上げた場合、推定4万6000人以上の労働者の賃金引き上げが必要となる」とも発表された。

 発効日が半年も遅れた秋田の4万6千人以上の労働者たちは、全国最低額の951円が半年間も据え置かれ、1年間を通しての引き上げは実質的に半額の40円となる。中央最低賃金審議会が示した目安額「Cランク64円」にも及ばない。こんな最賃改定は詐欺としか言いようがない。

 その他にも発行日を大きく遅らせた地方はある。群馬が3月1日、徳島、福島、大分、熊本は1月1日に先送りしている。24年度の発行日は、徳島の11月1日以外、他の46地方はすべて10月中だった。それが25年度は10月の発効は20地方と激減している。異例の事態だ。

 発効日の大幅な遅れに対して、地方審議会にはさまざまな個人・団体から異議申し立てがなされている。たとえば全国一般全国協議会は岩手、秋田、群馬の各労働局長と地方最低賃金審議会会長に対し、遅すぎる発行日に抗議し、再考を求める要請を行っている。

 異例ずくめとなった25年度最賃改定の布石となったのは、中賃による答申(公益委員見解)で「最低賃金法第14条第2項において、発効日は各地方最低賃金審議会の公労使の委員間で議論して決定できるとされていることを踏まえ、引上げ額とともに発効日についても十分に議論を行うよう要望する」と要請されたことだ。これは「準備期間が必要」などの使用者側の言い分に配慮した公益委員による発効日への介入だ。最賃引き上げの効果を損失させ、最賃引き上げの目的と意義をないがしろにする発効日の大幅な先送りにつながった答申には強く抗議しなければならない。

国民生活守る政権を

 直面する超物価高の背景には、円安などによる原材料価格の高騰などがあり、それにトランプ関税が追い打ちをかけている。こうしたなか、多くの中小・零細企業は原材料やエネルギー上昇分を価格に十分転嫁できていないのが現状だ。

 一方、トヨタなどの輸出大企業は円安効果で史上最高益を謳歌(おうか)し、25春闘では労組の要求を上回る賃上げ回答や初任給の引き上げが行われている。輸出大企業は系列・下請け企業に価格転嫁することなく自らの利益を積み上げている。12年連続で積み上がった巨額の内部留保は600兆9857億円(23年末、財務省法人企業統計)にもなっている。

 国民大多数が物価高と貧困にあえぎ、農業や中小・零細企業が存続を危うくするなか、政府には国民生活を守るあらゆる政策を総動員する責務がある。

 労働組合には、最賃のさらなる引き上げと地域間格差解消の実現とともに、対米従属で多国籍大企業のための政治を転換させる政権を樹立し、次の社会に向けた国民的運動が求められている。

-労働運動
-,