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心に百年の傷残した沖縄戦

 私は沖縄県那覇市で生まれ、現在は首都圏で会社員をしています。私の約30年の人生には80年前の沖縄戦の落とした影が色濃く反映しています。

 ある週末の駅前で、沖縄での米兵による女性暴行事件への抗議行動を見かけました。たまたま通りがかったにもかかわらず思わず聞き入っていると、司会者が「発言したい人はいませんか」と呼びかけました。私は、その場の熱気に当てられて、勢い余って飛び入りでマイクを握りました。沖縄戦が私の身内の心に残した傷の深さについて語らずにはいられませんでした。

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 母方の祖父は沖縄本島南部の出身で、幼くして鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員されました。私が物心つくころにはほぼ寝たきりで、親戚に聞いた話ですが、頭部を銃撃されながら奇跡的に生き残ったそうです。

 戦後は、米兵向けの高級時計販売などで一時は成り上がり、私の祖母と二度目の結婚をして4人の子どもをもうけました。しかし、祖父は祖母に日常的に暴力を振るっていたそうです。戦争の影響でPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したのか、あるいは銃弾で前頭葉を損傷して暴力的になったのか、今となっては分かりません。

 祖母は戦時中は県外に疎開していたそうですが、戦後の沖縄も平穏とは言い難かったようです。祖母から直接当時の話を聞いたことはあまりないのですが、米軍が配給した洗剤を誤飲して隣人一家が亡くなった話を聞いたことがあります。

 夫に殴られ続けた祖母は、子ども(私の母)に暴力を振るいました。祖父からの暴力に加え、三女が障害をもっていたこと、祖父の事業の不安定さなどに精神的に追い詰められたのでしょう。

 私の母は現在ひどいアルコール依存症です。今で言うところの元ヤングケアラーで虐待サバイバー、大人になってからは夜の仕事などを転々とするなど、依存症になる条件は見事にそろっています。

 30歳代半ばで私を出産した母は、おそらく彼女なりに自分の人生への後悔があったのか、私に対しては教育熱心を超えていわゆる教育虐待のような育児をしました。また、泥酔した母にとって、子どもの私はカウンセラーでもありました。母が私に打ち明けた(正確にはぶつけた)トラウマの多くは性的なもので、子どもにそれを話すのは性虐待と言えます。

 現在も米軍関係者による暴行事件が後を絶ちませんが、それ以外でも沖縄は他の地域より格段に日常に性的トラウマを抱える機会にあふれていると思います。かつての米兵向けの売買春制度やそれに釣られた観光客向け性産業が発展したことの影響も否定できないでしょう。

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 くしくも母の教育が実を結び、私は奨学金や諸制度を利用して県外へ進学、そのまま就職しました。以降10年近く沖縄には帰っていません。親との接触も絶っています。

 私の身の上話は大抵ドン引きされますが、沖縄ではさほど珍しい話ではありません。母のきょうだいも、結婚・離婚を繰り返すなど、複雑な人生を歩んでいます。

 私が自己紹介で沖縄出身だと言うと、南国リゾートらしい温暖な気候に見合う明るい人間関係を想定されることが多いのですが、いつももどかしい気持ちになります。

 戦争さえなければ、祖父や母、そのきょうだい、私の家族は、こんなにもこじれた関係にはならなかったのではないかと思うのです。米軍基地やそこからくる治安状況に悩まされることもなかったはずです。

 沖縄への差別発言を受けることもありませんでした。ひめゆり学徒隊の歴史を歪曲した「西田発言」は、かつて職場で上司から似たようなことを言われたこともあり、思い出さずにはいられませんでした。

 世界中で戦争ムードが高まっています。私にとって沖縄は「楽園」ではありません。息苦しくて逃げ出したい場所。だからと言って、故郷が戦火に包まれることは望んでいません。

 戦争は人命を奪い、財産や自然を破壊するだけではありません。人びとの心に百年、あるいはそれ以上の長きにわたって深い傷を残します。

 私自身が一歩踏み出したことで、このことを今一度考えることができました。読者の皆さんと少しでも共有できると幸いです。(S)

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