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能登半島震災から半年 破綻した原発避難計画 依然ひどいままの避難所(石川県志賀町議会議員・堂下 健一)

 厳冬期からの避難所生活も早いもので梅雨の時期を迎えています。

 私が住む地域は町内で唯一避難指示が出ています。地域に通じる道路が雨などによってがけ崩れでふさがれる危険性があるためです。町は梅雨明けをめどに避難指示解除を検討するとのことです。震災から半年になろうとしていますが、まだ自宅で夜を過ごすことができない生活が続いています。

 そこで私は、とりあえず仮設住宅の申し込みをするようにと呼びかけています。被災当初は カ所の指定避難所・自主避難所が町内各地で開設され、4700余人が避難していましたが、現在は4カ所で150人にまで減ってきています。避難所からの帰宅は上下水道の復旧、あるいは仮設住宅の入居を機会に、という人が多くみられました。ほかにもみなし仮設で町外の貸家、あるいは息子・娘さん宅に居候というような人もいます。

国道249号線は能登半島の大動脈だが現在も数カ所で通行不可だ

 町としては「8月いっぱいで仮設住宅も含めて住居のめどを立てる」という避難所閉鎖方針を出しています。秋以降は公営災害復興住宅のようなタイプの公営住宅の建設に力を入れるとのことです。

 仮設住宅も、従来のプレハブ型から、木造戸建てや長屋タイプで、仮設住宅の期間終了後の2年後には貸賃なり買い取りという方式へ移行するタイプが建設されています。さらになるべく元の住家に近い地域で整備するとのことで、地域社会の崩壊を防ぐとともに孤立を防ぐことにも力点が置かれています。

堂下氏が避難している防災センターの浄化槽も陥没したまま

 6月からは住居や納屋などの公費解体も始まりましたが、多くは被災当時のままの倒壊した家屋、あるいは半壊などの状態が目立ちます。一方で、解体が進み整地された土地を見ると、持ち主でなくても一抹の寂しさを感じます。公費解体が終了するのは来年 月とも言われていますので、被災者にとっての復旧は長い道のりです。高齢者の多い被災地では、整地した元の場所に家を新築し生活を再建させることができるのかという難問が残されています。

 また、役場庁舎内にいた全国の自治体からの応援職員は5月の連休明けをめどに引き揚げましたが、それでもまだ結構多くの職員の皆さんが公費解体の書類手続きやさまざまな相談事の業務にあたっています。町内の道路を全国の応援車両や給水車、あるいは自衛隊風呂で町民の生活が支えられていた時期もありました。6月中には残っていた多くの自治体職員も引き揚げ、今後は長期での自治体職員の応援を受け入れることになっています。

 個人的には、避難所運営の業務を1週間交代ではありましたが、担っていただいた神奈川県(県職員と各自治体職員)や愛知県職員の皆さんとの交流ができました。また今回のつながりを契機に、今後も自治体間交流を発展させていけたらと思っています。

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 さて、今回の能登半島地震で最も大きな反響があったのは「地震と原発」の問題です。

 能登半島と同じような地形に立地する原発だけではなく、都市部に近い原発でも、地震での避難道路の確保は大きな課題でした。原発事故との複合災害となったとき避難ができるのか。今回の地震では「避難は不可能」ということが事実をもって証明されました。

 志賀原発以北の住民は、能登半島の先端部にある自治体に避難することとなっています。しかし、今回の地震で避難道路はいたる所で隆起・陥没あるいは土砂崩れが起こり通行不可能となりました。

 また、避難先の自治体も甚大な地震被害を受けています。地元住民の避難との兼ね合いもあり、仮に避難できていても、現実的には受け入れ対応は厳しかったはずです。

 要避難者や体の不自由な人の町内での避難施設も多数地震の被害を受け、機能不全となっています。建物の柱や天井が損傷し、防護区域で雨漏りや窓に隙間ができた施設もあります。自家発電が起動せず、数日停電の施設。避難施設本体は無事でも付属の浄化槽が陥没し使用不能となった施設、上水道が地震の影響で通水できないといった施設もありました。原発事故の緊急時に仮設トイレ、あるいは給水車といった対応はありえません。しかも半年が過ぎても修復は全く手つかずの施設もあります。

 今回の能登半島地震で、これまでの原発避難計画は「絵にかいた餅」だったことが明らかとなりました。

 米国のショアハム原発は、原発避難計画の実行性が確保できず、原発の稼働がないまま廃炉となっています。「世界一厳しい基準」と豪語し、この事態に及んでも原発再稼働を口にする岸田政権は、地方に住む国民を切り捨てようとしているとしか思えません。

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 毎年のように全国のどこかで自然災害が発生していますが、日本の避難所の状況は「難民キャンプ以下」とも言われており、今回の能登半島地震でも多くの被災者がそれを実感してると思います。しかも場所によっては新型コロナウイルスの感染者も出ていました。隔離する場所も確保できず右往左往したということも耳にしています。

 先ごろ公表された今回の地震についての政府の検証結果報告書を見ると、地震の発生が日没に近かったことに加え、被災地の大半は過疎化が進む地域だったことが被災状況の把握と支援物資の輸送に遅れが生じたことが課題だっと振り返っています。しかし、国や自治体の災害対策においては当然それは想定されているべきことではないのでしょうか。

 地震多発国イタリアの災害対応について最近よく報道されています。日本の政府も見習い、誰もが安心できる避難所の構築に力を入れるべきでしょう。体育館での雑魚寝のような避難はこれで最後にしてほしいものです。

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