20001005


戦後日本の労使関係・労働運動の
歴史的総括のために


(4) 支配層の危機救う連合指導部の対応

 金融グローバル化の大競争時代に入ってわが国独占企業は、国外の独占企業と死活をかけて闘うだけでなく、もう一つの戦線、企業内部の労働者との激しい闘いを余儀なくされている。わが国の独占企業、支配層は長期にわたって重宝にしてきた労働者支配のシステム・日本的労使関係を、彼ら自身の手によって破壊せざるをえなくなっており、圧倒的多数の労働者を敵に回さざるをえなくなっている。
 では、独占企業、支配層は、この局面をどう切り抜けようとしているか。
 日経連は「新たな労使関係の方向と課題」(一九九九年五月)と題する提言を切り抜け策として提起した。
 (1)企業と従業員、労働組合との立場、役割などを従来以上に明確にしつつ日本の良さを生かした労使関係を築く努力を、労使は今後とも続けていく必要があること。
 (2)多様なチャンネルを活用した透明度の高い労使の話し合い、経営環境の変化に迅速かつ柔軟に対応できる労使関係を目指すこと。
 (3)情報、危機意識を共有化し、経営の安定・発展と雇用の確保などに労使は知恵を出し、行動する労使関係を志向すること。
 (4)労使の考え方、行動が国民全体に大きな影響を与えるため、労使は社会の安定帯として国内外から評価されるよう今後とも努力をしていくこと。
 いろいろいっているが、決め手になりそうなものは何もない。実際には圧倒的多数の労働者にかつてない攻撃をかけながら、「あらゆるレベルでの労使の話し合い」なるぎまんの泥沼に労働者をひきずりこみ、不満の爆発、労働者の闘いを押さえ込もうとする策略である。それは、もはや雇用を守ることも、公正な分配を行うこともできず、労働者の犠牲でしか勝ち残れなくなった独占企業が、これまで育成してきた労働組合の日和見主義指導者たちの助けを借りて、もう一度危機を切り抜けようとするものである。独占企業には、もはやそれ以外に手がなくなっている。
 労働運動の前進を願うものにとって、またとないチャンスが来ている。
 このような時、最大のナショナルセンター・連合の指導部をにぎる潮流は、どう対処しようとしているか。
 彼らは、「二十一世紀の労働運動の基本戦略」(九九年十月、第六回大会)として、「あらゆるレベルにおける参加を追求する」ことを提起している。「企業レベルにおける労使協議の深化、産業レベルの労使協議の制度化を通じて、産業民主主義を強化しなければならない。さらに、社会的分配の観点から、国(地方)レベルの政策形成に積極的に参加していく。参加なしに、企業、産業レベルの分配の公平は担保されないし、マクロにおける完全雇用と福祉国家の構築も実現を期しえない」というものである。
 驚くべきことである。日本的労使関係の破壊にのりだしながら「あらゆるレベルでの話し合い」を説く支配層のぎまんを徹底して暴露し、闘いを呼びかけるべき立場にある連合指導部が、あろうことか支配層の切り抜け策にぴったり呼応する方針を「労働運動の基本戦略」として提起しているのである。支配層の「あらゆるレベルでの話し合い」に対して、「あらゆるレベルでの参加」と呼応している!
 「二十一世紀型」の歴史的危機が迫り、わが国独占企業が二つの戦線で死活をかけた闘争を余儀なくされているとき、連合指導部の参加路線は、彼らの窮地を救い、労働者の闘いの発展を妨害する最大の裏切りといわなければならない。
 すでに見てきたように参加路線は、戦後の労働攻勢、労働運動の階級的戦闘的発展をおしとどめ、体制内化、非政治化する上で決定的な役割を果たしてきた。一九五五年以降、生産性向上運動を通じて形成されてきた日本的労使関係、その片棒を担ぐものとして登場してきた「民主的労働運動」「労働組合主義」の潮流が唱えたものが参加路線であった。生産性向上運動の「三原則」と労使協議制を軸とする参加路線下で、高度成長期には労働者はいくらかのおこぼれを手にしたものの、ますます経済重視・協調型に変わり、職場闘争は大きく後退した。
 石油ショックに当面すると、参加路線は個別企業にとどまらず、産業レベル、政治レベルまで拡大し、支配層といっしょに危機を乗り切り、「社会の安定帯」とほめられるようになった。連合の結成によって、参加路線は労働運動全体を支配し、ストライキを忘れ、もの分かりのよい労働運動にいっそう変質した。
 連合指導部の参加路線の提起は、こうした戦後労働運動の中で果たしてきた犯罪的役割をさらに「発展」させ、いわば決定的瞬間に労働者階級を裏切るものである。
 だが、参加路線の無力さと犯罪的役割も暴露が進んだ。連合結成から十年、とりわけ後半五年の間に、連合の参加路線は賃上げでも、雇用でも、制度・政策闘争でも無力さをさらした。
 春闘での賃上げ結果は、九〇年は五・九%、約一万五千円であった。二〇〇〇年春闘では二・一%で過去最低を更新し、大企業でゼロ回答が続出した。二五%もの組合が「未解決、要求見送り」で大企業と中小の賃金格差は拡大している。そうして日経連に呼応して「春闘不要論」を公然と唱える電機連合のような動きが出てきて、賃金闘争すらおぼつかなくなっている。
 連合の参加路線の無力さぶりをさらしたのは、独占企業のやりたい放題のリストラに何一つ闘いをくめなかったことである。日経連との雇用創出協定でお茶をにごした。「九〇年代の困難な時期においても、日本型労使関係があったがゆえに失業を抑制してきた」などというのは、みえすいた自己弁護である。まっとうな人なら、連合指導部の参加路線ゆえに、日本的労使関係を信じ続け、企業側のやりたい放題のリストラ策を許し、米国をしのぐ失業大国となったというにちがいない。
 組織率がこの十年、低下の一途をたどってきたことは、連合の無力さを裏書きするものである。八九年には組織率は二五・九%であったが、九九年には二二・二%、三・七ポイントも減少している。ここには労働者大衆の、連合運動に対する評価が表れていると見るべきである。労働者は闘わない労働組合に何の魅力も、共感も覚えないのである。
 さらに連合指導部は、財界のための政治支配の危機を救う犯罪的役割を果たした。
 連合の結成を前後して、自民党の一党支配は崩壊の危機に瀕(ひん)し、グローバル競争にうち勝つうえで、財界のための新たな政治再編が緊急の課題になっていた。労働運動がストライキで闘えれば、財界の政治支配をうち破る絶好のチャンスであった。だが、参加路線の連合指導部が果たしたのは、それと反対のことであった。
 一つには、財界と気脈を通じ、社会党を解体の危機に追い込んで財界のための政治再編に手を貸した。九二年四月発足した「民間政治臨調」(会長は亀井正夫住友電工相談役、副会長は得本自動車総連会長)に連合指導部のメンバーが加わり、保守二大政党制への再編を望む財界と気脈を通じた。九三年総選挙での自民党の過半数割れを契機にはじまった政治再編に山岸会長自ら小沢一郎と連携し、社会党を解体に追い込む役割を演じた。連合指導部は、企業内での協調にとどまらず、国政レベルでも財界のパートナーとなった。
 もう一つは、連合指導部が「民主党基軸」の政治方針を決定し、労働者の中に財界の別働隊である民主党の支持をあおっていることである。今回の総選挙では、「日本の労働運動の命運を決する闘い」と位置づけて民主党のために働き、「二大政党に向け一歩前進」と評価して、民主党支持をいっそう強めようとしている。大銀行への巨額の公的資金導入、規制緩和推進の態度、党首の改憲発言、「課税最低限の引き下げ」の提起など、民主党は議員の構成から見ても、政策から見ても、決して労働者全体の利害を代弁する党ではない。都市部の労働者上層に基盤を置くブルジョア政党である。自民党が過半数をすでに失い、中間政党との連携でようやく政権を維持し、保守二大政党制を模索しているこんにち、「民主党基軸」の方針は有害で、保守政治の危機を救うものである。
 このように、連合指導部が「二十一世紀の労働運動の基本戦略」として提起している参加路線は、労働者に何もたらさないばかりか、犠牲を強いるものであった。財界の政治支配の危機を救う犯罪的役割を果たし、「社会の安定帯」としてますます比重を高めた。
 金融グローバル化の大競争がますます激しくなる下で、独占企業と支配層はさらに労働者の犠牲で乗り切ろうとしている。こうした状況下での、独占企業、支配層との「話し合い」は、まったくのぎまんにすぎない。連合指導部の参加路線に従うなら、労働者にとっていっそうの苦難の道が待っているだけである。
 闘おうとするものは、いまこそ連合指導部の参加路線と決別し、闘う体制を固めるべきである。
 ここで十分に展開はできないが、共産党の連合追随の態度についても、きびしく批判しておかなければならない。
 周知のように共産党は、連合結成に当たって、「連合はもはや労働組合ではない」と非難し、自治労、教組などで組織を分裂させ、それらを基礎に全労連を結成した。だが、九七年の第二十一回党大会で保守勢力との政権参加をめざす「柔軟路線」に転換して以降、連合との「対話と共同」などといって追随の態度に変わった。この十一月に開催される二十二回大会の決議案では、「連合は、…労働者の要求を一定反映した行動をとりはじめている」と美化し、追随の態度をさらに強めようとしている。
 共産党のこうした態度は、連合の参加路線を「左」から支え、結果として支配層の切り抜け策に呼応する犯罪的なものである。もっとも、「労働者階級の前衛政党」も、「社会主義」もきれいさっぱり捨て去って、名実ともに月並みなブルジョア政党に堕落した党のいきつくところにはちがいない。

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