20001005


戦後日本の労使関係・労働運動の
歴史的総括のために


(三)金融グローバル化の大競争時代へ--日本的労使関係の崩壊

(1) 経営環境の激変-金融グローバル化と大競争

 一九八九年のベルリンの壁崩壊に始まる東欧・ソ連社会主義の敗北と冷戦の崩壊、アジア諸国の経済発展は、世界の政治・経済を大きく変えた。
 社会主義の敗北は、帝国主義者どもをして世界の労働者階級に対するイデオロギー攻勢を強めさせ、政治や労働運動の路線をめぐる闘争を後景に押しやった。市場経済万能論が流行し、わが国でも「社会主義」の言葉が労働組合の文書から姿を消した。情勢分析も、まるでこんにちの社会が階級社会でなくなったかのような説明が堂々とまかり通った。バブル経済とも結びついて、労働者の意識を混迷させた。
 だが、帝国主義者どもが勝ち誇ったのもつかの間だった。冷戦崩壊後に現れた現実は、かつて経験したことのない「金融グローバル化と大競争の時代」であった。この国際環境の激変は、バブル崩壊と重なって、わが国企業に困難をもたらし、経営のあり方に根本的な変更を迫った。
 冷戦が崩壊し、それまで十億人程度の先進国に限られていた市場経済に発展途上国や旧共産圏が参入、四十億人のグローバルな市場経済が現れた。世界全体を一つの市場とする大競争が始まった。今日のグローバル化は、単にモノ、サービスが国境をこえて自由に移動するようになったことを意味するにとどまらない。もっとも核心的な変化は、カネ、資本が国境を越えて自由に移動できるようになったことである。
 八〇年代、米国の金融自由化に始まった流れは、九〇年代の冷戦崩壊を経て先進国のみならず、途上国でも急速に広がり、資本の自由化がかなりの程度実施された。その結果、わずかな金利差や為替変動の期待を求めて投機マネーが国境を越えて飛び交うようになった。加えて、情報通信技術の急速な発展がデリバティブのような金融工学を駆使した金融派生商品を生み、トレーダーたちが端末をたたけば多額の資金を瞬時に動かせるようになった。
 財やサービスで動く数十倍もの巨大な投機資金(一日、一・五兆ドルといわれている)が、一握りの国際金融資本の手に握られ、血に飢えたように世界中に利を求めては弱いところに食らいつき、生き血をすすって肥大化した。発展途上国は、一番のカモにされた。
 だが、資金を必要とする発展途上国にとって、資金が簡単に手に入ることはありがたい。こうして九六年ころまでは「グローバル化は世界に繁栄をもたらすもの」と楽観的に評価され、「市場原理主義」の風潮が世界中をおおっていた。エマージング・マーケット(新興市場)といわれるところには、膨大な投機資金が殺到した。たとえば、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、韓国の五カ国には、九四年から九六年のわずか三年間で二千二百億ドルの民間資本が投じられた。「アジアの興隆」は、こうした資金が大きな役割をになったのである。
 だが、資本の論理は非情にして冷酷である。利があるところにはわれ先に殺到し、危ないとみるや引き上げる。九七年タイの通貨危機に始まるアジア金融危機で、アジア五カ国からは、千百億ドルもの民間資本が引き上げ、これらの国々の経済と生活水準はいっきょにどん底に陥った。
 九七年のアジア通貨危機から始まった金融危機は、九八年ロシアを経て、ブラジルなど途上国全体に連鎖的に波及、最後にはヘッジファンドのロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の破たんとなって国際金融資本の本拠地、米国を襲った。
 この一連の世界的に波及した金融危機は、大量の短期資本を握るヘッジファンド、背後にいる国際金融資本がいかに世界中で荒稼ぎしていたかを暴露すると同時に、このグローバル資本主義が構造的に不安定であることを露呈し、世界がこれ以上の危機に耐えられないことを示した。クリントン米大統領は、「この五十年間でもっとも深刻な金融危機」とあわてた。
 九八年秋に世界的金融恐慌寸前を経験した後、先進国政府間で荒れ狂う短期資金の動きをコントロールする必要さは確認されたものの、実効ある具体策は見出されていない。したがって、目前の危機は去り、何ごともなかったかのように過ぎているが、嵐が再び来ないという保証はないのである。また今度危機が起きた時には、先進国を巻き込まないという保証はどこにもない。米国の株の暴落というリスクも抱えている。
 日本の独占企業家たちが直面している金融グローバル化の大競争時代というのは、このようにかつて経験したことのない世界である。
 血に飢えた国際金融資本が虎視眈々(こしたんたん)と獲物をねらってうごめいている中で、世界的巨大企業、金融資本同士が激しく争い、合併、買収、提携が日常的に起こっている。ここ数カ年の間に起きている米国、欧州、日本の巨大企業同士の合併、買収、連携による大再編は、百年に一度の現象だといわれている。そして、いわゆるIT(情報技術)革命が、競争にいちだんと拍車をかけている。
 市場がすべてを決定する時代、個々の企業家にとっては投機家の圧力に始終さらされ、「勝ち組」と「負け組」の二極に仕分けされる時代に舞台が移ったのである。グローバル市場の信頼を失った企業は、一国政府がいかに支えようとしてももはや支えきれず、退場を迫られる。企業は投機家がどう見ているか、かれらの猛威におびえながら世界の企業家たちと競争しなければならなくなった。
 かつて世界から賞賛された「日本的経営」が、まったく通用しなくなったのである。これまでのように「良いものを安く」作って売上高とシェアを拡大するやり方だけでは、グローバル市場で勝ち残れなくなった。単に生産コスト競争力が強いだけではだめで、効率的に収益をあげ、株主の利益が保証されるかどうか、わずかな差益をも見逃さない投資家に魅力があるかどうかこそが決定的となった。

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