20000925


戦後日本の労使関係・労働運動の
歴史的総括のために


(5)プラザ合意 連合の登場

 一九八五年九月のプラザ合意は、日本的労使関係にとって今ひとつの転換点となった。
 わが国独占企業の土砂降り的対米輸出は、米国の対日貿易赤字を急増させ、自動車や半導体、工作機械などハイテク製品をめぐる日米貿易摩擦が政治問題となった。わが国の貿易黒字は急増し、八五年には世界最大の債権国となった。他方、同年、最大の債務国に転落した米国は、九月のG5でプラザ合意をとりつけ、ドル高是正に転じた。以降、急速な円高ドル安が進み、わが国輸出産業がダメージを受けるとともに、日本企業の海外進出が高まった。
 わが国政府も八六年、前川レポートで輸出主導型から内需主導型への日本の経済構造転換の姿勢を示さざるを得なかった。
 こうした経営環境の変化は、わが国独占企業の経営戦略に転換を迫った。特徴は、国内生産体制と海外現地生産体制とを一体化して強化するグローバル戦略を推し進める点にあった。電機、自動車などの各企業は、海外への事業展開を本格的にすすめ、アジアは強力な部品供給基地となり、米欧には貿易摩擦対策として戦略的進出が進んだ。製造業の海外直接投資は、八五年度の二十三・五億ドルから八九年度の百六十二・八億ドルへと急増した。製造業全体の海外生産比率は、八〇年代半ばの三〜四%が九〇年代には六%台にまで上昇した。とくに自動車、電機は二〇%を超えた。その結果、国内の産業「空洞化」が問題になった。
 他方で、本業部門の徹底的なスリム化、ME・情報技術の導入による高付加価値化がすすめられた。鉄鋼や造船などでは経営の多角化・複合化によるハイテク、情報通信部門、サービス部門など成長部門への進出でリストラが大規模にすすめられた。鉄鋼では高炉の休廃止と人員合理化が計画され、大手五社合計の人員削減予定数は四万四千三百人と総従業員数の二五%に当たる規模となった。造船も日立造船の因島撤退が示すように設備、人員が削減された。主要造船所の従業員数は、八五年から八八年の間に、社内工が三万四千人から一万六千人に、社外工が一万八千人から一万二千人に削減された。
 そして、新規事業分野への進出とも関連して経済のサービス化、ソフト化が進んだ。情報処理業、人材派遣業、警備保障業、レンタル業、通信販売、レジャー産業などのサービス産業が大きく伸びた。製造業でも、ブルーカラーが減少し、ホワイトカラーの比率が高まった。
 経営戦略の急速な転換を行う場合、新規採用では間に合わず、配転、出向、中途採用に多く依存するようになった。八九年六月に発表された調査では、上場企業の八四%が他社への出向・転籍を実施、移動元の出向者等比率は六・五%、受け入れ先での受け入れ社員は総従業員の二二%にものぼった。
 また、パート、派遣労働者など低賃金で不安定な労働者が増えた。八八年労基法改悪など労働法制が改悪され、フレックスタイム制、変形労働時間制、裁量労働制が導入された。賃金政策でも、職能・業績をベースにした職能給、年俸制、契約制という新たな方式がとり入れられた。
 この時点で、日本的経営の終身雇用、年功賃金はすでに改編され始めていた。
 プラザ合意による経営環境の変化は、独占企業の雇用・人事戦略の見直しを迫り、部分的には着手されたが、円高不況が短期に終わり、八七年半ばからバブル景気となって、全面的な具体化は先延ばしとなった。
 こうした情勢を背景に、労働運動は全民労協を経て八七年十一月、民間連合が結成され、八九年十一月には官民を含めた連合が正式に発足した。友好組織を含め七十八組織、約八百万人、組織労働者の約六割強を結集するナショナルセンターができた。初代会長には山岸章、会長代行に藁科満治、事務局長には山田精吾が選出された。
 前に述べたように、労働戦線統一を主導したのはJCグループを中心とする「労働組合主義」の潮流であった。八一年五月に発表された「民間先行による労働戦線統一の基本構想」によれば、労戦統一の目的は政策制度課題、国際化時代への対応、労働組合のもつ社会的、政治的力量の結集であった。
 「基本構想」は、統一の必要性と目的の第一番目に政策制度課題をあげ、「労働組合が労働者の生活全般の向上を実現するには、企業内だけの運動では不十分であり、政府に対する物価対策、不公平税制の是正、雇用の安定などの政策制度闘争が展開されなければならない。しかし、これら政治にかかわるとりくみについては労働側が分裂状態のままでは力を発揮することは不可能である。とくに今日のような国会勢力の状況のもとでは、なおさら労働側の力の結集が急がれなくてはならない」と述べていた。「基本構想」は総評の中で激しい議論を呼び起こしたが、もはや流れを変えることはできなかった。
 労戦統一を主導した「労働組合主義」潮流は、日本的労使関係の片棒を担ぎ、第一次石油ショックの試練に当たっては、独占企業を助け、「社会の安定帯」となった。採択された「連合の進路」には、「世界を襲った二度にわたる石油危機と急激な円高にも、わが国の経済は、労働組合の適切な対応と質量ともに優れた労働力の存在などがあって、その困難を乗り越え、諸外国に比べて順調に推移してきた」と書きこまれている。
 民間連合が結成された時に日経連の鈴木永二会長が述べた談話には、支配層の連合への期待が率直に述べられていた。「いうまでもなくわが国の労使関係は、企業別の労使関係にその基礎をおいており、その事実には今後とも変化はあり得ないと思われる。しかし、急激な国際化の進展や産業構造の変化等により、労使が直面する課題の中には、企業レベルでは解決しにくい問題が増えてくることにも注目しなければならない。…とりわけ、最近の円高によりわが国の賃金は、先進諸国の中で最高レベルになったが、他方、勤労者の実質的な生活がその水準に及んでいないことは労使双方にとって大きな問題である。当面は、その原因をなす土地問題、農産物の価格、あるいは税制等に労使が共通の認識をもって対処することが急務であろう。さらには中長期的には、産業構造の変化に伴う雇用の問題、来るべき高齢化社会に臨んでの社会保障のあり方等が課題になると思われる」。「国際化」への共同した対処である。
 八八年の日経連労問研報告では、土地問題、農業問題、税制改革などを取り上げ、労使が共同して世論形成し、対政府への働きかけを強めようと呼びかけた。それは、農畜産物の輸入自由化、増税、大店舗法の規制緩和など、国際化時代にあっての多国籍企業の利害を代弁するものであり、労働運動の上層を引きつけようとする階級政策であった。連合指導部はこれにこたえた。
 連合のこうした「ゆとり、豊かさ、社会的公平」の要求は、前川レポートの流れに沿ったもので、宮沢内閣の「生活大国五カ年計画」に反映された。

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