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労働新聞 2019年10月25日号・11月5日号・4面 労働運動

連合16回大会を傍聴して

30年間の真剣な
総括なしに、連合運動の
再構築はあり得ない


 山田 春樹

はじめに
 連合は来る十一月二十一日、結成三十周年を迎える。十月十〜十一日、その節目となる第十六回大会が開かれた。大会は、二〇三五年を展望した「中長期の『羅針盤』」として新たな連合ビジョン「働くことを軸とする安心社会―まもる、つなぐ、創り出す―」を採択した。併せて、その最初の運動展開の指針となる「二〇二〇〜二一年度運動方針」も決議した。「私たちが未来を変える〜安心社会に向けて〜」と副題がつけられているが、運動の再構築に向け、「重点分野」「推進分野」「運動分野を支える基盤強化」を明確にして改革の第一歩を踏み出そうというものである。三点に絞った「重点分野」の一番目に、「集団的労使関係の追求と、社会に広がりのある運動の推進」が掲げられた。
 連合労働運動を取り巻く内外の情勢は、まさに歴史的転換期ともいうべき激動のただなかにある。
 「百年に一度」と言われたリーマン・ショックから十年余、各国中央銀行の超金融緩和と借金で生きながらえてきた世界経済は、いつ金融危機が起こっても不思議ではなく、実体経済も世界同時不況の危機が迫っている。衰退する米帝国主義は、台頭する中国に対して「新冷戦戦略」を宣戦布告しただけでなく、「米国第一」で欧州、日本にも貿易戦争を仕掛けている。米中対立が激化し、わが国の生き方が問われるなか、安倍政権は「日米同盟強化」路線を掲げ、「自由で開かれたインド太平洋」戦略で中国に対抗しようとしている。
 第四次産業革命といわれる技術革新も進む中、多国籍企業を中心に世界的競争に勝ち残るために、今一度労働者への一大攻撃をかけようとしている。
 こうした中で開かれた結成三十年の節目の大会は、わが国労働者階級の未来を切り開けるのか。
 筆者は結成大会も傍聴したが、当時の熱気に比して盛り上がりも危機感もなく、淡々とした大会運営は、三十年経っての連合運動の現状を象徴しているかに感じた。マスコミは、「『政界再編の起爆剤』をめざして発足した連合は、非自民による政権交代を二度にわたって支えたが、いまや野党分裂で存在感なし」と手厳しく報じた。今期で退任するある産別のOBは、一言「魂が感じられない」と感想を述べた。大会は、連合労働運動の危機的状況を映したものと言わざるを得ない。
 だが、わが国の労働者七百万人余を組織するナショナルセンター・連合労働運動のありようは、労働者階級の生活と権利だけでなく、わが国の進路も左右する。連合内部にも現状打開を望む先進的活動家は少なからずいる。この傍聴記では、そうした活動家の皆さんの参考になればと期待して、思うところを率直に述べてみたい。

1 30年間の結果は危機的状況 連合路線の破綻と見るべき

「連合結成三十周年の決意〜私たちが未来を変える〜」と銘打った連合ビジョンで提起された社会像は、まったく新しいものではない。これまでも〇一年に「連合二十一世紀ビジョン」として「労働を中心とした福祉型社会」が、リーマン・ショック後の一〇年には、それを継承・発展させたものとして「働くことを軸とする安心社会」が提起された。
 今回の新ビジョンは、「働くことを軸とする安心社会」の価値観を「継承、深化」させたものである。
 それは、「働くことに最も重要な価値を置き、誰もが公正な労働条件のもと、多様な働き方を通じて社会に参加でき、社会的・経済的に自立することを軸とし、それを相互に支え合い、自己実現に挑戦できるセーフティネットが組み込まれている活力あふれる参加型社会である。加えて、『持続可能性』と『包摂』を基底に置き、年齢や性、国籍の違い、障がいの有無などにかかわらず、互いに認め支え合い、誰一人取り残されることのない社会である」。そうした社会の実現に向けた運動として「まもる・つなぐ・創り出す」と提起されている。
 誠に結構な社会像ではある。だが、それは実現する見込みがあるのか。すでに十年前、二十年前に同じような社会像を提起したわけだから、どこまできたのか、検証されてしかるべきであろう。

(1)いわゆる非正規労働者の激増で雇用も賃金も悪化
 第一に検証すべきは、もっとも切実だった雇用の安定や賃上げがどうなったのかである。どうひいき目に見ても、決して成果をあげているとは言えない。安倍政権はアベノミクスの成果として、雇用者数の増加、有効求人倍率の高さ、賃上げなどをあげるが、きわめて一面的なペテンである。
 三十年間のスパンで見れば、増えたのは不安定ないわゆる非正規労働者である。連合結成時は八百八十一万人、全雇用労働者に占める割合は二割程度であったのが、一八年には二千百二十万人と千二百三十九万人増加、四割近くを占めるようになった。一方、いわゆる正規労働者は一九九七年三千八百万人を超えていたが、二〇〇〇年代初めのリストラで約四百万人が減り、その後も一進一退で推移している。
 賃上げについても、一九九五年以降、一〜二%台に低迷、それとて限られた主要大企業の労働者であって、全労働者の実質賃金は、九七年をピークにマイナスが続いている。その異常ぶりは、国際比較すると一目瞭然だ。経済協力開発機構(OECD)が残業代を含めた民間労働者の総収入について、働き手一人の一時間あたりの金額を調査した。それによれば、九七年と二〇一七年の二十年間に主要国では日本が唯一九%も下落した。英国は八七%、米国は七六%、フランスは六六%、ドイツは五五%も増えた。韓国では二・五倍であった。
 この期間に賃金格差も大きく拡大し、中間層が地盤沈下したことは指摘するだけにとどめておこう。
 こうした労働者の労働条件、生存条件の悪化については、さすがに連合ビジョンも触れざるを得ない。「首都圏、中部圏、関西圏の二十代から四十代の非正規労働者の三人に一人が世帯の主稼得者でありながら、男性の三七・五%、女性の四八・九%が年収二百万円未満のいわゆる『ワーキングプア』に陥っている。また、生活保護世帯数は二〇〇〇年代に入ってから増加し続けており、高齢者世帯の増加や単独世帯の増加なども相まって、世帯ごとの所得格差も過去最大を記録した」
 さらに国際比較で見ても、所得格差はOECD加盟三十四カ国中九番目に大きく、相対的貧困率はワースト六位、一人親家庭の貧困率はワースト一位にある。
 要するに、連合結成から三十年、最初の「労働を中心とする福祉型社会」が提起されてからでも二十年、労働者の雇用と賃金に成果は見られない。雇用の流動化と不安定化が急速に進む中、中間所得層の地盤沈下が進み、貧困の固定化と格差が拡大、労働者全体の生存条件は、いちだんと悪化している。

(2)2度の非自民の政権交代を支えるも、いまや支持政党も明記できず
 第二に検証すべきは、連合結成時に採択した「連合の進路」、その後提起された二つの連合ビジョンに沿って、「政界再編の起爆剤」としての役割を果たし、「二大政党制的体制」を確立し、社会像の実現に向け前進したか、である。
 この方面で言えば、初代会長の山岸氏が一九九三年、非自民八党派による細川政権樹立に奔走し、積極的な役割を果たした。九八年には「民主党基軸」の方針を打ち出し、二〇〇九年には民主党政権への政権交代を実現する上で原動力の役割を果たした。だが、その民主党政権はわずか三年三カ月で瓦解した。一七年衆院選挙では、民主党の後継の民進党が分裂、いまや野党勢力の再結集は見通せず、運動方針にもどの政党を支持するか明記できない状況にまでに陥っている。
 さらにいえば、民主党政権は一〇年に採択した「働くことを軸とする安心社会」実現に向けて大きく歩を踏み出すチャンスだったはずだが、見るべき成果はない。
 連合結成から三十年、「政権を担いうる新しい政治勢力の結集に努力し、究極的には二大政党的体制の確立を目指す」という政治方針は、破綻したと言わざるを得ない。
 以上、二つの方面から検証したが、われわれは今日、〇三年に連合評価委員会が指摘した「量・質の両面において危機的状況」にある連合労働運動の現実を、もう一度突き付けられているのである。
 組合員の減少は、その集中的なあらわれである。連合結成時、八百万人の組合員を組織していたが約百万人も減少し、二六%あった組織率も、一七%へと二割を切った。組合への求心力が急速に低下している。
 それにとどまらず、「質的危機にもさらされている」点も、克服できていない。「冷戦の終わりとイデオロギーの終焉(?=筆者)により、労働運動は理論的枠組みを喪失……働くものとしての意識が希薄化した」とか、「役員と職場組合員との絆が細くなっている」などと指摘され、「このままでは労働運動の社会的存在意義がなくなってしまう」と警告されていたが、その現実が迫っていると言わざるを得ない。
 これが、「労働を中心とする福祉社会」を皮切りにめざす社会像の実現に向けて努力し行き着いたところ、総決算の深刻な姿である。だとするなら、もはやこれまでの運動路線の延長線上で打開することは不可能と言わざるを得ない。これまでの路線の「継承と深化」、手直し程度では危機的状況を打開できず、路線の根本的見直しが求められているというべきであろう。

2 先進的活動家が引き出すべき教訓と、打開の方向

 筆者は、連合がこんにち危機的状況に陥っているからといって、この間、連合指導部が何の努力もしなかったと言おうとしているわけではない。必要な人的物的資源を投入し、運動方針に沿ってめざす社会像を実現するために奮闘したことは、誰しも知っての通りである。
 だが、連合ビジョンのどこを読んでみても、そのためにどんな具体的な努力をしたか、またその総括については痕跡すら見つけることができない。したがって、なぜ、「働くことを軸とする安心社会」の価値観を継承する必要があるのか、理念を深化させ、運動、政策を強化していく必要があるのか、説得力に欠けるのである。これまでの経験を、掲げた路線に照らして検証し、総括する中から導き出したとはとても思えない。
 したがって、この危機的な現状を打開しようとすれば、われわれ自身が三十年間の連合労働運動の経験から教訓を引き出し、打開の方向を見出す以外ないのである。
 重要と思われる三点に絞って述べる。

(1)「生産性三原則」による労資協調路線から脱し、団結した力で要求実現する道へ転換
 第一に、先進的活動家が引き出すべき教訓は、「生産性三原則」による労資協調路線からの脱却である。
 連合労働運動のもっとも基本的な路線が、「生産性三原則」に基づく日本的労使関係を基礎にした労資協調路線、参加路線であることは、労働運動史を勉強したものにとっては常識である。ところが連合結成後の三十年間というのは、冷戦が崩壊、世界がグローバリゼーションの大競争時代に突入、わが国多国籍大企業が世界的競争に勝ち残るために、「市場原理主義的改革」に打って出て、「生産性三原則」による日本的労使関係を破棄し、労働者に一大攻撃を仕掛ける時期であった。一九九五年の日経連の「新時代の日本的経営」は、その指針となり、非正規労働者の解禁、成果主義賃金の導入など、終身雇用、年功賃金が破棄された。
 「三つの過剰」を清算するとして多くの多国籍企業が数千人単位のリストラ、人員削減を断行、「高コスト構造の是正」と称して規制緩和が進められ、それらの結果、二〇〇二年には失業者は一挙に三百五十九万人、失業率五・四%を記録した。他方で、いわゆる非正規労働者が激増、〇三年には千五百万人を超え、一六年には二千万人を超えて、増え続けているのである。賃金が、この二十年間に主要国の中で唯一、マイナスになったことはすでに述べた。
 「生産性三原則」が多国籍企業を含む経営者によって、一方的に破棄され、「生産性三原則」を頼りにする参加路線で立ち向かった連合運動が完全に敗北したことは明らかである。
 「労働を中心とする福祉型社会」でも、「働くことを軸とする安心社会」でも、「生産性三原則」に基づく参加路線が重視され、「あらゆるレベルでの参加を追求する」とされ、「安心社会」を支える基盤として「健全な労使関係」が位置づけられ、運動の基調となっていた。
 今回のビジョンでも、なお、破綻した「生産性三原則」運動を前進させようと「新たな時代にふさわしい生産性運動で社会課題を解決する」と提起している。度し難い労資協調主義には、怒りを通り越してあきれるばかりである。
 さらに注意を喚起しておきたいのは、二〇〜二一年運動方針の「重点分野」のイの一番として「集団的労使関係の追求と、社会に広がりのある運動の推進」が挙げられていることである。この労使関係の追求が労資協調路線で推し進められるわけで、これでは「運動の再構築」どころではない。
 こうした「生産性三原則」に基づく「健全な労使関係」に縛られてきたがゆえに、理不尽な首切りに対しても、賃金切り下げにしても、断固たる闘い、ストライキで抵抗し、打ち破る道をとらなくなった。日本の労働争議件数は、国際比較でも異常に少なく、一九九一年に年間千件を割り込み、二〇〇九年からついに二ケタ台にまで落ちている。
 もはや連合労働運動は、歌を忘れたカナリヤのように、ストライキを忘れ、物わかりの良い「労資協調路線の中にどっぷりとつかっている」(連合評価委員会最終報告)のである。こうした連合労働運動では、どうして怒りを持つ職場の組合員や未組織の労働者を引き付けることができよう。
今後、グローバル化だけでなく、第四次産業革命と言われる異次元の技術革新が加速されれば、最悪のシナリオでは七百三十五万人が雇用喪失するとの試算も出ている。
 連合結成三十年の経験は、「生産性三原則」に基づく参加路線は完全に破綻しており、もはやこの路線を続ける限り連合労働運動の危機的状況から脱却することはできないことを教えている。
 連合労働運動を真に再構築しようとするなら、破綻した労資協調路線から脱却し、労働者の団結した力に頼って要求を実現する道、闘う労働運動へと転換しなければならない。

(2)「日米同盟強化」路線に対抗軸として独立・自主、アジアの共生・平和の道を
 第二に、先進的活動家が引き出すべき教訓は、歴代自民党政権が推し進め、安倍政権で強力に進めている「日米同盟強化」路線と正面から争える明確な対抗軸を打ち立てることである。
連合の政治方針は「政権交代可能な二大政党制」であったが、それは自民党の単独支配が限界になり、冷戦崩壊後のグローバル化時代に安定した政治システムとして二大政党制を企んでいたわが国多国籍企業を中心とする支配層の策略に呼応するものであった。
 それゆえ連合は、政権交代しても、外交・安全保障政策では変更がない、自民党政権が推し進めてきた「日米安保条約を評価し、維持する」という態度をとったのである。
 だが、〇九年に連合が原動力になって成立した鳩山民主党政権は、「対等な日米同盟関係」「東アジア共同体」を打ち出し、沖縄の普天間基地の「国外、県外」移設を主張した。これが米国の逆鱗に触れ、鳩山政権は崩壊した。
 民主党政権瓦解後、安倍政権は「日米同盟の復活」を掲げて政治的主導権を握り、民主党に決定的な政治的ダメージを与え、「安倍一強」体制を強めてきた。
 昨年来、米中対立が激化、長期化するなか、国の進路が深刻に問われている。安倍政権は米国の対中「新冷戦戦略」の要役を担い、「日米同盟強化」路線を強力に推進している。この道は、台頭する中国を敵視し、衰退する帝国と運命を共にする時代錯誤の亡国の道に他ならない。財界の一部にさえ、批判の声があがっているにもかかわらず、「安倍一強」を許しているのは、野党と連合労働運動が「日米同盟強化」路線に追随し、それに代わる新たな進路を打ち出して正面から争おうとしていないからである。
 連合のこれまでのめざす社会像も、新たな「働くことを軸とする安心社会」の深化版も、安倍政権の「日米同盟強化」路線への対抗軸をおよそ意識せず、その枠内で福祉社会ができるかのような幻想に満ちたものであった。
 神津会長は、「私たちは真ん中の真っすぐの道を一歩一歩進んできました。幅は広いが、極端な左右には道を外すことなく、ぶれずに真っすぐ歩んできました」と言い、「混迷する日本においてこのことの持つ意義は限りなく大きいものがあります」と誇ったが、何がわが国政治の戦略課題か、分かっていないと言わねばならない。それでは、民主党政権三年三カ月の経験を総括することもできず、混迷する日本に輪をかけることにならないか。
 もはや破綻した「二大政党制」から脱却するには、「日米同盟強化」路線と争える独立・自主、アジアの共生・平和の旗を高々と掲げ、広範な国民各層の力を結集しなければならない。

(3)限界をさらす「健全な議会制民主主義」に縛られず、院外の国民運動の構築を
 第三に、先進的活動家が引き出すべき教訓は、「健全な議会制民主主義」に縛られず、議会内の活動と結びついた国民運動の構築に全力を挙げるべきだということである。
 小選挙区制度下の選挙では、もはや民意を正しく反映できず、「健全な議会制民主主義」は、機能不全、限界をさらしている。運動方針でも、「国民の声を受け止めきれない政治が、国民の政治へのあきらめと無関心につながり、その結果として投票率は低迷し、国民と政治の距離がさらに広がるという悪循環に陥っている」と指摘せざるを得ない。
 この状況を突破して政治闘争を発展させるには、「健全な議会制民主主義」に縛られず、院外の国民運動を構築し、その力に頼ること以外ない。沖縄県民の闘いぶりが、良い手本である。沖縄県民は、戦後の長い紆余曲折の闘いを経て、こんにち、保革を超えた「オール沖縄」の体制をつくり、県知事を握り、時に十万人を超す県民集会や県民投票に訴えて、安倍政権との闘争を発展させている。こうした強力な国民運動こそが、政治を変えるもっとも大きな力である。
 本来労働運動の最大の武器は、団結の力であり、ストライキである。断固たる闘争で要求を勝ち取り、実力で民主主義を実現する道を復権させなければならない。それを基礎に、強力な国民運動を構築し、政治を変える道に踏み出さねばならない。

3 労働運動は、歴史的役割を果たすべき時期に当面している

 神津会長は、開会あいさつのなかで、連合結成三十周年を「世界の大きな歴史の中で考えたい」と述べ、十八世紀後半に世界に登場した労働組合の歴史を振り返り、「労働組合こそが世界を救うのです」と珍しくスケールの大きい話をした。
 せっかくなので、感想を述べ、併せてわれわれの見地も紹介しておきたい。
 神津氏は「二つの世界大戦」にも触れ、「ここ最近、軍縮が後退し続けているなかで、人類の滅亡の危険性は徐々に高まっている」と、こんにちの世界情勢の一端にも触れた。
 だが、その展開された中身は、改めてこれが労資協調型指導者の世界観かと思わされるような卑俗なものであった。
 氏の、労働組合が果たす役割についての説明がふるっている。今年六月の国際労働機関(ILO)総会で採択された「創立百周年記念宣言」、その前文に謳われた「政労使三者による継続的かつ協調的な活動が、社会正義、民主主義、普遍的かつ恒久的な平和への推進に不可欠」という精神を天まで持ち上げ、「多国間主義」が広がれば世界が平和になると言う。そして、その多国間主義を旨とする国際連合をはじめとする国際機関を支えていけるのは、「国際労働組合総連合(ITUC)に集う私たち自身ではないでしょうか」と。要するに、ILOや国際連合などの国際機関を支えることこそが世界に平和をもたらす労働組合の役割だと言い、それをもって「労働組合こそが世界を救う」とアピールしたのである!?
 これは、労働組合、労働運動が果たしてきた、輝かしい歴史的役割を根本から否定し、国際機関の支え手にわい小化して、帝国主義ブルジョアジー共が許容する無害なものにまで低めようとするものにほかならない。激動期に当面している労働運動が歴史的任務を果たすのを妨げ、別の道にそらすものではあるまいか。
 われわれは、神津氏が触れようとしなかった歴史的事実、労働組合、労働運動が第一次世界大戦の前と後に果たした誇るべき歴史的役割について、見てみることにしよう。
 一九一二年十一月の第二インターナショナルのバーゼル宣言は、第一次世界大戦を前に、労働運動が果たすべき任務について世界の労働者に向かって発した有名な宣言である。少し長いが紹介する。第二インターナショナルには、社会主義政党だけでなく、労働組合も加わっていた。
 宣言は、それ以前から「戦争が勃発する恐れがあるので、…もっとも有効と思われる手段を利用することによって戦争の勃発を防止することに、全力を尽くすべき義務がある」と言ってきたことを確認した上で、次のように述べている。
 「大会は万国の労働者に向かって、資本主義的帝国主義にプロレタリアートの国際的連帯の力を対置することを要求する。大会はすべての国家の支配階級に向かって、資本主義的生産様式がもたらした大衆の貧困を戦争行為によってさらにひどくすることがないように警告し、おごそかに平和を要求する。諸国政府は、ヨーロッパの現状と労働者階級の気分にかんがみれば、自分自身にとっての危険なしに戦争を引き起こすことはできないことを、忘れないがいい」
 その具体的事例として、一八七一年の独仏戦争がパリの労働者を立ち上がらせ、コミューンの革命的爆発をもたらした事実、一九〇四年の日露戦争がロシア帝国の労働者階級と諸民族の革命的力を始動させた事実、そして当時の陸海軍備拡張がヨーロッパ各地で労働者の大規模なストライキを引き起こした事実をあげ、労働者階級の任務と力を想起させている。
 「もし諸国政府が、世界戦争という凶行を思いつくだけでも労働者階級の憤激と反逆を呼び起こさずにはおかないことを理解しなかったら、それは狂気の沙汰であろう。プロレタリアは、資本家の利潤や王朝の野望のために、また外交的秘密条約のために互いに撃ち合うようなことを、犯罪だと思っている。もし支配権力者が正常な発展の可能性を断ち切り、そのことによってプロレタリアートを絶望的な行為に駆り立てるに至ったなら、彼らの招いた危機の結果に対して彼ら自身が全責任を負うべきであろう」と。
 そして「プロレタリアートは、現時においては人類の全未来の担い手であることを自認する」と公然と表明したのである。
 われわれは、第一次世界大戦が二年後に迫っているとき、労働組合、労働運動が戦争の階級的性格を暴露し、その元凶に対して労働者階級の国際的連帯の力を対置して戦争を阻止するため闘うことを呼びかけ、闘った事実を、宣言から読み取ることができる。これこそ労働運動が果たした誇るべき歴史的役割ではないだろうか。
 さらに、世界大戦が勃発してから労働運動がどのような役割を果たしたかを確かめておかねばならない。なぜなら第一次世界大戦に突入した時、ドイツをはじめ多くの第二インターナショナルの労組指導者、政党は、バーゼル宣言を完全に裏切って、「祖国擁護」だの「世界民主主義」などと偽り、各国支配階級の利益のための戦争に賛成し、各国の労働者同士を殺し合わせる犯罪的役割を演じたからである。こうして第二インターナショナルは崩壊した。にもかかわらず、少数ながらもそれらの日和見主義者、裏切り者とはきっぱりと手を切って、敢然とバーゼル宣言を実行し、戦争の危機を利用し、政権を奪取して社会主義を実現、新しい世界史の扉を開いた労働運動があった。レーニンを指導者とするボリシェビキに率いられたロシアの労働運動である。彼らが掲げたスローガンは、「平和とパンと土地」であった!
 これこそが労働組合が誕生して二百五十年の歴史のなかで、労働運動がもっとも先進的な役割を果たした特筆すべき歴史的快挙であり、誇りをもって学び、継承すべき経験というべきであろう。
 その後、第二次世界大戦後にもいくつかの国の労働運動は戦後の危機を利用して社会主義を実現したが、二十世紀が終わろうとする時期、労働運動のこの潮流は挫折を余儀なくされた。
 だからと言って、誰に、労働運動が果たしてきた世界史的役割を歴史から抹殺する権利があろう。
 率直に言って、こうした歴史的事実に全く触れずして、「労働組合こそ世界を救う」などと大言を吐くのは、欺瞞ではあるまいか。
 さて、当面している世界情勢をどう見るか、時代認識の問題である。
 連合結成時と重なったソ連、東欧における社会主義の敗北は、決して「資本主義の勝利」を意味しなかった。その後三十年間の経過を振り返ってみれば明らかなように、二〇〇八年の「百年に一度の危機」と言われたリーマン・ショック、世界金融危機を経て、こんにち、世界資本主義はいよいよ末期症状をさらすに至っている。
 世界金融危機はいつ起こっても不思議でなく、世界同時不況も迫っている。第四次産業革命と言われる異次元の技術革新は、世界的競争を激化させ、危機を加速している。そうしたなかで貧富の格差は、歴史上かつてない水準にまで拡大、そのうえにさらに重圧がかかろうとしている。耐え難くなった民族、人民は、打開を求めてさまざまに行動に移らざるを得ない。加えて世界的に頻発する自然災害は、もはや資本主義の生産様式が地球環境を持続不可能な危険水域まで達したことを示している。「新冷戦」と言われる米中対立をはじめ、大国間関係は一九三〇年代を想起させる分裂に陥り、「多国間主義」は風前の灯火、戦乱の歴史的激動期に突入している。
 現在、労働運動の力量がどれほど低下していようとも、また敵側との力関係にどれほどの落差があろうとも、現状を打開する力は、全世界の労働者階級の団結した力以外にはない。
 「労働組合こそ世界を救う」という言葉を空文句にしないためには、第二インターナショナルの日和見主義指導者がたどった道ではなく、かつてロシアの労働運動が新たな世界を切り開いた道を、その挫折した経験から教訓を引き出して再構築し、確固として前進しなければならない。
 連合労働運動の現状を打開しようとする先進的活動家には、そのような時代認識と歴史的役割を担う気概が求められているのではないだろうか。


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