ホーム労働新聞最新号党の主張(社説など)/党の姿サイトマップ

労働新聞 2019年8月25日号・4面 労働運動

「職場を守る」
職場守る不屈の闘いに学ぶ


 JAM大阪グンゼSOZ労組 
水口委員長(1)

 バブル崩壊後の三十余年の間、多国籍化した大企業、銀行を優遇する数々の歴代政権の政策の下で、不況が深まるたびに大手は海外移転、不採算部門閉鎖、中小下請けへの単価切り下げでシワ寄せ、モノづくりの基盤は壊滅的な打撃を受け、多くの労働者が職場を追われた。実質賃金は下がり続け、内需不振に拍車をかけてきた。
 こうした資本側の合理化攻撃に対して、財務分析を徹底し、創意工夫ある闘いでこれを跳ね返し、職場、労働者を守ってきた労働組合がある。大阪府茨木市にある「グンゼメカトロ事業部」の労働組合「JAMグンゼSOZ労組」だ。
 会社の前身、「新大阪造機」(労組は全国金属加盟)は、一九八九年に繊維大手の「グンゼ」と合併。二〇〇〇年以降に再三の合理化攻撃があったが、一一年に大規模な闘いになった。会社側からの事業部解体提案に抗して、組合は「経営再建闘争」に入り、二週間のストライキを闘い、そのさなかに組合スタッフの集中した討議で組合独自の「再建計画」を立案し、経営側にのませ、合理化攻撃を撤回させた。その後も会社の事業部つぶしに敢然と闘い勝利している。
 水口委員長は、「今も続く苦闘の歴史。あきらめないで闘うこと」が肝心だという。委員長へのインタビューを三回にわたって掲載したい。(聞き手・労働新聞関西支社)


ーー会社の合理化攻撃の経過や労組の闘いの概略をお聞かせください。

 二〇〇〇年以降、三回の合理化提案がありました。一回目は、「失われた十年」といわれ竹中改革が進められ、時価会計方式が導入される流れの中です。二回目は、リーマン・ショックを経て、さらなる合理化提案がされ、このときに大規模な闘いとなりました。三回目はそれから三年後、経営改善は進まず、七期連続の赤字が続くなかです。
 一九八九年にグンゼと合併したときは、会社は飛ぶ鳥落とすほどの勢いがあって、ある印刷関係の機械では独占販売をしていました。しかし、九〇年代には新聞、広告媒体のかげりとともに、それが売れなくなったうえに、雪印事件で食品関係(洗瓶機等)に、その他生産用機械に影響が出た。黒字と赤字を繰り返すような状況でした。
 私が、最初に組合委員長に選ばれたときはちょうどそんなとき、竹中改革でいろんな企業の負債処理をしたときで、合理化の波がどんとやってくる、会社にも負の遺産が出やすい、ことが起こりそうなときだった。

ーー最初の合理化のときには、十分闘えなかったと言ってましたね。

 一発目が二〇〇三年、そのときは会社からの人員合理化(転籍、出向、転勤、契約解除、選択定年)を打ち返すほどの経験や財務の知識がなくて、これまでに獲得した「協定」も使い切れなかった。こちらに具体的に突っ込むほどの対抗策がありませんでした。自分が「知恵なし、力なし」の状態だったために不幸な人をたくさんつくってしまった。今度は負けないように、対等の知識をもって相手と交渉ができるかどうかだと。それからは対応策も自分で考え出しました。この経験がなければ二回目、三回目の闘争はできなかったと思います。
 その時狩谷さん(当時のJAM大阪書記長)から、まず経営分析をして、会社の実態から入らないかと言われて、合併前からの財務(諸表)を会社から取って、全部入力してすう勢分析をしました。会社のすぐれているところ、ウィークポイントについても会社と話せないといけない。在庫のあり方であるとか、現金の回し方であるとか、買掛、売掛の転換の仕方など検証した。
 その翌年、会社は株主を安心させるために、もともと十二億だった事業部分担資本を見直し、減損処理をやって資本を減らしたんです。これには憤りましたね。
 それからどうなってきたか、経営改善は進まず、激しい事業転換をしただけに収益が上がらなくなった。これが致命的で、このままいくと合理化の波がくるぞと予測できた。

ーーリーマン・ショックがそれに拍車をかけるわけですね。

 リーマン・ショックの影響をもろに受けて、会社の売り上げが落ち、業績は悪化の一途となった。二〇一〇年からの大規模な闘争になるわけです。そして会社の合理化案をひっくり返して、全面的に組合の再建計画を飲ませた。そのときの事業部長は会社がクビにし、次に予定されたはずの人も経歴を調べて認められないと申し入れ、会社がとばしました。
 正直、僕がやるまでは組合は事業計画書や財務計画書などを会社に要求もしていなかった。(経済の)右肩上がりが、肩も上がらない状態になってくると、組合が何をするべきか、道筋が立てられなかったのではないか。この先どうなるのかというときに、当時の役員の人も「それは会社が考えることだから」「うちは生活と処遇条件をいかに向上させるかということを考えていけばよい」という声が圧倒的だったんですよ。
 「企業を守る」ということと、「職場を守る」という意味は違いますよ。「職場を守る」というのは、どんな環境であれ、組合員がいる職場を守ってあげなければならない。これをしないのは、組合ではない。
 事実、経営にそこまで言えない組合が圧倒的に多いと思う。会社は採算が合わないから事業を閉鎖するという。こちらは、それに納得できないのであれば、ひっくり返せばいいと。(続く)

(資料年表)SOZ労組闘いの歴史

1970年 大阪造機時代に経営危機(74年、77年に2度の合理化、闘争)
1989年 新大阪造機、グンゼ株式会社と対等合併、グンゼSOZ事業部に。
組合はグンゼと「事前協議同意約款」を含む労働協約の全面的な継承を確認。
1990年 (バブル崩壊)
2001年 (小泉政権、竹中構造改革)
2003年 経営合理化提案(1) 闘争
2008年 (リーマン・ショック)
2010年 グンゼメカトロ事業部に改編
2011年 経営合理化、事業部解体提案(2)
組合は経営再建闘争、撤回させる
2015年 会社、合併協定書歪曲、合理化案(3)
組合、経営再建闘争
2018年 会社、他労組加入の新入社員を配属
組合、指名スト
会社は配属撤回、謝罪


水口雅文氏。JAMグンゼSOZ労働組合委員長(二〇〇一年度〜)、JAM大阪副委員長。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2019