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労働新聞 2017年6月15日号・4面 労働運動

千葉市、朝鮮学校への
補助金支出停止

日朝連帯強め、撤回求める

堀川久司・千葉朝鮮学校を支える
県民ネットワーク呼びかけ人

 千葉市(熊谷亮人市長)は四月二十七日、「千葉朝鮮学園」(花見川区)が主催する美術展などへの補助金支出を停止すると突如発表した。安倍政権による高校無償化からの朝鮮学校外しに追随し、朝鮮学校への各種支出の一方的打ち切りが全国で続いている。かつて朝鮮半島を植民地支配し、その清算もないまま、安倍政権は米国の朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)敵視策に付き従いながら在日朝鮮人への圧力も強めている。こうした動きに歯止めをかけなくてはならない。千葉市の今回の決定について、堀川久司・千葉朝鮮学校を支える県民ネットワーク呼びかけ人(千葉県高教組委員長)に聞いた。


「意見の違い」あってこその異文化交流
 千葉市は二〇一三年度に「外国人学校地域交流事業補助金交付」を創設しました。これは、外国人学校が実施する児童や生徒と地域住民との交流に資する事業に、最大五十万円まで支出するというものです。これに基づいて、千葉朝鮮学園へは一四、一五年度と補助金が交付されてきました。
 ところが、昨年十二月に学園が開催した美術展で展示された全国の朝鮮学校に通う生徒の絵画一点と、今年二月に行われた芸術発表会で生徒たちが歌った、「行こう白頭山へ」が問題視されました。
 この間の補助金交付についてはいずれも住民監査請求が行われるなど圧力が続くなか、市当局から一昨年度の地域交流について「事情を聞きたい」と学園の校長先生が呼び出され、ついでに渡されたのが昨年度に係る「不交付決定通知」だったのです。また、在日同胞たちが自動販売機を学校に設置し、その収益で民族学校をバックアップしていこうという「未来企画」にもクレームがつきました。この「未来企画」のパンフレットを資料として展示会会場に置いたところ、「『未来企画』と学校の所在地が同じ」「営利目的」とのクレームが市議会でつけられました。こうした圧力に対し、私たちは「学園を孤立させてはいけない」と、緊急に集まり、市への回答について協議を行ってきたところです。なお、「不交付決定通知」が渡されるまで、絵に関して市から学園には一切問合せがなかったことを強調しておきたいと思います。
 問題とされた絵は抽象画でしたが、生徒の思いが絵の下にコメントとしてつけられていました。その内容は「日韓慰安婦合意」を批判するものでしたが、これを指して「地域交流に資するものとは言い難い」という理由です。「行こう白頭山へ」も「個人崇拝の歌だ」との理由で問題視されました。
 従軍慰安婦問題についていえば、日本政府の見解は国際的にも認められていないものです。また、異文化交流はお互いの違いを認め合い、理解・尊重していこうというものなはずです。日本政府と考えが違うことを表現したことが、なぜ、「地域交流にそぐわない」というのか理解できません。
 この間、市議会では自民党から朝鮮の核実験やミサイル発射、また拉致問題を口実に補助金支出を打ち切ることを求める圧力が続いてきました。熊谷市長はあくまで地域交流であることを強調して、なんとか補助金の支出を継続してきた経過があります。私たちも千葉市に激励のファックスを送ったりしました。それが今回急変したわけです。
 こうした市側の姿勢に対し、私たちは在日の人びとと共同で街頭宣伝などを行い、市の不当性と補助金支出の再開を求めるアピールしているところです。また、市長との話し合いの場も追求しています。

千葉の地で日朝連帯根付かせたい
 私たち「千葉朝鮮学校を支える県民ネットワーク」(千葉ハッキョの会)がつくられたのは一四年夏です。県内ではそれまでも朝鮮学校を支える動きはありましたが、もっと全県的な運動をめざそうということで、県議などの自治体議員や労組関係者、市民などが集って始まりました。活動としては、県や市に補助金支給再開を要請することを柱に据えながら、広く市民・県民に理解してもらうために映画の上映会を行ったり、各種イベントで模擬店を出して、そこの収益を朝鮮学校に寄贈したりしています。私も個別に労組関係者などに働きかけを行ったりしています。千葉では、故・横堀正一さん(元千葉高教組委員長)が日朝友好運動を熱心に行ってきた経過もありました。
 私がこの課題に取り組んでいる思いの一つに、個人的体験があります。五十年ほど前、私はかつて炭鉱の町だった福岡県飯塚市に住み、父は炭鉱労働者でした。私には上田くんという同じ誕生日の友だちがいました。学校から帰るといっしょにボタ山に登ったり、トロッコに乗ったりして遊んだものでした。
 父は炭鉱に見切りをつけ、一家は千葉県に移り住みました。私が中学校に進学する年の正月、上田くんから「僕は朝鮮学校に行く」との年賀状が届きました。
 私が千葉で朝鮮学校を支える活動をしていくなか、なぜ上田くんが地元の中学校ではなく朝鮮学校への進学を選んだのか、思いめぐらせました。そのなかで「朝鮮新報」に掲載された私の記事を読んだ上田くんから電話があり、四十八年ぶりに再会できたのです。
 高校無償化から朝鮮学校が不当にも外され、補助金の支出停止や削減が各地で起きています。こうした厳しい状況の下、朝鮮学校の生徒やその保護者はさまざまな苦難を強いられています。
 今回の補助金支出の停止で朝鮮学校の生徒たちは、「自分たちの思いが表現できなくなる」と心配しています。こうした思いをこれ以上させないために、今まで以上に活動を強め、千葉の地で日朝連帯の運動を根付かせていく決意です。



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