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労働新聞 2011年6月5日号・4面〜5面 労働運動

連合「政策制度中央討論集会」を傍聴して(下)

民主党政権との闘いなしに
国民多数のための政策は
実現できない

党労働運動対策部長 中村 寛三

3、原発、エネルギー政策をめぐって

 東日本大震災によって東京電力・福島第一原子力発電所が、米スリーマイル事故を上回る旧ソ連・チェルノブイリ事故と同じ「レベル7」の最悪の事故を起こした。地震発生直後にメルトダウン(炉心溶融)に陥ったことも判明したが、大規模な放射能汚染をもたらし、二十万人以上の住民の住居、生業、平穏な暮らしを奪い、今なお、収束のメドは立っていない。農漁業、観光業、さらには製造業などのいわゆる風評被害、電力供給の制約などを含む、広範囲で長期に及ぶ災害の実態が判明してくるにつれ、これまでの原発政策についての国民の厳しい批判と根本的見直しの世論と行動が高まっている。
 連合指導部が準備していた「資源・エネルギー政策」は、こうした未曽有(みぞう)の災厄をもたらした原発をもっと新増設するなど積極推進に大きく舵を切るべしというものであった。だが、さすがにこの大惨事を前に変更は避けられない。指導部は原発政策の「総点検・見直しを行う」と提案し、その開始時期は「東電が示した事故収束に向けた工程表の進ちょく状況などを踏まえる」、その間は「凍結する」という「当面の取り扱い」にした。
 討論集会では、これに対して「脱原発」をも視野に入れた早期の議論開始を求める意見が相次いだ。
 全水道は「世界が原発事故に注目している中で、日本がどのようなエネルギー政策をとるのか問われている。事故収束はいつになるか分からない。連合として政策転換を主導すべきだ」と注文をつけた。JAMは、「国内でも脱原発を求める行動が起き始めており、世論は急速に問題意識を高めている。連合は、こうした世論を主導する役割を果たせるよう議論を早めるべきだ」と発言した。
 地方連合会からも、「凍結とはゼロベースからの見直しを意味するのか、それともあくまで推進の立場は変えないということか」(連合宮崎)と指導部の真意を問う発言や、「エネルギー政策は抜本的な修正が必要だ」(連合高知)という意見が出された。これらの産別、地方連合会の発言は、国民の高まる危機感を反映した真っ当な発言であった。
 これとは対照的に自治労、教組など反原発を掲げ粘り強く闘ってきた産別の発言はなかった。連合運動の前進に責任をもつ気概があれば、こういう局面でこそ、闘いの実績を踏まえて堂々と発言し、議論をリードすべきであった。だが、誰に遠慮したのか、肝心なときの沈黙は、主要産別としての鼎(かなえ)の軽重が問われる。
 こうした状況も踏まえ、いくつかの議論すべき問題点を率直に提起してみたい。

(1)「凍結する」という判断は、間違っている
 第一に問題にしなければならないのは、発言者の多くが注文をつけた「当面の取り扱い」自身である。すなわち原発政策の「総点検・見直し」は、東電が示した事故収束に向けた工程表の進ちょく状況などを踏まえて開始する、それまでは「凍結する」という判断は間違っている。
 具体的にいつから開始することになるのか、収束の兆しが見えるのは早くて年内遅くということになろう。そうすると、それまでは原発政策について「総点検・見直し」の議論はしないわけで、決定的な立ち遅れと言わねばならない。
 今回の事故は、これまで電力会社や歴代政権が吹聴してきた「日本の原発では重大事故は起こらない」という「安全神話」を木っ端みじんに打ち砕いた。福島第一原発について、原子力委員会は「耐震設計審査指針」に照らして「止める・冷やす・閉じ込める」機能が損なわれることはないと認めていたのであって、その指針のいい加減さが暴露された。冷却水がなくなると炉心がメルトダウンを起こし、コントロール不能になった事実が示しているように、どんな事態になっても莫大な量の放射性物質を内部に「閉じ込め」ておくことができる完全な技術はないことも証明された。また、四号機の水素爆発は、使用済み核燃料の危険性とその処分の問題点を明るみに出した。
 しかも、そういう危険性のある原発、核燃料施設が世界有数の地震国である日本列島の狭い国土を囲むように林立している。地震活動期に入ったといわれる日本列島の、あろうことか活断層やプレート境界巨大断層の直近に五十四基も建っている危険な実相も浮き彫りにした。
 すでに判明しているこうした事実だけでも、原発政策に対する「総点検・見直し」の議論を開始するには十分過ぎるほどであって、「凍結する」理由などどこにもない。「冷静な議論ができない」というのは、よほど自分の見解に自信がないものの言うことであって、こうした国民的批判が沸騰しているときにこそ、真剣な「総点検・見直し」の議論が可能となるのである。未曽有の災害を受けて、これまで異端視されていた地震学者、原子力の専門家、首長、企業家、政治家、活動家の皆さんが発言の機会を得ているが、いずれも真っ当な意見で、彼らの知見と経験が生かされていたならば、こんな大惨事にまで至らなかったのにと悔やむことしきりである。惨事を経て光が当てられるようになった彼らの意見の中にこそ真理があるわけで、それに真摯(しんし)に学んでこそ、効果のある「総点検」が可能となり、連合内部の狭い枠を超えて世間に通用する「見直し」ができるのではないか。そもそも連合指導部が提案した原発政策は、およそ数カ月の試練にも耐えられなかったが、それは連合の狭い枠内での議論だったこととかかわりがあろう。
 「凍結する」という判断は、立ち遅れにとどまらない。それは、大災厄をもたらした東京電力や「原子力ムラ」といわれる利権集団(電力会社と労資協調組合幹部、原発メーカー、経産省や原子力関係官僚、政治家、御用学者等々)と歴代政権、菅・民主党政権の犯罪に対する国民の批判と責任追及を封じ、連合内での批判の高まりを封じて、それら元凶を免罪することになる。徹底した批判にさらしてこそ情報も出してくるわけで、穏便な態度では、問題をえぐり出す「総点検」はできず、根本的な「見直し」などできないことを率直に指摘しておきたい。
 連合指導部がこうした判断をした背景に、原発関連の主要産別の「労資協調」幹部の意向があると言えば、言いすぎだろうか。今回の討論集会で、事故に関連して電力総連や電機連合から一言の弁明も発言もなかった。労働組合としてチェック機能を果たし得なかった反省があってしかるべきで、およそ真摯な態度ではない。労資協調を清算し、資本から独立した労働組合の立場を確立してこそ、まともな「総点検・見直し」が可能となるのである。
 連合指導部の「凍結」の判断を撤回させ、即刻「総点検・見直し」の議論を開始すべきである。

(2)原発推進政策は財界の要求である
 第二に、連合指導部が原案として準備していた「資源、エネルギー政策」、とりわけ原発政策は、原発事故で試練に耐えられず、「総点検・見直し」となったが、重大な問題を含んでおり、なし崩しにせず、大いに議論をすべきだということである。
 というのは、今回の原発政策についての提案は、これまでの慎重な姿勢を転換し、積極推進へと大きく舵を切る中身になっている。労働組合としては重大な政策転換にもかかわらず、なぜ転換したのか根拠が示されていない。結局のところ、菅・民主党政権の新成長戦略、その原発政策に追随した結果としか、考えられないからである。これは果たして労働組合としての政策・制度の要求・提言として正しいか。
 今回の「資源・エネルギー政策」がこれまでの政策を大きく転換するものであったことは、前回のそれと比較すれば歴然としている。「二〇一〇〜一一年度政策・制度 要求と提言」の「資源・エネルギー政策」の要求項目は、(1)資源・エネルギー安全保障および地球環境問題への対応の観点を踏まえ、日本国内のエネルギー需給構造改革の促進と資源外交を通じた長期安定確保・供給の実現に向けて政府が主体的役割を果たす。(2)原子力利用にあたり、安全管理・防災体制の確立、情報開示を徹底し、国民の信頼回復・維持に努める。(3)再生可能エネルギー・革新的なエネルギー高度利用技術の導入を促進する。(4)国・地方自治体をはじめ、企業、労働組合、地域、家庭等も含め、それぞれの立場で省資源・省エネルギーをよりいっそう推進するであった。
 原発政策は、「安全管理・防災体制の確立、情報開示」を徹底し、「国民の信頼回復・維持に努める」という慎重なものだった。
 それが、今回、次のように変更された。(1)資源・エネルギー政策全般に関する国の役割・責任を強化し、中期的な資源・エネルギー安全保障を確立する。(2)グリーン・ジョブ戦略の推進を通じて「世界全体の排出削減」と「雇用の安定・創出」が両立した地球温暖化対策を進める。(3)国は、国家戦略として原子力エネルギーの位置づけを明示するとともに、安全・安心の確保や国民・住民に対する理解活動に責任を持って取り組む。また、より高度な安全確保体制の確立を大前提に、原子力発電所の高経年化対策と設備利用率向上をめざす。
 原発政策は、「国家戦略として原子力エネルギーの位置づけを明示」して、原発推進へと大きく舵を切っているのが一目瞭然(りょうぜん)である。解説には、原子力エネルギーを「エネルギー安定供給に欠かすことのできない重要なエネルギー源、CO2(二酸化炭素)削減に有効な手段として位置づける」とあり、「高経年化対策の実施」「設備利用率向上」「新増設を着実に進める」「使用済燃料の再処理など核燃料サイクルについては、早期確立に向け研究開発を進める」「プルサーマル計画については国民・住民への理解活動に取り組む」「高レベル放射性廃棄物については、速やかに処分地を決定する」「高速増殖炉については、確実に進める」など、推進すべき具体的項目が列挙されている。
 問題なのは、これほどの重大な政策転換にもかかわらず、なぜ転換しなければならないのか、転換することによって国民や労働者にどんな利益があるのか、どこにも説明がない。
 強いて読み取ろうとすれば、菅・民主党政権が新成長戦略のなかで、原発政策を国家エネルギー戦略として位置づけ、推進すると決定したことが要因で、それへの追随としか理解しようがないのである。それは菅政権が突然に環太平洋経済連携協定(TPP)参加問題を推進したことを受けて、連合指導部が何一つ説得力ある根拠も示せず、追随した態度とそっくりである。
 原発政策について言えば、民主党への政権交代によって、とりわけ菅政権による新成長戦略策定を通じて、「環境エネルギー大国」で戦略的に位置づけられ、積極推進へと大きく舵が切られたのである。
 昨年六月には「エネルギー基本計画」が改定されたが、そこには二〇年までに発電用原子炉を九基新増設し、三〇年までにさらに五基追加し十四基新増設する目標が掲げられている。また、設備利用率の目標として二〇年に八五%、三〇年に九〇%というきわめて高い目標が設定されている(ちなみに〇九年度は六六%)。核燃料再処理・高速増殖炉についても、推進すべきとの方針が再確認された。さらに新たな政策として「官民一体オールジャパン方式のフルパッケージ型の原発輸出推進」が示された。この方針は「新成長戦略」に盛り込まれ、菅首相自らベトナムへの原発輸出のトップセールスに奔走したのは周知の通りである。
 こうした民主党政権下での原発政策の転換を、関係業界の「原子力年鑑」一一年度版は、原子力が国家成長戦略の表舞台に登場したと高揚感を持って記述し、これぞ民主党への政権交代がなしえた「ダイナミック」の所産と手放しに賞賛している。
 それは、〇五年十月に新しい原子力政策大綱を決定、原発が三〇年以後も総発電電力量の三〇〜四〇%以上を占めるようにするなど原発推進へと踏み込み、〇六年八月には「原子力立国計画」をまとめて、加速してきた流れを、リーマン・ショック後の争奪激化の中で、一挙に進めようとするものであった。背後には、財界の要求…「原子力がエネルギー安全保障上の基幹エネルギーであることを国策として明確に位置づけるとともに、原子力発電は民間の自助努力のみでは十分に推進し得ないことに鑑み、官民が一体となって、原子燃料サイクルを含めた原子力活用の着実な推進を図りつつ、最適なエネルギー供給バランスを追求すべきである」(日本経団連提言)…があったのである。
 要するに、連合指導部が提案しようとした「資源・エネルギー政策」、原発推進の政策は、労働者階級の利害から打ち出されたものではなく、菅政権の新成長戦略のエネルギー政策への追随であるということである。それは、リーマン・ショック後の激化する世界の資源争奪戦に勝ち抜くための財界の要求にほかならない。連合指導部は、財界の要求を労働者の政策であるかのようにして原発推進を進めようとしているのである。「労資協調」は、ここに極まれり、というべきである。
 したがって、連合指導部のこうした欺まんを暴露し一掃することなしに、財界と政府の原発推進政策と本格的に闘い、打ち破ることはできない。

(3)政策を転換させるには、対米従属政治を打ち破らなければならない
 今回の原発事故は、原発政策の転換を求める国民的世論を呼び起こし、大衆的行動も発展しているが、転換を実現することは決して簡単なことではない。現に東芝の佐々木社長は、「原子力発電は環境問題を解決する有力な選択肢」と協調し、「巨費を投じて会社経営の一つの柱とした原子力発電事業を簡単にあきらめる気はない」と断言している。電力会社はもちろん、その影響が強い、財界団体も決して原発政策の転換など考えていない。菅政権は浜岡原発の「停止」を要請したが、それは他の原子力発電所を維持するためでもあった。
 原発政策を本当に転換しようとすると、わが国における原子力開発の発生、発展の歴史を振り返り、どういう勢力がどのように推進してきて未曽有の事故を引き起こしたか国民の前に暴き出し、広範な戦線を形成して闘って、打ち破らなければならない。
 わが国の原子力政策は、その出発点から、米国の核兵器戦略の一環としての核不拡散政策に従属させられ、推し進められてきた。
 わが国に原発導入の道を開いたのは、一九五三年十二月、国連で行われたアイゼンハワー米国大統領の「アトムズ・フォー・ピース」(原子力の平和利用)という演説であった。この演説は、四五年原子力爆弾の開発に成功し、確立していた米国の核独占が、ソ連と英国によって打ち破られたのを新たな事態に対処する必要から行われた。「原子力の平和利用」のための国際管理機関を創設し、そこに核物質をプールして西側諸国に技術や核物質を提供することで核による世界支配の主導権を握り続けることが狙いであった。これが、五七年の国際原子力機関(IAEA)の設立、六三年の「核不拡散条約」(NPT)の締結につながっていく。
 この提案のもう一つの背景として、軍事用に生産した濃縮ウランが過剰になってきたので、平和利用に振り向け、西側諸国の原子力産業やその市場を、米原子力産業の支配と系列化に置こうとする狙いもあった。
 わが国のエネルギー政策としての原子力開発は、こうした米国の新たな世界戦略にそう形で踏み出された。それは、日米安保体制の一環であった。
 これアイゼンハワーの演説をチャンスと見て原発導入の先べんをつけたのは、読売新聞社主の正力松太郎とすでに国会議員であった中曽根康弘であった。正力は国会議員となり、初代原子力委員長、科学技術庁長官となり、英国から原子炉を初導入して「原子力の父」と呼ばれるほどの役割を果たすが、米国CIA(中央情報局)の協力者であった。正力は、米国のビキニ核実験で被爆した第五福竜丸事件で原水爆禁止の運動が全国を席巻する中、米国と連携してこれが反米運動に発展するのを防ぐため、「読売新聞」を使って「核の平和利用」の一大キャンペーンを展開した。とりわけ米国の「原子力平和使節団」の訪日は、「核の平和利用」に世論を誘導するのに絶大な効果を発揮した。
 だが、われわれがもっと注意を払っておくべきは、後に首相となる中曽根が原発導入に当たって米国の支援下で決定的な役割を演じたという事実である。五四年三月、中曽根は二億五千万円の原子力予算を突如提案し、成立させた。中曽根は自著の中で「これがわが国における”第三の火”のスタートとなった」と書いている。予算案を提出したのは、米国がビキニ環礁で極秘に水爆実験を行ってから二日後のことだったので、米国側からその情報を知らされていたのではないかと疑惑がもたれた。さらに中曽根は前年、GHQ(連合国軍総司令部)の対外諜報部員の薦めでハーバード大学の夏季セミナーに出席するため三カ月間渡米している。。そのとき面倒を見たのは、キッシンジャーであった。また、五五年、中曽根は右派社会党の松前重義らとジュネーブの第一回原子力平和利用国際会議にも出席した。
 中曽根のこの時期の活躍が米国に認められ、それが自民党内での有力な地位を保ち続ける資産となったことは間違いないであろう。五九年、中曽根は岸内閣の科学技術庁長官となるが、自民党の内部には、中曽根を中心とする米国の意向に沿って原発を導入、推進してきた勢力がある。ちなみに、与謝野馨経済大臣は中曽根の秘書をやる前は、原発関係の会社で働いていた。自民党の歴代政権が原発建設を一貫して進めてきたのには、こうした経過があることを知らなければならない。
 五五年十一月、日米原子力研究協定が調印され、わが国での原子力開発が始まった。これは、米国から日本への濃縮ウランを貸与協定で、研究原子炉用に濃縮ウラン二三五を六キロを限度に貸与すること、使用済み燃料の米国への返還、貸与燃料を目的どおり使用することを義務化し、その記録を毎年報告することが協定された。まさになんの自主性もない、対米従属の原子力開発、エネルギー政策に踏み込んだのである。
 その後、日米原子力協定は、五八年、六八年、八八年と改定されてきたが、そのつど「自主性」が進んだかのように言われているが、こんにちなお、ウラン濃縮工程は、その九割を米国に依存している。原子力エネルギーは、「核燃サイクル」によってエネルギー自給率の向上に資するようになったという見解もあるが、依然としてウラン濃縮では首根っこを米国に握られており、原子力エネルギーの対米従属の実質は変わっていないのである。
 原子炉は最初の商業用原子炉こそ英国製のものであったが、後はみな米国製のものが導入されたが、原子炉の核心技術は、米国の二社が握っているのである。
 七〇年代以降の各地の導入された原子炉は、沸騰水型(BWR)グループと加圧水型(PWR)グループの二系列に分かれ、導入されている。
 BWRグループは、ゼネラルエレクトリック(GE)社から原子炉を導入し、その建設を東芝・日立が担当、東京・中部・東北・北陸・中国の電力会社に提供されている。
 PWRグループは、ウェスチングハウス(WH)社から原子炉を導入し、その建設を三菱重工が担当、関西・九州・四国・北海道の電力会社に提供されている。
 要するに、わが国歴代政権は、みてきたように濃縮ウランだけでなく、原子炉とその核心技術も米国に握られたままで、七〇年代以降、世界の中では特筆する速さで原発の新増設してきたのである。したがって、わが国の原発中心のエネルギー政策を転換するには、わが国の対米従属政治を打ち破らなければならない。
 この対米従属政治を支え、原発を推進してきたのは、東京電力を筆頭にする九電力会社、地域独占企業である。電力会社は、リスクの大きい原子力開発に莫大な国家資金、血税を投入し、研究開発の成果をまさに独り占めしながら、急速に肥え太ってきた。
 東京電力を筆頭にする電力会社は、産業界にも影響力を強め、わが国財界団体の中でも大きな影響力を持つようになった。電力会社のトップは、東電出身の木川田一隆経済同友会代表幹事、平岩外四経団連会長をはじめ、わが国財界団体の要職を務めてきた。東北経済連合会、九州経済連合会の歴代会長は、すべて電力会社の出身である。
 この電力会社を中心に東芝、日立製作所、三菱重工を頂点とする原発プラントメーカー、政府・経産省や原子力安全委員会などの行政機関、御用学者、労資協調の労働組合、これらが「安全性」を無視し、原発を推進してきたいわゆる「原子力ムラ」と言われる勢力である。
 原発中心のエネルギー政策を根本的に転換するには、対米従属政治を支え、その下で肥え太ってきたこれらの勢力を孤立させ、打ち破らなければならない。
 この闘いは、優れて対米従属政治を打ち破り、わが国の独立・自主を闘い取り、国の新たな進路を切り開く闘いの重要な一環である。広範な国民戦線を形成して闘えるし、闘わなければならない。

結びにかえて

 今回の政策・制度中央討論集会は、世界資本主義の危機が深まる中、未曽有の大震災と原発事故に直面して、国民各層の苦難がいちだんと増大したことを反映して、指導部案に対する鋭い批判が出た。われわれは、それを「連合労働運動を現状打開する光明」と見て、これを手がかりに歴史的激動にふさわしい大いなる論戦をしようと呼びかけた。
 論戦を活性化し、情勢と政策課題、闘い方などについて認識を深めるために、三つの政策課題を取り上げて意見を述べさせていただいた。本来この時期には、さらに「社会保障と税制の一体改革」問題、「日米同盟深化」の安全保障問題についても意見を述べなければならないが、別の機会にしたい。
 検討した三つの政策課題…TPP参加問題、大震災からの復興・再生問題、原発・エネルギー政策…は、どのように認識し、闘うべきか、わが国の進路と社会のあり方に関わる鋭く問われている課題である。
 検討の結果は見ての通りで、連合指導部の政策と考え方は、いずれについても財界の見解を批判せず、闘わず、協調している点が特徴であった。世界資本主義の危機が深まる下で、国家間でも、諸国内部でも利害の対立が激化しているとき、そのような認識と態度で本当に国の進路を切り開き、苦難を打ち破って国民大多数の活路を切り開くことができるだろうか。
 最後に、締めくくりとして言わなければならないのは、菅政権に対する態度である。政策課題のところで述べたが、菅・民主党政権は危機のなかで、自民党政権以上に財界と米国の走狗(そうく)の性格を強めており、国民多数に犠牲を強い、わが国の進路を切り開く上で障害となっている。
 統一地方選挙の結果が示すように、民意は民主党政権から離れている。
 もはや、民主党政権支持の態度を撤回し、新しい国民大多数のための政治に踏み出すのか、それとも民主党政権の社会的支柱の役割を続けるのか。
 連合労働運動が態度を問われる時期に当面していることを指摘し、勇気を持って前進しようと呼びかけて終わりにしたい。


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