20010101

21世紀 労働運動を再生させる

労働運動活動家新春座談会

(2)


公務員にも実績主義の導入

司会 民間のリストラは、当然ながら官公労、公務員の職場にも響いています。
三本 中央は省庁再編でガラガラ動かされているが、地方自治体もそれに基づいてこれから分権という形で仕事がどんどん降ろされてくる。
 最近特に財政が大変だということで、市町村合併を含めて大合理化されようとしている。財政確保のために自治体を大きくし、人を減らすことで、人件費を削減する。
 私の職場でも賃金と人員削減の攻撃が強まっている。
 賃金は人勧が抑制された上に、一時金が削減された。他都市では定期昇給が五十五歳でストップしたりしている。その他に退職金の削減もある。
 そのうえ、能力・実績主義の人事評価制度が新たに導入されようとしている。すでに総務庁や人事院で議論されており、もうすぐ出てくる。
 だが、公務員連絡会や自治労はこれを認めた上で、公正なルールを求めるという姿勢になっている。昨年の自治労大会では、そういう方針が出され、議論になった。
 今まで組合では、能力主義は、差別と分断を職場にもち込むものだと反対してきた経過がある。だから、大会では勤務評定には反対する立場で取り組んでいくとなった。だが、本部の中には「国際競争の中、年功序列賃金ではやれない」「年功序列賃金は本工中心・男性中心の差別的賃金だ。これからは男女平等型の賃金体系をつくらなければならない」など、あいまいな意見もある。労働者全体の利益をどう守るか、という立場でしっかりした議論が必要だ。
 併せて人員削減が厳しくなっている。事務職のところは、分権で仕事がどんどん降りてきている。例えば介護保険が始まり、住民要望の施設をつくったりしているので、人を減らせないが、仕事が増えても人は増えない。実質的には、サービスの低下を招いている。病院で医療事故が起きているのも、こうした問題が背景にある。
 現業職のところでは、民間委託、民営化の流れがどんどん来ている。自治労は民主党を応援してやっているが、その民主党の元民社党系の人たちは人減らしの行革の先頭に立っている。「飼い犬に手をかまれる」ようなもので、職場からはなぜ民主党を支持するのか、という怒りの声が上がっている。
 問題は、以前ならストライキを構えて闘った。最近はこうした問題でも闘えず、闘わない。ずるずると後退している。それが連合結成以来の十年の姿だ。これをどう立て直すかが大きな課題だ。
 また、私の職場には共産党系の自治労連という分裂組織がある。
 彼らは、最近、「ものわかりのよい」労働組合に変質し始めている。従来だと、賃金交渉などでもやり合う場面があり、地域の民間労働者のためにも公務員は大幅賃上げをかち取るべきだと主張していた。最近はほとんど何も言わなくなった。

「闘う以外に道なし」と組合加入

川上 職場では労働強化が進んでいる。八時出勤だが、「朝七時四十五分までに出勤し、着替えて掃除をしろ」と言ってきた。以前は五時十分前に機械を止めて掃除をしていたが、「時間内は目いっぱい仕事をしろ。一個でも数を上げろ」となった。そういうことに抵抗力がなく会社側の言うことに従う人がいる。こうした攻撃にもきちんとした対応が求められている。
武見 トヨタも三菱自動車もそうだが、職能給の導入はシナリオを書くのは会社だが、それを実際に宣伝したり、組合員に説明するのは労働組合が役割を担っている。合同賃金専門委員会があり、そこで会社側が報告し、だいたい組合が受ける。そして、組合が組合員に「こういう流れはしょうがない。やる気の出る賃金だ」と説明する。
 組合が、大企業と中小企業の賃金格差を持ち出し、一生懸命説明する。労働組合は、賃金や職能給導入を暴露しないで、会社を手助けしているので、なかなか闘えない。
 若い人にとっては、もっと賃金が欲しいから年功賃金が壊れれば文句はないが、中高年の人びとは、他に行けないのでガマンしている。労働者の団結が試されている。
 やはり敵の攻撃の狙いについて、きちんと見抜いて説明できないとやられてしまう。
 小さな経験だが、敵の攻撃の本質は何か、どういう職場や社会をつくろうとしているのか、その点を含めてきちんと説明することにした。学校教育を例に挙げ、子どもが競争を強いられ、ものすごくストレスがたまっている。弱肉強食社会になっているが、これでよいのか。生まれてから死ぬまで、そういう世の中でいいなら、会社側の攻撃に賛成してくれ、そういう社会がいやなら反対してくれ、と。
 そんな抽象的で難しい話をしても労働者には分かりづらいという意見もあった。また、会社側の提案に反対するだけでなく、組合方針にも反対するわけでリスクは大きい。昇進や賃金の査定も含めて差別される恐れはあるので、納得してもらわないと反対できない。
佐川 荷主の政策で、元請けの業者がいるが、その下請け業者を優遇し、元請けに「場合によっては他社にまわしてもいいんですよ」と言って、元請けの条件を下げるよう要求する動きが出ている。そのため元請けは能率給を導入し、結果として賃金が下がる。そうやって計画的に賃金を下げてくるのが見えてくる時に、労働者が相談に来る。
 最近の物流政策は労働者に犠牲を大きく強いる。これまで労働者は、組合がないか、あっても企業内組合にも入りたがらなかった。だが、こうした状況で、彼らは労組がない場合には「労働組合をつくるなら、荷主の政策に対抗できるようなものでなければ、労働条件や雇用を守れない」と主張し出している。
 荷主の大企業はグローバル競争に勝つために料金を下げろと攻撃しているが、逆にそれは労働者を強い組合を望む方向に導いている。「闘わなければ、問題が解決しない」と組合加入を決断する。これは、大きな変化だ。これにこたえる組合があれば、確実に大きく広がる。

党の文書は活動家に展望示した

司会 皆さんの職場報告にもあるように、資本の側の攻撃がかつてない量と質でやられています。
 これまでの労使関係は大きな転換点にきています。まさに労働組合の存在理由が問われているが、連合結成十一年、残念ながら無力さばかりが目立っています。日産の大リストラについても発言さえ出来なかった。また、二〇〇〇年春闘では、大手でもゼロ回答続出、要求さえ出せない組合もあった。連合の闘い方には限界が見えたというのが、連合内からも出ています。
 労働運動はこれでよいのか、根本的に問い直すときです。労働党は、労働者階級を基礎にして政治の転換を図り、労働者階級の解放を実現しようとする政党だから、それにこたえる責任がある。
 そういうことで、連合十年の総括を深くやろうとして、戦後労働運動の総括を試みた。方向を模索している幹部、活動家の皆さんに問題提起になればと願っています。
 幸い、連合内の単産の活動家を含む皆さんから、関心と共感を持って受け止められている。率直な感想や意見、批判を聞かせて下さい。
川上 戦後直後から書かれており、知らないことも多く、大変勉強になった。それ以後、高度成長などを資本の側がどうやって乗り切ってきたのか。どうやってわれわれを支配する労使関係を築いてきたのかなど、理路整然と書かれているのは初めてだ。とりわけ、第三章の金融グローバル化の大競争時代になって資本効率重視の経営に転換し、これまでの労使関係を維持できなくなったことをきっちりとつかむことが大事だと思った。これまでの労働運動の路線を転換しなければ闘えないことが説明されている。
 資本効率重視の経営については、これまで組合研修などで頭の中に入っていたつもりだったが、これほどのものはない。マスコミで流している考え方に十分に反論できる材料がそろっていると思う。
三本 大変、勉強になった。企業別労働組合、経済主義、労資協調などの考え方は、本などで知ってはいたが、日本的労使関係は資本家が計画を立て、特に生産性向上運動の中で、米国に労組幹部を派遣したり、シンポジウムなど計画的に労使関係をつくってきた。それが初めて分かった。 企業別組合は労働者が闘いやすくするためにつくったと考えていたが、必ずしもそうした側面だけではなかった。あるいは春闘も、労働者側だけではなく、資本家側の狙いもあった。そうやって、社会の安定帯として、労働者支配の労使関係をつくった。労働運動の側は、そうした資本家の戦略的狙いを見抜けず、ワナにかかった。非常に驚きというか、よく理解できた。
 いま、企業別組合、年功序列型賃金を含めた日本的労使関係が壊れることを、労組が危ぐして守るという意見が出ている。それは日本的労使関係に縛られている見解だ。企業が壊すなら、それに代わって新しい、横に連帯して闘える階級的な労働運動と組織をつくっていくべきだ。いまの攻撃に対してひるむのではなく、次をめざした新しい労働運動ができるチャンスがきたと理解すべきではないか。
武見 日産リストラは象徴的なできごとだが、自動車産業の労働者にとっては、労資協調路線の労働運動では雇用も生活も守れないことは実感として理解できる状況にある。
 しかし、こんにちの事態、資本のかつてないほど厳しい攻撃なのに労働組合が機能不全におちいった状況がどうして生み出されたのか、そうしたことは、職場の状況だけでは分からない。その点を労働党が出した総括文書は、明らかにしてくれた。「日本的労使関係」を歴史的に総括することで、その形成がどのようになされたのか、高度成長期に発展したこと、それが金融グーローバル時代に入って崩壊の過程に入ったことを分かりやすく描き出している。
 こうした視点で見ると、連合の主流をなす民間大単産の参加型労働運動は支配層の階級支配の手段として育成され、今日のグローバル大競争でたちゆかなくなったことがよく理解できる。
 今後、労働者は生きていくために闘いの中で新たな方向を求めざるをえなくなる。この文書が、われわれ活動家に認識面での整とんを助け、労働運動を方向づけるうえで役立つと思う。
佐川 日産の大合理化が出たときの連合の対応だが、私には、連合がやらないのは不思議ではない。ただ、そのことを黙って見過ごす労働運動であってはいかんと思う。どういう反撃ができるのかを準備できなければいけない。
 この文書は、非常に時宜にかない、タイミングとして非常によい時期に出た。
 連合が二十一世紀の労働運動を何とかしようと「二十一世紀を切りひらく労働運動」というのを出している。その中で、「最初は資本主義への抗議・抵抗、要求の組織化、そして参加へと、歴史的に発展してきた」「今後とも政府・経営者に対してソーシャル・パートナーとしての地位を築き、対応を進めていく」と言っている。
 そんなことでは、こんにち労働者がおかれている状況からして問題を解決できない。要求を通そうと思えば、ストを含めどのように闘える態勢をつくるのかこそ、肝心な問題だ。「抗議・抵抗」から「要求」の段階は卒業して、「参加」、労使協議による解決の時代になったなどというとらえ方では、とても対応できない。それは世界史に登場して以来の労働者の闘い、労働運動の血の経験と到達点をゆがめ、低めるものだ。この文書は、労働運動の歴史的到達点をまっとうに引き継ぎ、戦後の日本の労働運動の歴史的総括と現状を検討した上で、参加路線に代わる階級的労働運動の路線を導き出している。その意義は大きい。
 連合自身が内部から変わっていかなければ、日本の労働運動はなかなか困難だが、部分的には批判も出てきている。連合傘下の組合員、活動家自身が「この方針でよいのか」ともっと遠慮なく意見を出して問うていくべきだ。そうでなければ展望は切りひらけない。
 私自身は連合に参加していない立場だからこそ言えるのかもしれないが、もっと日本の労働運動は根本的な問い直しをする必要がある。その内容に関することが具体的に提案されたので、歓迎したい。
 米労働総同盟産別会議(AFL―CIO)のスウィニー会長が連合幹部に「米国のように規制緩和を容認してはダメだ。もっとしっかりした対応を」と言ったことがある。いまAFL―CIOは、その段階から、規制緩和の犠牲になった労働者を大胆に組織している。米国の労働運動が、規制緩和に巻き込まれて終わりということにせず、徐々に切りひらいている。これを考えると、日本の労働運動が資本の論理に負け、振り回されることについては、もっと反省しなければならない。それらを解き明かす内容が含まれている。

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