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2021年12月5日号 2面・解説

衆議院選で野党の
相互関係大きく変化

維新の会は自公と
対決する野党か

 世界経済の危機がいちだんと深まる中で、わが国をとりまく内外情勢はまことに厳しいものである。
 いつ金融危機が勃発してもおかしくないほどに世界は不安定になっている。コロナ禍は世界経済の危機を加速させ、資本主義の行き詰まりは資本家・支配層さえ認めざるを得ないほどになっている。
 岸田首相は「新しい資本主義」などと唱え、何かできるかのような幻想を振りまいている。しかし、商業新聞でさえ「新味がない」などと手厳しい評価である。支配層は「改革」を焦っているが、岸田政権・自公与党は来年の参院選で勝ち抜くことが最大の課題であり、「ばら撒き」批判されようが、それ以外に手はあるまい。
 そういう中で、第二次岸田政権が発足して初の臨時国会が十二月六日に招集される。
 臨時国会では、政府の借金(国債)に依存した大型補正予算による経済対策が議論される。さらに補正予算には防衛装備品の調達問題など軍備増強の計画まで盛り込まれている、だが、与野党が対決して、危機対応への論戦が活発に展開されるようでもない。

方向性見出せぬ野党
 総選挙前には厳しい国民の批判を浴びた自公与党は辛うじて過半数を維持した。一方の野党は攻めきれなかったが、日本維新の会(以下「維新の会」)が第三党に躍り出るなど、野党間の勢力関係は大きく変化している。
 衆議院選で敗北した野党第一党の立憲民主党は枝野代表が辞任、十一月三十日の代表選で泉健太氏が新しい代表に選出され、幹事長など執行部も一新した。
 だが「野党共闘」など総選挙の総括をめぐっても、党内にもさまざまな意見があり、参院選へ向けても以降の明確な方向性を打ち出すまでには至っていない。
 野党共闘が奏功せず惨敗した共産党は二十七、八日に第四回中央委員会総会を開催、志位委員長は「野党共闘」と「閣外協力」路線を引き続き進めるとしているが、あやふやな選挙総括で、この方向に展望があるわけでもない。
 一方、維新の会は、総選挙で議席数を四倍弱伸ばし、四十一議席を獲得して第三党となった。欺まん的な「身を切る改革」を主張して他の野党と一線を画して存在感を示した。選挙後は、国民民主党との連携で危険な憲法改悪を推進するなどの動きを強め、閣外ながら岸田政権を右から支える役割を果たそうとしている。
 国民民主党は選挙後、立民、共産などとの野党国対委員長会談の枠組みから離脱し、維新の会と国会対応や政策での協力拡大を進めている。維新の会との会談で憲法改悪に向けた議論を加速することなどで一致し、衆参の憲法審査会を毎週開いて議論するよう求めるなど意見を一致させた。
 このように総選挙を経て従来の野党の相互関係は大きく変化している。
 衆院選直後には、維新の会から月額百万円の文書通信交通滞在費(文通費)の受取問題が持ち出され、慌てて与野党で法改正に動くなど、維新の会の発言力も増している。以降の政局、政治闘争を考えるとき維新の会に対する評価や暴露はきわめて重要な課題になっている。

自公との対決は欺瞞
 維新の会は二十七日の臨時党大会で、代表選を実施せず松井代表(大阪市長)の続投となった。
 維新創設メンバーの松井氏は、一五年に代表に就任し、代表として初めて臨んだ一七年の衆院選では十一議席と低迷したが、当時の安倍首相や菅官房長官との強固なパイプで政権と蜜月関係を築いて生き延びた。先の衆院選では岸田政権への批判を強め議席を大幅に増やした。臨時党大会で「野党第一党をめざす」と目標を掲げたが、この党が、真に自公の悪政と対決する党ではないことはこうした経過からも明らかである。

なぜ「躍進」したのか
 日本維新の会はなぜ「躍進」したのか。
 まず比例代表での得票数をみると、「大阪維新の会」が石原慎太郎らと国政政党「日本維新の会」を結成して臨んだ二〇一二年の総選挙では千二百二十六万票、五十六議席を獲得。一四年の総選挙では「維新の党」として比例八百三十八万票、議席ゼロとなった。その間離合集散を繰り返し、現在の「日本維新の会」は一六年に結成され、ほぼ「大阪維新の会」を母体としている。前回一七年の総選挙では三百三十九万票、十一議席、そして今回が八百五万票、四十一議席である。
 今回は前回と比べれば確かに「躍進」だが、これまでの「維新」や「希望の党」と比べても全国的にはそれほど大きな地殻変動ではない。しかし、今回は特に大阪の小選挙区で他党を圧倒したことで、近畿圏での比例復活議員が増えた。全国でも地方議員を一定程度基礎にしたところで比例票を増やし議席を獲得した。
 一七年からの四年間の間の変化の一つはコロナ禍に見舞われたこと。安倍、岸田政権のコロナ対策に対して国民の不満・不信が募る一方、直接対策にあたる吉村・大阪府知事らの言動が脚光を浴びた。だが、大阪では第四波で医療崩壊が起こり、人口あたりの死者数は現在でも全国で最悪、事業者への給付金が長期に滞るなど実態はひどいものだったが、欺瞞的手法で議席を駆使して議席を増やした。

自治体を足掛かりに
 もう一つの理由は、地域政党「大阪維新の会」として、大阪府内の自治体首長、地方議員を次々と増やして支持基盤をつくってきたことである。一九年の統一地方選挙とそれ以降の選挙で、「大阪維新の会」は、府知事、大阪市・堺市令の二政指定都市、枚方・八尾の二中核市(全部で七のうち)、一般市以下の十二市町村で、「維新」公認、推薦の首長を獲っている。府下四十三自治体のうちの十七自治体、約四割である。「大阪都構想」はそのためのアドバルーンでもあった。
 各地方議会でも改革を訴え、候補者を擁立し、府議会では過半数、大阪市議会でも第一党を占めた。地方議員は現在府下全体で二百四十二。自民党は府下で百五十六人、この数年間で逆転され、差がついた。ちなみに立憲民主党は二十八人、共産党百十八人である。「維新」の議員は、どぶ板での日常活動に加え、選挙戦では総動員体制と行動力で他党を圧倒した。その結果、今回の総選挙で、大阪府下では比例復活を含めた衆議院議員は、「維新の会」が七人から十五人に倍増し、自民党は十四人が三人に、立憲民主党は五人から一名人となったのである。
 また、今年七月に行われた隣県の兵庫県知事選挙では、「維新」推薦の斉藤知事を誕生させ、今回の総選挙では小選挙区で議席獲得、比例票でも兵庫県内第一党となった。大阪で府知事、市長など自治体の首長を握ったこと、その影響力を使って他県の首長、地方議会へも進出している。

無党派層を政策誘導
 さらに、無党派層への政策誘導がある。今回の大阪府内の比例代表の得票をみると、維新の会は約百七十万票、約八十万票増加している。自民が減らした約十万票、それに前回「希望の党」が獲得した二十万票のうち国民民主党の得票の差約十万票、この二十万票が維新の会に行ったとすると、増加した八十万票のうち約六十万票がいわゆる「無党派層」から得票した計算になる。これは公明党が獲得した比例票よりも多い。
 「維新」は議員定数削減などの「身を切る改革」で、私立高校授業料無償化、給食費無償化など、子育て世代、教育政策を充実させたとしきりに宣伝した。だがこれらの財源は、身を切る改革などではなく、実際には五年ほどのインバウンドでの一定の税収増、資産売却などで得たものである。そして、これらの欺瞞的な政策で、現状からの「変化」を望む有権者からの一定の支持をかすめ取ったといえる。

維新政治の矛盾も噴き出す
 だが、維新政治の十一年間で、大阪の産業構造は変わった。ものづくりは衰退し、金融・不動産業、サービス業、対事業所サービスなどが増加した。周辺県から若い労働者が、非正規労働者として増え続けた。コロナ禍まで、約五千〜一万人、特に若年女性や転勤族が大阪市中心部や北東部でのマンションに転入。一方で南西部は衰退し、高齢化が進んだ。地域間の格差も、階層間の格差も拡大した。こんにち、コロナ禍でインバウンドは消失、飲食店、サービスなどが苦境に陥り、中小企業は受注減や物価高に苦しんでいる。医療・保険・衛生体制の脆弱さもあらわになった。民営化、統合化を進めてきた維新政治の矛盾が噴き出している。こういう現状が十一年間にわたる維新政治の実態である。

 今回の選挙を通じて維新の会は、全国政党に近づいたようでもある。国会内での与野党関係にも影響力を持つようになった。
 だが、かれらの掲げる「改革」は、財界のための「改革」である。小泉改革以来、歴代政権が、財界が求める「改革」を徹底できなかった隙を突いて、「身を切る改革」を標榜して公務員削減や行政「改革」などで国民各層に犠牲を押し付けることである。
 しかし、大阪で自治体を足掛かりにして基盤を固めてきた手法は、他の野党にとって教訓となさねばならない。多くの自治体では「与党も野党もない」という「相乗り」の政治が横行しているからである。自治体政治でも地域住民の要求に根差した政治活動が重要である。誰のための政治か、維新政治を打ち破るために、地域住民に根差した基盤づくりと、明快な政策提起が求められている。
 維新の会が果たす役割やめざす政治の危うさを具体的事実に基づいて暴露することはますます重要になっている。   (H)


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