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2021年9月5日号 1面〜2面

米帝国主義と
追随者の完全な敗北

アフガニスタン人民の
歴史的勝利

 二〇〇一年九月の「同時テロ」から二十年を前に、アフガニスタンでの米帝国主義による侵略戦争に終止符が打たれた。米軍は撤退期限とした八月三十一日を一日早めてアフガニスタンから完全撤退した。アフガンで敗北した米国はさらに悪あがきを強めるだろうが、帝国主義の土台である資本主義は末期で「社会革命」の時代に入っている。米帝国主義とその追随者の完全な敗北とアフガニスタン人民の歴史的勝利は、全世界で帝国主義と闘う諸国・人民、諸勢力を勇気づけるものである。

威信地に堕ちた米帝国主義
 イスラム主義勢力タリバンは、本格攻勢を開始してわずか十日間で全土を制圧、八月十五日に無血開城で首都カブールに入った。傀儡(かいらい)政権の政府軍・治安部隊は全く無力で、ガニ大統領は国外に逃亡した。
 高をくくっていた米国や欧州諸国は慌てて国外脱出のためカブール空港へ殺到したが、その混乱ぶりとぶざまな姿は全世界に晒され、米帝国主義の威信は地に堕ちた。撤収期限をめぐっても米国と欧州諸国との意見の対立も公然化し、責任のなすり合いも始まった。米国内でも撤収をめぐる混乱に対してバイデン大統領への批判の声が与野党から上がった。
 〇一年の九・一一事件の直後、米国は、「対テロ」を口実にアフガニスタンを侵略し、当時のタリバン政権を崩壊させた。さらに〇三年には「大量破壊兵器」を口実にしたイラクへの侵略戦争を起こし、フセイン政権を崩壊させた。だが、地域の政治状況は安定化せず、「イスラム国(IS)」の登場と勢力拡大など事態はいっそう複雑になった。一三年には、シリア内戦への軍事介入を断念したオバマ大統領(当時)は「もはや世界の警察官ではない」と泣き言を言わざるを得なくなるほど力は衰えた。米国は再三にわたって米軍の撤退を目論んだが、治安の悪化やタリバンの勢力回復に対処するため引くに引けない状況が続いた。一四年の国際治安支援部隊(ISAF)の撤退で事実上の米国の敗北が決まった。
 米国は、アフガン戦争の二十年間に二千六百十億ドル(約二十八兆五千億円)の戦費を投じた。これはベトナム戦争の二・五倍、傀儡政権への支援を含めれば二兆ドルと言われている。
 バイデン大統領が八月三十一日の演説で、撤収作戦を正当化し「米国の根本的な国益に集中し続けることだ。今回の判断はアフガンだけに絡む話ではない。他国を作り替えるために大規模な軍事作戦を行う時代の終わりを告げるものだ」と述べた通り、米国の力の衰退は止められなかった。
 米国が力で世界を動かせる時代は終わった。

対中対抗さらに強まる
 バイデン氏は、四月の就任後初の議会での所信表明演説で、トランプ前政権時代に亀裂が深まった同盟国との関係を修復するため「われわれは戻ってきただけでなく、私たちがここに居続けるということ、単独で進むことはないということを示さなければならない。同盟国を率いていくのだ」と述べた。
 米国にとって急速に台頭する中国を抑え、蹴(け)落とすことが最大の課題である。
 バイデン政権は、日米首脳会談を皮切りに六月の先進国首脳会議(G7)などで同盟関係の再構築をすすめて中国への対抗策を強める戦略を急ピッチで進めてきた。国内的にも対中国対抗政策は共和党と共通できる数少ない政策ということもあった。
 アフガンや中東での軍事的関与を減らし、「同盟国を率いて」中国への対抗に集中する狙いだったが、今回の敗走劇で、北大西洋条約機構(NATO)をはじめ同盟国内部に「米国があてになるのか」と動揺と不信を拡げることとなった。
 さまざまな国際関係で米国の主導性はいちだんと失われ、対中政策でも独自色を強めてきた独、仏などはいっそう米国との距離を広げるだろう。しかも、九月の独総選挙、来年の仏大統領選挙など欧州の大国は政治の季節を迎え、国内問題で手一杯になる。アフガン難民の受け入れをめぐってもアフガン周辺国や欧州連合(EU)内部でも対立があり、それはまた各国の内政を揺さぶり、容易に一致できる状況ではない。
 米国内の対立も一段と激しくなっている。政敵の共和党やタリバンと「取引き(ディール)」して米軍撤退を決めた張本人のトランプ前大統領でさえも傀儡政権のあっけない崩壊と撤退をめぐる混乱をバイデン政権の失敗として攻撃を強めている。バイデン政権にとって来年の中間選挙は最大の難関であり、苦戦は避けられない。選挙結果次第では政権はレームダック化は避けられない。
 バイデン政権としては何としても事態を好転させなければならず、「中間層」の獲得のためにさまざまな動きを強めるだろう。大型の財政出動で経済対策を打ちながら、外交的には対中対抗、攻撃をますます強めざるを得ない。米国の対中対抗への集中で、わが国に対する要求・圧力はいっそう強まる。

世界の多極化に拍車
 米帝国主義の国際政治での威信は地に落ち、欧州連合(EU)は独自の道を歩む方向に、台頭する中国やロシアは米国に対する対抗を強めている。資本主義は末期となり、コロナが危機を加速する中、米国を頂点とした冷戦崩壊後の世界秩序は大きな転換点に入った。世界の多極化の流れに拍車がかかっている。
 NATO内部には米国の軍事力依存の「無力感」と米主導への「不満」が広がっている。マクロン仏大統領は「今こそ欧州の防衛、独自戦略に取り組まねばならない」と述べ、安全保障の「米国依存」からの脱却を主張している。
 アフガンでの敗北で中央アジアの戦略的要衝で米国は存在感を失い、地政学的な関係も大きく変化している。中国とロシアは一五年頃からタリバンとの関係を結び、地域での影響力の拡大を図ってきた。中国とロシアはアフガン周辺の中央アジア四カ国やパキスタン、インド、さらにアフガン、イランがオブザーバー参加している上海協力機構(SCO)を通じた地域情勢への対処を進めようとしている。アフガンの戦後復興でも中国の存在感が大きくなると言われている。これも多極化の一つの動きである。
 米国の衰退とEUなど欧州諸国、中国、ロシア、インドだけでなく成長する東南アジア諸国連合(ASEAN)、韓国など諸国はそれぞれ自国の利益や都合から国際関係に対処しようとしており、世界の多極化の流れはいっそう加速する。
 また、帝国主義者らが言う「民主」「人権」など「普遍的価値観」の押し付けはアフガンでも実を結ばず、腐敗・不正にまみれてあっけなく崩壊した。「普遍的価値」などと言っても帝国主義者らの身勝手な言い分にすぎない。こんにち米国など帝国主義者らは、中国やロシアを名指しして「民主主義対専制主義」などと対立をあおっている。しかし、昨年の大統領選や深刻な人種差別など米国の足元をみれば、他国にアレコレと口出しする資格などないのは明白である。

戦争加担の責任をとれ
 わが国もアフガン戦争に加担した当事国であり、その責任は極めて重い。そしてわが国も米国と同様にアフガン戦争の「敗戦国」である。だが、政府内からは責任を認める声は一切上がっていない。立憲民主党など野党のなかにも責任追及の声はほとんどなく、共産党が「対テロ報復戦争の破たん」「憲法九条に基づいて国際紛争の解決に貢献する本来の姿に立ち返らなければなりません」などときれい事を言うだけである。
 米国のアフガン侵攻を受けて、小泉政権(当時)は、「ショー・ザ・フラッグ(旗を見せろ)」という米国の一喝で、「テロ対策特別措置法」を強行成立させた。そしてインド洋でのテロ勢力の海上移動や資金源となる麻薬や武器を取り締まる海上阻止活動を行う多国籍海軍への燃料の補給を名目に海上自衛隊艦船を派遣し、戦争遂行に加担し続けた。特措法は〇八年に「新テロ特措法」として延長され一〇年まで給油活動が続いた。しかも本来の海上阻止行動だけでなく特措法では規定されていないイラク攻撃にも使われた。
 復興支援として、インフラ整備などに二十年間で七千五百億円がアフガンにつぎ込まれたが、アフガン政権は腐敗・不正にまみれており、経済や国民生活の向上にはつながらなかった。
 アフガン新政権がタリバン主体の政権になることは確実である。新政権が樹立されればアフガンの新政権にどう対処するのか。新政権を承認し、戦後の復興を支援する責任がわが国にあることは明白である。
 しかし、菅政権は無反省にも「邦人救出」を口実に自衛隊輸送機を派遣した。「邦人救出」は大失敗したが、政府はそれを口実に、海外派兵の常態化を強めようと策動している。
 歴代政権の戦争責任が問われなければならない。野党は責任追及の声を上げるべきである。

対米追随政治に展望なし
 菅首相は今年四月訪米で、「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調する」と明記した日米共同声明を発表した。菅政権は、日米同盟を一段と強化し、七二年の日中国交正常化以来の関係を「友好」関係から「敵対」関係へと転換し、米国の対中対抗戦略の一翼を担う道を突き進んでいる。そして日米同盟だけでなく「自由で開かれたインド太平洋」を掲げて、日米豪印の関係強化やASEANを引き付けて対中包囲網を拡げようとしている。また、英、仏など欧州諸国と共同した多国間軍事訓練も頻繁に行うようになっている。
 安倍前政権は一四年に集団的自衛権容認を閣議決定し、一五年には安全保障関連法成立させて戦争参加への道を開き、政治・軍事大国化をめざしてきた。
 わが国の企業は、製造業を中心に一九八〇年代から主に中国やアジア諸国へ海外展開してきたが、二〇〇〇年代には、中小企業や小売業など非製造業も海外展開を拡大してきた。安倍政権下の一二年以降、海外投資は直接投資が証券投資を上回るようになり、海外からの収益の三割以上が海外に再投資されている。本籍地はわが国にあっても海外で調達し、海外市場で商売をするようになってきている。資本主義が行き詰まる中、世界中で競争が激化し、中国とも争う場面も増えている。
 こうしたわが国の経済構造の変化は、当然わが国の安全保障政策に影響を及ぼしている。軍事力強化は、対米追随よりむしろもわが国財界の権益確保の必要性からである。
 だが、わが国の企業の展開先は中国が最大で、中国抜きには日本経済は立ちいかない。さらにアジア諸国も中国と密接な経済関係があり、米国の対中対抗策(中国とのデカップリング)ではわが国経済の展望は開けないのが実際である。日中の力関係は経済力も軍事力もはるかに中国がわが国を上回っており、国際政治の中でも中国抜きには何事も始まらないほど中国の存在感は大きくなっている。わが国の一部の保守勢力が「対抗する」と虚勢を張っても無理である。
 米国はますます中国への対抗、攻撃を強めわが国にさらに大きな荷物を背負わせるのは間違いない。
 支配層・財界も米国と共に中国との対抗を強めるのか、アジアの一員として「平和」「互恵」の道を歩むのか深刻なジレンマに直面している。財界内部には意見の対立が明らかにあり、対米追随からの脱却の条件は広がっている。
 今こそ、対米追随からの脱却の声を高らかに上げる国民的運動を強めるチャンスである。

アフガンに真の復興を

40年以上の戦乱  アフガニスタンは、一九七九年十二月の旧ソ連の侵攻以来、内戦やその後の米国の侵略など四十年以上にわたって国土は荒廃した。多くの難民が流出し、現在も二百七十万人が難民生活を余儀なくされている。
 米軍の戦死者は約二千五百人に対し、アフガン側は約十六万五千人、うち民間人約四〜五万人の米軍の空爆の巻き添えなどで死亡している。
 アフガンの一人当たりGDPは(名目、二〇一九年)は四百七十ドルで、世界二百十三カ国中二〇八位と最貧国である。米国の一三〇分の一以下である。侵略戦争がアフガンを苦しめてきた。米欧各国や日本の資金援助はアフガン経済には役立たなかった。

侵略と抵抗の歴史
 アフガンの近代史は侵略と抵抗の歴史だった。
 英国は十九世紀から二十世紀初頭にかけて三回のアフガン戦争を行い、一九一九年までアフガンを保護国とした。第三次アフガン戦争後に国は独立したが、反乱が続発した。七八年に親ソ派のアフガン人民党による政権が打ち立てられ、土地改革などを行ったが、イスラム主義を掲げたムジャヒディンが各地で蜂起した。
 七九年に隣国イランでイスラム革命が起こった。革命の波及を恐れた旧ソ連はアフガンへ軍事介入し、十年にわたるムジャヒディンの抵抗と反撃が続いた。
 ソ連の侵攻に米国はパキスタンを通じてムジャヒディンらに武器や資金を提供、ソ連と闘わせた。ソ連も疲弊し、八九年にソ連軍は撤退した。ムジャヒディンにはイスラム世界から多くの志願兵が参加、アルカイダのビンラディンもサウジアラビアの公式代表として参加している。
 九二年にムジャヒディン諸派がカブールを占領、アフガニスタン・イスラム国を創設したが、派閥抗争が激化した。九四年にパキスタンに避難していたパシュトゥン人の中からタリバンが結成された。タリバンはイスラム法にもとづく支配で秩序をとり戻して住民の支持を得、九六年までに全国の約九割を統治した。
 二〇〇一年九月、米国で同時多発テロ事件が起こった。米国はアルカイダの引き渡しを要求したが、タリバンは拒否した。米国は即座に侵略戦争を開始した。十月に北大西洋条約機構(NATO)が初めて集団自衛権を発動し、米国を中心とした有志連合がアフガン攻撃を開始、十一月、タリバン政権は崩壊した。
 〇二年六月アフガニスタン・イスラム以降政府が成立、〇四年に新政府が発足した。タリバンはゲリラ戦を展開した。
 米国はブッシュからオバマになっても米軍を増派し続けたが、一一年にビンラディンを殺害、戦争の口実はなくなった。一四年に、NATO軍による国際治安支援部隊(ISAF)が撤退した。
 また米国内でも厭戦気運が広がり、一五年にはタリバンを加えた和平交渉が模索されたが、タリバンは応じなかった。タリバンはカタールに外交事務所を設置、ロシア、中国、イランのほか中東、中央アジア諸国との外交関係を拡げた。この間にもタリバンは統治地域を拡大し一八年頃には全土の半分を統治するまでになった。
 一七年にトランプ米政権が発足して、タリバンとの和平交渉がガニ政権の頭越しに行われた。ガニ政権は見捨てられたのである。
 そして二〇年二月、米国とタリバンの和平が合意され、二一年四月末の米軍撤退が決まった。だが、バイデン政権は撤退期限を九月十一日に延期、タリバンは反発し八月末となった。
 八月十五日、本格攻勢に出ていたタリバンがカブールを無血で制圧し、傀儡政権はあっけなく崩壊した。
 これを受け、米欧各国は大慌てで国外脱出を急ぎ大混乱に陥った。八月三十日米軍が完全撤退した。
 新政権がタリバン中心となることは確実である。

アフガン新政権承認せよ
 アフガンにスタンの新政権が直面するのは戦後復興のための資金である。
 国際通貨基金(IMF)は八月十八日、タリバン政権が国際社会から認められていないとして経済支援の送金を止め、さらに外貨支払いのための特別引き出し権(SDR)も使えないようにした。バイデン政権はアフガンの前政府が米国で保有する九十五億ドル(約一兆円)の中央銀行の資産を凍結した。また、ドイツは「タリバン政権には一セントも支援しない」と年四億三千万万ユーロ(約五百五十億円)の援助の打ち切りを示唆している。米欧はタリバンへの圧力を変えていない。主要七カ国(G7)の外相協議で、新政権を承認するかどうかは基本的人権を尊重するかどうかを見極めて判断するとしている。
 侵略戦争で他国を踏み荒らした責任もとらず、敗北を認めず、経済でも新政権に圧力をかけ、言うことを聞かせようという帝国主義者のごう慢な態度である。
 こうした米欧の態度を世界中の新興国、弱小国も見ている。

悪質なデマ宣伝許すな
 わが国や米欧のマスコミもタリバンを極悪非道呼ばわりするが、これは侵略行為を正当化するための最も悪質なデマ宣伝である。
 一九年に亡くなった故中村哲医師によれば、米軍の空爆が始まった〇一年当時のことについて「タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、われわれがアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです」「女性に学問はいらない、という考えが基調ではあるものの、日本も少し前までそうだったのと同じです。ただ、女性の患者を診るために、女医や助産婦は必要。カブールにいるわれわれの四十七人のスタッフのうち女性は十二〜十三人います。当然、彼女たちは学校教育を受けています」などとインタビューに答えている。故中村哲医師は、タリバンがデマ宣伝とは真逆で、アフガン国民にとって「真に頼りになる存在」であると語っている。(「中村哲が十四年に渡り雑誌『SIGHT』に語った六万字」)。中村医師は「恐怖政治は虚、真の支援を」と訴えていた。
 国民にとって大事な点は、自らの命と生活の安全を守ること、自らの伝統・文化・習慣に合った統治か否かである。アフガンは多民族の部族国家である。
 タリバンは、イスラム教に基づく統治で、住民の伝統・文化・習慣を守ることで支持を得てきたのであった。そうでなければ短期間に全土を制圧することなど不可能である。
 戦後復興は困難な大事業である。世界は新政権を支援し、国民の生活再建のために力を尽くすべきである。それはわが国とって重大な責務である。 (H)


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