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2021年3月5日号 1面

東日本大震災から10年
復興はいまだ道半ば

余震におびえる日々
原発再稼働、海洋
放出は許せない

福島県出身・小田切 章子

 福島から上京し、働き始めてから数十年が経ちます。
 東日本大震災後、たびたび帰省して実家や親戚を見舞ってきました。母親が介護施設に入所した五年前からは、ほぼ「週一」のペースで帰省していました。大震災後の十年間、東京で働きながらも、復旧・復興の経過をつぶさに見てきたつもりです。
 ただ、新型コロナウイルスの感染が広がったこの一年ほどは、まったく帰れない状況です。
 私の実家は、農業と畜産業を営んでいます。大震災と同時に発生した福島第一原子力発電所の大事故によって、家畜の飼料となる干し草が汚染され、使用できなくなりました。何とか他県から調達することができましたが、予定外の出費がかさみました。風評被害もあり、家畜の売値は通常より三割近くも下落、利益はほとんど出ず、経営は大きく傾くことになりました。
 現在、家業は兄が継いでいますが、この件以来、「自分の代で終わり」という思いが「確定」したように思えます。同じ境遇の人も、きっと多いのでしょうね。
 実家は内陸部にあるので、津波による直接の被害はありませんでした。
 ただ、近所には被災者用住宅が立てられ、沿岸部から多くの人びとが避難してきました。
 当然、避難民の皆さんは仕事もありません。昼間からパチンコ屋に通い、「酒浸り」になる人もいたようです。この状況を見て、「あいつらはぶらぶらしている」などという「反感」が生まれ、住民間の「分断」がつくられました。同じ被災者であるにもかかわらず、やりきれません。
 十年が経ち、被災者住宅に住む人はめっきり少なくなりました。お金に余裕のある高齢被災者は、近隣に土地を買って住宅を立てました。ただ、若者・子供を中心に、市外・県外に引っ越した人が多くいます。
 全国で「自治体消滅」がいわれますが、福島はより早く進んでいるように思えます。
 震災当初に比べれば少なくなりましたが、「福島差別」も根強くあります。
 こうした中、福島県沖で二月十三日、マグニチュード七・三の余震がありました。
 慌てて実家に電話しましたが、きょうだい・親戚は無事でした。ただ、口々に「三・一一の時よりも揺れた」「棚が倒れた」などと言っていました。
 私も親戚も、もっとも気になったのは福島第一原発への影響です。津波の被害はありませんでしたが、福島第一原発一、三号機では原子炉格納容器内の水位が三十センチ以上も下がったそうです。
 東京電力は余震直後に「影響はない」と発表しましたが、実態はこれです。新たなひび割れ、もしくは穴が発生したことは明らかです。原子炉内に残る燃料デブリが崩壊熱を放ち、再びメルトダウンを起こす危険があります。
 今回の余震を通して思い知ったのは、「廃炉完了まで」の数十年間、再びの大規模地震や津波が福島を襲う可能性は十分にあるということです。
 そうならなくても、汚染水の蓄積ペースが早まることは確実でしょう。政府が以前から画策している汚染水の海洋放出は、まさに「目前」なのではないでしょうか。さすがに東京五輪の前には「やりづらい」でしょうが。
 「福島県沖」というだけで、魚は買いたたかれていると聞いています。この状況はさらに悪化するでしょう。漁連が反対しているのは当然です。海に境はありませんから、全世界が被害を受けることになります。
 こんなひどい状況なのに、全国の原発を再稼働するとは、呆れてものがいえません。絶対に許してはいけないと思います。
 また、一月に行われたJR常磐線・富岡駅から浪江駅までの運転再開もデタラメなものです。避難指示解除された駅周辺のすぐ横には、汚染土が詰め込まれたフレコンバッグが大量に積まれたままです。バッグからは草が伸び放題になっていますし、昨年の豪雨では一部のバッグから汚染土が流出しています。
 政府は常磐線で東京五輪の聖火ランナーを運び、「復興の象徴」としたいようですが、まさに「被災者そっちのけ」のパフォーマンスにすぎません。
 政府は、これで「復興」というのかもしれません。先日の世論調査では、復興が「進んでいる」との回答が六割を超えたそうです。これは全国の調査ですから、福島県民、東日本住民の気分とは違いがあるのでしょうね。それでも、約三割の人が「進んでいない」と答えているわけです。私が知る県民の大部分も、私自身の印象も「復興は道半ば」です。
 全国の皆さんの注目を、改めて呼びかけたいと思います。


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