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2020年8月5日号 2面・解説

香港問題を機に
改めて確認すべき

植民地支配は血塗られた歴史

 米帝国主義は、香港問題を口実に中国への包囲と圧迫を強化している。香港問題は完全に中国の内政問題であり、干渉は許されない。だが、この問題をめぐる諸政党やマスコミなどの見解には、「帝国主義の侵略と植民地支配」という歴史的観点が抜け落ちている。世界資本主義の危機が深まるなか、帝国主義とその追随者は意図的に歴史を隠すことで、全世界の中小国・被抑圧民族・人民の抵抗の意志をくじき、崩れかけた世界支配を再確立しようとしているのである。
 マスコミなどは香港問題で、中国政府の政策が「一国二制度に反する」などと騒ぎ立てている。
 だが、そもそも香港は紀元前の秦王朝時代から、歴代王朝の支配下にある「中国の一部」である。

香港は英国の植民地だった
 一八四〇年、英国は中国(清王朝)にアヘン戦争を仕掛けた。インドで生産した麻薬を売りつけ、それを取り締まった中国に戦争を仕掛けるという、きわめて悪らつで卑劣な戦争である。英国内でさえ「不義の戦争」という批判は強く、出兵予算案はわずか九票差での可決であった。
 その後の南京条約によって、多額の賠償金ともども、香港島が英国に割譲された。さらに、六〇年の北京条約で九龍半島が割譲され、九八年に新界が「九十九年の期限」で英国に租借された。こうして、香港(香港島・九龍半島・新界)は英国に奪われた。
 以降、香港は、第二次世界大戦期の日本軍による占領期を除き、英国の植民地であり続けた。香港住民には、英国本土のような直接選挙による議会も、基本的人権も保障されなかった。
 一九八四年、サッチャー英首相と趙・中国首相による「中英共同声明」で、香港が九七年に中国に返還されることで合意した。形としては、新界租借の「期限切れ」に合わせたものである。
 この声明で併せて合意されたのが「一国二制度」である。中国は香港に社会主義を実施せず、資本主義制度を「五十間維持する」としたのである。
 これにならう形で、マカオの返還についても、八七年に中国・ポルトガル共同声明が発表された。

「一国二制度」の思惑
 中英共同声明当時の事情を考えなければならない。
 当時、中国は「現代化」に踏み出したばかりで、いわば小国であった。英国が条約に従って香港を返還する保証もなかった。むしろ「一国二制度」という大きな妥協をしてでも、香港を返還させることが重要であった。併せて「一国二制度」を保証することで、香港を通じた、外国資本と技術の流入に期待していた。
 英国にとっては、条約に反して返還を拒否すれば、国際世論の批判を受けることは必至であった。ここで「一国二制度」という「条件」を付けることで、返還に反対する国内世論をなだめることができた。香港は、当時も今も、ロンドンの金融街(シティー)に世界中の投資資金を集中させるための「窓口」の一つである(他にケイマン諸島などがある)。英帝国主義は、これを失うわけにはいかなかった。
 英国は返還が決まった後の九一年になって、香港議会(立法会)に「直接選挙枠」を創設した。これは「一国二制度」と併せ、九七年に迫った中国への返還を見据え、「(西側流)民主主義の芽」を中国に埋め込むための戦略であった。
 こんにち、世界第二の大国となった中国にとって、「屈辱の歴史」にほかならない植民地遺制を克服することは、国家目標として当然である。国家保安法の施行は、その一部である。

植民地支配の「血の歴史」
 香港は、英国が中国から奪った植民地であった。マカオも、ポルトガルの植民地であった、
 世界史における「植民地」は、古代ギリシャ時代から存在する。本格的には、十六世紀以降の「大航海時代」において、欧州諸国が米大陸、アフリカ、アジアで海外領土の獲得合戦を始めて以降である。スペイン、ポルトガルが先行し、東インド会社を設立したオランダ、英国、さらにフランスがこれに続いた。
 それは、「神」や「進歩」の名の下、原住民の大虐殺、資源の略奪、奴隷売買、感染症のまん延など、まさに「血塗られた歴史」である。
 スペインが中南米で、アステカ、インカ両帝国を滅ぼし、大虐殺を行い、大量の金銀を奪い去ったことは有名である。英国も、インドに大量生産した綿織物を売りつけ、大地を手紡ぎ職人の「白骨で白く染めた」(マルクス)。一八五七年、これに対する反乱(セポイの乱)に対しては、残虐な手法で「鎮圧」した。

帝国主義による惨禍
 十九世紀末、独占資本の形成を背景に、欧米で帝国主義が成立した。米国、ドイツ、次いで日本も植民地支配に「参入」した。
 世界の隅々までが帝国主義諸国によって分割され、植民地化された。清朝、オスマン帝国などの旧来の帝国も残ってはいたが、列強との間の不平等条約(香港割譲はまさにこれである)、関税自主権の喪失や治外法権、経済利権などで、半植民地に陥っていた。アフリカや中東地域では、人びとの生活で形成された集落や民族の境界をいっさい無視して、列強間の闘争と取引による「国境線」が引かれた。
 第一次世界大戦、第二次世界大戦は、こうした帝国主義による世界再分割戦として始まった。強盗同士の戦争により、第一次大戦で約一千六百万人、第二次大戦では約八千五百万人の命が奪われた。
 第二次世界大戦中から、世界の植民地、被抑圧民族は民族解放闘争を大きく前進させた。帝国主義は、闘いが社会主義と結び付くことを恐れて譲歩を迫られ、植民地の多くが政治的独立を得た。
 こんにち、世界資本主義は末期症状を呈し、帝国主義の世界支配も揺らいでいる。中国、ロシア、インドなど、非帝国主義国が台頭し、国際政治への影響力を増している。
 だが、引き続き大国、多国籍大企業に経済的支配を受けていたり、政治的にも「半独立」の国々が多数ある。人工的な「国境線」による民族分断、「格差」や宗教問題などで、政治の安定さえ困難な国も数多い。五大国による核独占も、大国による世界支配を支えている。
 中小国・被抑圧民族は今なお、帝国主義の世界支配と植民地遺制に苦しめられ続けているのである。帝国主義を打ち倒すことは、引き続き、全世界の労働者階級・人民の第一級の課題なのである。

筆頭の米帝との闘いが重要
 こんにち、帝国主義の筆頭は、第二次大戦後に世界支配を実現した、米帝国主義である。衰退を早める米国だが、今なお、最大の軍事力と基軸通貨・ドルによって支配を維持している。
 その米国もまた、スペイン、英国などの「先輩」に劣らぬ、いや、それ以上の残虐行為を行ってきた。
 米国が帝国主義として登場したのは、十九世紀末、キューバをめぐってスペインと争った米西戦争以降である。次いで、コロンビアからパナマを「独立」させてパナマ運河の永久使用権を得た。第一次大戦後には、ハイチ、ドミニカ、メキシコなどに次々と武力干渉した(バナナ戦争)。
 第二次大戦後も、米ソ冷戦構造の下、朝鮮戦争、革命キューバへの包囲、インドネシア・クーデターへの支持、ベトナム戦争、ドミニカやニカラグア内戦への干渉、チリでのアジェンデ政権打倒、イラン革命への干渉、グレナダ侵略、パナマ侵攻など、侵略と干渉をほしいままにしてきた。
 とくにベトナム戦争は、南北で八百万人以上が犠牲となっただけでなく、今なお、枯葉剤や地雷などが人民を苦しめ続けている。
 二〇〇〇年代に入ってからも、「反テロ」を口実としたアフガニスタン戦争、「大量破壊兵器」のデマに基づくイラク戦争、シリアへの爆撃など、枚挙に暇がない。イラク戦争では、民間人を含む六十五万人が虐殺された。
 およそ、世界の紛争で、米帝国主義が一方の背後にいないものはないと言ってよいほどである。
 現在、世界資本主義が末期症状を深めるなか、米国は中国の体制転覆を戦略課題に据え、中国への攻勢を強化している。それは、七月末のポンペオ国務長官の発言にもあらわれている。通商要求、ハイテク摩擦、南シナ海問題、台湾や新疆ウイグル自治区の問題など、干渉の材料は数限りない。香港問題は、こうした攻勢の一部である。
 香港問題で中国を一方的に非難する論調が、いかに歴史を知らず、米帝国主義の支配という現実を見ないものであるかが理解できる。労働者階級は、共通の敵である米帝国主義との闘いを抜本的に強化しなければならない。   (K)


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