ホーム労働新聞最新号党の主張(社説など)/党の姿サイトマップ

2012年2月25日号 2面〜5面 

レポート/
埼玉県公務員労働者の賃金分析

借金のツケ払いは大銀行、
大企業に

日本労働党埼玉県委員長 吉沢章司

はじめに

 公務員を意図的に悪者に仕立て上げ、それへの反感をあおり、生活難にあえぐ国民各層の不満の矛先をそらそうとする世論つくりが横行している。
 埼玉県上田知事も、一万人あたりの職員数が全国一少ないことを何よりの成果にあげ、「最小・最強の県庁」を豪語している。
 上田知事就任以後、県職員、教職員、また市町村職員などは大幅に削減された。少ない人数で労働は強化され、給料、その他の諸手当もやはり大幅に削減されてきた。正職員は減らされ、代わって非正規・臨時の低賃金労働者が急増している。
 その一方で、国債に群がり大儲(もう)けしている巨大銀行は、地方自治体においても地方債に群がり、取りはぐれのない膨大な利払いを享受し、発行手数料でボロ儲けしている。
 公務員攻撃はまた、自治労、教職員組合など公務員労働組合への攻撃と一体のものである。
 このレポートは、県民各層の闘いの前進、とりわけ日本の労働運動史の中でも大きな役割を果たしてきた、県内公務員労組の闘いの前進にいくらかでも役に立てば、との願いから書かれたものである。

低下する一方の公務員労働者の給与、労働条件

(1)職員数
 二〇一〇年の埼玉県の公務員労働者数は、一般行政部門七千二百二人、教育部門四万一千三百十四人、警察部門一万二千三百二十二人、公営企業等会計部門二千三百十五人、計六万三千百五十八人である。
 上田知事が就任した〇三年以降、県の公務員労働者の労働条件はどのように変化したか。
 上田知事は、これまでに三度の行財政計画を実施してきた。最初は、「埼玉県行財政改革プログラムー地方自立に向けた埼玉県の挑戦」(実施期間は〇五年度からの三年間)、次に「埼玉県新行財政プログラム」(同〇八年度からの三年間)、そしていま実施中の「第三次埼玉県行財政改革プログラム」(同一一年度からの三年間)である。
 この中で、職員数削減は常に断行され、〇五年度の職員(知事部局一般職員)八千百四十六人は、一一年度六千八百三十五人に、率にして一四・九%も減らされた(図1)。
 部門別では、〇五年から一〇年の間に一般行政部門が八千七十一人から七千二百七人(一〇・七%減)、教育部門が四万二千七百九十八人から四万一千三百十四人(三・五%減)に減らされ、警察部門は一万一千三百三十人から一万二千三百二十二人(八・八%増)に強化された。
 また、学校の用務員、学校給食の調理員、研究機関で動物飼育や農場作業等を行う補助員、公用車の運転手及び守衛等の業務を行う技能職員は、一九九七年に一千百五十二人だったが、民間委託等で〇七年には六百八十二人へと、四〇・八%も削減された。
 これらの大幅な人員削減は、当然、職員の長時間労働につながる。例えば、教職員は人員削減に加えて、学習指導要綱の変更による仕事の煩雑さなどから、自宅に持ち帰る仕事が増えるなど長時間労働を強いられ、しかもその実態は正確に把握されていない。その結果でもあるが、精神疾患による休業が激増している(全国の教員の休業者で精神疾患の占める割合は九八年度に三九%だったが、〇八年度には六三%)。
 また、非正規・臨時職員の人数も増大している(知事部局の非正規職員数は、〇三年の三百七十六人から一一年には四百五十六人に)。埼玉県の非正規職員の月収の平均は、一六万九千円、正職員と同じ仕事をこなしても年収二百万円程度。臨時職員はより低賃金で働かされている。
 正職員の大幅減、とりわけ技能職員と呼ばれる現業労働者は削減され、他方で低賃金、不安定雇用の非正規・臨時職員が激増している。

(2)給与
 一〇年の県公務員労働者の年間給与は、七百二十二万六千円。〇三年と比較して五十七万四千四百円が削減された。
 主に、何が削減されたのか?
 いちばんは、年間支給期末手当が三十三万二千四百円減。次いで月額給料が月に二万五千三百円、年間で三十万三千六百円減。その他扶養手当や通勤手当も減らされ、管理を強める勤勉手当、また地域手当は増加といった内容である(表1)。


 毎月二万五千円の給料減、年間で三〇万円のボーナス減収は大きい。持ち家ローンなど、暮らしの設計が大きく狂わされた。
 各市町村でも、職員の給与は軒並み大幅な減収となっている。川島町、鳩ヶ谷市(一一年に川口市と合併)、上尾市、草加市、蕨市、戸田市では、年間百万円以上の収入減となった(表2)。
 部門別では、〇五年と一〇年の比較で、月額給与で、一般行政職一万一千円減、教育部門で二万二千円減、警察部門で二万二千円減となっている。
 本年度の賃金確定交渉では、県は現給保障の廃止、再任用職員の大幅な給与削減(年間で約七十万円)などを提案してきた。現給保障とは、給与構造の見直しにより減収となる職員に経過措置として差額を支給するもの。〇五年に県も合意したものだが、他県に先駆けて廃止を強行しようというものである。県の提案では、五十歳代の職員と再任用職員に大きな影響が出る。埼玉県地公労共闘会議(自治労県職労、埼玉教組、埼玉高教組)は、越年で粘り強い交渉を展開している。
 自らの生活を断固守ろうとする、労働組合の要求はまったく正当なものである。

 

職員削減、県民サービス低下ーー行財政改革を進める県の言い分

 〇三年以降、三度の行財政改革の中で、県内ではどんな事態が進んだのか?
 職員削減、給与削減についてはすでに述べた。
 これ以外にも、例えば「埼玉県行財政改革プログラム」では、「『選択と集中』『費用対効果』の観点から、徹底した歳出改革」「『税負担の公平化』『受益者負担の適正化』等の観点に立った歳入確保策」、これを「分野ごとに数値目標を設定し」断行すると、うたっている。
 また、「『官から民へ』『県から市町村へ』という観点から、県と国・市町村・民間との役割分担や連携の在り方を見直す」「『顧客主義』『成果主義』の視点から県庁内部の組織や仕事の進め方を見直す」。そして「活力ある埼玉の実現ーー経済活性化」をあげている。
 具体的な数値目標では、職員削減・給与削減で二十億円減、公共事業見直しなど投資的経費を十億円削減、その他、県立施設の見直し、特定出資法人や補助金の削減で、八十億円の削減があげられた。
 歳入確保では、取り立ての強化などで県税収入三十五億円増、使用料・手数料の値上げ、県有財産の売却などで三十五億円増、地方債発行の抑制、地方税財政制度の改善などで二十億円増である。
 この歳入、歳出両面の改革で、「三年間で二百五十億円の収支を改善する」としている。
 「民間活力導入」のかけ声の下で、県民生活に深く関わる諸施設が、廃止、もしくは利益追求を至上命題とする民間企業に成り代わった。例えば、老人母子休養センター、幼稚園などの廃止、特別養護老人ホーム、身体障害者療護施設などの民間移行、労働会館・埼玉会館などへの指定管理者制度の導入(労働会館はその後廃止)、などである。県民サービスが大きく切り捨てられた。
 さらに「活力ある埼玉の実現」で熱心に行われたのが、企業誘致。とりわけ自動車産業育成だった。県は企業立地促進法に基づく、「県北ゾーン地域産業活性化基本計画」「圏央道・外環道ゾーン地域産業活性化基本計画」を作成し、自動車関連産業を積極的に誘致してきた。道路を整備し、工業団地を造成し、税制面での優遇措置をとるなど、手厚い支援を行った。その結果、〇二〜〇七年比で、製造業従業者数、製造品出荷額で輸送用機械が突出して高い伸び率を示した。
 県が輸出産業に過度に依存した経済構造に誘導した結果、リーマン・ショック後の危機の影響は他県以上に深刻である。ホンダなど自動車メーカーが海外投資を増やし、部品供給や完成車さえ、海外輸入を増やす中で、県の有効求人倍率はいまだに〇・五一倍(一一年十二月、全国は〇・七一倍)にとどまっている。
 行財政改革を進め、自動車業界に集中投資したのである。
 県はこうした行財政改革を断行する理由を次のようにあげている。いわく「バブル経済崩壊以降の県税収入の低迷や国の三位一体改革に伴う地方交付税の減額などにより歳入が伸び悩み」「歳出面において、人件費、公債費等の義務的経費や福祉、医療関係支出などが増加し」「今後も引き続き大幅な財源不足が続くと予想」。「あわせて、人口減少社会の到来など将来の動向を見据え」「(放置すれば)多額の収支ギャップが見込まれ、残り少ない基金と県債等の活用によって対処せざるを得ない危機的な財政状況が想定される」と。
 財政危機への対処ーー歳入の不透明さ、義務的経費の増加などは、その後二回の計画でも強調された。
 だから職員数や給与を減らすのも、県民サービスを切り捨てるのも「やむを得ない」選択、との結論に導いているが、果たしてそれは本当だろうか?。

人件費、扶助費は低い伸び、公債費だけが突出した伸び

 県は、財政危機の歳入面での理由として、「バブル経済崩壊以降の県税収入の低迷」と「地方交付税の減額」をあげている。
 九〇年以降の、歳入各項目の伸び率を見てみよう(図2)。
 地方交付税は、〇〇年代に確かに大きな落ち込みを示した。
 だが、地方税は九七年にはバブル期の水準を取り戻し、以降落ち込むが、〇四年以後は再び上昇、〇七年には史上最大の税収額を記録した。
 一様に低迷してきたわけではないし、誰が税率で優遇されたのかも異なっている。
 この期間、国においては法人税率の引き下げ、所得税率の段階のフラット化、そして消費税の導入・税率アップと、大企業・金持ちは減税、貧乏人には大増税となった。地方税においても、県は住民税の均等割を低所得世帯で増やす一方、法人二税も大企業ほど優遇されてきた。
 リーマン・ショック以前、大銀行が過去最高の利益をあげながら、「繰り越し欠損金による控除」ということで、法人税を収めていなかったことは記憶に新しい。
 県のいう「県税収入の低迷」は、誰が税収面で優遇されてきたのかをおおい隠し、職員や大多数県民にその責任を負わせようとする、意図的な宣伝文句である。
 仮に法人税率がもとのままであれば、地方税はより安定したものとなった。とりわけ〇〇年代に入り、県の企業所得は、法人税以上に伸び続けた。そうして得た利潤を、大企業は内部留保金としてため込み、いまは海外投資、M&A(合併・買収)を増やしている。法人税率を下げる根拠はない。
 さらに言えば、〇九年の県の法人事業税は、対前年度五三%、約半分と、他県以上に大きく落ち込んだが、これは輸出産業依存の県経済を導入した県の責任である。
 「県税収入の低迷」と一言ですませる前に、県民のどの層の税負担が重くなったのかを明らかにすることと、県政の責任が言及されなければならない。
 他方、財政危機の歳出面の理由として、県は「人件費、公債費等の義務的経費や福祉、医療関係支出などの増加」をあげている。
 やはり九〇年以降の、義務的経費各項目の伸び率を見る(図3)。


 九〇年と〇九年の比較で、人件費の伸びは一・二七倍、扶助費一・三一倍、これに対して公債費は二・八五倍と、義務的経費の構成項目の中で突出して高い伸び率を示す。県債の元利払いである公債費が、県財政を大きく圧迫しているのである。人件費は、徹底した職員削減、給与削減、低賃金労働者の採用によって、搾りに搾られてきた。扶助費も同様に、低く抑えられてきた。
 それに比べて、公債費は増加する一方である。
 例えば一〇年度、銀行等への利払いだけで、県は何と五百八十五億円、一日当たり一億六千万円もの利子を払った。一般行政職員の人件費、年間約七百六十億円と大差ない。
 財政を圧迫するいちばんの要因が、この利払い費の増加だとすれば、職員や県民に犠牲を転嫁する前に、金利を下げたり、支払い期日を延長するよう銀行と交渉したり、国に臨時財政対策債の償還を強く迫るなど、その凍結や削減を真剣に追求すべきである。

県借金は90年代の公共事業と00年代の「借金肩代わり」で急増

 県債ーー県の借金が、いつ、どのように増えたか、その経過を見るならば、利払いの凍結、削減が決して不当な提案でないことが浮き彫りになる。
 県債はいつ伸びたのか? 地方債残高は、とりわけ九〇年代後半、そして最近も大幅な増加傾向を示している(図4、図5)。


 九〇年代、地方債残高は七千六百三十六億円(九〇年)から、二兆四千九百六十九億円(〇〇年)へと、約三・二倍に急増した。
 この時期は、日米構造協議にもとづく米国からの要求と、それに屈したわが国の政策により、内需拡大のために、全国で六百三十兆円もの公共事業(後に村山政権時に六百三十兆円に拡大)が行われた。国は地方自治体に対して、借金ーー地方債の発行、による公共事業を奨励した。
 関東において、東京都では「臨海部開発」、神奈川県では「みなと未来21」、そして埼玉県では「新都心計画」などの大型開発が進められた。九〇年代の地方債残高の急増は、その結果である。
 「新都心」計画の総事業費は、一兆四千億円。この内、県の負担は二千四百億円である。さらに、県の単独事業として「スーパーアリーナ」に六百八十九億六千万円、「けやき広場」に百四十五億七千万円(合計八百三十五億三千万円)を投入、うち九〇%超の七百五十四億円は地方債によってまかなわれた。
 これだけの巨額の投資を行いながら、県民多数の暮らしにほとんど寄与していない。当初五万七千人を掲げたさいたま新都心の就業人口は、〇〇年の「街びらき」から一〇年を経て、なお二万人以下である。多くは、東京都から移ってきた国家公務員である。
 「街びらき」後の経過を見ると、〇六年、デジタル放送用タワー(現、東京スカイツリー)の誘致に破れ、新都心開発構想の破たんはいっそう鮮明になった。その後、高層ビルを主体とする開発が、三菱地所、新日鐵、大栄不動産、三菱商事、丸紅、オリックス、鹿島建設などで競われたが、リーマン・ショックを経たオフィス需要激減の中で、儲からないと判断した三菱地所が一〇年に撤退を表明。県とさいたま市は、さいたま赤十字病院や県立小児医療センターの移転、さらに市の新庁舎移転をもくろむなど、後始末に追われている。
 さいたま新都心開発は、その経済波及効果はわずかで、県の財政を大きく圧迫する要因となった。しかもその開発の過程で、大手デベロッパー、ゼネコンは潤い、また開発用地にはさまざまな利権が生じた。県のメインバンクである埼玉りそな銀行を筆頭に、大銀行は、国債、地方債で巨額の利息を手に入れ、発行手数料でボロ儲けした。
 九〇年代に生じた巨額の借金ーー地方債は、まず米国の不当な要求とそれに屈した中央政府の売国性から生まれたものであり、かつこの公共事業にむらがり利権をむさぼった巨大銀行、大手デベロッパー等、そして計画を推進した県執行部が責任を負うべき性格の負債である。県職員はもちろん、大多数の県民には何ら返済の責任がないものである。
 さらに〇〇年代に入ると、しだいに臨時財政対策債の残高が増え、一〇年度には地方債現在高の約二四・三%を占めるにいたった(図5)。
 臨時財政対策債とは、国の地方交付税の財源不足を穴埋めするもので、将来の交付税を、借金で先食いするものである。国に代わって地方が借金を負うもので、国家財政の危機が叫ばれる中、この財源保障は必ずしも約束されたものではない。
 地方債残高は増え続け、当然、利払いも県の財政を圧迫する。
 国債だろうが地方債だろうが、主な債権引き受け手である銀行は、膨大な利払いを享受し続けている。
 いま世界的な金融不安が高まる中で、国債、地方債は金融リスクが少ない、格好の儲け口となっている。

まとめ

 財政危機を理由に、国でも地方でも公務員への攻撃が強まり、消費税率引き上げのための世論づくりも、毎日のようにマスコミ各紙で取り上げられている。
 国や県の言うように、財政危機を「仕方のないもの」、あるいは自然現象のようなものとして認めてしまえば、公務員の給与削減や人員削減に対しても有効には闘えない。
 しかし国や地方の財政危機、そして経済不況の中でも、大銀行、大企業は確実に利益をあげている。それはかれらの自助努力によるものではなく、九〇年代後半の銀行への公的資金注入やリーマン・ショック後の膨大な資金供与、さらにエコカー減税、エコポイントなど、危機の度に政府が手厚い救済策を施してきた結果でもある。
 財政再建を誰の負担で行うのか、この点をはっきりさせることが重要である。財政再建のための負担は、政治の手厚い保護を受け、利益を享受してきた大銀行、大企業に負わせる以外にない。
 世界的な危機が深まる中、大増税など、これまでにない規模の攻撃が国民と県民各層にかけられようとしている。
 先進的な労働者、労働組合役員の皆さんは、公務員労働者、そして大多数県民の真の敵が誰かを暴露し、この国の政治を根本から変える闘いの先頭に共に立たれんことを呼びかけて、本レポートのまとめとしたい。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2012