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2012年2月25日号 2面〜5面 

レポート/
愛知県の公務労働運動の
前進のために

賃金、労働条件の激変と
「財政危機」の本質

日本労働党愛知県委員長 長岡親生

 以下に掲載するレポートは、わが党内においてこの間進めてきた、労働者の現状を規定する生存条件についての研究の一環で、愛知県の公務員労働者に関して論じたものである。近刊の「季刊労働党」(二〇一二年春号)には、東京、神奈川、三重、大阪、福岡の五都府県の状況について、各県党同志によるレポートが掲載される。また本紙では、埼玉、長崎に関するレポートを、順次掲載する予定である。いずれも研究途上のものだが、労働運動の発展を願う読者の参考になれば幸いである。


はじめに

 リーマン・ショック後の危機の拡大再生産で、こんにちの深刻な世界不況は長期化し、破局を含む状況となっている。わが国の対米追随政治、金融大資本と多国籍企業優遇の政治は、産業の空洞化、中小、自営業者の淘汰(とうた)、雇用危機、賃金の低下をもたらし、国民生活をいよいよ追い込んでいる。
 その中で、野田政権による消費税増税の動きなど、国家財政をめぐる闘い、誰の負担で「財政再建」を進めるのかという課題がいよいよ鋭く問われるようになった。橋下・大阪市長のように、国民の貧困化、不満を利用し、自治体労働者などを「敵」に仕立て、まやかしの「自治体再建」を掲げて財界のための政治を行う輩も登場している。
 この歴史的な時期の数カ年に、労働者の抵抗と闘いが次第に発展し、労働者全体の要求と闘いの統一が進んで、労働運動が大きく前進できるかどうか、国民的課題を担える労働運動として前進できるかどうかは決定的である。
 わが党では、労働者の怒りを組織できるように、労働者のおかれた現状を暴露する能力を高めようと、真剣な研究が始まっている。労働者の意識を規定している生存条件と、その他の関連についての研究である。私も研究会に参加し、刺激を受け、まだ初歩的ながらコツコツと勉強を始めた。
 今回のテーマは自治体労働者の生存条件、賃金と労働条件についてである。「民間から比べれば賃金が高い」「厳しい財政状況だから仕方がない」と攻撃を受け入れ、あるいは意図的な敵の公務員バッシングの中で、公務員労働運動は闘いの方向を見失っている現状がある。だが、公務員労働者の賃金、労働条件は、二〇〇〇年を前後するころから大幅に引き下げられ、まれに見る状況にある。愛知県も例外ではない。愛知県職員、教職員の賃金は、リーマン・ショック後は他県にも例がない四年連続カットとなった。
 公務員の人件費はだいぶ下げられてきたのに、「財政再建」どころか県内の住民税は上がり、県民負担は増している。「財政危機」はますます深まっている。自治体労働者と県民への犠牲転嫁は、今後も強まりこそすれ弱まることはない。
 わが愛知県財政の悪化の原因と責任、誰の利害で動かされているか、誰の負担で財政再建を進めようとしているか、事実にもとづいて暴露できれば、新たな闘いの前進に資することになるだろう。
 この小論は、そんな問題意識で、資料を収集し、整理したものである。十分に検討できていない部分もあるが、編集部の求めに応じて、議論の素材になればと思い、投稿したものである。

愛知県下の公務員労働者への攻撃の状況

1、職員数削減、賃金削減の推移
<定数削減>
 愛知県の職員数は、一般行政部門で一九九九年(一万四千七百五十六人)から一〇年(一万九百六十七人)の間に三千七百八十九人削減された。削減率二五・六%(全国平均は一六%)、全体の四分の一の労働者が削減され、全国でもトップレベルである。
 一般行政部門以外では、警察部門が二千百八十五人、一八%増(全国平均九%増)で、これも特徴的である。
 県内の自治体では、現在手持ちにある比較可能なデータでみると、〇三年〜一〇年の間に、政令指定都市の名古屋市が五百九人(六・三%減)、一般市では、蒲郡市の二六%を筆頭に、一〇%以上削減した自治体は、常滑市、東海市、瀬戸市、江南市、春日井市、津島市、岩倉市、知多市、高浜市の十市(三十六市のうち)となっている。

<賃金カット>
 愛知県職員の賃金カットは、同じく〇三年〜一〇年の間で百四万円(一三%削減)、削減率、額とも大阪府に次いで多い(いずれも一般行政職)。給料とともに、地域手当(調整手当から)の削減率が大きい。
 県下一般市での賃金は、同じく〇三年〜一〇年の間に、年間給与総額は犬山市の二百十万円(二五%減)を筆頭に、百万円以上の削減が常滑市、岩倉市、東海市、新城市、瀬戸市、豊橋市、春日井市、江南市、蒲郡市、尾張旭市、一宮市、稲沢市、知多市の十四市、政令指定都市の名古屋市は、七十五万円(九・六%減)で、賃金カットはすべての自治体で、しかも削減額もきわめて大きい。
 あらためて見ると、〇〇年以降、定数削減も賃金カットもすさまじいこと、自治体によって大きな違いがあることが分かる。

 そうした中で、職場では労働強化が強まっている。年々仕事が多くなり、労働時間、休暇制度、人事評価やその他の職場環境での圧迫も強まっている。教職員についても同様である。安倍政権下での反動的な教育改革の押しつけ、報告書、部活など仕事量は増えている。マスコミが垂れ流す意図的な公務員バッシングの中で、以上のような労働条件、賃下げが相次ぎ、現場での不満はかつてなく高まっている。
 この十年間の大幅な人員削減を代替するために、臨時職員、非常勤職員(週二十時間又は週三日以上勤務者)が増え、指定管理者制度による外部委託が進んだ。入札で単価が下げられた委託業者の労働者は、非正規雇用が多く、低賃金化に拍車をかけた。
 以下、著しく攻撃がかけられた愛知県の公務員、財政について述べる。

2、愛知県の行財政改革の経過
 愛知県での行財政改革攻撃、賃金カット、定数削減の波は、大きく二回の時期がある。
 (1)戦後初の二百二十三億円の赤字決算となった九八年、鈴木知事三期目の最後の年に、県民に対する財政「緊急アピール」を発表し、「第三次行改大綱」が策定された。九九年に鈴木を引き継いだ神田県政は、この計画にもとづいて、戦後初めてとなる大規模な職員定数削減、賃金カットを行った。また、〇一年には、「大綱」の行革目標をさらに引き上げる「県庁改革プログラム」が策定されている。
 これは後で述べるが、「危機」を演出しながら、「最小の経費で最大の効果を発揮できる行財政システムの構築のため」と、当時の政策目標だった愛知万博と関連の道路建設事業を推進するための体制づくりでもあった。
 こうした中で、九九年度から〇一年度まで、月例給と調整手当三・五%削減、期末勤勉手当が九九年八%、〇〇年三%削減された。定数削減もこの時期に大幅に進められ、人件費削減は各年三百二十億円、二百二十億円、百五十億円だった。
 愛知万博が終わった〇五年に、「行革大綱二〇〇五」が出され、新たに職員定数削減・総額人件費抑制、事務事業の見直しとともに、全国でもいち早く官・民参加の市場化テストが実施された。

 (2)二回目は、〇八年のリーマン・ショックで大幅な税収減となり、二度目の「財政危機宣言」を行って以降である。
 〇九年度以降、四年連続の給与削減が行われた。
 〇九年度は給料四%、期末勤勉手当四%、それに地域手当二%削減で、人件費削減は三百四十五億円。
 一〇年度は給料三%、期末勤勉手当三%、地域手当一・五%削減で、同二百五十二億円。
 一一年度は給料三%、期末勤勉手当三%削減で同百十七億円(八月以降)。
 そして来年度予算で給料三%、期末勤勉手当二・五%削減で同百六十九億円。
 各年の平均減収年額は、三十八万、二十七万、十一万、十七万となった。
 行革計画としては、一〇年に第五次行革大綱が策定されている。リーマン・ショックを契機に「危機的な県財政の状況下」で、事務事業の徹底見直しなどともに、県債の新規発行額の抑制を言いながら、臨時財政対策債など特例的な県債の増発が避けられない、と認めているのが特徴である。
 そして、現在の大村県政の下では、第五次行革大綱を「深掘り」する「重点プログラム」(一一年)で、さらなる「民間活力の導入拡大」とともに、「人件費削減」に手を抜かないことが宣言されている。こうした経過であった。

 これらこの十年間の攻撃の背景に、「財政再建」を至上課題として登場した小泉政権以降の、「聖域なき構造改革」「骨太の方針」(〇四〜〇六年)での三位一体改革、民営化、公務員賃金の抑制と職員削減、総務省の集中改革プランの策定指示(〇五年)、民主党政権下での地域主権改革、大都市圏成長戦略(一〇年)などがある。政府との関係では、たとえば税源移譲にともなう法人事業税の一部国有化(約五百億円)、県が行った地域手当の上乗せ支給に対する特別交付税の削減措置、地方交付税の抑制などの措置、これらに対して、神田県政がどう具体的に対応したか、これは後で検討することにしたい。ただ、ほぼ抵抗できず、独自性らしきものはなかった。

3、公務員労働組合の闘い
 こうした攻撃に対して、当然ながら県職組、愛教組を中心として抵抗した。だが、ほとんど当局提案を受け入れ、有効な闘いができなかったのが現状である。
 〇九年以来の最近四カ年、当局と県職組の交渉の経過を見ると、当局側は大幅な県税収入減を理由に、「基金取り崩し、交付税での財源確保を最大限しても収支不足。その分を人件費抑制で」と提示、組合側は、最終的に「厳しい財政状況は認識できる」「苦渋の決断」として三年間は受け入れてきた。しかし、今年の交渉では、「組合員の生活を守る、士気確保、制度順守の点からも容認しがたい」と当局提案の受け入れを拒否した。職場の不満を背景に、一方的な人件費削減に対して今度どのように闘っていくべきか、打開を求めている。
 県職組は、全国の県職組合の中で自治労に加盟せず、産別上部団体を持たない唯一の労働組合である。九九年から攻撃を受け、自治労への加盟を模索した経緯がある(執拗〈しつよう〉な妨害があり全員投票で三分の二に達せず否決された)が、職員組合として孤立している。連合愛知内でも官民の意識の隔たりはとくに大きく、これほどの攻撃でも公務員労働者擁護で意思は統一されていない。
 だから闘うのは容易ではなく、克服しなければならないことはいくつもあるし時間がかかるだろう。だが組合員、現場の労働者の中に怒りがあれば、部分的にも闘いが始められ、活動家が育つ。
 問題は、「厳しい財政状況は認識できる」としていることである。当局が言う「収支不足」「財政危機」をそのまま受け入れていては、闘うことができない。公務員労働者には「財政危機」の責任はないし、「財政危機」が意図してつくられていることを知れば、前進の糧になるに違いない。
 財政収支は、歳入と歳出のバランスで成り立っているのだから、この双方の事情と関連の経過の中に、「財政危機」を生んだ原因が歴然としてあるはずである。以下、二回の「財政危機宣言」に際しての当局の言い分を検討し、それを批判することで、事実に迫りたい。

「財政危機」の真の原因と責任

1、県当局の説明
 先ほどあげた、二回の「財政危機宣言」の際、当局はその理由を次のように説明している。

 (1)九八年の「財政緊急アピール」時。財政危機の理由をおおよそ次のように説明している。
 「国内生産の実質成長率二年連続マイナス成長、景気のいちだんの悪化で法人二税を中心に県税が急激に悪化した。第一の要因は、急激に経済が悪化したこと」「一方で、バブル崩壊後、県税の低迷の中で、教育、福祉、社会基盤の整備といった行政水準を維持するための人件費、扶助費、公債費といった義務的経費が増加し、圧迫要因になった」「国の経済対策に対応した公共事業などの財源として発行した県債の償還費が増加したことだけが要因ではない」……。


 (2)次いで、リーマン・ショックを受け〇八年の「財政危機宣言」時。(神田前知事の〇九年二月議会提案理由から)
 「米国の金融問題に端を発した経済危機、世界同時不況が、輸出主導により長期にわたる景気拡大を実現してきたわが国経済を直撃し、輸出型産業を中心とする本県経済にも世界不況の大津波が押し寄せ、外需だけでなく内需をも蝕(むしば)みつつあり、昨年秋以降、企業業績の大幅な下方修正が相次いでいる」「日本経済を牽引してきた優良企業までが垂直落下ともいえる業績不振に陥るという、まさに異常事態」「本県の税収はあたかも『つるべ落とし』のように落ち続け、極めて深刻な影響を受けており、本県財政はかつてない危機的状況にある」。
 歳入については、「法人事業税の一部国税化の影響が加わり、平成二十一年度の県税収入は、前年当初比で過去最大、三千九百二十億円の減となる九千六百八十億円。特に、法人二税は、前年度当初予算の約三分の一にまで落ち込んだ」「税源移譲による個人県民税の増加はあったものの」、未曽有(みぞう)の税収環境が悪化した。
 歳出については、公債費、扶助費、県税過誤納還付金(約一千億円、企業収益の急激な落ち込みによる税の「納め過ぎ」に伴うもの)などの義務的経費が増加して、合わせて約四千九百億円という巨額の収支不足となった、とその理由を述べている。


 (3)第五次行革大綱(一〇年二月)。
 また、世界金融危機後の第五次行革大綱では、税収の見通しと財源対策について以下のように述べている。
 「日本経済は持ち直してきているものの、依然として厳しい状況にあり、雇用情勢のいっそうの悪化や世界景気の下振れ懸念などのリスクを抱えている。自動車産業のウエイトが高く、そうした国内外の経済動向に大きく左右される本県経済の先行きは不透明なものとなっている」。
 「今後、本県経済が本格的な回復軌道に乗った後も、法人二税収入が持ち直すまでには一定の期間を要することから、計画期間内、特にその前半においては、きわめて厳しい財政状況が継続するものと考えられる。景気が本格的な回復軌道に乗り、急激に落ち込んだ税収が持ち直すまでの間は、地方交付税の交付団体で推移するものと見込まれるが、基金は既に枯渇しており、かつてない規模の税収の落ち込みによる財政規模の急速な縮小を極力緩和するためには、引き続き特例的な県債の増発など臨時の財源対策が避けられない」。


 (4)これをまとめると、
・危機宣言の二回に共通するのは、財政危機の要因は「経済が悪化し」「法人二税を中心に県税が急激に落ち込んだから」、もう一つは「扶助費、公債費などの義務的経費が増加したから」と説明していること。
・歳入について。バブル崩壊後、県税全体はずっと低迷していたというが、事実はどうだっただろうか。また法人二税以外の税収はどうだったのだろうか。
・歳出について。「義務的経費の増加」と言っているが、人件費、扶助費、公債費のうち何が増加したのか。その理由は「教育、福祉、社会基盤といった行政水準を維持するため」と言っているが、果たしてそうか。   
・一回目は二年連続のマイナス成長、二回目は、米国発の金融危機での世界同時不況、輸出主導型産業中心の本県経済を直撃した、と「経済の悪化」が県税収入減少の原因と言っているが、それだけか。またそれ以降、なぜ、四年連続で税収が減っているのか。
・一〇年にも税収の見通しについて、景気が回復しても、法人二税の持ち直すまでに時間がかかるといっていること、特例債(この場合は臨時財政対策債)の増発を認めている。
・最後に、これらの県当局の説明は、県の財政運営の責任はいっさい認めていないことである。
 「財政危機」の真の原因と責任を隠し、全体を説明せず、いい加減なものであることを次に述べる。


2、事実にもとづく反論、検証
 (1)「バブル崩壊後、県税収入の低迷」は事実ではない。
 以下のグラフは、普通会計のデータをもとにしたものである。一〇年度までは決算、一一年度は六月最終予算、一二年度は当初予算(案)である。
 図1は歳入全体の推移、図2は県税収入の内訳の推移である。図3は法人二税の推移を、神奈川、大阪と比較したもの。

 図2を見ると、まず、危機アピールをした九八年は確かに法人税の減収はあるが、九七年から地方消費税収入もあり、県税収入は急激な落ち込みではない。
 また、〇九年の法人二税の急激な落ち込み(約三千五百億円)は、どの県よりも大きく、まさに「つるべ落とし」だったが、それは以前の三カ年は全国でもまれにみる税収増があったからでもある。〇七年からは税源移譲による個人県民税の増収分もあった(所得税から個人住民税への税源移譲で、定率減税の廃止をともない、県民負担は増えた)。
 その結果、〇六年の県税収入は約一兆二千億、〇七年は約一兆四千億、〇八年は約一兆三千億あった。
 県税に、実質的な県税といえる地方消費税を加えた税収は、〇〇年代は、九〇年代の一六%増、毎年平均で千七百億円増えている。バブル崩壊後、県税収入について大くくりにすれば、〇〇年代に増えたのである。

 (2)法人二税が減っている一つの要因は税率を下げたからである。
 図4は県民経済計算から分配(企業所得と一人当たりの雇用者報酬)、これと法人二税との関係をあらわしたものである。九七年以降、雇用者報酬は年々減少し、それに比して企業所得が上昇するが、法人二税の税収はこの十年間の期間を通して減少した! 企業所得と、法人二税の乖離(かいり)は見事なまでである。
 法人税減税にともなって、法人事業税は九八年に標準税率が一二%から一一%に、九九年には九・六%に引き下げられたからである。その後〇四年に外形標準課税を組み合わせた税制に変わっているが、税収はほぼ変化はなかった。
 仮に、税率が九七年以前の一二%のままであったとすると(グラフの点線)十四年間で一兆二千億円の増収である。これでも控えめな試算である。
 これだけで、総人件費の一・五年分にもなる!


 (3)「義務的経費が増えた」のはウソ。そのうちの公債費だけが増えたのである。
 図5は歳出全体の推移。図6は義務的経費の歳出全体に占める構成比の推移、図7は、県債発行額(歳入)と公債費(歳出)の関係、それに普通建設事業費の推移をあらわしたものである。

 まず、「義務的経費」は、微増あるいはほぼ横ばいである(図5)。
 そのうち人件費、扶助費、公債費をそれぞれ見てみる(図6)。
 扶助費。普通会計の扶助費は国、市町村との関係を調整している(一般会計の扶助費と国庫支出金、市町村への補助金、負担金等)ので、県独自の社会保障費として見ることができる。たとえば生活保護費のうちの七割は国庫負担である。扶助費の構成比は二%から三%台、実数で三百七十億円〜四百四十億円程度で県財政に大きく影響はなく、また全体として微減である。むしろ、この額が少ないことが問題で、県独自の社会保障、福祉政策をしていないことになる。本来もっと増やすべきである。県の説明は、増やしてもいないのに、増加して負担になっているとしている、これはペテンだ。
 人件費。歳出総額に占める割合は九〇年三七%、九八年に三四%で、以降退職者の増大で退職金が加算されているにもかかわらず減少している。それだけ退職不補充などでの定数削減と、給与カットが行われたのである。さらに〇五年から今年度予算までの間は急激な減少で、一二年度予算では三一%になった。実数では、最大だった九七年から一二年まで八百三十四億円の減少である。財政悪化の理由は、人件費の増大ではない。
 三つのうち、扶助費は少額で増えていない、人件費は減少、増えたのは主に公債費である。九〇年の七%から一二年予算では一六%に増え、一二年では実数で三千五百五十九億円、千六百六十八億増えている。
 収支不足は、歳出面ではこの公債費増が最大の原因である。

 (4)公債費が増加したのは、まず九〇年代のハコものと愛知万博での交通インフラのための普通建設事業費の増額である。県はこの自明の事実を認めようとしていない。
 図7での純借入が多い時期は、九二年〜九八年、〇二年〜〇四年、〇九年〜こんにちの三つの時期。九〇年代のほぼ全期間で増え、〇〇年代は三年間を除いて若干減り(〇六年〜〇八年だけが公債費のほうが増加)、〇九年以降はまた増えている。
 はじめの二つの時期の普通建設事業費と県債発行額をみれば歴然としている。
 日本政府が日米構造協議で圧力に屈しての対米公約、「内需拡大」のための六百三十兆円の公共事業投資がその発端である。政府の誘導で、起債制限比率の緩和なども行われ、地方自治体の財政が使われたのは他県と同様だが特徴もある。
 比較のために、人口規模の近い五県を比較してみると(図8)、愛知県は八〇年代、九〇年代、〇〇年代を通じて規模が多く、毎年平均で三千八十三億円、四千八百九十億円、三千百四十七億円の公共事業を行っている(単独、補助合計)。これは、九五年の阪神淡路大震災の復興費が県独自でも計上された兵庫と同額である。他県と同様に九〇年代がもっとも多く、八〇年代に比べて約千八百億近く、日米構造協議以降十年間で約一兆八千億円分を県の事業として増額した計算になる。九〇年代に限ってみても「りんくうタウン」開発など巨大開発が行われた大阪とほぼ同じである。愛知では「愛知健康の森」「愛知芸術文化センター」など大規模事業に巨額の投資が行われた。これによって潤ったものがいる。
 愛知県の特徴は、公共事業が全国的に抑えられた〇〇年代に入っても、毎年平均約三千億円投じられている。とくに前半に集中していることにある。これは、愛知万博関連の事業である。
 全部の事業費は二兆千二百二十三億円だが、そのうちの四千七百七十八億円が愛知県の負担額といわれている。関連事業は、中部国際空港のほかリニアモーターカー、東海環状自動車道、名古屋高速道路、知多横断道路、空港連絡道路、空港連絡鉄道などが一挙に行われたのである。事業費のほぼ半分は県債を発行し、あるいはしわ寄せを受けた通常経費は臨時財政対策債などの特例債でまかなった。
 問題はこの中身である。
 九〇年代のハコもの建設とは違い、この時期の投資は交通インフラ、産業基盤整備と大きく変わったのが特徴である。そしてこんにち、今度は公共事業削減で、地場の中小の建設業は倒産が続出する深刻な事態となっている。
 県の説明の中では、この九〇年代からの公債費増額の原因を認めないばかりか、県議会の質問に対して否定までしている。

 (5)その結果、県債の利払いがかさみ、県債残高は五兆円。収支不足のために、〇四年ごろからは赤字県債を増発している(図9)。
 図7を見ると、その利子払いは九八年以降だけでも累計一兆二千億。これも総人件費の一・五年分に匹敵する。一二年度予算では七百八十八億円、毎日二億二千万円である。
 県債発行額から公債費の差、これは基礎的財政収支の近似値ともなるが、全期間の純借入増加分は一兆九千九百七十九億円で、ほぼ一年間の県予算歳出総額分に匹敵する。借金返済以上に借り入れた分である。これに利子が加わった。
 これらで県債残高が累増し現在では約五兆円、公債費の圧迫で、〇四年ごろから基金の取り崩しのほか、借換債の発行、臨時財政対策債の発行で危機先延ばしを行っている。一二年度予算では、県債のうち臨時財政対策債など特例債の比率は四五%にもなっている。


 問題は、この県債の引受先である。その六〇%は民間資金になっている。民間金融機関の直接の引受と、大手金融機関などが管理する市場公募債で、この地方債市場には外国の金融機関も参入し始めている。〇八年からは、外国の金融機関が受け取る利子を非課税にしている。リーマン・ショック後の先進各国の相次ぐ金融緩和で、資金はだぶつき、金融機関、投資家から日本の地方債市場は格好の投資先になっているのだ。
 愛知県の場合、引受先はほぼ三菱東京UFJ銀行(旧東海銀行)で、年間に三百五十億円程度の税金を利子として受け取っている計算になる。これは、この二〜三年間の人件費カットの額に匹敵する!
 新たに増発している臨時財政対策債の償還財源は、交付税ということになっているが、もともと交付税削減の穴埋め措置だったので、愛知県だけでなく、全国の市町村を含む地方自治体で増発されている。こんにちの国家財政の危機で、今後の交付税として担保される保証は何もない。国債と同様、今後、投機対象になれば不安定化する。
 本来、財政再建というのならば、公債費を削減するしかない。しかし、借金返しのためにさらに県債を発行し、債務残高がかさみ、公債費は増える一方、利子は延々と大銀行と投資家に払われる。そうした段階に入ったのだ。第五次行革計画では、それを宣言している。
 利子払いを含む債権の償還のために、人件費カットをしているのだ。


 (6)〇九年以降の法人二税の減少には事情がある。
 〇九年以降の税収減少は、経済諸環境の悪化だけで説明できない。それ以前からの「独り勝ち経済」の中での所得の移転で格差が拡大したからでもある。
 愛知県の〇二年から〇七年ごろまでの時期、トヨタ自動車など県内の製造業を中心とする主要企業は、労働者派遣法などの労働規制緩和などにも助けられて、下請けコスト、労働コスト削減を進め、輸出を伸ばし「濡れ手に粟(あわ)」の空前の企業利益をあげた。
 それを可能にしたのは、米国の「特需」、コスト削減、そして産業・交通基盤整備だった。
 大企業優遇は、先の法人事業税だけでない。試験研究費税額控除、外国税額控除、受取配当益金不参入などで法人税実効税率は下がった。トヨタのそれは約一〇%下がり三〇%前後である。さらに消費税の輸出戻し税が最大時には、二千億円超もあった。内部留保を積み上げた。
 個人住民税は、この間均等割部分が拡大し、貧困層には増税となっている一方で、大企業減税である。中小企業には余力がなくなり、労働者の低賃金化がさらに加速する政策が行われた。
 この時期にいわば県政も使われた! 愛知万博を見事に利用して、中部国際空港、東海環状、伊勢湾岸自動車道などの、高度成長期以上の、他では考えられないような交通インフラ整備を一挙にやりあげ、東海圏域全体の産業基盤を作った。愛知県経済は「トヨタ依存」、輸出依存を強めた。この時期の諸事情、県内の構造が、リーマンショック以降の反動をさらに大きくしたのである。

3、まとめ
 (1)「財政危機」の原因は、巨額になった県債残高と公債費の圧迫である。県当局は、そこに至った経過を隠し、全面的に説明をしていない。税金の取り方、投資、そして県債の利子収入を通じて、所得の移転が行われていたからにほかならない。


 その責任は、以下にある。
・六百三十兆円公共事業の対米公約に屈服したわが国政府。九〇年代からの不良債権処理での銀行への公的資金注入、大規模な為替介入、米国債購入費用のつけ回しをされた。かつ地方交付税削減、あてのない「特例債」発行許可の責任。
・利子収入がある三菱東京UFJ銀行など金融機関。債権放棄、利子放棄など。
・法人二税の減税を受けた地元大企業。さかのぼれば六〇年代からの社会資本整備、こんにちの交通インフラ整備は血税が投入され社会的責任もある。また、大規模公共事業で潤った大手ゼネコン等。
・鈴木、神田、大村県知事と県議会与党。
 この責任を明らかにし、これらの負担で解決しなければならない。


 (2)財政再建、行政コスト削減、人件費削減を迫る主な推進力は、いまや銀行および投資家になっている。
 犠牲を強いられている公務員労働者は、県債を通じて、新たな収奪の仕組みがつくられていることを見抜く必要がある。当局は、景気が回復しても、県税収入が伸びないことを認めている。「危機」を演出し、さらに行革を行い、人件費削減の攻撃をさらに強めてくる。「財政危機」は思想攻撃である。


 (3)こうした流れで見ると、現在の大村県政が誰の要請で政治を行おうとしているか、何を余儀なくされているかが明らかになる。
 大村知事は、知事選出馬の際に、以下のような政策を掲げた(「日本一愛知の会」マニフェスト)。
 ーー愛知県・名古屋市を合体して「中京都」を創設し、国から独立し、都市のエリアを愛知県全体に広げて、人口七百四十万人、域内総生産(GDP)四十兆円の固まりとし、日本の顔として世界と闘える基盤を築き上げる。
 ーー大都市を中心とする広域エリアが国際競争に打ち勝つようグローバル企業を育成・誘致し、自由な経済・金融活動を保障して成長を促し、財政を豊かにする。
 ーー名古屋を国際金融センターに。「名古屋金融特区」の創設、 金融関係への優遇税制でグローバル企業を誘致、広く世界からマネーを吸い寄せるーー
 ーー県民税の一〇%削減、人件費の削減。


 そして、就任以来、行ってきたことは、
 ・円高対策で知事会メンバーを組織して政府に七十兆円もの為替介入を迫った。
 ・産業空洞化対策減税基金の創設。高度先端分野における大規模な工場・研究所に上限百億円の補助金を出す。
 ・エコカー減税、補助金の延長を政府に要請。エコカーについては県税である自動車税も五年間免除。
 つまり実際の政治は、これまでの継続で、より露骨に製造業中心とした大企業優遇策をとる、円高対策などは分かりやすい。しかし、もう一つは、金融関係への優遇税制などといって、金融、それも外国資本にも収奪される仕組みをつくろうとしている。二つの勢力からの要請に応えようとしている。
 しかし、マニフェストにある、中京都独立、金融センター化などというのは愛知県の旧来の支配的な勢力からも反発を買うことは間違いない。これまでの県政は継続されているし、西三河を中心にして中小企業、県議会勢力からも広範な反発を買うことになる。
 それに、臨時財政対策債で国への依存を深めている財政状況である。中京都創設、国からの独立、などというのは、その荒唐無稽(こうとうむけい)さを早晩自己暴露するだろう。
 この大村県政の下で、公務員に対するさらなるしわ寄せと、県民犠牲だけは間違いなく継続されるのである。バカバカしいとは思わないだろうか?

新たな闘いへ

 愛知県は製造業で八十万人、基幹的労働者の比率が高く、〇九年のリーマン・ショック時の派遣切りでは、五万人もの首が一気に切られている。「国内雇用を維持する」と言っているトヨタも、すでに投資家の動きに抗することができず、このままだと空洞化の加速が避けられなくなる。こうした時期に入ってきている。
 新たな危機が到来している中で、県下の労働運動の役割は決定的である。
 県政で見ると、昨年の知事選では五氏乱立となり、自民党が割れ、従来の政治的支配が成り立たなくなっている。それにもかかわらず労働運動が政治的にも、立ち遅れが目立つ。知事選でも、労働運動が県政を争ったのは七九年までで、それ以降は与野党相乗り、〇七年、一一年は現職と対抗したが、国政での政党対立を前提にしていて、連合が県政を争ったわけではない。そして、連合内には現在の大村県政、とくにその円高対策や産業、企業支援の政策を評価する動きすらある。
 企業の後ろに労働者がついていく、この認識面を変えなくてはならない。「経営危機」を言われ、リストラ、賃下げに協力する。そこには展望がない。壮大な構想が必要である。
 愛知県の公務労働運動も同様で、「財政危機」という思想攻撃を、事実にもとづいて明らかにしなければならない。今回、そんな問題意識でまとめてみた。
 実際におかれている状況、とくに賃金問題、労働条件、そこでの攻防について、もっと接近することが不可欠だと感じている。今後も真剣に研究して、課題を鮮明にして、闘いを望む活動家とともに前進できることを願っている。


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