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2011年4月15日号 1面〜2面・社説 

統一地方選挙・前半戦の結果について

 第十七回統一地方選挙の前半選挙が四月十日、投開票された。
 民主党政権下で初の統一地方選挙であった。自公政権への不満を背景に成立した民主党政権が、国民の期待を裏切って急速に支持を失い、行き詰まって迎えた選挙である。
 しかもわが国を取り巻く内外の危機が深まり、東日本大震災という天災と福島第一原子力発電所事故という人災が、国民生活の苦難に追い打ちをかける中での選挙でもあった。
 今回の選挙では、民主党政権が解決できない住民生活の苦難の打開、財政問題をはじめとする地方自治体の危機などが切実な争点であった。これを解決する上で、責任を有する中央政治、菅・民主党政権への態度も問われた。
 結果、有権者は民主党に厳しい審判を下した。それだけでなく、与党への対抗軸を示せない既成政党は軒並み議席を減らし、首長新党が前進した。有権者の願いに応えぬ政治・政党への不信は極限に達し、投票率はまたも過去最低レベルとなった。
 民主党政権は打撃を受け、闘う側には好機である。
 わが党は国民運動を前進させ、独立・自主、国民大多数のための政治を掲げて奮闘する。

選挙の結果と獲得議席、 票数などから見る各党の消長
 前半戦で闘われた、都道府県知事選、県議会選、政令市議会選の結果は、以下のようであった。

<投票率>
 投票率は軒並み下落し、道府議選においては過去最低となった。
 北海道、東京、神奈川、福井、三重、奈良、鳥取、島根、徳島、福岡、佐賀、大分の十二都道県知事選挙は全国平均五四・〇二%(前回比四・五八ポイント減)と過去二番目の低さで、島根、佐賀、大分の三県は史上最低を記録した。
 四十一道府県議会選挙は平均五一・九六%(四・〇六ポイント減)と三回連続で過去最低を記録、前回よりも投票率が上がったのは四県にすぎず、三十四県で史上最低を更新した。
 道府県議選での有効得票数は、投票が行われなかった岩手、宮城、福島の分を除いても、前回比で二百三十万票以上も減少した。

<知事選、政令市長選>
 十二の都道県知事選では、現職九人が全員再選された。与野党対決となった三都道県知事選(北海道、東京、三重)では、すべて自公両党が推薦・支持する候補が勝利した。
 五政令市長選挙では現職三人が当選した(浜松市は無投票)。静岡市では、当選した与野党相乗りの新人に「減税日本」候補が僅差に迫った。広島市では、民主党が支援した前職後継候補が自公推薦の新人に敗れた。
 政権政党である民主党は、すべての都道県で候補者を擁立し、争うのが議会政治の常道である。だが、民主党が自公と知事選を争ったのは先にあげた三都道県のみであった。
 しかも三都道県で全敗した。
 東京は民主党都議団が「渡邉候補(会社社長)支持」で動いたが、中央は「震災対策」を理由に関与しないという体たらくで、現職の石原に大勝を許したばかりか、東国原候補(前宮崎県知事)にも及ばず三位に沈んだ。
 岡田幹事長の地元で、二〇〇九年総選挙おいて全五選挙区中四選挙区で勝利していた三重県でも敗北した。
 「対決型」が三都道県のみというのは、前回、〇七年の五都道県よりも少ない。対して与野党相乗りは六県に及び、前回の二県より増えた。候補を擁立できなかったのも三県ある。
 要するに、民主党の「不戦敗」である。
 自民党の支持・推薦する知事候補は全勝したわけだが、勝利した知事候補はいずれも「県民党」の装いで勝利した。かれらには政権党でなくなった自民党とのパイプを強調する必要は必ずしもなく、強調すれば広範な支持を得られないという事情もあった。

<県議選、政令市議選>
 道府県議選挙における政党別獲得議席数、得票は以下のようであった。
 民主党は五百七十一人(九十五増)を擁立、五百八十四万二千五百八十票を得て得票率(相対、以下同)は一七・四四%(一・〇四ポイント増)、獲得議席は三百四十六(改選時比三十八減)。候補者一人あたり得票は一万二百三十二票(二二・四%減)。
 民主党は当初、公認候補者を一千二百人規模で擁立することをめざしたが、半分以下にとどまった。敗北を見越した立候補の辞退、無所属や首長新党への「くら替え」が相次いだ。
 「政権与党」の利点を生かせなかったどころか、かねてより民主党の弱点とされてきた「足腰の弱さ」、何より国民の支持を失っていることが露呈した。
 自民党は一千二百四十四人(二百二十一減)を擁立、一千二百五十五万四千四百四十票を得て三七・四八%(〇・九二ポイント減)、獲得議席は一千百十九(七十四減)。一人あたり得票は一万九十二票(〇・八%増)。
 候補者を絞ったことで減少幅は一定程度抑えられたものの、議席を減らしたことに間違いはない。
 公明党は百七十二人(九減)を擁立、二百五十四万八千四百三十二票で七・六一%(〇・〇九ポイント減)、議席は百七十一(二増)。一人あたり得票は一万四千八百十六票(九・一%減)。
 手堅い選挙で知られる公明党だが、大阪府議選と横浜市議選で地方選では六年ぶりの落選者を出した。「牙城」とされた大阪での落選は三十二年ぶりで、党内に動揺が広がっている。
 共産党は二百二十五人(八十五減)を擁立、百八十七万八千五百二票で五・六一%(一・九九ポイント減)、八十議席(十三減)を獲得。一人あたり八千三百四十八票(九・四%減)。
 共産党は候補者を絞った上、「反原発」を前面に押し出す戦術をとったが、県議を持たぬ空白県が二県から七県へと増える惨敗である。「建設的野党」などと民主党政権への幻想をあおり、今選挙でも民主党政権への全面的な暴露・批判はなかった。敗北は当然の結末である。
 初めて統一地方選に臨んだみんなの党は、百三人を擁立し、百十四万一千二百四十六票、三・四一%を得て四十一議席(三十増)であった。
 議席は増やしたものの、有力国会議員のいる栃木(県議十三)、神奈川(県議十五)を除けば目立った増加はなく、昨年参院選時ほどの「風」は吹かなかった。
 社民党は四十五人(二十九減)を擁立、三十万七千四百十七票で〇・九二%(〇・九八ポイント減)、三十議席(十三減)を獲得。一人あたり得票は六千八百三十一票(二八・九%減)。
 そもそも候補者の擁立が少ない上、菅政権への態度はあいまいなままであった。結果、社民党は他党と比べ、候補者一人あたりの得票数をもっとも大きく減らす深刻な結果となった。
 国民新党の候補者は二人(二減)、八千八百二十四票で〇・〇三%(〇・〇七ポイント減)、議席は獲得できなかった(一減)。一人あたり得票は四千四百十二票(一五・二%減)。
 郵政改革法案の取り扱いに見られるように、与党内での存在感が薄れたことと併せ、この党は存亡の危機に立たされた。
 このほか、首長新党が議席を得た。
 橋下・大阪府知事が率いる「大阪維新の会」は六十人を擁立して五十七議席を得、府議会の過半数を占めた。河村・名古屋市長らによる「減税日本」「日本一愛知の会」は計四十三人を擁立し、計十八議席を得た。
 十五政令市議選では、民主党が二百三十七人を擁立して百四十七議席(十八減)、自民党が二百四十二人を擁立して二百二十二議席(四十減)、公明党が百五十八人の候補で百五十七議席(四減)、共産党が百六十三人を擁立して九十九議席(十六減)、みんなの党が六十四人の候補で四十議席(三十六増)、社民党は十六人の擁立で七議席(三減)、たちあがれ日本が三人の候補で一議席(一減)、国民新党は候補を出せなかった。「大阪維新の会」は大阪市、堺市で計五十九人を擁立して四十六議席を獲得、両市議会で第一党となった。


<若干のまとめ>
 期待を担って「政権交代」を実現した民主党だが、昨年の参議院選挙での惨敗同様、有権者の厳しい審判を受けた。
 菅政権は選挙での厳しい批判を恐れ、あらかじめ環太平洋経済連携協定(TPP)参加問題や消費税増税(税と社会保障の一体改革)を本地方選後に引き延ばす欺まんを演じた。それでも、あまりの不人気ぶりに候補さえ立てられず、党内は動揺のきわみであった。
 選挙結果は、民主党にとって大惨敗である。
 自民党も、民主党に対する国民の批判の「受け皿」にはならなかった。他の野党も同様である。
 選挙結果を受け、各党は総選挙に向けて動き出している。
 参院選でも示されたが、国民は引き続き打開の道を求めている。


危機的な住民生活の打開、地方政治、自治が問われた統一地方選
 今回の統一地方選挙は、深刻さを増す住民の生活と営業を打開する課題をはじめ、地方経済の疲弊(ひへい)や財政問題、財界の進める道州性への態度などが問われた。
 ところが、地方選に先立つマスコミは「地方の課題をしっかり論じよ」(読売新聞)と論じ、具体的には「危機管理能力」や「地方自治」が争点だと騒いだ。だが、何より重大なはずの、深刻さをきわめる住民の生活と営業の打開に言及する論調は皆無であった。この問題を解決するには国政への態度が不可欠だが、菅・民主党政権との関係や中央政局への影響に言及した論調もなかった。
 各党は来たる総選挙を念頭におきつつ、今地方選を闘った。それにもかかわらず、マスコミのこの論調は異常なほどで、有権者の政治意識を曇らせる狙いからのものである。
 民主党は〇九年の総選挙で「国民生活が第一」を掲げ、歴代の対米従属政治、とくに小泉政権以来の改革政治によって痛めつけられた国民・住民の不満をひきつけて勝利した。「左派」を含め多くの国民が幻想を抱いたが、普天間基地(沖縄県宜野湾市)移設問題など選挙目当ての諸公約と、米国やわが国財界の要求の間で右往左往したあげく、九カ月で崩壊した。
 続く菅政権は前政権の崩壊を「教訓」とばかり、米国とわが国財界、官僚機構の言うがままの政治を進めた。消費税増税の明言でその正体は暴露され、昨年夏の参議院選挙で大敗、「ねじれ国会」という危機を迎えた。「政治とカネ」問題などにも揺さぶられた。
 菅政権はこの危機を、さらに米国と財界に頼ることで打開しようとし、日米同盟の「深化」策動、TPPへの参加検討などに踏み込んだ。財界の要求通り、消費税増税も「堅持」している。
 国民は民主党政権への不信を強め、政権支持率はますます下落、民主党は中間の地方選でも連敗続きで、農民などは大衆行動を強めた。政権は「死に体」となり、菅政権の命脈は尽きようとしていた。政局の焦点は、連立の枠組み変更や菅政権の総辞職、あるいは解散・総選挙の時期に移っていた。
 ここに、未曽有(みぞう)の天災である東日本大震災が襲い、まったくの人災として福島第一原子力発電所事故も引き起こされた。三万人以上が死亡・行方不明となり、数十万人が生活の糧を失った。
 与野党は「政治休戦」を演出、菅政権、日銀は大銀行、大企業への救済策を矢継ぎ早に行う一方、被災者、国民生活への支援は「二の次」である。すでに全国的に労働者への解雇・労働条件引き下げが横行、中小零細企業の倒産が増加し、国民の生活はいちだんと悪化した。
 民主党政権下で、国民・住民の生活は改善されるどころか、いっそう悪化したのである。
 今回の統一地方選挙で争点にされるべきは、深刻な失業をはじめとする地方の疲弊(ひへい)、住民の生活と営業の危機を打開することである。そのためにも、菅・民主党政権に対する審判と、国難とも言うべき情勢下での国の進路が問われた。歴代政権が行い、民主党政権も継続している対米従属で多国籍大企業のための政治に断固たる審判を下し、独立・自主、震災被害からの復興をはじめ、国民大多数のための政治を実現する一歩とすることである。

選挙結果から読み取るべきこと
 選挙が終わるや、マスコミは「指導力不足の民主に強い逆風」(読売新聞)、「国難克服に政権を託せない」(産経新聞)などと手の平を返し、国政への影響を語り出した。デタラメなものである。
 国民は民主党政権に厳しい審判を下したが、ほとんどの政党が議席を減らしており、負けたのは民主党だけではない。
 既成政党は、菅・民主党政権への対抗軸を何ら示せず、さらに「自粛ムード」にも追随して政権への批判を控えた。民主党への怒りの「受け皿」になれるはずもなく、敗北は必然的である。
 こうした中、「大阪維新の会」「減税日本」などの首長新党は前進し、「維新の会」は大阪府議会で単独過半数を得た。有権者を「減税」などでひきつけ、公務員を「敵」に仕立てて住民の闘いの矛先をそらす手法はデマゴギーそのものだが、一定は功を奏した。
 生活苦にあえぐ国民からすれば、「減税」が対抗軸であるかのように映ったのである。
 それでも、「維新の会」は、橋下知事の掲げる「大阪都構想」の上で欠かせない、大阪市議会での単独過半数確保はできなかった。「減税日本」「日本一愛知の会」は、合計でも愛知県議会選の第三勢力にとどまった。
 首長新党は一定程度、既成政党に対する有権者の批判の「受け皿」になったが、これとて限られた地方でのことで、しかも完勝ではない。
 より重大なことは、半分近い有権者が投票所に足を運ばなかったことである。二百万人以上の有権者が、新たに棄権するか無効票を投じた。
 国民の生活と営業はますます苦しく、東日本大震災の余波は全国に及んでいる。打開が深刻に問われているにもかかわらず、知事選は相乗りで選択肢がなく、県議選や政令市議選は民主党、自民党らが欺まんと悪政を競い合うばかりである。首長新党にしたところで、「減税」や公務員攻撃、「大阪都」などで住民生活が改善できるはずはないのである。
 まさに「選挙どころではない」国民生活の実際の上に、このバカバカしさである。投票率の低下は当然である。
 有権者の多くは「無関心」ではない。棄権は、既存の議会政党に対する不信という政治的意思表示である。責任は、明確な選択肢を示せない議会政党にある。

支配層の危機、闘いで打ち破る好機
 歴代の対米従属政治に対する国民の不満と怒りは、かつては「自民党をぶっ壊す」と息巻いた小泉政権に向かい、さらに「国民生活が第一」を掲げた民主党への「期待」となった。今回、「わらにもすがる」思いの国民諸階層、有権者の政治意思は、一部は首長新党に向かい、一部は棄権となった。
 菅・民主党政権は、大震災や原発事故への対応で戦略も能力もないことが暴露され、選挙結果で再度「死に体」となった。政府・与党内では「責任追及」が始まり、騒がしくなった。大連立による危機打開もたくらまれている。
 だが、支配層に確たる展望があるわけではない。
 本来、闘う側にとっては、悪政を打ち破って前進する好機である。だが、政権に対してもっとも鋭い対抗軸を立てて争うべき「左派」の存在感の低下は目をおおうばかりである。
 典型は社民党で、もっとも支持を後退させる結果となった。
 「政権交代」からわずか二年、民主党に対する失望と不満の広がりの速さは、出口を求める国民の切実さの深まりと、政治意識の急速な変化を示している。
 国民は信頼できる党、勢力の登場を待ち望んでいる。
 これは第一義的に、指導階級としての労働者階級の任務である。政党、とりわけ組織者の責任が問われるゆえんである。
 労働者階級にしっかりと依拠し、農民、漁民、中小商工業者など国民諸階層を率いて、対米従属で多国籍大企業のための政治と断固として闘える党、広範で実力ある戦線の形成が急務となっている。そのためには、「左派」を装う日和見主義との闘いが不可欠である。
 わが党は、独立・自主、国民大多数のための政治を実現するため、その先頭で奮闘する。


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