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2011年1月25日号 1面〜7面 

党新春講演会・旗開き盛大に
迫りくる破局、
どう対処すべきか

大隈鉄二議長の講演(要旨)

 労働党中央委員会主催の新春講演会・旗開きが一月九日、友党、労働組合、諸団体など多数の来賓、友人、党員の参加で開催された。新春講演会では、大隈鉄二議長が「迫りくる破局、どう対処すべきか」と題して熱烈に講演。吉元政矩・元沖縄県副知事、牟田天平・全国農協青年組織協議会副会長が連帯あいさつを行った。続く旗開きでも、連帯のあいさつと同志の決意表明などが続き、団結と闘いを誓い合った。以下、大隈議長の講演要旨を、編集部の責任において掲載する。


新年のあいさつと若干の説明

 来賓の皆さん。友人の皆さん。党員・同志の皆さん。二〇一一年、新年のごあいさつを申し上げます。
 皆さん、おめでとうございます。
 今日はたくさんの、今までと比べると珍しい人が結構多いようで、きっと情勢を反映しているんでしょうね。労働党が何を言うのか、ですかね。ありがたいことで、感謝申し上げます。
 私どもも、この情勢下での他党派の考え方には、大変興味を持つんです。非常な激動ですし、この時期、党派はみな、その変化する情勢を立ち遅れずに理解し、説明し、変化に対応して人びとに訴え、行動を提起しなければならんのですから、苦労してますよね。
 党派の考え方、情勢判断も、課題の提起も、したがってまた、行動の呼びかけも、次々に変化していくだけに、一様にはならない。当然ですよね。


・論争と団結
 さて、党派はみな、自己の影響力を拡大しようとしているんです。共鳴者を獲得し、全体の運動に影響を与えようと努力すればですね、当然、他党派に関心がありますし、党派闘争は、必然的に厳しいものになる。それも、近いというか競り合ってる党派間での争いが、激しくなりがちですね。
 「競り合ってる党派間」と言いましたが、それは、同じような社会基盤、社会層、階級の獲得をめぐっての争いなんですね。ですから、本来はそのような党派は団結して、支持基盤の社会層、階級の、大きな団結にもっていかなきゃならんのですね。それが本当でしょ。
 ですが、状況が複雑で、しかも階級の利害がみなかかっておるだけに、意見の相違を「まあまあ」というような考え方で、本当の「団結」ならよいですが、気分を損ねないためのような「いい加減な妥協」、そういうことを、一国の政治を担おうとする人びとがとるとすれば、それは、その国にとって不幸なことですね。
 私どもは、この情勢下では、ハッキリとものを言うことが大切だと、いっそう思うようになりました。
 ですから意見の相違は、それはそれで論争というか批判もし合って、ですね。しかし、労働運動なり、この国の大局での利害でいうと、違うのはごく一部の勢力だけで、他は意見の相違があっても、客観的な利害から見ると、本当には団結できるし、団結して闘うことが必要なんですね。
 そういう意味で、相互に、基本的に、いつかは手をつなげるんですよね。とすれば、基本的な信頼というものはあるはずで、ちょうど、親しい人、あるいは身内とは、時にケンカもし激しくやり合っても、崩れないでしょ。基本的な信頼がある、離れられない。
 党派に利己心がなく、支持基盤に隠した狙いがないとすれば、近場のどの党派も、同じ基本的な土台の上に、あるいは同じ船に乗っている、そこから逃れようがない。いつかは団結しなければならない。ですから私は、今日は遠慮会釈なく、言ってみたい。

・「迫りくる破局」について
 講演のタイトルを「迫りくる破局、どう対処すべきか」とした理由ですが、これは、労働党の現在の基本的な情勢認識、あるいは「現状とそのすう勢」についての端的な認識を示したかったからです。別様に言えば、破局が近づいている、したがって、それに備えなきゃいかん。それを端的に言おうとしたんです。
 どう言えばいいのか、たとえば「激動の時代」とも。でも、もうずっと前から「激動の時代」と言っているわけで、パッとしない。それもまずい。苦心惨憺(さんたん)してですね、月並みなところに落ち着いた。これはロシア革命でのレーニンの党も、そうやったんですね。第二次大戦の前夜にも、そういう議論が、度々されていたんですね。
 そういう意味で、「迫りくる破局、どう対処すべきか」というのが、全体の基調、それに備えようとしているというというのが、言ってみればこの講演の基調になっている、そう申し上げたいんです。

・3つの部分に分けて
 全体は三つの部分に分けて話したい。一つは内外情勢で、「危機的情勢、そのすう勢は緩和か激化か」としましたが、これはですね。緩和に向かうのか、激化に向かうのかという情勢分析の部分でして、労働党は最初のタイトル説明で言いましたように、激化に向かうとの結論、認識をもっています。そして、破局が近づいているという観点です。
 その観点から見るとわが党は、多くの他党派と、異なった認識を持っていることになります。さて、そうした話を、最初、一番目にします。
 二番目、「迫りくる破局と内外での課題」ということで、話してみます。それぞれの国での破局には、それはその国の労働者階級と人民が対処し、決すべきことですね。われわれは日本で闘っているわけですから、そこに迫りくる破局。だから、二番目は主として、わが国での闘いの課題は何か、になります。
 三番目、「わが党の緊急の課題は何か」について、です。この部分は、わが党として、皆さんの理解を得るためにも、また、労働者階級の皆さんの、労働党への党的結集を期待して、党の姿、何を課題としているか、などを報告してみます。

危機的情勢、そのすう勢は緩和か激化か

その観点について

 情勢問題ですが、最初に、私どもの分析の方法というか観点について、話してみたい。
 世界情勢と言っても、きわめて複雑。さまざまな部分というか側面がある。しかもその部分、側面が、相互に作用し合って日々変化しており、変化の方向だって一様ではないんですね。一方向ではないんですね。矛盾に満ちてる、と言ったりもしますが。ですから仮に、国際関係を扱うとしたら、国だって二百カ国近くもあって大変。
 だから、研究というか勉強も、党としてやってはいますが、こうやって演壇に立たされると、毎回頭が痛いんですよ。できが悪いんですかね。難しいんです。メモも同志たちに催促されて提出しましたが、ときどきすっ飛ばすかもしれません。今までも、書いたからといって、その通りしゃべったことはないですから、どうぞお許しください。
 今回は最初に、わが党がどんな観点で、情勢分析をし現状を把握し見通しを得ているか、そのいくつかの要点について、話すことから始めたいと思っています。
 参考になれば幸いですが、それはともかく、「苦労してるんだな」と、思っていただければありがたい。

国際情勢の分析でいくつか
・3つの大きな部分として考察している
 わが党は、国際情勢を研究するとき、最初に、三つの大きな部分に分けて、いろいろと分析をやっています。きわめて複雑で多面的な世界を「一つの全体」としてとらえ、それを三つの部分、(1)全体としての国際情勢の矛盾、(2)諸国の内部矛盾、(3)国際矛盾と諸国内の矛盾との相互関係(これも一つの矛盾ですから)という具合にです。
 
・すう勢は緩和か激化か
 分析する意味というか狙いは、たとえば、「百年に一度」と言われた今回の危機、そして経過もあって、「この現情勢」をどう理解し把握しておけばいいか、とりわけ重要なことは、「そのすう勢がどうなるか」「緩和に向かうか、それとも激化にか」、これだと思いますよ。
 なぜかというと、国際情勢のさまざまな部分、経済も政治もあるいは各国や地域についても、ややこしくなるほどの分析を重ねても、現情勢を突き動かしている背景・要因を的確にとらえ、したがって、全体としての国際情勢、そのすう勢が、緩和であるかそれとも激化か、この結論を得ていなければ、実践家には何の役にも立たないんですね。
 ですから、三つの矛盾を手順としては、それぞれ単独に、他の二つは外因あるいは条件・環境として扱って、内因の両側面の様子を眺めながらやってみると、結論が出るようですよ。誰が研究するかで、導きたい結論、当然にも違うはずです。行動の指針だからですね。
 わが党は、帝国主義の時代、この世界の支配と反支配、その中間勢力の争いが激化するか緩和するかに関心があります。またこの世界では、国際矛盾と諸国内部矛盾は相互に作用し合っておりますが、とりわけ、諸国の内部の階級闘争が緩和するか激化するかに、関心があります。
 国家権力を握った支配階級と、権力をめざしている被支配階級、その途上にある労働党のような革命党の関心は当然にも違うんです。わが党は諸国内部の階級矛盾、その闘争に、とりわけわが国の階級関係の争奪、これが当面のすう勢として、緩和に向かうかそれとも激化か。これが最大の関心事です。

・政治が第一だが、経済から手をつける
 国際情勢にしても諸国の情勢にしても、状況を理解しすう勢までも見通すためには、政治状況や階級闘争の分析は欠かせませんが、それが第一ですが、実際の手順は経済状況の把握、その分析から始めています。広義での経済で、最近は特に、金融問題が欠かせませんね。
 金融と実際の「狭義の経済」は深く関連しているので、そう申し上げたんですが、それでも、さらに、人びとの暮らしがどうなるか、これが決定的で、「人びとの生存の諸条件」がどうなっているか、どこに向かっているか、これもとても大事な観点で、忘れてはならない。
 経済分析から手をつける本当の狙いは、人びとの生存の諸条件を研究することで、諸階級の利害と闘争の現状、すう勢を見ようとしてるのであって、そしてそれが、政治闘争や党派闘争を条件づけているからなんです。
 やはり考察の順序ですが、経済状況が険しくなると諸階級の利害が厳しくなる。階級闘争が政治に向かう。それは、経済も政治を条件づけてますが、政治も経済に影響がある。経済的支配層が政治を握っているのは、そのためですね。経済分析から始めて、経済や諸階級の利害、そして政治との絡みなどを理解した上で、政治それ自身の内部矛盾の研究というか、分析に進むんですね。
 最後に、経済と政治の相互作用も


・どこからかが、もう一点ある
 世界情勢、世界経済など。単純になるように、世界経済の例で論を進めましょうか。世界経済の現状やすう勢を考察しようとすれば、全体の一部としての条件付きながらですが、現在でも、米国経済の分析は欠かせません。それは経済規模が大きいことや基軸通貨国ですからね。研究対象、その一つの全体の中で、その現状とすう勢に、どの程度の影響を持つか、これが目のつけどころでしょうか。
 激動のしかも構造変化の時期ですから、過渡期ですよね。主要矛盾はどれか、決定的な作用、なんて言い方もあるんですが、たやすくないんですね。わが党は工夫して、正確には苦労ですかね。そんなことをやっております。こうしたとらえ方は、一時的条件的に変化するんですから、「ある意味で決定的」とか、ある意味で「副次的矛盾」とか、具体的な工夫も。
 やや具体的な話ですが、現在、米国の分析は決定的ですが、中国の動向も欠かせない。でなければ、世界のすう勢は描けない。
 ときには別様にも、応用問題というかその変形もある。米国を中心とする先進国経済が決定的ですが、しかし、中国など新興、発展途上国(BRICs)の動向分析も欠かせない。問題によって、時によって、範囲も手順も異なる。
 われわれの観点、これは具体的な経験によって、体得したものなんですが、キリがないので終わりに。

・観点の結び
 最近と言っても数年前ですが、社会民主主義者たちの文書を見ますとね、どう書いてあったかというと「革命的なことを今言っても、受け入れられない」とか、「『危機が来る』と言う人びとがいるが」とか「批判」しながら、これからは「改良闘争の時代」とありましたよ。その直後に、今回のような危機が来たんですね。
 そして本当に最近ですが、「福祉社会論も一理ある」と書いてましたね。どう考えたって、福祉社会が、展望できますか、実現できますか?
「社会主義」(社会主義協会)一月号の「バブルの後遺症に悩む欧米経済」という論文ですが、「世界経済はリーマン・ショックをきっかけにして深刻化した不況から緩やかな回復過程にあると概(おおむ)ねみることができる」と、月並みでブルジョア的な評価を追認しているんです。
 また「連銀は景気の現状と市場金利の状況を見極めながら国債購入を通じた資金供給を行っていくはずであり、六千億ドルはそのためには十分な額と言えよう。そうすると、先進国の長期金利が揃って継続的に反転上昇していく可能性は低いのではないか。世界経済にリフレ(編集部注)の種が蒔(ま)かれ始めたという認識で誤りないと思われる」
 さらには米国の超金融緩和策と新興国との矛盾の激化さえも、「これは、米国の需要にのみ依存しなくても経済成長をできるようになった、という新興国の自信を反映しているのかもしれない」とある。
 「リーマン・ショックを境にこの世界の経済政策の協調体制の変化は極めて鮮明になっている」と書き「新興国と米国との対立にも」ふれていながら、それでいて、この矛盾のすう勢についての見通しは避けている。
 このような世界経済、危機の現状とすう勢展望を見ると、最初に取り上げた社民主義者たちの見解、関連があるんですね。危機はすでに峠を越し、回復過程に入ったと見ているんです。
 労働者階級にこの時期、何を訴えるかということは、激化する方向にあるか緩和する方向にあるか、破局が迫っているか「破局」は来ないか、危機はすでに抜け出しているかいないか、時間はかかるが緩やかに景気は回復する、そうしたことの結論次第です。
 日和見主義者は、破局は来ない、危機は去ったと吹聴している。当然、そうなら、労働者階級に対して、革命的な宣伝と教育よりも、資本主義の暴露よりも、シコシコと大衆のための闘いを積み重ねて、だんだんに陣地を広げればよいとね、そういうことになる。「改良闘争の時代」とか「福祉社会論も一理ある」ということになる。
 破局は来ないし、やがて経済回復の先に、労働者は、今の生活状態からいくらかでも脱することが可能だという幻想をもっていると、大変なことになる。
 いつまでたっても、労働者階級は現状の苦しさから逃れられないですね。破局に備え、革命的なきちんとした闘争をやってこそ、改良要求も実現できる。

国際情勢の現状とすう勢

 まず、国際情勢の現状とすう勢ですが、これは最初に、二つの側面に分けてみたい。まず、国際経済です。その後で、国際政治について、いくらか必要なことは話してみたいと思います。論点も挙げたいと思いますが。

国際経済について
 さて国際経済ですが、ご存じのように、もう耳にタコができるように聞いたと思いますが、最近の「百年に一度」等々という話は、〇七年、〇八年というふうにして、経過してきたわけですね。
 そして〇八年の十月に、英国のブラウン首相の主導で、嫌がるブッシュ米大統領とそれからEU(欧州連合)等々が集まって、銀行業界への資本注入で協調して、つまり力を合わせて実施すると。
 経営不振に陥った銀行の株式も取得する、つまりつぶれそうな銀行、そうすると評判が悪いから、その銀行の株が下落するんですね。それを中央銀行と政府が買い支える。そのほかにですね、それぞれの銀行が不良資産を持っている。それもみな、買い取ろうではないかと言って、大方この時点でですね、世界の銀行、先進国のですよ、銀行を救済するためのコストは五兆ドル(約四百二十兆円)と見積もられていた。すさまじい金額ですね。
 ついでですが、英国の大銀行の一部はですね、総資産は、一つの銀行でですよ、英国は金融の先進国でしょ、米国よりもっと早くからですから、英国のGDP(国内総生産)の三倍ぐらいありますよ、一つの銀行で。たとえば、三菱が日本のGDPの三倍と言ったら巨大でしょ。英国は、そういう金融の大国です。
 したがって、今度の危機が来たときに、まずそれぞれの国が金融にどの程度依存しているか。金融に依存していたところほど、打撃が大きかった。二番目に、貿易にどの程度依存しているか。その依存度が高いほど、打撃が大きかったんですね、これは。
 そういう具合でですね、当時の英国の首相、ブラウンがあわてて米国に話を付けたのには理由があるんです。
 そういうことから始まってですね、緊急対策をしたけれども、実際にはご存じのように、金融不安はやまず、助けてもらった銀行、大銀行はカネがあるようになったものの、下部には渡さない。そういうわけで、具体的には、銀行は資金としては潤って、中央銀行に預けたり手持ちにしたり等々はして、巨大銀行の中での相互の融通などはありましたけれども、実際にそれほどになっていても、かれらは動かなかった。つまり「まだよこせ」ということなんでしょうかね。
 そして、その通り、また「よこす」ことになったわけですね。米国一つとってもですね、〇八、〇九年にかけて、三千億ドルと書いていますが、実際には三千五百億ドルぐらい。そして昨年十一月に六千億ドルですね。だいたい、〇八、〇九年から昨年まで、一兆ドルでしょ。それほどの資金を出した。
 日本もそうですね、この間、日銀の白川総裁、「包括的金融緩和」。その前もやったわけですから。その前は円高対策として、ドルを市中から吸い上げて円を放出したわけですね。それに続けて、そう長くならないうちに「包括的」ということ。
 同様に、ヨーロッパも。英国だけではないですよ、英国も銀行の国有化などやったわけですから。膨大な何十兆ドルという資金が動いているわけですから。
 そういうわけで、現状になりつつあって、昨年の六月頃ですね、「出口論」が問題になったようなこと。その前、応急処置として大量の資金を市中に流したと。大量に市中に流したということは、それぞれの中央銀行が株を買い取ったり、不良資産を肩代わりしたりして、自分の金庫に持って入れて、その代わりに、ドルを印刷したり円を印刷したりして、ユーロを印刷したり、英国だったらポンドを印刷して、大銀行に渡したわけですね。
 したがって、中央銀行そのものが不良資産を抱えた、いわば市中銀行と同じアップアップ状態。したがってどこかの時点でその不良資産をはき出して、銀行が一人歩きするようにしよう、ということが、いわば「出口論」として議論されるということになったわけです。
 ですがその直後、というのはこの期間に、ソブリン危機と言われるもの。中央銀行は不良資産を抱えようが何をしようが、それを市中に出さずかかえ込んでいて、中央銀行だけが札を印刷できるんですね。だから、一般に信用は落ちるけれども、倒産することはない。しかし、市中銀行はそうはいかない。だから、中央銀行が(不良資産を)はき出して、というようなことで回収するのは、時間をかけてしかしようがないんですね。
 もう一つ、それぞれの国家が、たとえば日本もそうですが、車が売れなくなった。それで補助金を与えたりですね。そうすると「自動車だけ助けるのか」と騒いだから、電機も助けた。そうしたら、さらに建築資材で、暖房のためのあれ、みな「省エネになる」という理由で助けた。つまりそれらはぜんぶ、政府が助けるということですから、どこからか政府はカネを持ってこないといけない。そこで国債を発行した。しかし、なかなか国債の買い手がなかったりしたので、中央銀行にそのまま持って行く。中央銀行はそれを買うということ等々で、中央銀行はともかく、各国政府の財政がもたなくなった。
 日本はすでに、この時点で、GDPの約二〇〇%、世界一、発展途上国、先進国を含んでも、ケタ違いに先頭を走っている。借金国家としてね。ただ、外国人じゃなくて日本人が持っている、ということなので、「まだ安全だろう」ということで、そう評判は悪くない。だけども、ギリシャとかあの辺はみなそう(外国人の保有が多い)ですね。
 そういうわけで、また危機がやってきて、それを口実にして、また中央銀行は札を印刷した。なぜ解決しないんだろうかということですね


・経済危機と「学者」たちの論争
 この危機、どうなるんだろう、誰だって気になるんですね。ややこしい話はともかく、経済危機や打開の政策について、最近、経済学者がどんな論争をしているか、ちょっぴり紹介してみたい。
 一口に言って、ケインズ経済学の「復活」ですかね。金融とか経済問題を論じた最近の書籍、めくってみると「ケインズ経済学」にふれたページが結構目立ってきましたね。
 このケインズ。「経済学者」というか「政策マン」というか、不景気のときにどうしたらよいのかということで、よく知られている。財政出動というやつですね。さらに落ち込んだらどうするかも。
 ケインズは、いわば資本主義の浮き沈みと危機に至ったときの処方せんについて、詳細な研究もしている。
 第二次大戦後ですね、みなそれにしたがって景気変動に対処してきた。このケインズ、それとは違った状況下では、異なった処方せんも提起しているんですから、正確には「不景気時の神様」というわけではないんですがね。
 どこだったですかね、法務大臣だったか、国会で「一つか二つを覚えておけばよい」とね(笑)。ところが、経済政策はケインズが教えたものだから、不景気になれば財政支出、そしてしばらくすると、立ち直ったら、少し所得税などで回収するというようなことで、これもまた、一つか二つを覚えておけば政治はやれたんですよね。
 ところがやはり、景気が良くなったときに、前に国債を出して借金をつくったものが、十分に回収されたかというとそうはいかなかった(産業構造の変化、財政政策の波及効果減もあった)。最初はサッチャーから始まって「英国病」退治、日本では中曽根の時代、レーガン等々。どこかの理論誌などでは「新自由主義」等々ということでですね。そんな情勢、局面となった。
 したがってですね、サッチャー、レーガン、中曽根以降の「新自由主義」と言われた、「もう借金してはダメだ」という理屈。その後ですね、グローバル経済、金融等々が重視されてきて、これがしばらく続いたんですね。だから、あれが一九七〇年代後半からとすると、三十数年か四十年ぐらい続いた。
 その時期には、景気に対する処方せんが、(ケインズのような)需要面からよりは供給面に、つまりどうやって、資本家を助け、企業活動を旺盛にするか、とか、金融問題、そういう学問が流行ったんですね。
 それが今度、この危機が来て、いっせいに、今までの考え方、「新自由主義」者らの言葉を使えば「市場原理主義」。これがもっとも効率がよいとの主張が破たんしたんですね。ですから、世界のグローバル化を理論面から支え、主導してきた学問が、ぜんぶパーになったわけですよ。
 どの学者も、どうしてよいか分からない。つまり、いうところの「経済学」は破たんしたんですね。
 今から三年ほど前ですか、「日経新聞」で、連載してましたね。その連載記事の中では「まだ経済学は理論ではない」「自然科学者から見るとナンセンスだ」とね。そんなタイトル、記事の内容、目につきましたね。五回ぐらいの連載かな。経済学者は、調子悪かったんじゃないですか。
 したがって、今度の危機、流行りの経済学の破たん、良くも悪くもケインズを思い出したんじゃないですか。ケインズ経済学が復活したんですね。それで、新しいケインズ信者を「新ケインズ経済学者」といってるみたいですがね。ケインズが復活したからと言って、勝負がついてるわけではない。資本主義の弁護人、経済「学者業界」も大変ですね。論争が続いてる。
 危機をめぐっての論争、少し面白いところだけ話してみたいんですが。
 クルーグマンという、米国随一の若手、ブッシュに激しく反対し、クリントン政権を支持した経済学者。そして「ウソつき大統領のデタラメ経済」とか、いっぱい書いた人ですね。ところが、そこで「ウソつきブッシュ」などと書いているときに、ノーベル賞をもらった。だから、若手の第一人者として注目されてる人物。今でもね。
 これが「ケインズは偉い」と言って、ケインズの学説を熱心に普及している。
 そのクルーグマン。こう言ってる。「恐慌型の経済が復活した」。「恐慌型の経済」とは何かっていうと、資金も生産力もこれほどあるのに、「それに見合う需要がないんだ」。そしてこの対策は、結局三〇年代の危機の時もそうだったが、ルーズベルト大統領がやったニューディール政策ですね、あれは結果的には第二次大戦でしか片付かなかったんですね。ですから、もうこの状況、ここまで来ると、循環的な不況局面ではないんだから、どうにもならない。そんな危機だと。
 それで緊急にやらにゃならんのは、として二つ挙げています。一つは、「銀行がつぶれれば、もっと悲惨なことになる」と。銀行が破たんすればね。悲惨なことになるので、いまのバーナンキ(米連邦準備理事会=FRB議長)であったり世界の先進国でやっている金融緩和政策、大量の放出ね、「これは必要で、これ以外に方法はない」と。しかしそれを出したら金融システムが安定するだろうかと言えば、「多分しない」と。「また次に、大規模な金融緩和をやらにゃならん」と、いうようなことを主張しておるんですね。
 そして、こういう状態でどうにもならん。ところでもう一つやらにゃならんのは、「これほど需給ギャップが拡大した下では自律的に経済が復活することはあり得ない」と。
 それは、ケインズがそういうことを言っている箇所があるんです。三〇年代の危機にケインズはそう言ったんですね。資本主義そのもの、当時は三〇年代ですから、そのころ、ソ連があったんですね、社会主義。そこでは社会主義的な生産様式、片方では資本主義的な生産様式がある。
 そこで多くの知識人たちが自信をなくして、「結局、資本主義的な生産様式には弱点があるのではないか」ということを言い始める知識人も多く出たんですね。


・先進国とくに米国経済の現状について
 ところが、ケインズは踏ん張ったんですよ。何て言って踏ん張ったかっていうと、「大きな、経済のエンジンは止まった」と、しかしそれを再起動するためには、「エンジン全体が壊れているわけではない」、つまり資本主義的な生産様式、一方に資本家がいて、生産手段の私的所有がある。他方に労働者が、生産手段を持たないで賃金労働者として働いている、これで成り立つわけですよね。そういう生産様式は経済を急速に前進させてきたし、「今からもこれに代わるものはないだろう」。
 ただ、エンジンが止まって、このエンジンが自力で動くであろうかとなると、ケインズは「そうではない」と。当時「発電機が壊れた」と言っていますね。いまで言うと、起動のモーターが壊れたんだと。
 それで、スイッチを入れればエンジンはまた動くと。巨大なエンジンは動くと。スイッチは何かって言うと、「国家が需要をつくり出すべきだ」と。
 つまり働く人たちが物を買うことによって、在庫が減って、資本家がそれを目当てにしてまた生産を始める。そういう自律的な回復は「あり得ない」と、ということをケインズは言っているわけですが。
 今度、クルーグマンはそれを取り上げて、恐慌型のこの危機では、つまり好況・不況という単なる不況型ではなくて、恐慌型のこの不景気の時には、一方で「銀行がこれ以上破産しないように出し続けろ」と。もう一つは、「政府が財政で大規模に需要をつくり出せ」と。
 そこでは、もっと詳細に言っているんですよ。商品はどうにもならない。商品は民間がつくるわけですからね。競合するわけですよね。それより、いわば、公共事業、道路とか空港等々ですね。それに、私の解釈ですが、さしあたって言えば、武器などはちょうどいいことになりますかね。そうして、しばらく模様を見ると。自律を待つと。
 なぜなら、人びとがいま買わないということは、ゼニがないからということもありますが、始末しながら食料とか最低限のものを買っている。しかし、洋服は悪くなる。自動車もいつか何年も、前は五年で替えたものを十年乗る等々、いろんな道具がそのうちに「ああ、これはもう使えなくなったなあ」という時期が来ると、また苦しくても買わざる得ないということで需要が復活するかもしれない。
 というような意味で、「当面は政府の支出でまかなうべきだ」と。この二つを主張していますね。
 それで最も重要なのは、「それで片付くとは思えない」と、これほどの需給ギャップが出たんで。ではどうするか、ということについては、「まあ、皆が知恵を出す以外にない」ということを言っている。
 そして、そういう時代まできて、そういう恐慌型の政治にきていながら、この社会が、各所で階級闘争が激化したりさまざまですが、続いているのはいまで言えば「資本主義が優れているからでもないし」、ということでクルーグマンはこう言っていますね。社会主義が崩壊したばかりですから、「他に新しい、この状況を切り抜ける考え方が、思想が、方法が生まれないから続いているだけで、いつかは生まれるだろう。そして危機が深まればその生まれる速度は早まるであろう」。こう言ってますね。つまり、資本主義が当面のところ「行き詰った」と言ってる。
 今度は日本。ここにちょっと名前を書いておきましたが、竹森俊平氏。この人の見解ですね。政府の、民主党政権の、金融研究会だとか、日銀のスタッフ等々と、研究会を開いたりしてるようで、結構、有力なメンバーなんでしょうね。
 この人はよう本を書くもんじゃと、最近は「中央銀行は闘う」という、今度の場合は主としてその本を使ってみましたが、ほんの一年前にも「経済危機には九つの顔がある」と言って、元財務省官僚だとか、それから小泉の時に全部日本経済を切り盛りした竹中氏等々を含めて、建築家の顔もありましたね。そうそうたる人たちと対談、インタビューをやって、こんな分厚い本を出してた。その前には「世界デフレは三度来る」というような五百ページの上下、だから千ページ、まあよく書くものだと思う。この人、何とか賞をもらったんですが、いま「読売」の論説も時にやる。
 日銀総裁などとも意見を交わす機会があるんでしょうね。そこへの影響力もあるみたい。最近の日銀総裁の記者会見、包括的緩和についての詳細説明、文書を見るとそう思いましたね。
 今度は、クルーグマン、ブッシュ時代には「社会主義者だ」と言われた(まったく的外れですが)。ちょっと最近クルーグマン、日本で出した本はと思ってみたら十何冊も出ている。こういう具合ですね。
 それで竹森俊平氏がですね、クルーグマンを意識して執筆した本があるんですよ。コラムでしょうか、その文章を取り上げているんですね。
 クルーグマンはバーナンキを批判して、「バーナンキは確かに金融緩和で銀行の危機を救った」、だけども「銀行は潤ったけれど、ちっとも失業者は減らんではないか」、約一〇%に高止まりしておると。
 銀行を助けた以外に、バーナンキが何をやっているかといえば「何にもしていない」「彼には関心がなさそうだ」と。「銀行助けには関心があるが、FRB、中央銀行議長は国を救う、国民を守ることには関心がないようだ」と。
 そしてクルーグマンいわく、いろいろと考えてみたけれども、行き着くところ「バーナンキは結局のところ銀行屋の観点だなあ」と。彼は銀行屋で「国の経済を守る位置にあるそういう性格の人ではない」と。
 竹森俊平さんが書いた本なんですが。竹森は、「確かにそうかもしれない」。FRBであれ財務長官であれ米国はみんなウォール街から来たわけです。前のブッシュ時代のポールソン財務長官は、米国の重要銀行のゴールドマン・サックスのCEO、いわば社長ですな、最高経営責任者ですから。
 そこで竹森いわく、「確かにクルーグマンの言う通りだ」と、しかし「銀行屋の観点だから、銀行を知っているし、銀行をどうやって助けたらよいかを知っているし、だからやれたんだ」「銀行を知らないとやれない」「しかし公平に言って、もう少しバーナンキはいい仕事をやった」と、こう言ってる。
 そして、金融緩和をやり続けて、(この本は昨年の七月に出たものですから、こう書いてある)そのおかげで米国ではすでに「出口論」、「そろそろ金融緩和だけでなく、別な政策に移るべきだということが考えられるような状況になってきたではないか」。バーナンキは「銀行屋以上の」「中央銀行以上の仕事をした」。
 つまり「失業者の問題等々は本来、中央銀行の仕事ではない、政府の仕事だ」と、こう言ってるんですね。そりゃそうでしょう、一般的にはね。その領域を超えて、「中央銀行の領域を超えて成果を上げた」と弁護しているんですね。
 この後いろいろと述べているが、中央銀行がどうやるべきかということで、面白く、かつ興味があったのは二つある。
 一つは、「金融緩和をいろいろとやっても、本当は実体経済を直接助けるのには役立たない」と言っている。
 さらに中央銀行は、金利操作、そのさじ加減で、「巨大銀行をたちどころに、無尽蔵にもうけさせることは可能だ」と、詳細な分析をやって、その方法はこうしてやられていると暴露している。
 いまは一一年ですから、ほんの一年前まで赤字で苦しんだ米国の巨大銀行が、危機前のように業績回復を遂げただけでなく、オーバーに言えば有史始まって以来の巨大な利益を上げ、しかも、上げ続けているという実態で、五つの巨大銀行は復活したんですね。
 その方法を、竹森はやり方まで分析し、「欧州の中央銀行もそれと同じやり方をやっている」と書いている。
 この暴露、これは非常に興味があった。
 さて、そこで竹森が弁護した、「バーナンキはそれ以上の仕事をやった」から、「クルーグマンの批判はやや酷過ぎる」と言ったことですが、外れましたね。
 その後、「『出口論』どころではない」という研究論文が出たり、実際のデータも出たり、ギリシャ問題、そしてソブリン危機で、もう一度、大規模に緩和せにゃならん、そんな感じになったんですね。
 まあそんな論争がやられて、突き詰めて言うとですね、金融緩和の政策はそれ自体で実体経済を助けることにはならない。銀行を巨大にもうけさせることはできるし、銀行を崩さないことはできるんですね。だけれども実体経済にはなかなか効果が出ない


・金融と財政政策
 たとえば米国ではGM(ゼネラル・モーターズ)を助けたのは政府ですね、それからヨーロッパもいろいろと動き回るんですが、この間の日銀、白川総裁の措置は、そうではないですよ。いくつかの産業、特に日本にとっての重要な成長する産業については中央銀行が直接資金を援助すると。支援をすると、こうやっている。
 これは従来から見ると、政府のやることに踏み込むということです。たとえば「成長する産業」とこう言いましょう。今、銀行もそうですが、ここにもどっかの資料に挙げておきましたが、ポールソンが言っている、米国の全銀行の資産の六〇%はたった十の銀行が握っておる。日本もそうですね、三メガバンク。巨大な銀行です。そしてその下に、産業があるわけです。
 資本と生産は極度に集中・集積し、この不景気の中で、不景気のたびに支配力が強まる。ある成長産業、ある分野に積極的な支援をするということは、「ある産業」ということで概括的な、あるいは一般的な表現をしてますが、具体的な中身はいくつかの銀行の支配下にある企業でしょう。
 米国では、オバマが登場して最初はGMの支援で、政府がやったんですが、いまの中央銀行がやっているのはこういうこと。これは日本だけではないですよ。つまり成長産業ということで、環境にしても何にしてもそうですが、全部やるということは、そこの領域を支配している企業を助けるのと同じですね。しかし産業ということは、つまり「トヨタとかソニーを助ける」というような言葉だと、国民はやや反発するですよね。他の企業もあるわけですから、他の企業も文句を言う。だけどある産業、「重要産業部門」という言葉を使えば、中には巨大企業を助けるにしても、納得する。そういう領域まで踏み込んでいるということですね。つまりもう、政府の領域にまで。

・日本は巨大な借金がある
 しかもなぜそうしなきゃならんかというと、政府は国債を発行するにしてももう多大な借金で苦しんでおる。というか、あまり国債を発行すると市中で集められなくなる。もうすぐ言われているのは、国民の資産と政府が国債を発行した量の関係で、国債を「もう国内でまかなえなくなるだろう」というようなことになっている。そうすると日本の国債の格付け、信用も落ちるんですね。
 そういうことで、別な意味で言えば、もう政府と似たようなものですが、権力機構ですから、日銀も。つまり中央銀行と一体となって巨大銀行を助け、重要産業を助け、という仕組みになっている。そこまで、いま来ているということです。
 もう一つあります。この竹森の本の中に、そしてこの間、白川総裁が弁解している中に似たようなことがある。白川総裁はこう言ったんですね。あの包括的金融緩和政策、これは「民主主義社会ではとかく批判の対象になるかもしれないんだけど、これほど危機が深まった下で、巨大な銀行を助けたり、政府が本来やるべき国の重要産業等々に資金を援助したりするようなことは認めてもらえるだろう」と、こういう言い方をしている。そしていま、各国の中央銀行はもうそういうことになっている。

・中央銀行の危機管理機能
 もう一つ重要なことは中央銀行、つまりいま「危機をどうするか」というようなことを議会にかけたら間に合わないということなんですね。つまり資本主義の存亡にかかわる、一国がつぶれるかどうかという問題を議会制の国で議会にかけて、各政党がおるところにかければ、「誰を助けるのか」というところから始まって議論になる。そして時間が経つ。「危機管理には向かない」とこう言っている。
 なぜなら、中央銀行は(実質)誰からも選ばれてなくて、政府の任命でしょ。米国などは銀行が派遣している。そして人数は少ないですよ。そこでは、各階級の利害をとか政党を、とかという話ではないんですね。この国の経済・金融をどうするか。つまり資本主義の存亡にかかわる、崩壊するかもしれない、国家が。それは議会ではなく、この危機管理はきわめて少数の、米国でいえば銀行の手先どもが、元の銀行の重要な役員等々をした、こういう少数の連中で今の世界経済は決断されておる。
 私は、議会制民主主義を信じる人たちに聞いてみたい。国家が最も危機的な、つまり緩やかな揉(も)めごとの範囲、緩やかな社会的な矛盾、階級的な矛盾の範囲でならば、ゆらゆらと議会で議論して、「今回は票が少なかったな」「今度はがんばろう」などと、言って日にちを過ごして、政治があたかも民主的に行われているように見える。にもかかわらず、今回の危機、存亡にかかわるような、資本主義の、下手をすれば一国二国つぶれるわけですから、その危機管理は、そういう議会で決定されているのではないですね。
 これはレーニンの「国家と革命」だけでなく、たとえば「プロレタリア革命と背教者カウツキー」で、「どんな民主的共和制の下でさえ、ブルジョア独裁だ」と言った下で、それを詳細に実例を挙げて言っているんですが、端的な話、今度はあらわになってきている。そして世界の銀行にかかわりのある、あるいは権力者たちが、このことに戸惑いを感じながらも口をふさいでいる。世界の危機は議会で決まっていないですね。どういう道を歩いていくかというか、外交とか何とかはともかくとして、資本主義の存亡にかかわる危機は、実はこういうことですね。
 じゃあそれが、これが最も下部構造ですから、資本主義そのものの仕組み、その上に生産が成り立っている、その仕組みの基礎のところで、いわばきわめて少数の、よく言われる寡頭政治というやつですね、きわめて少数の人数でものごとを決める。金融寡頭制というような言い方をされる。その金融寡頭制とかだって、銀行だって、重役があって役員会がある。ところが、存亡にかかわるような危機対応を少数の人で決断する。これを、こんにちのブルジョア社会の権力がどこに存在するかということを図らずも暴露したことになっている。そして、そのことに触れているんですよ。そして「本来議会制民主主義の社会ではしちゃならんことのようだけれど、危機管理には向かない」と。危機管理ということは、システムの存亡にかかわるということでしょ。「それには向かない」という。等々そういう議論がやられているとうことを理解していただいてですね。


・中小の銀行はつぶれている
 最後に、米国の具体的な仕組みも調べてみましたけどね、米国は日本と違って何千と小さい銀行があるわけですよね。ここ数カ年ずっと調べてみますとね、毎年、今年も、この一年ぐらい、百五十七の銀行がつぶれている。そしてこの数カ年、みんな百を超す銀行がつぶれている。そしてその銀行は弱い、小さい銀行ですね。日本でいうと信用組合、信用金庫、旧相互銀行とか何とか地方銀行ですね。そして、中小企業の方がいらっしゃると分かると思うんですが、その人たちの得意先は中小企業ですね。ここがじゃんじゃんつぶれている。そしてつぶれることは、資金繰りも困ったでしょう、銀行は。しかし、貸したところの貸し倒れもあるんですよね。企業が苦しくなる。そしてそれに対応できない中小の銀行がつぶれる、毎年ね。そうすると、米国の巨大銀行がたった十の銀行で米国全体の金融資産の六〇%も占めるというような具合になってきている。そうすると巨大な融資を、中央銀行が大金融機関に回しても、貸すところ、「こんにちは」って言って自転車で銀行マンが回ってというような、そういう部分はつぶれているわけですから、お得意様はその上のところですから。だからたくさんのカネを持ったものの、貸す仕組みが、下部が崩れている。全部ね。日本も同じでしょう。


・内部留保で膨大な資金
 もう一つ。それに多国籍企業のような巨大企業。これは借らんのですよ。内部留保で膨大な資金を持っている。もうけ過ぎているから。しかも経営が苦しいというので補助金をもらって自動車を売っている。今度の決算を見てみなさい。あれほど「苦しい」と言ったって、あの不況の時代がいちばんもうかったでしょ。トヨタとかみんな。だから補助金がなくなるとガタ落ちとなる、こうなるわけですね。
 そうすると巨大な銀行は、下には貸すところがない、大きな企業はゼニを借りてくれん。どうしますか。それが第三世界にどっと流れて、低金利で、という具合。そういうことでですね、結局、銀行助けにしかならないと。


国際状況、危機と関連して若干

 ここのところでは国際政治。もちろん、純粋な政治や経済はないのですが……。

・「過剰生産能力」か
 クルーグマンが言うには、何度も言いましたが、危機がここまで深ければ、金融緩和とか少々の財政ではどうにもならない。緊急に大量の政府支出で需要を創出すべきだとね。先々はともかく、当面はそれ以外にないんですから、ある意味で正しいんですね。
 これほど経済が停滞している。供給力に見合う需要がない。供給力というのは資本、機械設備、資源、そして労働者で、それが有り余っているわけで、一〇〇%稼働すれば、有用な商品が工場からどっと出てくる。
 ところが経済不況の原因を、平気で過剰生産能力で説明する。これでいいんですかね。これ実際とも違うんですよね。分かりやすい話ですが、補助金を与えただけで自動車が売れたでしょ。ちょっと安くなっただけで売れたんですね。自動車を欲しい人、買い換えたい人はいっぱいいるんです。どんな商品だって欲しがってる人いっぱいいるんです。労働者に賃金を倍払ったらどうですか。
 企業家たちは売れないから、もうからんから、作らん。そういうことでしょ。需要不足ですよね。
 不況だから失業者が出る。さらに、不況の原因は「生産力の過剰にある」論で、何となく失業者が多いのも、そういう事情でやむなしと、ならんようにしなければなりませんね。

・米国の情勢
 ちょっと、時間が少なくなりましたので。
 さて米国の現状はもう言ったようなものですが、今回失業率が、一〇%の高止まりから、昨日今日の新聞は一〇%が九・四%になったなどと書いてあった。よーく見ますとね、つまり雇用が増えたとね、どこが伸びたか。ところが建設業は減っている。建設労働者は働くところがない。建設労働者というと、住宅関連等々ですね。
 この住宅関連と言うのは米国にとっては、消費の中で、GDPの中で大きな部分を占めている。だからこれを「米経済、うまい具合になってきた」と理解するのは正しくないですよ。
 さて、先進国はみなそういう問題があるんですが、中国や発展途上国はどうですかね。
 先進国は資金が余っているでしょ。国内で使えない。だから稼ぎの多いところで運用する。ダブついた資金が、発展途上国に殺到している。新興国の外貨準備がめっきり増え、金が増えてると、二、三日前の新聞だったか載っていた。紙のお札ではあまり信用ならんということですかね。
 昨日か一昨日か、石油が急に高くなったのでね、米国でバーナンキは気がひけたんでしょうか。昨年十一月の「金融緩和が響いていることはないんだが」と、言い訳をしてましたね。ですが、金融緩和、響いてますよ。ダブつく資金で、気前よく先物市場で石油を売買し、買い占めたりしてるんだから。そうすれば、石油は上がるでしょ。


・通貨戦争と新興諸国
 「通貨戦争」と言われているんですが、元凶は米国。ドルの値打ちが下がったことと関係あるんですね。輪転機を回してドルをどんどん刷れば、当然、ドルに対する信用はなくなる。したがって発展途上国の通貨は、ドルが下がれば、相対的に上がるという理屈になる。
 それだけではないんです。もう一つ、そのあり余ったドル資金が、たとえばブラジルに上陸する。ブラジルで資産を買う。その時にドルを持っていった米国人がドルを売って、ブラジルの通貨・レアルに換えて、ブラジルの国内にある資産を買うんですね。ドルとレアルは交換されるので、レアルの需要は多くなるので、当然にも高くなるんです。中国でもそうですね。
 クルーグマンは、いくつもの金融危機を歴史経過も含め丹念に調べ研究していて、とても参考になります。九七年のアジア通貨危機以前、タイとかインドネシアもそうですが、多くの短期資金が入っていた。その頃、あの地域は、「二十一世紀はアジアの時代だ」と言って、東南アジアは発展すると見られた。先進国があそこに投資する。都市も発展する。工場が立ち、都市が発展する。そして不動産業が発展する、住宅も立つ。
 発展途上国の不動産業は資金がほしい。先進国の低い金利なら短期でも借りて、国内に投資し稼ぎまくった。先進国の銀行にはいくらでも低金利の資金があったので融通して稼いだ。そんなブーム、バブル。
 やがて、「ヤバイ」となると、工場に直接投資したものは、工場を船で運ぶわけにはいかないですが、短期資金の貸付や流動性が高い資産はね、即座に売っぱらって逃げる。
 そういうことで、それぞれの国の通貨がべらぼうに安くなった。通貨の価値を維持しなければならんので、中央銀行の準備金を使ったんですが。準備金が少なかったんで、たちどころになくなった。どうにもならず、IMF(国際通貨基金)や米国に助けを求めたら、ひどいことになった。インドネシアのスハルト大統領がクビになったり。韓国は「優等生」と言われたが、保守政権では合理化をやれなかったんですね、金大中大統領だから労働者の騒ぎ方が鈍ったんです。
 つまりあれほどの時に、日本でいうなら、今の民主党政権ができたようなもので、そうするとひどいことになっても、連合が「支えなければならん」と、こうなるのと同じで、韓国はひどい合理化をやったんですね。もちろん労働運動も鍛えられたんでしょう。
 そういうことですが。それで九七年の後、それぞれの国の政府は、先進国の短期資金についてはえらく警戒するようになっていたんですね。


・「第2の爆心地」
 クルーグマンの調べた統計によると、あの九七年ごろから最近の〇六年ごろまでの資料で、政府はバッチリと外国資金、とくに短期資金は警戒しながら管理し、せっせと輸出を増やして黒字を稼いで、外貨準備をためたんですね。そして、危機に備えたんですね。
 ところが民間はそれ以降、外国の安い短期資金を借りたんですね。先進国の安い資金を。先進国は高金利で稼げるから貸したんですね。当時の何と三倍、四倍に、貸したカネが増えているんです、当時と比べると。政府は警戒してそうした変動に備える対策をとったものの、民間はいろいろなルートを通じて借りたんですね。
 そしていくつかの例をあげていますが、ロシア政府の外貨準備高の倍も、ロシアの民間は短期資金を借りている。だから「今度、どこかで危機が起きれば、第二の爆心地になるであろう」。つまり九七年の危機とは、ケタ違いになる可能性があると警告してるんです。
 しかも九七年は、アジアからロシア、そしてブラジルで止まったんですね。なぜブラジルで止まったかというと、米国の巨大銀行はブラジル、中南米にみな貸してた。そこで火がつくと困るので、米国は日本に助けを求めた。アジアを助けるのには反対していたくせにですね。円を使うにも反対したんですよ。中国と米国が結びついてね、そして「IMFに相談せずにアジアが独自に動くには反対だ」と言って、アジアを助けるのは反対したんですね。
 中国は米国の味方をした。韓国の首相が日本に来て「三千億ドルを貸そうではないか」と、アジア危機を解消しようとするのに反対したんです。ところが中南米が崩壊しそうになって、初めて「助けてくれ」と言って、「その代わりに、あの時の話を認めるよ」と言って、「宮沢構想」の三千億ドルを三百億ドルにして、つまりそれほどひどい。したがって、そうした苦い経験があるにもかかわらず、今、現状はどうなっているかと、今言ったように、「今度危機が起きれば…」ということなんですよ。
 クルーグマンはそこを言って、どこかで危機が起きれば、たとえば〇七年、〇八年の米国のサブプライムローン危機が表面化したのは、フランスからでしょう。弱い環から破れるんですよ。
 しかし震源地は米国でしょう。どこから危機が表面化するか、どの金融機関からあらわれるか、爆薬がたまったところはどこか。発展途上国にはすでに、九七年のあの危機と比べ物にならないほど巨大な、あの地域だけでなく全世界に、爆薬の蓄積が広がっていると指摘しています。
 新興発展途上諸国、最近は、インフレ対策とか、経済発展が曲がり角にきたなんて言われてますが、調子よく前進して、先進国危機の緩和に役立っていたものの、もはや発展途上国はブレーキをかけざるを得ない。
 それは先進国が、苦しまぎれの大規模な金融緩和で、銀行助けの政策をとって発展途上諸国で稼いでいるからで、発展途上諸国では、インフレやバブルが起きてる。
 ブレーキをかけ始めると、先進国はそこに期待することも難しい。そういう、相互の作用があるんです。相互作用ですから、世界は孤立した経済はないんです。
 爆薬がどこにたまっているか、たまりつつあるかという問題は、巨大な爆心地が形成され、また、つつあるということですよ。

・ヨーロッパ周辺と爆薬
 さてクルーグマンと対立する竹森氏は、どこに爆薬がたまっているかについては、「ヨーロッパに」との判断らしい。これまた五月、六月時点の判断ですが、ドイツやフランスといった中心国は、ギリシャ危機が起きたものだから、これを「助けるか助けないのか」の議論があって、大変な苦労をし、助ける体制をつくったが、以後も引き続き周辺国を助けざるを得ない。
 もはやこれ以上進めば大きな負担になると、ドイツの論争を紹介しているんです。「なぜ助けなきゃならんのか」「放漫経営なのに」だとか。もちろん、ドイツの一部には、「これまでドイツは、周辺国の低賃金でどんどんもうけてきたではないか」今度は「お返しをする番だ」との意見もある。けれども、もうけるにはもうけてきたが、「お返し」などというのは道義の世界で、企業家はここまで来て「前に向って進むのか」「進まないのか」で、したがって、ヨーロッパはここから危機が発生する、と書いてますね。
 竹森さん、「グローバリゼーションの終焉(しゅうえん)」を書いた有名な著者に会ったんですね。そのハロルド・ジェイムズは学者で、むしろ歴史家ですね。ヨーロッパ研究の第一人者の学者と言われている人。これに大きな感銘を受けて帰ってきたんですね。影響を受けて帰ってきて、いわく、ヨーロッパについてはきわめて悲観的。
 この前も私は、「労働新聞」の新春インタビューの中で、ヨーロッパ周辺国は大変で、支援はできてもですね、たとえばギリシャに支援する、アイスランドに支援する等々となれば、支援はヨーロッパ各国やIMFも含みますので、資金はある、だが財政再建の厳しい条件が付くんですね。したがって、周辺国は乗り切れるだろうか。階級闘争が極めて激化する状況にあることは間違いない。インタビューではそう言ったんです。
 竹森さんは、先にもふれた通り、昨年五月時点、「岐路に立たされた」と書いているんですが、ドイツやフランス、ヨーロッパの中心国と主要な国々は、政治的判断として、ユーロを強化することを選択したんです。決断したんです。そういう意味からも、竹森の見通しは外れた。
 竹森さんのような、必然的に、ヨーロッパは滅びるだろうというような悲観的な見通しとは違った方向に進んだが、私が新春インタビューで申し上げたように、周辺に爆薬がたまっていることは間違いない。
 しかし、クルーグマンの指摘した新興、発展途上諸国の爆薬はケタ違いに巨大。ヨーロッパ、爆薬の量はともかく、主要国が政治決断で前に進んだのですから、竹森さんのこの判断も、外れたんですね。竹森氏はヨーロッパの支配層の利害を見て論じてますが、私は諸国内部の階級矛盾を見て論じた。
 世界情勢をどう見るかでの観点は最初のほうで詳しくなりすぎるぐらい述べました。世界は複雑で多面的で矛盾に満ちてると、繰り返し述べてきました。ですがそうであっても、一つの全体としての世界ですよね。無数の部分は切り離しがたく関連し、結び付いており、孤立した存在などないんですね。
 この観点は分かりきったような話です。ですが、実際にはそんな観点を貫ける人はめったにいないんです。
 先進国が困った、最初の〇七年、〇八年ごろ、「先進国の経済が落ちても、発展途上国の経済が伸びているので全体としては大きな後退はないだろう」と見通しを述べたマスコミの論説、学者がいっぱいでしたよ。デカップリング論ですね。
 しかし、その発展途上国は先進国に輸出することで成り立っていた。相互に依存し合っているから、世界経済は一体のものですから、そうはならなかった。網の目のような金融を考慮しなくても、そうだから、デカップリング論に疑問がでるはずでしょ。でも堂々と紙面を飾ったんですね。
 実際の世界の、経済にしても政治にしてもましてや金融などの具体的なつながりを普通、多くの人は知りようがないんだから、ダマされるんですね。ですが、党派、政治家は、いい加減なことでは無責任でしょ。学者だって怪しいもんでしょ。
 ところが最近、今度は「先進国がいろいろあっても、発展途上国は独り立ちしてきている」と、こう書いてる左派系の理論誌だって出てますよ。世界経済は一つの全体なのに、そして、少し前で述べましたように、世界の広い範囲で、発展途上国に爆薬が蓄積されているというのに、ヨーロッパ周辺国にも爆薬があるというのに、表面的な現象だけで楽観論を振りまいて、世界資本主義の危機の現段階をブルジョア理論で塗りつぶすことを平気でやってる。
 これも今度は反対側からデカップリング論と似てませんか。世界経済でのデカップリング論も、言ってみれば「一般論としての連関に関する学説」、方法論が弱いのと、あれこれの「希望的」観測、よく言われる主観主義、それに世界の内部にある具体的な事情に通じていないことによるものでしょうが、こうした弱さは、わが党内にもあるんですよ。

・大きな爆薬の問題
 さてそこで、世界経済のもう一つの問題は、第三世界に大きな爆薬が蓄積されてきています。ヨーロッパにもそういう問題があります。もちろん米国は成り立たなくなっていますから、先進国のどこかでもある得るわけですよね。
 私は党の第六回大会、今から五、六年前に「以後の世界危機はどこから起こるだろうか」という問題で、結論を出せていなかった。しかし、〇七、〇八年の危機の進行を見てずいぶんと、つまりどこからか、「弱い環」というのが分かりやすくなってきましたが、にもかかわらず、どこから火がつくかというのは先進国でもあり得るしどこでもあり得る。
 金融機関の一角がつぶれるとか、この前はフランスでしたね。そういう要因はどの国でもあり得るでしょう。強い国はないです。またたく間に世界に波及するという仕組みになっている。金融の相互依存、そういう意味でヨーロッパか発展途上国かは分かりませんが、もっとも、どこかで起こると、たちまち、発展途上国の爆薬に火がつくことはあり得る。

・彼は「ヨーロッパから」と
 それでこの間、竹森さんは、ハロルド・ジェイムズ先生から聞いてきたようで、かつての九七、九八年の危機とは違う、悲惨な状況に全世界が包み込まれる可能性が「ヨーロッパから」始まる、と言っている。そうした確定はできませんが、爆薬が仕込まれているということをお分かり願えればと思います。
 したがって国際政治は、その上部構造として、各国は、死活をかけて、貿易戦争もやっていますし、安全保障にも取り組んで、最近のアジアでの米国の日韓を引き連れての行動も、諸国の軍備増強や、武器商売が大繁盛してるのも、世界が危機との関連であわただしくなってる証拠でしょう。

・志位の年頭のインタビュー
 共産党の志位委員長の年頭インタビュー、見ましたよね。世界の「人民が世界の主人公になった」「ますます平和が近づいている」と、こう言っています。ウソっぱちですよ、これは。
 この危機は破局なしに終わらない。たとえば三〇年代の危機は、第二次大戦になった。その戦争を経済の面から見ると、生産力が破壊されるということですね。そして新たな生産が始まるということですね。
 九七年の危機では、マハティール・マレーシア首相が「むごいことだ」と。インドネシアその他、「生きた人間が生存できなくってきた」「何十年と営々とアジアは前進してきたのに、数十年遅れたところまでたたき込まれた」と、こう言って、批判したことがあります。
 しかし、これは経済学者に言わせれば、「起こるべくして起こって、そのことによって世界経済はまた動き始める」と、涼しい顔をしていられる。ゼニを持っている人は、その間食いつないで、鳩山さんのようにやれる(笑)。だけど、さ迷う人たちは「涼しく」はならんでしょう。世界は、国としても、そういう問題があります。
 だから、志位の言ってることを聞くと腹が立つ。寝ぼけたことをなんで言うんだ。
「人民が世界の主人公になった」のか。バカを言え、なってないから苦しんでるんじゃないか! 「ますます平和が近づいている」のか。バカを言え! と。
 世界の動向や国際政治にも、一国の政治にも、世界人民の声、もちろん世論も、諸政治の背景にはある。だが、実際の、最後的な、世界のかじ取りをやっているのは、主要国の国家権力です。依然として具体的には、帝国主義の時代であって、世界人民は依然として主人ではなく奴隷同然です。いつの日か主人となる必然性があっても、今は主人ではない。
 オバマの発言、軍事費削減を根拠としての志位の幻想は裏切り者の悪質な政治であって、帝国主義の弁護人にすぎないんです。オバマの「核兵器のない世界」という当面の狙いは、核支配の継続のためで、また他国に持たせないためで、核兵器の進化に余念がないことでも証明されています。軍事費削減も、財政危機対策で軍事力の削減ではないと国防省も明言している。だから世界は「平和に向かっている」というのは、真っ赤なウソ、でしょ。
 私の志位批判は、まだ優しすぎるんですが、ここまでくると連日暴露しなきゃならんですね。
 なぜオバマが一千億ドル武器を減らすと言ったか、ロシアも減らしたいんでしょ。双方とも、軍事力を弱めるためではなく、財政対策。軍事力が弱まらず、一定水準を保つために用心深いことをやっている。核の研究もいっそうやっている。それ以外の国々は、大方、軍事費を増大させつつあります。とくに中小国等々は、本当に軍備を増大させていますよ。
 そこがまた先進国の、そこを狙って武器輸出に力を入れている。そういう面でも、爆薬がたまるんです。したがって私は、大戦争が起こるとは申しませんが、地域的な紛争、戦争はおおいにあり得る時代に突入しておる、と。経済は破局でしょうし、国際関係では、激しい闘争の時代に入ったと私は思うんです。

国内の現状

 さてですね。国内の現状等あるんですが時間がありませんので。
 私は、わが国の経済のところで少し触れましたが、倒産件数等々ですね。白川総裁が金融緩和しようとしても、本来そこに届くとは、思っていないですよ。ゼニのない人も「ゼニを借りてもなあ」と言っている。完全失業者も好転しないですよ。それから有効求人倍率もだいたい高くならない。


・政治、政局について
 政治、政局についてですが、私は新春インタビューで、例の防衛計画大綱、新中期防衛計画ね。「菅は何も知らなかった」と述べた。かつての吉田茂、彼は知っていた。台湾と日華条約を結ぶ時も迷っていたですね。だけど、その後の鈴木善幸は、日米安保が変ったのにほとんど何も知らずに、共同声明を出した後に「同盟関係でない」などと言うので、米国がびっくりした。それに続いて村山富市。「新安保」と言ってもよいが、あれをつくった。つまり、「冷戦が終わって日米安保を見直すべきだ」というのを「引き続き重要だ」としたわけでしょう。米国の戦略を、日米間で具体化したんですから。
 ところが、それをつくった役人たちが、詳細に書いている。だからこの間、社民が頭痛がせんと困りますのでね、インタビューでは誰が言ったかまで書いておきましたがね。何にも分かっていない。


・菅政権も同じ
 菅も鈴木善幸や村山富市と同じですね。菅のところで初めてですよ、防衛官僚が秘書官になったんですから。というのは、滅多なことをやってもらっては対米関係が困るからです。もはや、日米関係は菅の手にはないですよ。
 最近の日経新聞での「誰が物事を決めているか」と連載記事で、前原のことを、えらく仕事をしていると書いている。防衛は誰それで、菅は出てこないじゃないですか(笑)。そういう政権です。
 したがって、この民主党菅政権は(保守政権はある意味で国益も考える。民族課題も、中曽根などもにおいぐらいはしましたよ)、とくに菅首相は、そういうにおいはないですね。だから、財界が「言う通りやってくれればよい」「要は実行できるかどうかだ」と。ブル新も、連日書いてるんじゃないですか。
 内政も外交も安全保障政策も、財界と官僚と米国筋の言うがままにやってる。第一次菅内閣からですよ。大臣たちは外国でセールス。政策上は、財界は満足しているんですよ。だが、実行がもたもた確実でないのが、困ってる、そんな感じですね。
 そうすると、これを支持する諸君はどうなんですか。連合は、困ってるんじゃないですか。政権維持に汲々(きゅうきゅう)としてますが、続けられますかね。わが党の言った通りでしょう。

迫りくる破局と内外での課題

 迫りくる破局、それに備えるための、当面の内外での課題について、わが党の考えを、述べます。
・朝鮮との即時・無条件の国交関係の樹立
・アジア人民との友好、連帯、交流の再建と発展強化
・日米同盟の深化に反対し、広い国民戦線を形成
・労働運動では、左派の形成と階級的革命的発展を!
 情勢認識、福祉国家論、日和見主義の諸潮流批判
・広範な国民連合を支持し、政治的組織的発展の一翼を断固担う
 五点だけ挙げました。


・朝鮮との即時・無条件の国交関係の樹立
 この間の朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の砲撃事件等々で大騒ぎしましたが、とにかく、朝鮮が生きていけるようにしたらどうですか。小さな国でしょう。核で武装しなければならないところまで追い込んでいるんだから。負担もそうないでしょう。政治的な何かを除けばね。日本が予算のほんの少しでも援助すれば、朝鮮は「天国」になりますよ。だから、即時・無条件の国交を樹立すること。「回復」と言うわけにはかないですよね、これまでもないんだから。

・アジア人民との友好、連帯、交流の再建と発展強化
 その次。アジア人民との友好、連帯、交流の再建と発展強化。わが党は結党以来、それらをやってきました。中国から反対された時期もありました。アジアの諸党、諸勢力とも連携しました。今は武装闘争やっている人たちとも付き合いがあった。中国は北京に来て「連絡は取ってくれるな」と反対した。トウ小平の後半から反対した。

・日米同盟の深化に反対し、広い国民戦線を形成
 その次に。これが大事なんですが。日米同盟を深化させるという今の路線に反対して、広い国民戦線を形成を。これは保守勢力や知識人たちの中にも「このままでどうなるんだ」と言ってますよ。手応えがあります。わが党は思い切って、そういう人びとと連携する。
 日本の労働界にも、日本の「左翼」の中にも、社民党も含めて、こういう観点がないんですよ。いつまでも野党根性で、政権を取る、国の運命を掌握するという構想がないんですね。日米同盟深化のこんにちの路線がますます行き詰って、なおかつ国をどうするのかということを考えなければいけない時期に、ますますそういう道に転がり込む。情けない話で、そのことを感じている、結構な人びとがおります。広い国民戦線の形成を進める。

・労働運動について
 その次。良くも悪くも労働運動の現状があり、われわれは左派の形成と階級的革命的発展ですね、それを進めると。そのために、労働運動内部におけるさまざまな日和見主義との闘争は避けがたいと。遠慮はしない、こう思います。
 それは、情勢認識でも日和見主義の、さっきから折に触れてきましたが、「福祉国家論」にも出ています。日和見主義の諸潮流を、随所に、ことごとに、重要な問題で暴露して闘います。

・広範な国民連合について
 それから、自主・平和・民主のための広範な国民連合を支持し、政治的組織的発展の一翼を、労働党も断固として担うと。おずおずとしてではなく。これは、断固として担うと。

わが党の緊急の課題は何か

 最後の締めくくりですが、党の緊急課題は何かというと、二つあります。
 一つは党の旗を高々と掲げること。どちらかと言うとわれわれは、この間、掲げ方において少なかった、という反省があります。もう一つは、強大な党の建設です。

党の旗を高々と掲げること

・国政と地方政治、選挙は党公認で闘う
・「労働新聞」と理論誌の普及を中心に、宣伝活動を強化する
・理論と実践の統一、情勢研究と政策の重視。


 党の旗を高々と掲げる問題は、言ってみるとこの三点です。国政も地方政治も、統一候補のような例外がないとは申しませんが、これからの選挙は、党公認で闘います。得体のしれないような曖昧(あいまい)な姿では、党の旗が霞(かす)んでしまうからです。これが第一です。また、「労働新聞」と理論誌の普及を重視し、日常にはこれを中心に、宣伝活動を強化したいんです。
 理論と実践の統一、情勢研究と政策の重視は、これなくしては、党が明確に、奥歯に物がはさまったような言い方ではなく、ハッキリものを言って進むことができないからです。先進的な認識、問題の提起、行動の呼びかけ、これは党の生命だと思っています。

強大な党の建設

・党規約に沿った、厳格な規律のある、党の建設!
・労働者の中に、工場と職場に、全国に、党組織を!
・全国単一の、中央に結束した、強固な地方組織を!
・全党の信頼に値し、かつ常に先頭に立つ、気力あふれる党中央の建設を!


 四点挙げました。この最初に申し上げたいこと、それは組織の性格について、です。
 わが党は、全国単一の党組織です。ですから、まず党の内側ことですが、党規約に沿った厳格な規律のある党の建設をこれまで以上に重視して進むつもりです。地方組織の連合体ではないですから、「単一の党」の建設、その強調、当然でしょ。「いやあ、官僚主義か」などと言われても、わが党は恐れません。
 なぜなら以降の破局に備えるため、そういう道をきちんと選ぶこと。これは大切なことです。組織を嫌がる人を集めて「革命党」などというのは、人を欺くというもの、役に立たないんですから。
 それから、労働者の中に、工場と職場に、全国に、党組織をつくる。全国単一の党として、中央に結束した強固な地方組織の建設を急がねばなりません。
 地方と中央の関係は単一の党ですから、地方組織は原則的に中央に結集すること、これをおろそかにすることを許さない。一つや二つの地方組織がつぶれても、原則を守って闘う。われわれも決意しますが、地方組織の同志たちも腹を固めていただきたい。内外での党派闘争は、特に内側の闘争をきちんとし、思想、政治、組織上での整頓は欠かせないことです。
 それから全党の信頼に値し、かつ常に先頭に立つ、気力あふれる党中央の建設です。「一年の計、元旦にあり」でしょ。新年早々ですから、私は、中央が信頼に値しないならば、地方からでも、中央内部からでも、党を壊すための反乱ではなく、中央をやっつける反乱をやっていただきたい。遠慮しなくてよい。誰が正しいか。そういうことで、党内も闘争しながら進めていきたい。


 最後に。年頭に初心を述べてみました。来賓の皆さん、友人の皆さんに、引き続いての激励と友情をお願いし、かつ団結をお願いします。
 わが党はひたむきに前進したいと思います。破局に備えたいと思います。
 ご静聴、ありがとうございました。(拍手)。

(編集部注)リフレ=デフレから抜け出て、インフレに至っていない経済状況のこと。


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