ホーム労働新聞最新号党の主張(社説など)/党の姿サイトマップ

2010年6月25日号 2面・社説 

菅政権の「現実主義」は
多国籍大企業のためのもの


国民大多数の「現実」に立ち、
対米従属政治の転換を

 参議院選挙が始まった。
 与野党ともにマニフェスト(公約)を絶叫し、有権者の支持を獲得しようと狂奔している。
 とりわけ民主党、菅首相は、選挙を目前にひかえた通常国会の所信表明演説で「経済・財政・社会保障の一体的建て直し」をぶち上げ、その政権の政策と基本的性格を明らかにした。
 「強い財政」、財界が求める財政再建のために消費税増税が打ち出され、超党派による協議機関の設置が提案された。大企業の利益を膨らませるための法人税引き下げや閣僚がセールスマンと化してのインフラ輸出、これらが「強い経済」のためだという。一方、外交、安全保障では普天間基地(沖縄県宜野湾市)の「県内移設」、日米同盟の「深化」などが掲げられた。
 また、十八日には、財界が待ち望んだ「新成長戦略」が閣議決定された。法人税引き下げと併せて、環境・エネルギー、健康、アジア、科学・技術・情報通信、金融など七つを「戦略分野」として、国家財政をつぎ込んで多国籍大企業の成長を支援するというものだ。
 当然にも財界は「大いに期待している」(米倉・日本経団連会長)と大喝采(かっさい)である。さらに財界は、マスコミも使って、菅政権の掲げる内政・外交政策を「現実主義」とほめつつ、「その場しのぎの『現実主義』であってはならない」(読売新聞、十六日付)と注文をつけ、いっそうの「現実化」を求めてもいる。菅首相も所信表明演説で、「現実主義を基調とする」ことを公言し、すでにこれに呼応している。
 だが、一握りの多国籍大企業や金持ちどもと労働者をはじめとする国民大多数では、経済社会でのおかれた立場、利害は異なり、直面し、解決を望む「現実」も異なっている。
 二つの「現実」、二つの打開策がある。菅政権が財界がいう「現実」、財界が望む打開策を実現しようとする政権であることは明らかである。だからこそ、労働者と国民多数は、この政権の階級的性格を見抜き、断固として反対しなければならない。

世界でのもうけ拡大をめざす財界
 財界にとっての「現実」とは何か。
 大銀行を頂点とするわが国多国籍大企業にとっては、冷戦後、世界に広がった市場の中でライバル企業との競争に勝ち抜き、より利益をむさぼることが至上命題となった。
 財界はその目的達成のため、一九九〇年前後から、とりわけ二〇〇〇年代に入って、国内改革を強く求めてきた。「小さな政府」で税をはじめとする大企業の負担を減らすとともに、海外派兵の拡大で日本の国際的地位を高め、世界での企業活動を有利にすることであった。
 かつての小泉政権は、財界の強力な支持を受けてこの改革を担ったが、補助金と引き換えの集票構造やそれにぶらさがる族議員などを歴史的な政権基盤としてきた自民党ゆえに中途半端となった。
 こんにち国際競争はいっそう激化し、リーマン・ショック後は新興国、とりわけ「世界の成長センター」となったアジアをめぐる市場争奪が、かつてなく激化している。「輸出倍増」を掲げる米国、ユーロ安を追い風にする欧州諸国も、アジアに殺到している。
 だから財界は政治に対し、自らの競争力を強めるためのさらなる支援を求めているのである。リーマン・ショック後の不況期も政府による血税投入や債務免除、「エコポイント」などの支援策でさんざんに救済されてきたが、かれらにとってはそれでも足りないというのである。財界は、鳩山前政権の下で揺らいだ対米関係の改善も求めている。
 この連中の眼前に見えている「現実」とはこういうもので、その連中がほめそやす「現実主義」など、怒りなしに聞けないシロモノである。

耐え難い国民生活の困難
 労働者、国民大多数の「現実」はどうか。
 自公政権による対米従属政治に苦しむ国民が、「国民生活が第一」を掲げた民主党に期待を抱いたのは当然でもあった。だが、それはものの見事に裏切られた。
 公約であったガソリン税などの暫定税率廃止、高速道路料金無料化は、財政赤字を口実に次々と投げ捨てられた。辛うじて実施された「子ども手当」は、早くも来年度実施が「見直し」となっている。
 労働者は大企業の首切りによって街頭に放り出された。失業率は五%以上に高止まりしている。賃金は十数年も上がらず、大多数の労働者には、わずかなボーナスさえ「夢」である。生活保護の受給世帯は、十七年も連続で増え続けている。生活の苦しさゆえに病気になったり、自殺する労働者もあとを絶たない。
 鳩山政権はこの「現実」に何一つ対策を打たなかったし、「最低賃金千円」の公約実施は、十年先まで引き延ばしされた。労働者派遣法改正案は抜け穴だらけにしたあげく、党利党略の国会運営で廃案にした。
 農家への戸別所得保障制度はコメに限られ、しかも自由貿易協定(FTA)などによる市場開放とセットで、こうなれば日本農業は崩壊である。来年度以降でも、漁業や畜産・酪農では赤字分の補てんのみとなる方向で、現状とほとんど変わらない。
 中小企業には仕事がなく、あっても単価切り下げなど大企業の横暴が横行している。中小企業円滑化法(モラトリアム法)は、大銀行の抵抗でまったくの「骨抜き」となった。中小企業への法人税引き下げや「予算三倍増」などの民主党の公約は裏切られ、投げ捨てられた。製造業だけでなく、公共事業を削られた建設業では倒産が相次いでいる。展望をなくし、廃業の道を選ばざるを得ない零細企業・自営業者は、数知れない。
 地域経済は、ますます疲弊(ひへい)するばかりである。
 沖縄県民には、爆音・犯罪・事故など、基地被害が戦後六十数年も押しつけられている。
 国民諸階層にとっては、こうした生活と営業の危機こそが「現実」である。この深刻さは、大企業を支援し、国民生活を犠牲にした鳩山前政権の下でいっそう深まったのである。


世論操作にからめとられた野党
 輸出大企業を支援し「強い経済」ができれば「強い財政」と「強い社会福祉」が実現できるなどと財界、マスコミはあおり立てている。菅政権も、その道を突き進もうとしている。
 しかし、九〇年代以降の実際は、大企業の一人勝ちで労働分配率は下がり続け、非正規雇用の増大など労働者、国民多数の生活は急速に悪化した。大企業の利益のみが拡大し、国民生活は悪化の一途で、格差拡大はきわまった。しかも、いま大企業は国を捨ててアジアと世界に進出し、いっそうの利益を追求しようとさらなる支援を政治に求め、「現実主義」を迫っているのである。
 ところが、野党は菅政権の「現実主義」が誰のためのものなのか、を暴露せず、財界の世論誘導にまったくからめとられている。
 「建設的野党」を看板にする共産党の「批判」は、「公約違反に自覚と反省がない」という程度のもので、菅政権の階級的性格を暴露せず、美化し、闘いを鈍らせるものである。社民党も似たり寄ったりといわれてもやむを得まい。菅政権への批判を普天間問題と消費税問題だけにほぼ限定し、政権の「品質保証役」を自認するという態度だからである。
 これでは、多国籍大企業のための政権である菅政権と、正面から闘うことなどできない。だから、国民は野党に期待を寄せることなどできないし、とりわけ労働者階級は、幻想をきっぱりと捨て去らねばならない。
 わが党は、今回参議院選挙には候補者を立てないが、国民多数にとっての「現実」に立って、その打開のために引き続き全力をあげて闘う。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2010