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2009年11月5日号 2面〜4面 

鳩山政権の性格と課題

 八月の総選挙の結果として、自公麻生政権に代わって、民主、社民、国民新三党連立の鳩山政権が発足、まもなく二カ月となる。
 この劇的な変化は、第二次大戦敗北後、米国占領下でのわが国保守勢力による、売国と従属政治が始まって以来の、とりわけ財界の復活と保守合同による自民党単独支配の確立、いわゆる五五年体制以来の、自民党にとっての大きな敗北である。
 自民党が敗北した理由は、有権者の多数が自民党政治に耐えられず、見切りをつけたからで、民主党がその「受け皿」となったからである。
 だが、民主党の「国民の生活が第一」などの欺まん的なマニフェスト(政権公約)や「政権交代」の訴えが、有権者を引きつけなかったわけではない。反対に、それが自公政権への失望や不満、批判の「出口を求める」有権者を引きつけたのである。
 鳩山政権への期待と幻想はいまも大きい。民主党の最大の支持基盤である連合、その指導部が先日の大会でも盛んに幻想をあおったのは当然といえば当然だった。
 それだけでなく、いうところの「左派勢力」、たとえば「建設的野党」を掲げる共産党は、新政権成立について「国民の世論と運動、共産党の闘いがつくり出した新局面」などと手前勝手に位置づけ、鳩山政権は「財界中心、日米軍事同盟中心の政治の崩壊過程での過渡的な性格」の政権だ、などと美化し幻想をあおっている。さらには「有害な諸問題の一つひとつの真の相手は財界」であり、それとの「国民的闘争が必要」で、共産党はそれを阻止する「防波堤」となるのだと、鳩山政権の応援団を買って出ている。
 しかし、鳩山政権の成立は、欧米ではごく普通の議会制民主主義下での選挙による政権交代にすぎない。
 それは、革命、すなわち階級間の権力の移動ではない。だから、経済的に支配する独占体の、しかも巨大金融機関を頂点とする、国家金融独占資本主義の上部構造としての政権、その運営、維持を運命づけられている。
 それにしても「従来の自民党政権と何の変化もない」というのも、十分な説明ではない。具体的に考察し、性格を明らかにしなければならない。
 鳩山政権の性格を明らかにし、暴露を進めることは、連合路線を打ち破り、労働運動を発展させる上で、何よりもこんにちの苦難の根源である国家金融独占体の対米従属政治を打ち破る国民的闘いの発展にとって不可欠である。

政権の性格について(分析1)

(1)鳩山政権とは何者か
 鳩山政権の評価では、麻生前政権と比較して、その特徴、とくにこの政権が、本質上どの階級あるいは勢力のためのものであるか、この点の解明がきわめて重要である。
 従来からわが党はそのように分析し、政権の性格を明らかにしてきた。だが今回は、状況がより複雑できわめて欺まん的なので、解明はそう簡単ではない。
 麻生政権と比較しようにも、この政権は、自民党総裁に選出されてから政権発足までの移行期にリーマン・ショックに見舞われ、その危機対応に追われ、支持率を下げ、総選挙で大敗して政権を去った。いわば、一年未満の「危機対応政権」であった。総選挙で敗北したが、麻生自身の「口害」を除けば、彼とその政権の失策ではない。民主党も他の野党も、選挙では小泉改革政治の結果としての「格差社会」を批判した。
 それ以前の安倍政権は十一カ月、福田政権も十一カ月といずれも短命で、安倍政権時の参議院選挙(〇七年七月)での民主躍進の結果、参議院で野党が過半数を握る、いわゆる「ねじれ」で両政権とも行き詰まった。民主党との「大連立」策動にも失敗した。
 したがって、鳩山政権を前麻生政権と比較するだけでは意味がないし、分析しても実質が見えない。

 問題は、鳩山政権が戦後の保守政権、自民党あるいは自民党中心の政権と比較して、またとくに小泉政権と比較して、同じであるか違うのか、これである。
 内外の激動が始まった一九九〇年代以降の自民党政権あるいは自民中心の連立政権、それは宮沢政権、その後、九三年に細川連立政権が成立、自民党は下野したが羽田政権を経て、自民党は社会党と手を組んで復活した。村山政権、そして禅譲(ぜんじょう)で橋本政権が成立した。次いで、公明党が与党入りした小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生の各政権となる。
 これらの政権はそれぞれに違い、いうところの特殊性がある。
 だが、共通性もある。戦後の自民党あるいは自民党中心の政権は、みな財界の走狗(そうく)で、財界ともども対米追随勢力であった(いうまでもなく、細川政権も羽田政権も基本的に同じであった)。
 民主党、鳩山政権は、それとは異なっているのか、似たようなものか。その本質に迫るためには、まず、小泉政権が「自民党をぶっ壊す」と言って政権を掌握し実行した改革政治を、やや歴史をさかのぼって検討(分析)しなければならない。鳩山政権も改革政治を唱え、「戦後行政の大掃除」をす
るといっているからである。

(2)小泉改革とその由来
 改革政治で「格差社会をつくった」と批判された小泉政権は、二〇〇一年四月に発足し、〇六年九月まで五年もの長期政権であった。政権成立直前、小泉は「今までの問題は、政策がなかったからではない、政策はあった。問題は実行できなかったところにある」と言っていた。
 「今までの……」というのは、橋本政権の「六大改革」から小渕、森までの政権、その政策のことである。橋本以前の政権では、「改革」政治は中心課題とはなっていなかった。
 この時期は、八五年のプラザ合意、八七年のブラック・マンデー、日米間貿易摩擦の激化と構造協議、九〇年の冷戦終えん(社会主義諸国の崩壊と市場経済化)と先進諸国間のし烈な市場争奪と競争の激化、そして日本でのバブル崩壊と深刻な不況の到来等々の、こんにちにつながる内外大激動の始まりの時期だった。
 財界は重要な節目の年に、経団連(当時)総会の決議として、その情勢認識や要求を、財界の総意としてまとめ、表明する。歴代の政権は、それをさまざまな「審議」を経て政策化し、実現してきた。それを検討すると財界の情勢認識、彼らが当面した課題、打開策、政権に望んだ政策要求(法案)等々が明確になる。
 とくに第二次橋本政権直前の九六年十月、経団連は提言「魅力ある日本」を発表、「わが国の経済社会システム」の改革を政府に迫った。
 そこでは、「明治以来、欧米先進国に『追いつけ、追い越せ』型の経済発展を前提とした日本の経済・社会システムは、今や行き詰まり、むしろ発展の足かせとなっている。七〇年代に二十世紀の『工業文明』に適合した近代国家の建設に成功したが、その後はこれに安住し、『グローバル社会』『高度情報通信ネットワーク社会』『循環型経済社会(環境調和型社会)』を特徴とする二十一世紀文明に対応したシステムへの改革を怠ってきた。その結果、わが国の経済社会システムは、新しい時代の要請に、適確に応えていない」。とくに「グローバル化への対応が遅れ、空洞化(雇用、産業、金融、技術、情報、通信、人材、等)の懸念にさらされ、世界における日本の存在感は薄れつつある」といった状況認識、あるいは課題設定であった。
 こうして「六大改革」が、九七年の通常国会で提案されたが、それは財界の要求そのものであった。省庁再編統合の政府機構改革や金融ビッグバンは橋本だが、本格的踏み込みとはならず、参議院選で大敗し、辞職した。次の小渕政権は、アジア発の危機に遭遇し、その対策に追われ、大きな借金をつくった。その次が評判の悪い森だった。両政権は「改革」どころでなかった。

 だが小泉政権は違っていた。
 小泉は「やることははっきりしている」のだから「実行」すると宣言した。そして実行し、財界を喜ばせたが、国民の多くからの評判は芳しくなかった。
 〇一年五月の経団連総会決議「構造改革を進め民主導の活力ある経済社会を実現する」は、小泉政権が「聖域なき構造改革」への取り組みを表明したことを高く評価し、その「着実な実施を強く期待」した。
 翌〇二年五月、経団連と日経連が統合し、新たな総合経済団体として日本経済団体連合会が発足、初代会長に奥田・トヨタ会長が就任した。
 最初の総会決議「魅力と活力あふれる豊かな日本を目指して」では六項目の要求が掲げられたが、その最後に、「政治と経済界の新たな関係を確立する」とある。ここがポイントであった。奥田は公然と政治に口を出し、カネも出して、経済財政諮問会議などを使って、改革に直接に関与するようになった。小泉の長期政権はこれに支えられた。
 小泉政権の改革政治は、財界のための手荒い政治であったが、橋本政権も「六大改革」を推進したし、小渕、森も財界の要請に応えようとする点では同じであった。小泉以後の安倍、福田、麻生政権も、それぞれ特徴もあったが、内外の諸困難の中で何ができたかは別にして、基本的性格、あるいは課題は同じだった。

(3)改革政治の分析
 現在わが国で何が進行しているか、鳩山政権が何をやろうとしているか探るために分析を重ねてきた。
 (2)でふれた財界決議にある、「政治と経済界の新たな関係を確立する」の内容、これがポイントである。奥田は「公然と」政治に口を出し、カネも出して、改革に直接に関与するようになった。小泉の長期政権はこれに支えられた、とも述べた。
 本論の冒頭でもふれたが、これまでもわれわれは、それぞれの政権を評価する際に、その政権がそれ以前の政権と比べてどこが共通点か、異なったところはどの辺かを分析し、特徴を把握するようにしてきた。
 〇六年の第三回中央委員会総会決議でも、成立した安倍新政権の性格を分析するために小泉政権にふれ、まず小泉政権がそれ以前の政権と比べてどの辺が共通点か、異なったところはどこか、を分析している。
 決議では、まず「小泉政権がそれ以前の政権と同じところは、巨大な銀行・企業などの独占体グループ、それらの団体、いわゆる財界が政権と結びつき、国家機関に参加し、政策形成上、重要な役割を果たしていることである」と確認している。
 その上で、小泉政権がそれ以前と異なったところ、つまりその政権の特徴は、「一部の、巨大多国籍企業にまで成長した独占体が、財界で主導権を握って再編・強化されたこと、経済財政諮問会議という機関で重要政策が決定され、政府と与党がそれを具体化する仕組みに変わり、従来の自民党政調会、あるいは与党の役割が小さくなったことである。従来と比べ、国家機関の中での財界の発言権・地位がはるかに強化され、かつ直接的になった」と評価した。
 この決議のこうした分析、評価は、巨大な多国籍企業にまで成長したわが国の独占体、下部構造の変化にふれ、それに規定された上部構造として国家機構の問題を語っているので、この観点は一般的に誤りではないし、ある程度状況の把握はできる。だが十分な分析ではなかった。
 世界の先進諸国は、国家金融独占体の資本主義である。だから、もう少し全体的な分析がなければ、本質に迫れない。
 以下に、九〇年代以降の状況を分析的に記し、考察する。


(4)90年代以降の状況の分析
・経済成長率の推移
 八〇〜八四年 二・六%、八五〜八九年 四・八%、九〇〜九四年 二・二%、九五〜九九年 一・二%、〇〇〜〇三年 一・四%。
 八〇年代後半は伸びたが、八七年のブラック・マンデー以降のバブルとその崩壊後、九〇年代に入ると伸びは低下し、〇〇年代に入っても伸びないままであった。

・倒産件数や負債総額の推移、主な出来事
 この経済成長率の低下傾向の中、企業間の競争が激化し、立ち後れた企業は駆逐された。企業の倒産数とその負債増額はどのように推移したか。当時の主な出来事とともに整理してみる。
 九〇年以後、件数も増えたが、比して負債総額が急増しているように、大企業や中堅企業も倒産に追い込まれた。
 こうして、中小企業だけでなく、大企業も含めて系列化や淘汰(とうた)など、巨大独占企業による経済支配の強化が進行した。

・総資産額で見る、企業の巨大化
 一方、経団連会員として名前が出るような巨大企業の一社平均総資産額は増加の一途をたどった。七〇年には六千五百六十六億円、八〇年は一兆七百二十二億円、九〇年には三兆二千六百三十億円で、二十年間で五倍化している。〇〇年には四兆六千八百二十三億円、〇五年には五兆五千五百九十七億円、〇六年には六兆千四百五十八億円となっている(〇〇年以降は連結ベース)。〇〇年代初頭は伸びが少なかったが、この三十六年間で総資産額を約十倍に増加させた。
 大企業間のM&A(合併・買収)や経営統合、国内外での資本提携や技術提携などによって、大企業はますます巨大化したのである。

・主な産業の再編成
 企業の再編・統合が大規模に進み、少数の巨大企業による独占はいっそう強まった。業界ごとに例をあげる。
 自動車業界は九九年以降、日産、三菱自、マツダに米欧資本が参加し、トヨタ、本田技研工業と合わせて五大グループに集約された。
 鉄鋼業界は〇二年八月のNKKと川崎製鉄の経営統合(JFEホールディングス)、および同年十一月の新日鐵・住友金属・神戸製鋼による連合結成で二大グループに集約。
 紙・パルプ業界では、〇一年以降、三度の大きな企業再編で、王子製紙と日本製紙の二強に集約された。
 医薬品業界は、〇五年の山之内製薬と藤沢薬品の合併(アステラス製薬)および第一製薬と三共の統合(第一三共)により、武田薬品工業と合わせ三大グループに集約。
 通信業界も九〇年代後半以降、再編が加速化し、四大グループに集約。
 流通業界は、米ウォルマートが西友を買収(〇二年)、そごうと西武が経営統合(ミレニアムリテイリング、〇三年)し、さらにセブン&アイの傘下になった(〇五年)。イオンがマイカルを子会社化(〇三年)、さらにダイエーを事実上傘下にした(〇七年)。
 石油元売業界では、九九年以降再編が加速し、新日本石油、エクソンモービル(外資系)、昭和シェル石油(外資系)、出光興産の四大グループに集約された。

・金融制度の改革と巨大金融機関
 このような大再編を経た巨大企業の頂点に立つのが、巨大金融機関である。
 わが国経済が、高度成長期から安定あるいは低成長に向かったこと、八〇年代後半からのレーガノミックス、貿易と金融の自由化・国際化の流れの中で、金融制度をめぐる環境は大きく変わった。改革が始まった。
 九三年には金融制度改革法が施行され、銀行・信託銀行、証券会社による業態別子会社を通じた相互参入が認められるようになった。また、九八年には持ち株会社禁止が解除され、銀行も持ち株会社がつくれるようになった。金融ビッグバン(金融システム改革)もこの年だった。
 さらに一連の改革が進み、〇二年二月、普通銀行等が直接信託業務を営むことができるようになったほか、〇四年には証券仲介業もできるようになった。こうした一連の金融改革、規制緩和策を通じて、金融機関の制度改革は事実上終わった。

・金融寡頭制、巨大な持ち株会社
 こうした改革過程の中で、新しい動きが始まった。大手銀行の再編、持ち株会社形態を通じての、巨大銀行グループの登場である。
 それまで、わが国金融資本は第一勧銀、富士、三菱、三井、住友、三和の「六大グループ」で形成されていた。各産業分野の大再編、さらに金融制度改革の進展と結びついて、この金融資本も再編・強化された。
 〇〇年九月、みずほフィナンシャルグループ(FG)が誕生、総資産一四九・六兆円。〇一年四月に三菱東京UFJ銀行が成立、〇五年十月に三菱UFJFGとして再編設立。総資産一八七兆円。〇一年四月、三井住友FG誕生。総資産九九・七兆円。〇一年十二月、りそなホールディングス、総資産四〇・四兆円。
 これらの巨大金融持ち株会社は、傘下に多くの銀行や証券会社、消費者金融までさまざまな形態の金融子会社を持っており、非金融企業をも支配している。地方銀行グループの持ち株会社もいくつかある。
 わが国金融寡頭制は、巨大な持ち株会社を通じて経済を支配し、絶大な力を持つようになった。

・金融資本は国際展開を強めた
 わが国の銀行は、八〇年代、経済や金融のボーダーレス化の中で海外拠点の拡張を進め、九〇年代前半までには全世界(九五年末の海外拠点数は七百六十七)のほとんどの地域をカバーするようになった。だが、九〇年代後半には、バブル崩壊後の経済低迷や不良債権処理などで、経営資源を国内集中させ、海外資産の圧縮、海外拠点の撤退を図った(〇六年末の拠点数は百二十五)。
 〇五年には不良債権処理のメドも立ち、再び拡大に向かえるようになっていた。現在、邦銀が営む業務は、支店ネットワークを生かした日本企業に対するさまざまなサポート、現地法人を通じた証券業務、信託業務、資産運用業務、M&Aなどである。
 「銀行雑誌」(〇六年七月号)によると、世界十大銀行(自己資本額による)の中で、五位に三菱UFJFG(純資産額一七三・五兆円)、八位に三井住友FG(同一〇一・四兆円)、九位にみずほFG(同一四一・一兆円)となっていた。ついでながら、十社中日本が三、米国が三、英国が二、フランス一、スペイン一つだった。
 銀行もまた資産を増やし、支配力を強めようと、国際市場での厳しい争奪を繰り広げているのである。
 こうした中でのリーマン・ショックであった。三菱UFJFGは、この危機の中で、米国の巨大投資銀行モルガン・スタンレーに資本出資し、役員を派遣した。また米国大手地銀を完全買収、増資し、危機後の金融再編に備えている。一方、欧米各国は協調して、九月のG20で、わが国銀行の手足を縛ろうと欧米各国は協調して、銀行の「自己資本規制」強化で合意した。
 金融面での争奪は、激化の一途である。

・郵政民営化問題
 郵便貯金・簡易保険を含めた郵政事業は、〇三年四月から公社化された。〇五年十月には民営化法案が成立した。郵便貯金残高は約二百兆円(〇六年三月末現在)で、世界に類がないほどに大きく、政府はこれを「経済活性化や行政改革等を目的として」民営化、〇七年には公社が廃止され、国が全額株式を保有する持ち株会社(日本郵政)に統括される各事業体となった。
 株はやがて売却されて、巨大銀行グループのものとなって、わが国の金融機関の支配力と国際競争力を飛躍させることになっている。
 同時期のわが国の全金融機関への預金残高総額の構成比では、国内全銀行が五六%、郵便貯金が一九・六%、信金関係が計一三%、農林漁業関係が計九%である。貸出残高は銀行が計六〇・四%、政府系金融機関が計一八・六%で、この政府系金融機関の原資は郵便局である。
 改革で郵政民営化をするだけでなく、政府系金融機関も統廃合で縮小することにしたのも、民間金融資本のためである。

・財政危機の深刻化
 一般政府(地方を含む)の債務残高を対GDP比の推移で見ると、九〇年 六八・六%、九五年 八六・七%、〇〇年 一三五・四%、〇五年 一七五・三%、〇七年 一七〇・六%、〇八年 一七三・〇%である。
 これを中央政府だけで見ると、九〇年 三六・八%、九五年 四六・一%、〇〇年 七一・六%、〇四年 一〇六・〇%、〇五年 一〇六・五%、〇六年 一〇五・四%である。
 わが国(一般政府)と他先進諸国との比較で見ると、九〇年から〇八年の期間、どの国も九五年以降は増加しているが、それでも二〇%程度の増加。〇八年、リーマン・ショック直前現在では、イタリアを除けば七〇%前後に収まっていた。イタリアは一一三%であるが、ピークは九五年でそれ以降減った。
 わが国の財政は、九五年以降、他国と比較しても急速に悪化している。遠からず、対GDP比で二〇〇%にも達しそうだし、国家予算に占める国債費は二〇数%でさらに増加する。社会保障費は少子高齢化の急進展で自然増も急速で、一方、税収は落ち込んでいる、地方財政も多くが破産状態である等々、きわめて深刻な状況にある。
 これは国家金融独占体にとって、国際競争での重大な制約だし、危機の深まりが避けられない中で国内政治の制約でもある。

(5)まとめ
 冷戦が終わった時期、わが党は以降の情勢を見るに際してのポイントとして、二点をあげた。
 一つは、米ソ対峙(たいじ)が終わったことから生じるさまざまな状況、たとえばボーダレス化と経済が中心テーマになること。
 もう一つは、資本主義陣営の内部でプラザ合意に見るような状況があり、米国が債務国に転落、日本やドイツなどが資金供給国に変わったこと。
 つまり、冷戦終えんと八五年の変化、この二つの変化を頭に入れて、認識が立ち遅れないように、と呼びかけた。
 資本主義先進諸国にとっては、新たに広がった広大な市場、これをめぐる市場争奪戦、また、全体としては先進諸国間の競争激化で「大競争の時代」といわれる情勢となった。


 その矢先、わが国ではバブルが崩壊し、経済は低迷、倒産が続出した。
 大企業は「三つの過剰」といって不採算部門を処分し、労働者を街頭へ放り出し、利子つき借金を減らし、いち早く立ち直って経常利益をあげるようになった。銀行も国民の税金を使って不良資産処理を急ぎ、立ち直った。だが、失業者は増加したし、国家財政はいっそう危機に陥った。
 バブル崩壊以降を「失われた十年」といったりもするが、わが国巨大独占体、巨大銀行や非金融巨大企業にとっては、一時的な停滞、戸惑いにすぎず、悪いことばかりではなかった。反対に企業内部を合理化し、業界を再編強化し、改革を求めて金融機関や企業に対するさまざまな法的制約を解かせ、新たな国際情勢への体制を整える機会ともなしていたのである。


 すでに述べたが、八〇年代後半から、経済と金融の自由化の国際的流れの中で、わが国の企業は、輸出あるいは現地生産で大いに利益をあげた。国際市場で前進していた。
 バブル崩壊で国内は停滞したが、海外投資で稼ぎ続けた。国内市場は荒廃し、国家、地方財政ともに危機的で放置できないところとなった。


 だがこの期間、政治の分野は、戦後支配に代わる体制としての保守二大政党制が模索され、試行錯誤を繰り返し、「安定」した政権はままならなかった。支配層は安上がりの政府、「小さな政府」を求め、行財政改革を熱望していた。
 自民、社会(社民)、さきがけの連立で橋本政権が登場、その第二次内閣で「六大改革」が始まった。政府機構改革や金融ビッグバンを進めたが本格的踏み込みとはならず、次の小渕政権も、その次の森政権もそれどころでなかった。


 小泉政権は違っていた。その背後は財界で、保守合同の五五年当時を想起させるような出来事の中で成立したからである。
 経済団体が統合され、日本経済団体連合会が公然と政治に関与し乗り出すことを表明し動き出した。この統合の背景には、九三年から始まった一連の金融改革、そして九八年三月の持ち株会社禁止の解除で現実となった、金融寡頭制としての巨大な持ち株会社の出現、その支配力の強化、その動きと前後した、製造業を含む非金融、産業部門での資本や企業の再編統合があった。
 金融を頂点とするわが国支配層は国内を固めつつ、新たな変化、争奪激化の国際環境に、備えようとしたのである。これこそ小泉改革の背景であった。


 だが、小泉改革は「ぶっ壊す」と言って権力を掌握したものの、しょせんは制度疲労の自民党中心だったから、限界は避けがたかった。財界の強力なバックアップがあってもそうであった。
 行財政改革、これは安上がりの政府のためであって、しかも累積の借金が対GDP比で約一八〇%もある。これも片付けねば、新たな変動には対処できない。


 支配層にとって、経済の国際的地殻変動時には、上部構造、つまり国際政治でも強力でなければならず、自国の国家的強靭(きょうじん)さ、国家的能力が必要となる。国家による国際政治面での力なしには、国際市場での活躍も保障されないからである。

 自民党は野に下ったが、自民党が残した制度疲労の国家行政組織と「勘定書き」はそのままで、財界、支配層はその処理、打開策を、好むと好まざるとにかかわらず、鳩山政権に期待せざるを得ない。
 「改革を後戻りさせるな」と言うのはそのためで、しかし、その先行きは矛盾に満ちたものである。

政権の性格について(分析2)

(1)経団連の要求
 日本経団連は「新内閣に望む」という文書を、鳩山政権発足前日の九月十五日に発表した。そこでは、「改革を後戻りさせるな」と迫った上で、以下の九項目(要約)を列記し要求している。
 (1)民主導の成長力強化策の推進 (2)持続可能な社会保障制度の確立、社会保障番号の早期導入、抜本的な少子化対策の推進、消費税を含む税制抜本改革・財政健全化 (3)民間活力の発揮を促す規制改革・民間開放 (4)成長力強化、低炭素・循環型社会等、産業の国際競争力強化に向けたイノベーションの推進 (5)国際的公平性、国民負担の妥当性、等を踏まえた温暖化中期目標の設定、全主要排出国の責任ある参加の実現 (6)雇用・就労の多様化 (7)「道州制推進基本法」の制定 (8)WTO(世界貿易機関)の早期妥結とEPA(経済連携協定)の促進、グローバル競争の激化に即応した通商・投資政策 (9)戦略的な外交・安全保障の推進と憲法改正に向けた合意形成。
 これは、財界によるいわば「要求書」である。財界はこうした「要求」をこれまでも繰り返してきたが、この「要求書」を頭に入れて、鳩山政権の公約、マニフェストを検討すると、いかにも国民の要求に応えているかに見えても、実際は財界の要求に沿った内容として工夫され、巧妙につくられていることが分かる。


(2)巧妙につくられたマニフェスト
 マニフェストの「暮らしのための政治を」と大書された前書きには、コンクリートという言葉が何度も出てくる。それはダム建設、道路建設、橋梁、港湾、空港、新幹線、水利工事など無数にある、コンクリートを使う建設や土木事業を指しており、政権与党自民党の族議員批判でもあった。ここに税金のムダ遣いが巨額にある、との指摘である。
 次に、自民党政治は官僚任せをしているが、官僚社会は利権社会だ、かれらは企業利権と結びつき、官僚自身の天下り先、機関をやたらにつくって高給を取り、多額の退職金を取ったりで、国民のカネ、税金を食い物にしている、との批判である。
 こうしたマニフェストの現状批判は、自民党政権では解決できなかった急所をずばりと指摘している。民主党政権がやろうとすることも理解しやすい。政権は、前原国交相をいわば突撃隊長して八ツ場ダム問題などキャンペーンを強め、国民の共感を引き出している。
 だから、正しくも思えるが、政治はそれほど単純ではない。さまざまに分析すると違った姿も見える。検討しなければならない。
 「ムダをなくす」といって、具体的には一部政治家、官僚を批判しその力を削ぎ、ダムや道路工事、役人の天下り先の財源を徹底的に削減する計画となっている。また、国家公務員の二割削減、地方公務員の人件費削減、衆議院比例区定数の八十人削減、参議院定数も削減する。八ッ場ダムなどは中止、時代に合わない国の大型直轄事業の全面的見直し。特別会計、独立行政法人、公益法人を徹底的に見直し、また、天下り先の独立行政法人、特殊法人、公益法人などへの支出や国の契約を見直し、国の政策コスト、調達コストの削減等々もある。
 これができれば、財界も望み、自民党政権にはできなかった大改革である。
 また、小沢らの議員定数削減の真の狙いは、財界のための二大政党制の深化で、反動的なものである。少数野党には深刻な問題で、来年の参議院選挙で、民主党が単独過半数を握れば、わが国の政治状況が一変するのは必定である


 外交についてマニフェストは、対米追随外交に不満をもつ国民意識を多分に計算に入れた「主体的な外交戦略」「対等な日米同盟関係」「東アジア共同体」「核廃絶」などをら列している。しかし、歴代自民党政権以上のものはない。
 たとえば、「緊密で対等な」日米関係をめざすのなら、戦後の自民党や最近の自民中心の連立政権と、具体的な違いは何かを示さねばならない。日米関係は、政府間のさまざまな条約、取り決め、約束事で成り立っており、運営されてきたが、「対等でなかった」どの部分を変更するのか、確固たる戦略を描いているわけでもない。根幹にある日米安保体制には指一本触れるものではない。
 それにしても、「対等な日米関係」とか「アジア共同体」とか言わざるを得ない、あるいは言ったりするのは一つの変化で、米国の衰退を前にしての戸惑い、模索もなくはない。国際関係の急激な変化の中での、わが国支配層のこれまでの日米関係や国際関係での「立ち位置」の、一つの矛盾の反映で、それがまた日米関係を難しくもする。マニフェストは選挙政策としては役立ったが、色あせてきたのはそのためである。
 外交は、相手との利害の調整でもある。「対等」の見返りに米国に何を渡すのか。米国の核戦力に依存しながらの、対等だとか自主外交など、本質的にはあり得ず、ごまかしにすぎない。

 「東アジア共同体」の構築だが、米国をどう位置付けるか、関連して、強大化する中国を前にして「価値観」外交以上には踏み込めまい。
 「G2」などと言われるように、中国は力をつけた。米国自身は衰退する中で、中国をけん制・関与する九〇年代半ばの「東アジア戦略」の延長でもあるが、今や、本格的な矛盾に満ちた戦略的対応を迫られている。
 こうした現状、利害の錯綜(さくそう)などを踏まえると、一面的な、アジアの安定や平和な環境を想定しての「主体的な外交」による、東アジア共同体構想の推進は、自民党政権にもできなかったが、この政権にもできない。現下の情勢では米国が許さない。また、それを乗り越える用意もできていない。
 「国連平和維持活動、貿易投資の自由化、地球温暖化対策」は、これまでの自民党政権と何ら変化はない。国連外交、核廃絶、対テロ政策などは、国力以上での無理をやれば続かない。演説で世界が動くわけではない。

(3)鳩山政権の政策の核心
 鳩山政権が、本質上どの階級、社会勢力のためのものであるか、何をする政権なのか。
 マニフェスト原案が発表されると、財界やマスコミはいっせいに「成長戦略がない」と批判した。民主党はあわててマニフェストに小さく「日本経済の成長戦略」を加筆した。そこでは「子ども手当などで家計の可処分所得を増やし、消費を拡大。経済を内需主導型へ転換」「IT(情報技術)など先端技術開発を支援。特に地球温暖化対策で、技術力を高め、環境関連産業を将来の成長産業」「農林水産業、医療・介護は新たな成長産業」と、三つに分けて示している。
 成否はともかく、民主党の経済成長戦略構想としては、明確でわかり易い。それだけに成長戦略としての限界とかれらの政策の核心も読みとれる。
 最初の部分は、財界も、「内需の拡大」につながるようならと期待もしている。今回の危機の経験(内需放置、外需依存の危うい経済)からも、国内社会の格差と荒廃の現実からも、経済的理由からだけでなく、社会の安定の観点からも、それが必要だからである。
 だがこれは、財政負担を伴う。当座の景気刺激策にも足りないし、成長戦略の一部としても描けていない。
 現在、企業は、「二つの過剰」といって国内は冷え込むばかりで、投資は新興国や発展途上国に向かっている。財政で国内に対処するには財政が保たない。ムダをなくすには限界がある。景気低迷で税収は減っている。
 二番目の技術開発支援は、財界の強く望むところだが、これもカネがかかる。三番目もカネがかかる。
 製造業も非製造業も多くは、国内を顧みないので、財政の大規模な支出でしか、危機脱出も景気回復もおぼつかない。これは道理である。
 だから当然、国債発行の用意はあるはずで、鳩山は「不用意にも」それを早々と口にして波紋を呼んだ。
 だとすれば、鳩山政権による「コンクリートと官僚」批判の真の狙いは、ここで搾りだせる当座の資金というよりも別にあることになろう。それは経団連が熱望し、たびたび使う言い方である「制度疲労」が限界に達し、カネがかかりすぎる国家行政機構、関連組織の大改革である。安上がりで効率的な政府の実現である。
 これが複雑に見える鳩山政権の課題、その核心である。

・政権の本質と展望
 この政権交代は議会制民主主義の選挙での政権交代であって、階級間の権力移動ではない。鳩山政権も、経済的に支配する独占体の、しかも国家金融独占資本主義の、上部構造としての政権、運営、維持を運命づけられているのである。
 本質はやはり、内外の激変下、国家金融独占体のための改革を継続することにある。
 だが、何の変化もないというのも、完全なあるいは十分な説明ではない。
 鳩山政権は、下部構造とそこに内在する矛盾、さまざまな難問とそれを基盤とする、あるいはそれに条件づけられた日本社会、その政治、総選挙で勝利して政権を引き継いだ。経済にも国民生活にも難問山積だが、引き継いだ政権、政府にも、ばく大な借金がある。迷走する「国の進路」の選択も急がねばならない。
 さらに、以下の点も考慮しなければならない。
 当面、参議院選挙までは連立政権であること、多くの投票者とりわけ格差社会の進行で、困難な生活にあえぎながら、幻想的期待を抱いた人びとがいること、他方で、財政の制約があること。
 それに、出口さえ見えない世界経済、複雑でスピードの速い変化を見せる多極化した世界である。当然ながら、わが国経済の確たる見通しが立つはずもない。

 鳩山政権による内外政治は、選択の幅の狭い、きわめて制約的な、困難と矛盾に満ちたものとならざるを得ない。
 したがって、自民党総裁の小泉が「自民党をぶっ壊す」といって政権を獲得・運営、維持した以上に、欺まん的な政治とならざるを得ない。その欺まんを見破らなくては闘えない。
 しかし、予想されるいちだんの危機と巨大金融機関を中心とする多国籍大企業のための改革政治は、労働者をはじめとする国民各層の生活と営業に著しい打撃となるは必定で、不満はいっそう高まり、闘いも発展するであろう。
 階級闘争の激化は避けがたい。
 労働者と各界の先進的人びとは備えなくてはならない。労働者階級の党、日本労働党を強化するとともに、諸困難の根源、国家金融独占体の対米従属政治を打ち破る壮大な戦線を構築しよう。

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