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2009年10月25日号 2面・社説 

「対等な日米関係」への
戦略なし

鳩山政権に
「東アジア共同体」は不可能

 鳩山政権発足から一カ月余が経過した。
 鳩山首相は就任直後から米ニューヨークでの国連総会、日米首脳会談、二十カ国・地域(G20)首脳会談、そして十月に入って韓国・中国訪問と日中韓首脳会談と、首脳外交を繰り広げた。二十日には米国ゲーツ国防長官が来日し、鳩山政権に沖縄基地問題の決着を強く迫った。
 鳩山首相は、二十五日には東アジアサミットに参加、来月中旬にはオバマ大統領と実質的に初の首脳会談となる。
 首相は、マニフェスト(政権公約)で「主体的な外交戦略」「対等な日地米同盟関係」、アジア重視と「東アジア共同体」創設などをアピールし、選挙戦でも関心を集めた。その後も、長年の自民党政権、一連の連立政権が進めた対米追随外交への国民的不満を背景に、期待と幻想が広がっている。しかし、日米関係は迫られている。
 言うまでもなく、こんにちわが国が直面する苦難と閉塞状況が鳩山政権を生み出した。しかし、この危機を鳩山政権は解決できるのか。その根源は独占体・財界中心の政権による売国と対米従属政治にあり、「自主」と「アジア重視」の政治への転換は喫緊の課題である。

「対等でない」何を変えるのか
 鳩山政権は、国の独立・自主を達成する国民的課題に応えられるのか。
 「主体的な外交戦略の構築」は結構なことである。しかし、「対等な」日米同盟関係をめざすのなら、戦後の「対米追従外交」との具体的な違いは何か、戦略が明らかでなくてはならない。
 日米の両国関係は、政府間のさまざまな条約、取り決め、約束事で成り立っており、運営されてきている。
 マニフェストでは唯一具体的に「日米地位協定の改定」をとり上げていたが、それすらも直前に「推進」から「提起」へと後退させた。結果、「米軍再編や在日米軍のあり方」は「見直しの方向で臨む」とあいまいで、腰が定まらなかった。
 敗戦直後はいざ知らず、戦後六十数年たっても外国の軍隊が沖縄をはじめ全国にかくも大規模に駐留し、主権が蹂躙(じゅうりん)され、国民の生命と尊厳、財産が日常に脅かされている「独立国」があるだろうか。しかも、その駐留経費が、苦難の国民生活を尻目に、毎年二千億円以上が「思いやり予算」として支出され、米軍再編での海兵隊グアム移転の費用などにも数兆円が支出されようとしている。
 米国は、国民生活に影響する経済社会システムにも露骨な内政干渉を繰り返してきた。一九九〇年代には、日米構造協議と称してわが国の経済社会の仕組みにまで変更を迫り、その後は「年次改革要望書」などということで、内政干渉が制度化されている。
 また、わが国はドルを支えるために金利決定すら自由にならない。日米間には絶えず金利差が設けられて円からドルへの資金の流れをつくり、またドル買い介入を繰り返しそのドルで米国債を買って貢いできた。
 「対等な」日米関係をめざすというのであれば、少なくとも、これらの変更に挑むことである。しかし、「対等でなかった」どの部分を変更するのか、鳩山試験は確固たる戦略を描いているわけではない。
 また、外交は交渉ごとで、相手との利害の調整でもある。要求を通すなら、何かを渡す必要もある。軍事同盟である日米同盟を対等にするには何を渡すか。米国はいまわが国に集団的自衛権の行使容認を求めている。鳩山政権は、歴代自民党政権もできなかったところに踏み込むというのか。
 財界はそれを求めており、そのシンクタンクである「日本国際フォーラム」(伊藤憲一事務局長)も先日、同様の提言を行った。
 そのような道ではなく、根源にある日米安保条約、その体制の打破を展望した、「対等」をめざす確固たる戦略が必要である。それなしに「対等」な両国関係があり得ないことは戦後史を見れば明白である。

「県外移設」は反故(ほご)同然
 しかし、政権から一カ月余、実際に進んだことはまったく逆である。
 民主党が沖縄県民に何度も約束した「普天間基地の県外移設」はすでに反故にされたも同然である。鳩山首相は腰がふらついているし、岡田外相は公然と「県内移設」を唱えている。米国と来年の参議院選挙をにらみながら、「落としどころ」を探っているにすぎない。
 とくに、昨年のリーマン・ショック以降、ドルに代わる基軸通貨、新しい国際通貨体制をめざす動きが世界で強まっている。
 だが、鳩山政権の藤井財務相は、就任後早速訪米しガイトナー財務長官にドルを支えることを約束した。さらに藤井財務相は、歴代自民党政権でドルを支える先頭に立ち、麻生政権の特使として金融サミットで「ドル体制擁護」のため奔走した、行天元大蔵省財務官を特別顧問に据えた。
 鳩山政権の「対等な日米関係」はまったくもって口先だけに過ぎない。自民党政権でさえ、「対米追従外交」を掲げた政権は一つもなく、どれも口では「自主外交」を唱えた。
 問題は何をするか、実態はどうかである。

自民党のアジア政策を越えられるか
 一部の進歩的な人びとに幻想を広げている鳩山政権の「東アジア共同体」だが、これまた確固たる戦略があるわけではない。とくに、その構想の中で米国をどう位置づけるか、鳩山自身も定まっていないし、政権全体ではなおさらである。
 「東アジア共同体」といったアジア政策構想は、この政権が初めてではない。そして対アジア政策では、米国をどう位置づけるかをめぐって絶えず揺れてきた。
 たとえば三十年も前の七九年十一月、時の大平首相は「戦後、圧倒的強さを有していた米国の経済力も相対的に低下した」との時代認識をもとに、「円の域内流通の促進」などを含む「環太平洋連帯」構想を提起した。アジアといわず「環太平洋」で米国を含む構想の形をとったが、円の国際化戦略を含むこの構想はすぐに「お蔵入り」になる。
 九七年のアジア通貨危機の時には、橋本政権が「アジア通貨基金」構想を提起したが、米国の反対と中国の反発で日の目を見なかった。橋本は「米国債を売りたくなる衝動に駆られる」と感慨を述べた。
 「東アジア共同体」という構想を公式に提起したのは二〇〇二年、小泉政権だった。しかし、それはオーストラリアやニュージーランドといった太平洋諸国を加え、実質は「環太平洋構想」と似たものだった。それでも米国は、ことある度にクレームをつけてきた。
 わが国金融独占体が、東アジアを独自の「生存圏」とすることを許さないのである。
 「東アジア共同体」構築のためには、この問題を打開できる確固とした戦略がなくてはならない。
 だが、鳩山政権は、大平政権のように通貨問題さえ打ち出せていないし、橋本政権のような「衝動」さえあるのだろうか。


強大化する中国にどう向きあうか
 「東アジア共同体」のカギは、強大化する中国との関係である。
 米国の基本戦略は今も、かつてのソ連のような対抗する大国としての中国の登場を許さないとする、冷戦終結後九〇年代半ば以降の「東アジア戦略」の延長線上にある。
 しかし、こんにち「G2」などと言われるように、中国は力をつけた。米国は衰退し、米国債をその中国に買ってもらわないと国家財政とドルが保たないという惨めな状態となって、まさに矛盾に満ちた戦略的対応を迫られている。
 その強大化する中国を前にして、わが国支配層は、鳩山政権も変わらないのだが、米国に頼る以外にない。独立自主の国づくりなど思いもよらぬらしい。
 来日したゲーツ長官に鳩山首相は「東北アジアの不安定要素が残っている中、日米安保体制をさらに深化させていく」と約束した。主体的な外交などと口先は勇ましいが、結局はアジアをべっ視し、恐れ、敵視しているのである。
 「不安定要素」というが、冷戦中もその後も一貫して東アジア情勢の不安定さをつくっているのは、核武装した第七艦隊を中心とする軍事力でどう喝を繰り返し、戦争挑発をしてきた米国である。そして、それに追随してきたわが国ではないか。
 とくに、対朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)政策である。この政権も「核、ミサイル、拉致の包括解決なしに国交なし」という敵視・制裁路線で、自民党、安倍政権などと何ら変わらないものである。臨時国会には、「北朝鮮貨物検査特措法」という、事実上の臨検法が提出されることになった。検査を行うのが自衛隊でなく海上保安庁になったからといって、朝鮮に対する圧迫強化に変わりはない。
 岡田外相は「核の先制不使用」を米国に求めている。米国の「核の傘」に依存しながらの、対等だとか自主外交など、本質的にはあり得ないことで、まったくのごまかしにすぎない。周辺諸国が信用するはずがない。
 これでは、東アジア共同体構想は進まない。せめて、米国とともに中国や朝鮮を敵視し、身構える九六年の「日米安保共同宣言」を見直し、破棄しなければならない。自立の道を歩んで、朝鮮とはかつての植民地支配を謝罪・補償して国交を正常化し、平和な東アジアの環境をめざすべきである。
 「東アジア共同体」というのであればこれがまず第一に必要であろう。

「自立」はすう勢である
 だがそれにしても、「対等な日米関係」とか、東アジア共同体構想などと言わざるを得ない、あるいは言ったりするのは、一つの変化である。
 金融資本を頂点とするわが国独占体は、激化する国際争奪戦に対処を迫られている。とくにアジアをどうするか。
 米国の衰退を前にして、しかも対米従属路線を続けるわが国独占体・支配層の戸惑いの反映であり、そこには模索もなくはない。共通通貨・ユーロをもった欧州連合(EU)、中国など新興国の急速な台頭といった国際関係の急激な変化の中での、わが国支配層のこれまでの日米関係や国際関係での「立ち位置」の、一つの矛盾の反映である。
 米国はそこを見ており、それがまた日米関係を難しくもする。「自立」「東アジア共同体」はマニフェスト、選挙の政策としては役立ったが、こんにち、現実の日米関係に揺さぶられている。
 こうした現状、利害の錯綜(さくそう)などを踏まえると、一面的な、アジアの安定や平和な環境を想定しての、「主体的な外交」による東アジア共同体構想の推進は、自民党政権にもできなかったが、この政権にもできない。現下の情勢では米国が許さないし、また、それを乗り越える用意もできていない。
 また、こうした状況は、対米従属政治からの脱却が、客観的にますます差し迫った課題となっていること、それが可能となる情勢の接近を示している。
 労働者階級を中心に断固たる意志と力、戦略をもった政権によってこそ、進歩と結びつけて、わが国の進路を真に打開することができる。

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