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2009年7月25日号 2面・社説 

財界のためのもう一つの政党

民主党は
保守二大政党制への装置

 追い詰められた麻生首相は七月二十一日、衆議院を解散した。小泉政権以来の「改革」政治に加え、麻生政権による大企業・大銀行救済、国民犠牲の悪政に苦しむ国民の怒りは極限近くまで高まっている。
 民主党は「政権交代」をあおり立てている。連合中央は民主党と政策協定を結び、組合員を真夏の選挙闘争に駆り立てている。財界、さらにマスコミも、「政権選択選挙」などと関心をあおっている。
 暑い中、奮闘する皆さんはまことにご苦労様だが、これは完全な茶番である。民主党による「政権交代」があったとしても、労働者、国民大多数のための政治は実現できない。
 何より民主党は、財界のための政党であり、その政治戦略である保守二大政党制のための一方の装置にすぎない。民主党の基本政策が自民党と基本的に違わないのはそのためで、「政権交代」したところで、国民の苦難を解決できない。
 ところが、社民党は民主党との連立政権参加を鮮明にした。さらに共産党も「建設的野党」などと民主党に秋波を送っている。これは財界の党、民主党への幻想を広げ、二大政党制策動を助ける反動的な態度である。
 労働者・労働組合が広範な戦線の組織者となり、対米従属政治を打ち破る国民的闘いを推進することこそ、現実の政治転換へのもっとも確かな力である。

二大政党制策動の中で発生・発展
 周知のように財界は、一九八〇年代後半から二大政党制を画策してきた。民主党は九六年、財界の策動が行き詰まりを見せる中で、新たな「期待」を担う存在として生まれ、二〇〇三年の自由党との合併で二大政党制の一方の装置として明確に位置づけられた。〇七年の参議選で二大政党的状況となったが「衆参ねじれ国会」となって、深刻な危機の中で財界は重大な困難に直面、そしてこんにちがある。
 八〇年代後半以降、財界は激化する国際競争に勝ち抜くための政治を二大政党制として実現しようと戦略的に追求し始めた。それまでの農民や中小商工業者を同盟者とする「利益分配型」の政治、自民党単独支配は限界となり、財界は労働組合の「上層」を、二大政党制で新たな同盟者として獲得しようと画策した。連合の一部裏切り者ども幹部も、この策動に手を貸した。
 この動きは、九〇年前後から本格化した。以降、財界の期待をもっとも担ったのが、小沢一郎・現民主党代表代行である。自民党を割った小沢は、財界の露骨な画策が目立った九三年の総選挙で、その結果を踏まえて野党を強引にまとめ上げて細川政権をつくり上げた。自民党は下野し、二大政党制への過渡期が始まった。小選挙区制導入で二大政党制のための環境整備が進められた。

二大政党制の装置としての民主党
 だが、財界の思うようには進まなかった。ひとつは、公明党の存在だった。この日本政治の「がん」ともいうべき党は、その後自民党が連立政権に抱え込み、こんにち裏切りと醜態をさらしている。
 もう一つは、労働組合、とくに「左派」活動家に影響を持つ社会党だった。戦略もなく議席も減ってはいたが、自治労など「左派」的な労働組合がこれを支持していた。財界にとって、労働組合に影響力を持つ社会党を無力化させることが二大政党制戦略にとって不可欠であった。
 民主党はこうした中で九六年九月、鳩山・菅の二人を代表として結成された。財界は二大政党制のための新たな拠点として、民主党への「期待」をあおった。労働組合はこの策略と連携、あるいはむしろあおり、社民党議員に圧力を加えて民主党に合流させた。村山首相や武村蔵相といった、社民、さきがけの中枢は「排除の論理」で合流を拒否され、社会党は三分解させられた。
 さらに九八年四月、新進党の解党を受けて民政党などが民主党に合流する。
 それでも、二大政党制の確立は容易ではなかった。支配層は自自公、自公保、自公などと、自民党中心の連立政権を組み替えて乗り切っていた。だがデフレ不況下、国民の政治・政党不信は高まり、国際競争はいっそう激化した中、多国籍大企業の望む「改革」は進まなかった。
 〇二年、奥田・トヨタ会長の下で多国籍企業が財界の主導権を握り再編し「日本経団連」を発足させ、経済財政諮問会議などでより直接的に政府に介入し「改革」をめざした。同時に、二大政党制に向けた新たな策動を開始した。翌〇三年年頭、「奥田ビジョン」が発表され、政治献金をエサにした政党評価に踏み込むなど、財界は政治介入を強めた。
 こうして民主党と自由党が合併(民由合併)した。鳩山は当時、「(合併で)財界の皆さんに『この民主党なら頼りになりますね』と、初めて言っていただけるようになった」と言ったという。
 そして〇六年、小沢が代表として登場。かれは代表選時、「二大政党制による政権交代」こそが自らの「使命」であると明言し、飼い主である財界に対し、自らの役割を再度誓ったのである。
 こうした経過を見れば、この党が財界の画策と深く関わって生まれ発展したこと、二大政党制への財界の策動の装置であることは疑いない。

実態は財界のための党
 この党の階級的性格は、党の実態を見ても明らかである。
 この党の指導部である常任幹事会三十一人中、労働組合出身者はわずか六人にすぎない。国会議員中心の党だが、労組出身者は比較的多い参議院を含めても全体の一割の二十二人。これは小沢など保守系議員の秘書出身(二十五人)よりも少なく、官僚出身者(十九人)と同程度だ。
 最高幹部は、鳩山代表、小沢代表代行、岡田幹事長の三人は、揃いも揃って元自民党である。最高顧問三人も元自民党幹部。労働組合、連合は、選挙の際の「票」の出所としてあてにされているにすぎない。
 資金源は、ほとんどが政党交付金という国からの補助金で、議会も国家機構の一部だが、民主党のような政党も野党といえども名実ともにその一部となっている。また、財界から直接に政治資金を受けている。三菱重工業、住友化学、武田薬品、三井物産などの多国籍大企業から数千万円単位で政治献金を受けている。
 政策面でも、基本政策は多国籍企業を中心とする支配層の政策である。外交面では日米安保条約を基礎に「日米基軸」路線である。
 このように民主党の基本的性格は、どこから見ても財界のための「もう一つの党」である。


野党ポーズすら投げ捨て始めた
 しかも、民主党は、最近は「政権につく」という判断から、早くも野党時代の政策をかなぐり捨てて、米国と財界に忠実な政策へと衣替えを急いでいる。
 鳩山代表は、「違憲」とまで言って「反対」したインド洋への海上自衛隊派遣や、ソマリア沖への派遣を継続する方針を示した。さらに非核三原則の「見直し」にも言及、憲法改悪も主張している。総選挙マニフェストでは、これまであった「思いやり予算の検証」を削除し、日米地位協定の「抜本的な改定」を「改定を提起」へと和らげている。朝鮮に対する制裁強化も主張している。
 国内政策では、「道州制」導入で財界とのすき間を埋めた。また、財界の要求にそって財政再建問題でも歩調を合わせ、「四年後以降」としつつも消費税率アップによる増税も明確に打ち出した。


 こうして民主党は、急速に自分自身で、財界のための党、二大政党制の装置の一つ、という真の性格を暴露している。しかし現実は、危機の中で労働者、国民諸階層が「生きられない」状況に突き落とされ、怒りと政治転換へのエネルギーはますます高まる。先進的労働者は、労働者階級の党を強め、対米追随政治の打破をめざす広範な戦線を形成し、政治転換の現実の闘いを進めることが求められている。 (文中の肩書きはすべて当時)

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