20010101

共同の力で保守連立政治打破へ
安保破棄・国の進路めぐり最も広い国民運動で闘う

2001年新春インタビュー(1)

日本労働党中央委員会副議長 秋山 秀男


 二十一世紀の幕開けに当たり、労働新聞は秋山秀男・日本労働党中央委員会副議長にインタビューを行った。秋山副議長に、二十世紀はどんな世紀だったか、国民経済打開の問題、わが国の進路をめぐる問題、政治の現状と労働党の当面の闘い方などについて、語ってもらった。

聞き手 石井 勝
1944年生まれ。横浜国立大中退。中小企業に勤務し労組結成などで活動する。党労働運動対策部、労働新聞編集長などを歴任。99年から現職。

まずは、山登りの話から

―― 本年はいよいよ新しい世紀の幕開けですね。おめでとうございます。二十世紀は激動の時代でしたが、今世紀も労働者階級と勤労国民にとって素晴らしい、新たな時代が切り開けるものと思います。実は秋山副議長には、初めての新春インタビューですので、まず自己紹介的にどんな趣味をお持ちかということからうかがいましょう。山が好きなようですが、昨年はどんな所へ。

秋山副議長 明けましておめでとうございます。この紙面を通じて、読者の皆さん、各界のわが党の友人の皆さん、同志の皆さんに、新年のあいさつを申し上げます。
 さっそく私の趣味の話になりましたが。昨年八月には、南アルプスの仙丈ケ岳(三〇三三メートル)と甲斐駒ケ岳(二九六六メートル)に登りました。仙丈ケ岳は、日本有数のカール(氷河でできたくぼ地)で有名ですが、たいへん気品のある山です。また、甲斐駒ガ岳は険しいですが、均整のとれた美しい山です。
 朝の三時半から歩きますから、星が天空に満ち、まさに降るがごとしです。真っ暗な森林をぬけると、ちょうど朝日が昇ってきて、その中を登って行くのです。気持ちが非常にさわやかになり、なにか敬けんな気持ちになりますよ。

―― 映画もよく見られているようですが、最近印象に残った映画は何ですか。

秋山副議長 労働新聞にも紹介されていましたが、沖縄の小さな島を舞台に、庶民の暮らしと二つの恋を描いた「ナビィの恋」、実に楽しい映画でしたね。特に音楽が素晴らしい。沖縄らしい優しさあふれた、かつ元気な映画でした。
 もう一つは、「ビエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」。これはドイツの有名な映画監督が作ったドキュメンタリー・タッチの映画なんですが、キューバを舞台に、以前活躍した実在の音楽家たちを訪ね、再びみんなで、歌ったり踊ったり楽器を弾いたりするところを描いておりますが、なにか心打つものがありましたね。
 それから日本で注目しているのは、監督としては坂本順治監督で、彼の作品「どついたるねん」から注目して欠かさず見てきました。最近の「傷ついた天使」「顔」「傷ついた天使―愚か者」は面白かったですね。行き場のない「下層」の庶民の暮らしと生き方をユーモラスに、また破天荒に描いておりますが、現実へのなかなか鋭い批評感覚がいいですね。今後どのように成長するのか楽しみです。ぜひスケールの大きい、かつ意表をついた作品を作ってもらいたいですね。
 これまで見た中で、どのような映画が印象に残っているかといえば、あげればきりがありませんが、一九〇五年のロシア革命で、ロシア水兵の反乱を描いたエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」、ヒトラーを徹底的に茶化したチャップリンの「独裁者」、イタリアの反ナチスのレジスタンスを描いたロッセリーニの「ロベレ将軍」、そしてスタンリー・キューブリックの「二〇〇一年宇宙の旅」などです。

なぜ20世紀、21世紀を語るのか

―― 今日から新しい世紀が始まったのですが、過ぎた二十世紀についていろいろな評価があるようです。日本共産党も昨年の大会で二十世紀論を展開しています。秋山副議長はどのような時代とお考えですか。

秋山副議長 二十世紀は、ひとことでいえば「戦争と革命の時代」であり、まれにみる大激動の時代だったと思います。
 共産党には、歴史の事実から学ぶ謙虚な姿勢が見られません。歴史を自分たちに都合がいいように勝手に書き換えており、全くいただけませんね。
 共産党は、「民主主義と人権、民族の独立、平和秩序、資本主義への規制、社会主義」の五点をあげて、二十世紀は偉大な世界史的な進歩を記録した時代であるといい、これを「歴史の本流」と評価しています。しかも、二十一世紀の大局的な未来は、この「歴史の本流」が地球的な規模に広がり、花開く方向にある、などと彼らは主張するのです。
 非常にヘンですね。例えば、国際連盟規約での戦争の規制や国連憲章での武力行使・威嚇の禁止をとりあげて、「戦争の違法化が国際ルールとしてすすめられた」と高く評価しています。
 しかし、現実はもっと違うんですよ。今でこそ世界大戦の危険性は少なくなっているとはいえ、しかし、湾岸戦争や「コソボ戦争」など、米国主導の戦争がやられているのが実際ではないでしょうか。
 また、二十世紀には、民主共和制の国がとても増えたといって高く評価しておりますが、だからといって、広範な人びとが政治の実権を握っているのではもちろんなく、多くの人びとが議会制民主主義から事実上排除されているのが現実なのです。
 万事がこんな調子です。帝国主義の支配とそれとの熾烈(しれつ)な、まさに「食うか食われるかの闘争」が二十世紀の歴史を色濃く特徴づけているのですが、共産党はその生きた歴史を故意に抹殺し、実に歯の浮くような物語に変えているんです。
 共産党は、あたかも二十世紀が「民主主義と人権」などで前進したことだけを一面的に、しかも大げさに描くことによって、肝心な帝国主義の支配を覆い隠しているということを指摘せざるを得ません。これはたいへん危険ですね。

―― 共産党は、二十世紀の労働者階級の闘いについて非常にわい小化しているようですが。

秋山副議長 二十世紀は、労働者階級が歴史に力強く登場した時代として記憶されなければなりません。
 労働者階級は、社会主義革命でも民族解放闘争でも、さらにフランスなどでの反ファシズム統一戦線の闘争でも、イニシアチブを発揮し、闘争の前進に巨大な役割を果たしました。第二次世界大戦後も、日本の六〇年の「安保と三池の闘い」、フランスの「五月革命」、イタリアの労働者がストライキで頑強に闘った六七年から六八年の「暑い秋」などを指摘できます。
 しかし、共産党は、驚くべきことに、労働者階級の闘争についていっさい触れていないんです。
 まして二十世紀を考える際に、偉大なロシア社会主義革命を忘れるわけにはいきません。この革命は、二十世紀の歴史に決定的な影響を与えました。また、今後二十一世紀の世界で、世界の労働者階級と被抑圧民族が事態を切り開く闘いを進めるうえで「原点」とでもいうべき重要な意義をもっていると思います。
 しかし、共産党は二十二回大会決議で、ロシア革命についてはたった一行しか触れず、しかも、ロシア革命が「民族独立、国際平和、勤労者の権利の前進などに成果」があったと指摘しているに過ぎません。共産党は偉大なロシア社会主義革命を「資本主義の枠内での民主的な改革」に落とし込めてしまったのです。

―― では、ロシア社会主義革命の歴史的な意義について改めてお聞きします。

秋山副議長 ロシアの労働者階級は、レーニンの党の指導の下で、飢えや戦争という困難な状況にもかかわらず、パンと平和、そして土地をめざして、農民と同盟して偉大な力を発揮し、歴史上初めて政権を握りました。下層が歴史上初めて政権を握ったんですよ。
 ソ連の労働者人民は、その後引き続きプロレタリア独裁のもとで、帝国主義に包囲されつつも、社会主義社会の建設をめざして前進しました。
 そして、ロシア革命を皮切りに、第二次大戦後、労働者階級が政権を取った国は、東欧諸国、朝鮮民主主義人民共和国、中国などに広がった。社会主義は、一時期世界の人口の三分の一を占め、世界的な体制に発展したのです。その後も、キューバやベトナムで労働者が政権を取りました。
 ソ連社会主義は結局は崩壊しましたが、しかしだからといって、ロシア社会主義革命の歴史的な事実、またソ連など世界各地での社会主義建設の苦闘を、歴史から抹殺できるものではないでしょう。
 ソ連で、農民に負担を押しつけたことは事実ですが、しかし社会主義的工業化が前進したからこそ、ソ連社会主義をつぶそうとする帝国主義の包囲を切り抜け、また第二次世界大戦でヒトラーの攻撃を食い止めることができたわけです。ソ連は世界平和に大きく貢献したんです。もしソ連がファシズムに敗北していたならば、二十世紀の歴史は大きく変わっていたんじゃないですか。
 また、社会主義建設は歴史上初めての経験であり、誰も教えてはくれなかった。そもそも、社会主義は人類史の歴史的な大事業ですよ。さらに、帝国主義に包囲されたもとで、しかもロシアのように人口の大多数が農民が占めるような遅れた資本主義国で社会主義建設をやるのですから、その困難が並大抵なものではなかったことは想像できると思います。試行錯誤は不可避です。われわれは、こうした社会主義の正反両面の歴史的経験に学んでこそ、前進できるわけですね。こういう経験に学ぶ以外に、労働者階級の闘いが前進できるすべはないじゃないですか。
 ですから、共産党のように、「スターリンが悪い」とひとことで片づけてしまうことは、帝国主義者ならいざしらず、昨日まで社会主義を掲げていた政党としては、階級的にまったく無責任だと思います。社会主義の革命と建設の歴史を、きれいさっぱり清算しているわけですね。これでは信頼されないのは当然でしょう。

―― では、二十一世紀はどうなるでしょうか。世界経済、とりわけ米国経済がどうなるかが重要な問題だと思いますが、いかがお考えですか。

秋山副議長 難しい質問ですね。まず、帝国主義者たちは九〇年前後、世界史的に社会主義が後退したことをとらえて、「これからは市場経済と民主主義が開花する時代だ」と誇らしげに主張していたんです。
 しかし、いまでは米国主導の世界資本主義の危機が進む中で、そういうことを主張する人は少なくなっています。
 九七年にアジア通貨危機が起こり、九八年にはそれがロシア、中南米に波及し、最終的には帝国主義の本拠である米国でも金融不安が起きたことは、ご存じの通りです。アジア通貨危機の時に、国際通貨基金(IMF)のカドムシュ専務理事はこれを「二十一世紀型危機」と呼びました。
 私が言いたいのは、こういう特徴をもつ米国主導のグローバル経済は、非常に変動が激しく、また不安定であるということですね。
 なかでも、世界経済をけん引しているといわれる米国経済は、世界の基軸通貨国でありながら、世界最大の約四千億ドル(二〇〇〇年)の経常赤字となり(また九八年末で約一兆五千億ドルにのぼる世界最大の対外純債務をもつ)、内部に非常にぜい弱な構造を抱えているのです。これを支えているのが海外、とりわけ日本からの膨大な対米投資です。
 米国経済とそのドル体制は、世界、とりわけ日本経済に依存してかろうじて存立しているに過ぎないんですよ。米国中心のドル依存のグローバル経済、そして政治の秩序がいつまでもつか、いずれ崩れることははっきりしていると思いますね。
 こんにちの米国主導のグローバル金融化が進むなかで、多くの人が指摘するように、資本主義国内部で、また一握りの富める国と大多数の貧しい国との間で、格差の拡大、不平等が急速に拡大し、この体制は非常に不均衡になっており、いつ崩れるか分からないというのが実際だと思います。
 日本でも、例えば日産のリストラでも二万一千人も首を切り、中小企業はばたばたつぶす、そして自分たちだけはもうかっている。こういう実態を見ても、もはや資本主義経済が末期症状だということは、誰の目にも分かるではないですか。こうした状況を背景に、秩序の変更を求めて人びとは立ち上がるに違いありません。
 米国主導の世界経済は、破局含みの危機を深めています。帝国主義は黙って歴史の舞台から退かないから闘いが必要ですが、二十一世紀は前世紀にも増して「激動と革命の時代」となると、われわれは深く確信しています。

次へ