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労働新聞 2023年1月25日号・7面

追悼

党福岡県委員長・
中村哲郎同志

 2022年12月31日、1974年の日本労働党結成以前から半世紀にわたって革命運動に邁進(まいしん)してきた中村哲郎同志が永眠した。4月に脳梗塞を発症、手術を受けようとした際にがんが見つかり、闘病を続けていた。
 1月9日、遺影を前に追悼会が開かれ、秋山秀男議長がお別れの言葉を述べ、いくつものエピソード交えながら同志の活動で際立った二つを挙げて紹介した。一つは2013年、「指導が行き届かず疎遠になった全ての同志に会おう」という故大隈鉄二議長の呼びかけに応えて福岡県で50人以上の同志に会い、党活動への復帰を促したこと。もう一つは調査活動に専念したこと。自動車業界が百年に一度といわれる危機に遭遇したとき、そこに働く労働者や周辺企業にどのような影響が及ぶのかを調査して予測し、闘いに備えようとしたことの二点。
 最後に秋山議長は「闘病中は多くの仲間や知り合いが見舞いに訪れたが、そこで若い女性を党にオルグした。今は時代の大転換期で、一人でも多くの党員が必要だ。中村同志に学び、生き残ったわれわれは力を合わせ、もっと大きな党をつくろう」と呼びかけた。
 続いて、中村同志の遺志を継いで福岡県委員長に就任した小山明雄同志ほか参列者が次々に献花し、故人との関わりや思い出を語りながら党建設への決意を述べた。

故中村哲郎同志 略歴
 1948年、長崎県高島町の炭鉱労働者の家庭に生まれ、働く者の喜びと苦しみを見て育つ。長崎東高校卒業後、佐賀大学理工学部在学中に故大隈鉄二同志と出会い、社会変革の運動に入る。佐賀大学中退後、革命運動に専念。
 1974年、日本労働党結成に参加。以後、党中央宣伝・出版局責任者、東京都党、宮崎県党、福岡県委員会書記長などを歴任。
 1995年、福岡県委員会副委員長。「奥田県政の継承・発展、大都市中心の開発政策の転換」を掲げて福岡県知事選挙に立候補、7万1007票を獲得。
 1999年、「行き詰まった麻生県政、大都市集中政策からの大転換、中小企業者や農漁業者の経営を大切に、失業者への仕事の確保と生活支援、共に生るアジアの平和と発展」などを掲げて福岡県知事選挙に2度目の立候補、12万3266票を獲得。
 2003年、「県政の大転換21」として福岡県議会議員選挙(行橋市選挙区)に立候補、6251票を獲得。
 2007年、福岡県委員会書記長。
 2013年、福岡県委員会委員長。
 この間、党中央委員会政治局員、同政治局常務委員として党指導活動に貢献した。
 2022年12月31日逝去、享年74。

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