ホーム労働新聞最新号党の主張(社説など)/党の姿サイトマップ

労働新聞 2023年1月1日号・11面

大学院生による長編映画
『(un)reachable』

もがき模索する中学生
「主体性と自由」問う

 一橋大学の大学院生が映画『(un)reachable』の制作に取り組んでいる。原作は言語社会研究科で学ぶ石附鈴之介さんによる短編小説『四辺等三角形』。監督・脚本・撮影・編集を手がけているのは早川黎さん。社会学研究科で学ぶ一方、映画美学校を修了している。2人は院生120人あまりが生活する一橋大学中和寮の寮生でもある。撮影は最初と最後のシーンを残し今年2月まで続く。現在、クラウドファンディングも募っている(1月20日終了)。2人に作品に込めた思いなど聞いた。(文責編集部)


ーー本作品を制作するにあたってのきっかけや経過などをお聞かせください。

石附 早川さんから「映画美学校の修了制作で作品つくるから、石附さんも何か作品つくってください」と寮の喫煙所で言われて、ノリで書くことになったんです。それで丸一日部屋に引きこもっていろいろ思い巡らし、自分自身の「この世界にないものをずっと求めている」という感情を書いてみました。自分はタイトルから考えるタイプです。何年か前に散歩している時、急になぜか「四辺等三角形」という言葉が思い浮かび、それからずっと残っていました。
 「四辺等三角形」は、実際には存在していなくても言葉としては存在し得るもののたとえです。四角形にも三角形にもなり得る不安定なもの。タイトルから連想すると「主人公はなんとなく中学生っぽいな」と、自分の中学時代の記憶や感情を思い出しながら書きました。

早川 原作の短編小説は中学生たちの物語です。吃音(きつおん)を抱える少年が同じクラスの女子生徒に恋い焦がれる話でしたが、そこを少し深く見ていくと、今の「若者」のコミュニケーションのあり方という一つ主題が見えました。
 僕自身、大学で社会学を研究していてコミュニケーションのあり方をずっと考えてきました。「自分や他人と一体どのようにかかわって生きていけばいいのか」。恋愛に限らない、今を生きる人びとの自己と他者を巡るコミュニケーションの特徴的なあり方について、深掘りする余地があると思い、これを映画化しようとなりました。

ーー本作のチラシには「根深い問題は、高度に洗練された社会システムが自由を奪うのではなく、積極的に義務づける点にある」という文章がありました。2人もそれを感じていますか?

早川 僕は学校という空間に閉じ込められてきたなとずっと感じてました。しかし今は「閉じ込められていることの不自由」だけではないと思います。  中学校を卒業し高校や大学に進むと「自由になる」と思いがちですが、問題はその「自由」や「自主性」や「個性」が過剰にあおられていること。人から言われて「よし、自主性を発揮しよう!」というのは自主的な振る舞いと果たして言えるのか。「自由」の名が与えられているけれど、強制された自己形成にすぎないのではないかと思っています。
 今の中高生は私たちの頃よりも洗練されたSNSを使いこなします。そこには「開かれていることの不自由」が働いているのではないか。
 本作は思春期の中学生に焦点を当てていますが、今の社会では大人であっても、思春期のような思いを持っていたり、確たるアイデンティティーを実感できないという人も多いと思います。その点では中高生も大人もそんなには変わらない。
 「主体性」というフィクションはこんにち「自己責任」ロジックの正当化に使われています。私的な領域にその論理が食い込んで、全域化し、政治的・社会的にも促していく流れが強くなっていると思います。既存の流布されている「主体性」ではないところでこそ、別の主体性を発揮できる余地がある。僕個人の場合は、表現によって新しいフィクションを立ち上げ、現実の別様の可能性を提示することが一つの自由の実践だと思っています。

石附 自分としては自由ということを感じたことがあまりなくて、特に進学して東京に出てきてから、なんかすごく不便な社会だと思いました。  東京では街中に例えば「ここに自転車を停(と)めてはいけません」「ここは座っては駄目です」とか「禁止」のステッカーがやたら張ってあると感じました。駅に行けばドアが開く位置に何か印があったり、人の動く方向まで指示があったり、すごく居心地の悪さを感じました。
 大学に進学したのが2011年なので、もう 年以上東京に住んでいますが、だんだん東京の街、あるいは日本社会が何らかの力によって、方向づけられているように見えます。

ーー2人とも寮で生活し、自治会活動にも携わっていますが、本作品に何らかの影響を与えているでしょうか?

早川 石附さんをはじめ、寮のみんなにエキストラとして出演してもらっています。また、寮の部屋など、寮で使えるものは全部使いました。
 学生寮自体がどんどんつぶされ、自分たちの動線が固められていき、自主的な活動ができる場所が収縮しているという状況では、もしかしたらレアな営みなのかもしれません。寮生だからこの作品が作れたわけではないですが、作品につながるある種の「風土」に自分が育まれてきたことも事実ですね。

石附 実際、映画の機材を置けたり、音楽担当も寮生なので、打ち合わせとかすぐできたりと寮という空間は自分たちの活動にとっても非常に役立ちます。オーディションも寮で行うと外で会場借りずに済んで、会場代がそれで浮いたりもします。夏休みに京都大学の吉田寮生が遊びに来ていて、出演してもらったこともありましたね。
 管理化された寮だったらこんなことはできません。そういうところも、自由な場所、自治空間だっていうことが良かったんじゃなかと思っています。

ーー最後に、本作品をどんなふうに受け取ってほしいと思いますか?

早川 自分が中学生だったときもさまざまに抱えているものがあったわけですが、生身の人間や周囲の大人たちではなく、一部の作家たちの作品に助けてもらった過去があります。現状の自分や社会に違和感を抱く人にとって、自分が生きているこの現代社会と自分自身や他者について考えるための一つの視座にこの映画がなればいいなとは思っています。

石附 本作は映画という形をとっていますが、それが固定化されたものではなく、見ていただいたそれぞれの方々のなかで、新しい形に変化、運動することを願っています。本音は昔好きだった人に見てもらいたいですね(笑)。
映画『(un)reachable』(アンリチャ―ブル)
いま、思春期を生きる10代とすべての大人たちへ。
監督・脚本・撮影・編集:早川黎
原作:石附鈴之介『四等辺三角形』
 人前で「どもってしまう」草太(14)は、他者とのコミュニケーションがままならない孤独な現在を生きている。一方、同じクラスの未津菜(14)は自己主張を避け、聞き役に徹することでしか生きていけない現在に苦しんでいた。そんな日常を過ごしていたある日、未津菜がふと始めた音声配信が成功したことをきっかけに、2人の世界は動き出す。小さな社会を取り巻く不条理なルール、開かれてあることの自由と不自由。「声」を奪われた少年少女たちはやがて、言葉にならない願い/叫びを誰かに届けようともがきながら、あいまいな自己と他者の輪郭に「形」を与えることへと駆り立てられていく。

Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2023