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労働新聞 2023年1月1日号・9面

関東大震災の朝鮮人
虐殺事件100年

歴史否定と差別許さぬ社会を
ジャーナリスト・
安田浩一さん

 私はこれまで在特会など人種差別主義者(レイシスト)の実態を追ってきたが、最近はレイシズムの形が変わっていることを肌で感じる。レイシストが「在日朝鮮人を殺せ」と言いながらコリアタウンと呼ばれる新宿・新大久保の街頭を練り歩くようなむき出しの行為はかなり減ったし、かれらの動員力も落ちてる。では社会がいい方向に向かっているのかと言うと逆で、むしろ差別が見事なまでに社会に溶け込んでしまっていると感じる。

より「普通」になった差別
 2020年に行われた東京都知事選挙で、在特会創設者・桜井誠の得票数は約18万票。その前の知事選時より6万票以上伸ばした。18万というのは有権者の60人に1人ぐらいの計算で、電車1両の座席に全員座っていれば1人は入れた者がいることになる。さらに言えば、桜井誠の名前は知らなくても、在日は嫌いだとか朝鮮半島に対し強い嫌悪感を持っている人間はもっと多いだろう。
 喫茶店のような多くの人が同席する場所で、「死ね、殺せ」のようなかつての在特会と同じような言葉が、より洗練された形で語られてる怖さ。レイシストのワッペンをつけた隊列よりも、この社会の中で今すれ違った普通の人がレイシストかもしれないという確率の方が怖い。その恐怖の声を当事者である在日から何度も聞いている。
 100年前もそうだったのではないか。震災後、当時の子どもが作文に「うちのお父さんが悪い朝鮮人を殺しました」などと平気で書いている。つまりいいお父さんであり、いい地域の人という普通の人が朝鮮人を殺した。これがレイシズムの行きつく先だと思う。
 関東大震災当時の日本は大陸に植民地を拡大しつつあり、それを正当化するため、国や新聞などのメディアは朝鮮人や中国人への差別・蔑視を広げていた。1919年には日本による植民地支配と圧政に対する闘いである三・一独立運動が起こったが、当時の新聞は「不逞(ふてい)鮮人が現地の日本人を襲撃」などと報じて朝鮮人に対する恐怖と憎悪をあおった。その感覚が「普通」になったころに関東大震災が起こった。
 同様の差別扇動は形を変えて今も行われている。朝鮮人の犠牲の歴史を踏みにじることで日本の過去を正当化し、被害を訴える在日への蔑視と憎悪を強めている。このような歴史修正・否定の動きは歴史教科書の課題だけではない。
 小池都知事は17年から東京都立横網町公園で毎年行われている関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典への都知事としての追悼文を6年連続で送ることをやめている。彼女は表向き「震災で亡くなった全ての人を追悼している」などと言う。あえて自然災害死と虐殺死を一緒にし、事実上虐殺をもみ消している。これに呼応するように、朝鮮人虐殺の事実を否定するレイシスト団体が同時間帯に同公園でニセ慰霊祭を開き、追悼式典参加者に向かい朝鮮人に対するヘイトスピーチを行うようになった。
 また、群馬県立公園にある朝鮮人強制連行犠牲者の追悼碑をめぐり、県が設置期間の更新を不許可としたことが昨年最高裁で憲法違反はないと判断され、今年にも行政代執行で撤去されるおそれがある。長野県の松代大本営地下壕跡の案内看板にあった強制動員の説明が書き換えられたり、奈良県の柳本飛行場跡にあった朝鮮人強制連行の説明板が撤去されたり、宮城県が栗原市に設置していた安重根記念碑の案内板が撤去された。
 関東大震災のあの虐殺から100年という節目にやるべきことは、まずこうした歴史否認の動きをくい止めること。まず歴史をしっかり直視すること。これを呼びかけたい。

社会の目と声こそ抑止力
 私はメディアに属している人間なので、歴史否認の動きをくい止める力が、社会の中に、特にメディアの中になかったことに危機感を抱いている。
 レイシズムは既にヘイトクライム(偏見を動機とする憎悪犯罪)を生み出すまでに広がっている。昨年は立て続けにヘイトクライムへの判決も出された。一つは一昨年8月に京都府の在日集住地域ウトロ地区にある建物に放火した人間に4年の実刑判決が下された。また昨年4月に大阪府コリア国際学園に火を放った人間に対しては執行猶予付きの有罪判決が出た。
 この事件と裁判に対し、一部の熱心な記者を除きメディアの関心は薄い。不幸中の幸いで死者が出ていないからかもしれないが、一歩間違えればともに大量殺人・虐殺になった事件だ。量刑の問題ではなく、ヘイトクライムが行われたという視点で危機感をもって報道するべきだった。
 さらに言えば、その視点が司法にもちゃんとあったのか疑問に思う。判決は差別という言葉をかなり巧妙に避けていて、判決書のどこにも差別という言葉が出てこない。裁判長はそれを考慮して実刑4年というこの手の犯罪としては重い量刑を科したのだと思うが、私はそこにはあまり興味がない。それよりも、何が罪に問われたのかを司法として明確にしてほしかった。それによって社会の見る目が変わるのだから。
 社会が、差別・ヘイトスピーチ・ヘイトクライムに対して、どのような視点を持っているか。そのことが重要だ。社会の視点・視線こそが最大の犯罪抑止力になるはずだから。近年相次ぐヘイトクライムにきちんと向き合える社会になれるのかが問われている。歴史を否定し、人間を差別し冒涜(ぼうとく)する者が、社会的に批判を受け、罰せられる。そんな真っ当な社会づくりに向けた取り組みが今年は問われている。
 社会は変われるのか。壊れた社会を見て絶望的になる時もあるが、それでも期待と希望を持っている。
 去年の国会で入管法改悪が議論されている時、一昨年にスリランカ女性のウィシュマさんが入管施設内で亡くなったことへの国の責任を追及する運動が高まった。入管問題に現れる政府の外国人差別に憤り、若い人たちも立ち上がった。この市民の力で進行中の法案をくい止めた。この社会も捨てたもんじゃない。
 これまで取材したどのような現場にも、必ず差別に反対・抵抗する人の姿があった。かれらがいる限り社会を変えることはできると思う。その姿を脳裏に焼き付けて、私も現場を追い続けたい。

脅威論必要とする日米政府
 沖縄の基地問題が差別の文脈で語られることは多くないが、私は紛れもない差別だと思っている。もう聞き飽きたと言われそうだが、国土面積の0・6%しかない沖縄に全国の米軍専用施設の7割が集中している。県民が何度も新規建設ノーを突きつけても国家の圧倒的な暴力で海を埋め立てる。これらだけでも一方的な差別を感じるし、それ以上に、かつて戦場となった島に、戦時に日本軍に殺された住民の記憶が残る島に、新たな自衛隊配備を強行している。どこまで沖縄を踏みにじるつもりか。
 このような国からの差別と闘う沖縄県民をあざ嗤(わら)う者が後を絶たない。かつては百田尚樹、最近だとヒロユキや高須克弥など。おカミに盾突く者を見下すことでくだらない優越感を感じているのだろう。かれらは見下すことありきなので平然とデマを飛ばす。「普天間基地のあった所には元々何もなかった」などが典型例だ。
 政府の流すデマの最たるものが中国脅威論。根拠のないデマなのだが、地理的な近さゆえ、沖縄の人だからこそ信じてしまっていることもある。
 しかし、中国脅威論は、沖縄を日米の軍事植民地下に置きたい者にとって非常に便利なロジックだ。日米両政府こそが最も中国脅威論を必要としている。そのことは強調したい。
 沖縄には定着し地域に溶け込んでいる中国人も多いし、中国人観光客も多い。より中国との交流・友好関係を深めることが沖縄の利益になるという考えは、翁長前知事など保守層も含めた総意。これは今も変わっていないと思う。
 中国と戦火を交えることは絶対に避けなければならない。政府やその追随者の流すデマを見抜き対峙(たいじ)することの重要性は増しているのではないか。 (文責編集部)


やすだ・こういち
 1964年、静岡県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクションライター。ヘイトスピーチの問題について警鐘を鳴らした『ネットと愛国』(講談社)で2012年、第34回講談社ノンフィクション賞受賞。著書は『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版)など多数。

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