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労働新聞 2019年1月1日号・14面

日大生が映画祭
「朝鮮半島と私たち」


関係問い直し、大きな反響

 日本大学芸術学部映画学科の三年生が企画する映画祭「朝鮮半島と私たち」が、昨年十二月八日から、東京で行われた。昨年、初の米朝首脳会談と二度の南北首脳会談が行われるなど、朝鮮半島を情勢は大きく変化した。こうしたなか、学生が朝鮮半島と日本との関係を問い直す意義は大きい。日大芸術学部の古賀太教授と、映画祭でリーダーを務めた三年生の金子絹和子さんに聞いた。(文責・編集部)


ーーまず、この映画祭に取り組んだ問題意識をお聞かせ下さい。

古賀 この映画祭は学生がテーマと内容を決めて進めるもので、今回が八回目です。
 映画祭は毎年、三年生を中心に取り組まれます。学生が四月に企画を寄せ合い、取捨選択した上で、企画を練っていきます。
 ここ数年のテーマをあげると、「ワーカーズ」「ニッポン・マイノリティ」「宗教(信じる人をみる)」で、二〇一七年は「映画と天皇」でした。
 今年は、「朝鮮半島」「♯MeToo」「1968」の三つのテーマが残り、学生や上映会場のユーロスペースと議論の結果、「朝鮮半島と私たち」に決まりました。
 企画を提案した金子さんが、全体のリーダーを務めることになりました。

ーー朝鮮半島の問題を提案しようと思ったきっかけは何でしょうか?

金子 一七年に「戦後の女優をたどる」という授業で「キューポラのある街」を見た時、初めて「帰国事業」のことを知りました。古賀先生から本を紹介され、読んでショックを受け、朝鮮半島や在日韓国・朝鮮人の問題について関心を持つようになりました。

ーー朝鮮半島は非常にデリケートなテーマだと思うのですが。

金子 朝鮮半島の問題や日本との関係について、ほとんど知らなかったことが幸いだったのかもしれません。「韓流ドラマ」など、韓国文化に関心のあった学生も、十数人の学生中、二人しかいませんでした。
 テーマに決まったのが六月頃で、ちょうど、初の米朝首脳会談が行われるというニュースが流れ、緊張緩和の雰囲気がありました。世間の関心も高まっていて、「いい感じ」で意義深いものになるのではないかなと思いました。まさかその後、元徴用工問題などが浮上するとは思わなかったのですが。
 今思うと、わりと軽い気持ちで提案してしまったという気がします(笑)。

ーー右翼勢力による妨害はなかったですか?。

古賀 一七年の「天皇」映画祭もそうでしたが、右翼や「ネトウヨ(インターネット右翼)」からの攻撃を受けるのではないかと心配しました。
 とくに、従軍慰安婦問題を取り上げた「沈黙―立ち上がる慰安婦」の上映は、横須賀市での上映会が右翼の攻撃を受け、横浜地裁が「妨害禁止」を命じた直後でもありましたから。
 ですが、一七年に続いて、抗議電話も、会場でのトラブルもまったくありませんでした。

ーー企画はどのように進めたのですか?

古賀 日頃の授業では、映画のつくり方(脚本、撮影や録音、演出、評論など)を学んでいます。映画会社へのインターンシップもあります。ただ、それぞれの映画の奥には何が示されているのか、歴史や社会については、あまり教えていません。ですから、映画祭を準備するにあたっては、一つひとつの映画のメッセージについて考えようとしました。

金子 上映作品を決める際、当初は約四十本の映画を候補にしました。作品によっては配給元から取り寄せ、分担して見て、本を読むなど勉強しながら選びました。
 作品が決まってからは宣伝などで、大学に入ってからいちばん忙しい日々した。
 メンバーには韓国からの留学生もいるのですが、彼女には韓国の映画資料館からフィルムを取り寄せるための手紙を翻訳してもらうなどしました。

古賀 映画祭は、あくまで興行として行います。学生にとっては、企画を立案して作品を選び、会場運営やトークの司会まで行う模擬訓練でもあります。できるだけ多くの人に来てもらうことは必要ですが、自分たちが自信を持つ企画であることが第一です。

ーー印象に残った映画はありますか?

金子 「沈黙」は映画館で見たのですが、衝撃を受けました。

古賀 教員としては、植民地時代の朝鮮で制作された「授業料」に関心を持ちました。背景としては「内鮮一体」を宣伝するための映画なのでしょうが、日本語が強要されている状況にもかかわらず、子どもが学校を一歩出ると朝鮮語を話していたり、民族衣装で踊っていたりと、ある種の「たくましさ」がそこかしこに顔を出しています。
 こられの映画は、戦後、旧ソ連や中国に没収されたため、忘れられていました。韓国映画人による発掘が始まったのは、二〇〇〇年代に入ってからです。非常に貴重な作品だと思います。

ーー結果は、映画祭は大成功だったわけですね。

古賀 全体の参加者は約二千六百人で、これまでで最大でした。前売りが売れていなかったので心配したのですが、ふたを開けてみて驚きました。
 「よくやってくれた」という意見も多数寄せられましたし、在日の人びとも多く来場していました。宣伝よりも、内容に共感が得られたのだと思います。
金子 チケットの買い方を知らないなど、日頃は映画館に足を運ばないと思われる人も来てくれたのが、うれしかったです。

ーー取り組みを通して気付いたことはありますか?

金子 何しろ、すべてが新しい体験でした。高校の教科書には朝鮮半島についての分量は少ないですし、周りの大人も的確に答えてはくれません。今の日本社会には「知るきっかけ」がないと感じました。
 個人的には、みなで一つのものをつくりあげることの楽しさを実感できたことで、将来の夢も広がりました。終わってみたら、楽しいことばかりでした。

ーーありがとうございました。次回の企画にも期待しています。

こが・ふとし
 1961年福岡県生まれ。九州大学文学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士前期課程中退。国際交流基金職員を経て、朝日新聞社入社。2009年より現職。共著に「日本映画の海外進出 文化戦略の歴史」(森話社)など。


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