980225


6400人の死をむだにしないで

阪神大震災から3年(1)

覚えていますか? あの震災

神戸市  秋月 香


「仮設の風景」
ひとつ又ひとつ命の灯が消えてゆく
仮設の路地を右に曲ると
何処からともなく線香の匂いがする
毎日見慣れたあの顔も人なつこいあの笑顔もしわだらけのあの顔も今はない
二度とみることはない
ただ風に運ばれ仮設に線香の匂いが流れるだけ…
左に曲ると酒好きのあの顔があった
その顔も今はなく
老婆が不自由な足をひきずりながらひと息をつく
今日も生きている自分にため息をつく
でも何事も無いかのように今日も仮設に風が吹く
明日はわが身と風が吹く
(98年1月13日付神戸新聞「神戸新聞文芸」から引用)

 これは最近、地元の新聞に掲載された「仮設の風景」と題する詩で、神戸市長田区にある西代仮設住宅に住む長尾政之さんの作品です。
 この詩を見たとき、自分が住んでいる仮設住宅の現状とオーバーラップして目頭が熱くなりました。「復興」が強く叫ばれる中、その陰で仮設住宅の一室で消えていく命の灯。「孤独死」と呼ばれ、誰にみとられることもなくひっそりと亡くなっていく人びと…。その人数百九十人。あまりにも無念でなりません。
   *  *  *
 皆さん。三年前、神戸を中心にして大きな地震が起きたことをまだ記憶しておられるでしょうか。突然襲ったあの「阪神・淡路大震災」から丸三年が過ぎました。この地震で一瞬にして五千五百人の命が犠牲となりました。その後の関連死も含めるとその数六千四百三十人。関連死と認められない「死」も含めると一万人にもなるといわれています。
 私もこんなに長く復興にかかるとは正直思っていませんでした。しかし、今なお二万四千世帯、四万人が仮設住宅での生活を余儀なくされています。市外・県外に避難し、いまだもって元住んでいたところに戻れない被災者は十万人を超えているともいわれています。被災地の人口は震災前と比べ、まだ十万人以上が戻っていません。それもそのはず、復興が進んだ市の中心部でも一歩中にはいると解体された後、放置されたままの空き地が目立ちます。
 道路、港湾の復興には膨大な国家予算がつぎ込まれました。力のある大企業の復興はめざましく進みました。外から見れば「復興した」といわれてもそこに住んでいる(住んでいた)人びとの復興はまだまだです。まだまだどころか、震災で受けた被災者の心の傷は癒(い)えることなく深刻化しているといっても過言ではありません。社会的弱者にとりわけ大きな被害が集中しただけに深刻です。
 県外に避難した人びとが被災地に戻れない問題、仮設住宅に取り残される人びとの問題、しかもそこには二十年先の日本の超高齢化社会が抱えるであろう問題がある。震災と不況で悩む中小企業・中小商店、行政に対する不信感、「生活再建は個人の力で」と公的援助を拒否する政府・与党…さまざまな問題を抱えながら震災から三年が過ぎました。
   *  *  *
 私は、避難所では対策本部、仮設住宅では自治会に身を置きながら、三年間やってきました。あまりにも今の政府、行政が進める震災復興のあり方に憤り、何としても全国の人に知ってもらいたく、投稿させてもらいました。
 「災害は忘れたころにやってくる」ということわざがあります。災害は、忘れても必ずやってきます。あなたの町にも。震災・津波・風水害・雪害・大火…、災害国日本です。どうぞ、私たちが味わったのと同じ苦しみを味わわなくてもよいように、災害を「人災」にしないためにも、今回の阪神・淡路大震災から教訓をくみ取ってほしいのです。併せて、まだこの震災が続いていることを忘れないで下さいというのは無理な相談でしょうか?。
 皆さんの意見を聞かせて下さい。紙面を通じて議論を進めませんか。

つづく


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