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労働新聞 2019年2月15日号 投稿・通信

国策追従と企業奉仕を
進める大学に異議

 「学生・若者は使い捨ての
道具じゃない!」

学内で「竹中批判」敢行した
東洋大学生・船橋秀人さんに聞く

 小泉政権下で郵政民営化担当相を務めるなど、この二十年間、学者・政治家・企業家として数々の規制緩和・改革政治を主導してきた竹中平蔵氏は、現在の安倍政権下でも産業競争力会議や国家戦略特区諮問会議などで強い影響力を行使している。この竹中氏が教壇に立つ東洋大学白山キャンパス(東京都文京区)で一月二十一日、一人の男子学生が「竹中平蔵による授業反対」という立て看板を掲げビラをまく宣伝を敢行した。これに対し大学当局は即座に宣伝を制止、学生を長時間拘束し退学まで勧告する暴挙に出た。この一件がネットニュースなどで拡散されるや、大学には抗議と批判が集中、同時に学生には各方面から共感の意が伝えられた。「竹中批判」の学内宣伝を敢行した東洋大文学部哲学科四年生の船橋秀人さんに、行動に至った思いなどについて聞いた。(文責編集部)


■「哲学の大学」のはずが…
 私は哲学を勉強できる大学をということで東洋大を選びました。百三十年前に設立された哲学の専修学校を前身とした「諸学の基礎は哲学にあり」を建学の精神とする大学で、哲学科は日本の私大で最も長い歴史を誇っています。二〇一五年に私は胸を躍らせて入学しました。
 しかし東洋大はその頃、国際系や情報系の学部を増やすなど実学偏重路線を突き進んでいて、古典的な学問を学ぶ人文系学科はそのあおりを受けていました。哲学科の「ゼミ」では教授一人が四十〜五十人の学生を相手に一方的な授業が行われていましたが、ゼミは本来はせいぜい二十人ぐらいで読書会などをするもの。これはもうゼミではなく講義です。またインド哲学科と中国哲学文学科は東洋思想文化学科として統合再編されました。
 国は一三年に国立大学改革プランを策定、文学部などの人文科学系学部に「地域や産業界のニーズに合わせた人材の育成」を求めました。全国的に最も打撃を受けたのが文学や哲学です。この文部科学省の指針を私大で最も忠実に受け入れているのが東洋大です。私としては、学問をしっかりやり社会に貢献することこそが大学の役割だと思っていますので、就職予備校化する大学には不満と憤りを持っていました。
 さらに一六年には竹中さんが「国際学部グローバル・イノベーション学科」(笑)の教授として就任しました。竹中さんは〇三年の労働者派遣法改悪を主導しました。非正規雇用の労働者をこれほどまでに増やし、若者が使い捨てにされる社会にした、いわば「主犯格」です。その彼が、何食わぬ顔で教壇に立ち、世界を巻き込んだ低賃金競争に身を投じろと若者に教えている状況…左右を問わず、誰が見てもおかしいでしょう。

■「自分の場所」で闘うこと
 このような大学のあり方・組織の問題を学内で問いたいという思いはずっと抱いていました。「いつか学内に立て看を」と思い続けていましたが、踏み切れずにいました。また他の誰かが立て看を立てることも私の在学中にはありませんでした。
 私は一三年の特定秘密保護法や一五年の安保法制に対する反対の声が盛り上がった時、国会前に何度か足を運びましたが、その頃注目を集めていたシールズ(SEALs、自由と民主主義のための学生緊急行動)の姿勢には違和感を抱いていました。国会前で声を上げる一方、自らの学校では闘わず「きちんと試験を受けよう」などという姿勢は、何だか優等生が生徒会をやっているような印象でした。そしてかれらは安保法制が通るとすぐに「野党に一票」と呼びかけて運動を収束させ始めました。
 シールズを全否定するつもりはありませんが、どこでどのように運動を行うべきか、その問いは私の宿題として残りました。自らのいる大学で闘わないでどうする、「独立自活」(これも東洋大の「建学の精神」)で立ち上がらなければ、という思いは卒業を目前に強くなりました。
 また、昨年は日本大学のアメフト部の悪質タックル問題が起こりましたが、これについて学生の側から何も意見を言わない、言えない状況となっていることを報道で見て、これでいいのかと思いましたし、また自らも批判されているような気持ちになり、これにも背中を押されました。

■ただ一回の宣伝で退学?
 先月二十一日の午前九時に「竹中平蔵による授業反対!」と書いた立て看板を校内に立て、「今こそ変えよう、この大学を、この国を」「竹中氏が人材派遣会社のパソナグループの会長を務めているということも忘れてはならない」「意志ある者たちよ、立ち上がれ! 大学の主役は、われわれ学生なのだ」などと呼びかけるビラも配布しました。
 少なくとも私の在学中にこのようなことをした人はいませんでしたし、今の大学の体質ですから、そう長くは続けられないと思っていました。三十分できれば上出来、一時間は難しいだろう、と。しかし実際には十分もすると大学職員や警備員に囲まれ(笑)、学生部の部屋に連行されました。
 それでも私は「初犯」でしたから、「看板は撤去する、もうやらない」と言えば放免されると思っていたのですが、その後二時間半も詰問・しっ責されることになりました。そのうちほぼ二時間は職員から「東洋大立て看同好会」の名で私が立ち上げたツイッターのアカウントを削除しろ、東洋大と名乗るなと迫られていました。職員たちは「東洋大のブランドに傷が付く」と思い込んでいるのでしょう。「本学の秩序を乱した」と学則を指差しながら退学をチラつかせて脅したり、「君のためを思って言っているんだよ」となだめたりしました。本当は立て看板やビラを止められたことも納得していませんでしたが、学内と無関係なツイッター削除についてはさすがに「言論弾圧だ」「学外での発言は憲法二十一条で認められており、大学に強制する権限はないはずだ」と譲りませんでした。すると職員から「表現の自由には責任が伴う。何らかの処分で責任を取ってもらう」と退学勧告されました。
 この横暴な勧告に対抗しようと、自分の所属する哲学科の教授たちに連絡を取り、声明書など何らかの意思表示をしてくれるよう頼んだのですが、「上の方針で動けない、私にも立場がある」「意見は分かるが、他にやり方があったのでは」「竹中さんの授業を履修しているわけではないのにおかしいのではないか」などと、一人も動いてくれませんでした。教授の中には、思考や判断を停止させてナチスのユダヤ人大虐殺に加担した「凡庸な悪」についてのハンナ・アーレントの研究について講義をしたり、また「哲学は実践が伴わないとダメだ」などと学生に説いていた人もいました。にもかかわらず、自分に火の粉が降りかかることを恐れて誰一人味方になってくれなかったことは残念でした。

■哲学は社会変える道具!
 しかし、私の行動や大学の対応がSNSやメディアの報道で広がると、驚くほど多くの人から激励があり、同時に大学に対して多数の抗議が寄せてくれたからでしょうか、大学は公式サイトで「所属学部では退学処分とはしないことを確認している」としています。今後何らかの処分が下る可能性は完全にはなくなっていませんが、現時点では胸をなで下ろしています。
 その後、多くのメディアから取材も受け、いろいろな媒体が大学の国策への追従や管理強化の現状や問題点を取り上げてくれました。大学は本来、就職に役立つかどうかではなく、問題意識を持って知を追求する場所であるはずで、権力からは距離を置き、自由に議論を進める先導役になるべきで、表現の自由は最大限に認められなければならないと思います。このような自論をメディアが取り上げてくれたことは、私の取った行動の一つの成果だと思います。
 しかし、激励の声のほとんどが上の世代の方からのもので、同世代の若者からの反応が少なかったことは残念ではあります。それでも少数ながら学内からも応援が寄せられ、後に続きたいという声もありました。また教員の一部にも賛同してくれる人がいます。私の一度の行動で大きな運動が起こるとは思っていませんが、アリの一穴になればいいと願っています。
 また、学外の学生などからも多くの激励や連携のメッセージをもらいました。私の行動の少し前に女子大生を大学別にランク付けした性的な記事を掲載した「週刊SPA」の編集部に対し抗議し謝罪を勝ち取った女子学生からも連絡をもらい、お会いして今後の連携を約束しました。大学を超えたつながりをつくる意味でも私の取った行動は間違っていなかったと思います。
 私はこの春には卒業し、就職しますが、この単発行動で終わりにするつもりはありません。仕事をしながらでも学習会をしたりなど運動はできると思いますし、労組での活動も頭にあります。
 今後のことはどうなるか、働き始めてからでないと分からないのですが、学んだ哲学を人生の実践で生かしたいと思っています。哲学は啓蒙してこそ哲学です。知恵を広げ、理性を駆使すれば、人間に対する信頼が生まれます。権力者におもねるのではなく、「私たちこそが社会をつくる」という機運をつくることが哲学の役割ですから。フランスの「黄色いベスト運動」が大きな注目を浴びていますが、これも「私たちが社会をつくる」といううねりの一つだと思います。
 これからも、ともにがんばりましょう!

※編集部追記
 船橋さんは二月十一日、東洋大学学長に対し長時間拘束やどう喝への抗議と謝罪を要求、また理事会に対し竹中氏登用や実学重視の大学運営について公開質問状を提出した。卒業まで時間は多くないが、船橋さんの取り組みは続いている。


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